01 今日で勇者は引退します
「こないだ倒した魔王で十人目。きりもいいし、勇者業は今日で引退させてくれ。俺はスローライフで、第二の人生を謳歌したいんだ」
六百年間、俺が望んできたこと。
それを伝えた瞬間、異世界の王たちは、ぎょっとした表情で固まった。
しーんと静まり返った、ミズガルズ国『円卓の間』――。
俺がこの異世界に転生して以来、たびたび足を運んできた場所だ。
ここで魔王軍殲滅のための軍事会議が、何度も開かれた。
そして今回話し合われる議題は、勇者の進退について。
勇者とは――、つまり俺だ。
「ま、待たれよ勇者……! お主以外、誰がこの世界を守れるというのか……!」
円卓についている王たちの中、声を上げたのは最年少である北寒国の王だった。
北寒国の王は、冗談じゃないと言いう顔をしている。
彼はいつも誰より先に口を開き、感情をそのまま顔に出す。
俺は北寒国の王の若々しい無鉄砲さが、意外と嫌いじゃなかった。
「だいたい急に聞き入れられるわけがない! 勇者が!? 引退だと!? そんなありえない話!!」
もしかして、あっさり会議終了とはいかないのだろうか。
魔王も倒したし、この世界はしばらくの間、大丈夫だと思ったんだけどな……。
「勇者が去ったら、だれがこの世界を護るというのだ!?」
「そこはみなさんで力を合わせて……」
「無理に決まっているだろう……!?」
「うーん……」
確かに俺は、凶悪な魔王たちから何度も彼らの国を救ってきた。
便利な護衛がいきなり辞めるとか言い出したら、戸惑うのも無理はない。
けれど、六百年間持ち続けた夢なんだ。
のんびりとした広い土地に家を建て、自分で土を耕す。
太陽の恵みを受けた作物を育てる。
自然の中で生きるのは、生易しいことじゃないとは思う。
でも草木の匂いがする空気を、胸いっぱいに吸い込んで生きたい。
(戦って何かを壊すより、細々とでもいい、生産性のある暮らしがしたいんだ)
だいたいもう俺六百歳だから。
おじいちゃんだから。
いくら見た目が十代のまま年を取らないと言ったって。
心は結構疲れてる。
(六百年、いろんなことがあったしなー……)
前線から退き、のんびり生活したいって思っても、罰は当たらないはずだ。
「……あのさ、時期としては申し分ないだろう? 魔王はつい先日倒したばかりだ。これまでのパターンから言って、新たな魔王が決起するのは早くても五十年後。備えるだけの時間は十分にあるはずだ」
「しかし……!」
本当は、王たちにもスローライフの魅力を伝えて、理解を得たいところだ。
でも俺は弁舌が立つタイプではない。
だからせめて、自分の気持ちを正直に話そうと思う。
「俺が勇者になって六百年。魔王退治の傍ら、育成してきた騎士団もずいぶん立派になった。あの騎士団なら、俺がいなくても上手くやるよ」
「騎士団の力は認めよう……。だが六百年鍛え続けてきたそなたと、精々数十年の騎士団隊員たち。比べるまでもない! 天と地の差があるではないか……!」
唾を撒き散らして声を荒げたあと、北寒国の王は円卓をダンッと叩いた。
(うーん……怒らせてしまった……)
白いおでこに青筋がたっている。
ただでさえ王という立場は、心労が多いのに。
俺のことでこんなに激昂させているのが忍びなくて、申し訳なさが募る。
「北寒国の王、とりあえず落ち着いて話そうか……」
「六百年鍛えた人間と、数年鍛えた人間に違いはないと、そなたは考えているのか!? 数年と六百年に!! 差はないと!?」
だめだ。
全然聞いていない……。
北寒国の王は、怒涛の勢いで叫んでいる。
「えーと……人間、六百年くらいじゃそんなに変わらな……」
「人間が六百年で、何世代を引き継いでいくと思っている!? 第一もっと明確な差があるではないか! 騎士は死ぬ。しかしそなたは死なない。不死の勇者よ! 人間の騎士が何千人集まろうが、そなたの代わりになどなるわけがない!」
「そんなことは……」
「考え直すのだ!!」
「……」
まいった。
やっぱり夜逃げして、姿を消すべきだっただろうか。
(なるべくなら、不義理はしたくなかったんだけどな……)
「やれやれ……。少し落ち着かれよ、北寒国の若き王」
かなりしつこく食い下がる北寒国の王を、ミズガルズの王が片手を上げて制止てくれた。
「確かに、勇者が現れてすでに六百年。本来は二百年の間だけ、手を借りる話だった。その約束をたびたび延長させ、三倍もの時間、われらが引き止めてしもうたのは事実だ。すまなかったな、勇者よ」
「いや、それはいいんだ」
とりあえず話を聞いてくれる意思を感じて、ホッとなった。
さすがミズガルズの王だ。
何世代にも渡って円卓を取り仕切り続けた大国の王だけある。
――六百年前。
地球の日本の東京の道路で事故死した当時高校生の俺は、神様のきまぐれで異世界へ転生させられることになった。
『君には異能力と永遠の命をあげるよ。その代り、今あっちの世界、魔王が大暴れで大変だからざっと二百年ぐらい守ってね!』と命じられた。
俺は約束の三倍の時間、世界を守り続けたし、一応義理は果たせたのではないかと思っている。
「時に勇者よ、お主が望んでおる『すろぉらいふ』とは一体どのようなものか?」
ああ、そうか。
スローライフは、あっちの世界の言葉だった。
「えーと……スローライフはつまり、まったり自給自足をしたり、のんびり開拓をしたり。時間に追われずゆるく生活するという意味だ。王都みたいな都会ではなく、田舎でさ」
「新天地での暮らしを望んでおるということか?」
「そうだ」
俺はきっぱりとした口調で答えた。
とにかくゆっくり暮らしたい。
王都の喧騒から離れて、未開の地に引っ込んで。
罠の作り方を工夫して狩りをしたり。
自分で編んだハンモックで昼寝をしたり。
山や森を散策して、そこで綺麗な湖なんかを見付けて、水浴びをするついでに泳いだり。
釣りをしたり……。
こうして想像しただけで、胸の鼓動が高まるのを感じた。
「そなたの意思は揺るぎないのか」
「ああ」
ミズガルズの王は返事の代わりに唸り声を響かせ、口を噤んだ。
とりあえず俺の意志が固いことは、ミズガルズの王に伝わっただろう。
◇ ◇ ◇
その後、俺はいったん、円卓の間から出され、王たちのみで話し合いが行われることになった。
呼び戻されたのは、夕刻になってから。
総意としてミズガルズの王が俺に告げた言葉は以下のとおり。
「我々『円卓の十二王』は、勇者が新天地に移ることを許可する!」
「本当か……!」
俺がぱっと顔を上げると、「勇者の目があんなに輝いているところは初めて見た」と王たちが驚きの声を上げた。
実際、こんなに心臓が高鳴るのは、何百年ぶりだろうか。
剣じゃなく、鍬や釣竿を握って、気の向くままに生活できる。
俺がもう四百年若かったら、この場で飛び上がっていたかもしれない。
「だが勇者、それにはただ一つ条件がある」
「条件?」
「お主が移り住む地は『暗黒大陸』にしてもらいたい。そして領主として彼の地を治めるのじゃ」
(なるほど、暗黒大陸か……)
南東の果てにある暗黒大陸は、多くの魔族が暮らしているため人間は一切足を踏み入れない。
俺が戦った十人の魔王のうち、九人が暗黒大陸出身だった。
神官の予言によると、次の魔王も暗黒大陸から誕生すると言われている。
だから俺を送り込んで、万が一の時には対処させたいのだろう。
けれどそれくらい、これから生活する場所を守るためだと思えばなんてことはない。
あの地には人間界で見られない生き物や植物が山ほどあると、以前剣を交えた魔族が言っていた。
一体どんな動物が住んでいるんだろう。
お伽噺に出てくるような魔物もいるに違いない。
そいつらとは仲良くやれるだろうか。
人間界はもうすぐ春だが、暗黒大陸には一体どういう花が咲くんだ?
考えるほどに、未知の世界への好奇心がわいてきた。
◇ ◇ ◇
翌日の早朝――。
俺はミズガルズの王から譲り受けた船に乗り、暗黒大陸を目指して旅立った。
南東からは、湿り気を帯びた向かい風が吹いている。
暗黒大陸から運ばれてきた風だ。
そう思うと、なんだかこの風に異国の香りが混じっているような気がしてきた。
(ああ、わくわくするな……)
彼の地で、俺はどんな風に暮らして、どんな出来事に出会うんだろう。
行く手に広がるのは、美しく青い海。
この海は、目指す場所、暗黒大陸へと繋がっている。
そんな事実に胸を躍らせて、俺はまだ見ぬ大陸に思いをはせるのだった――。
◇ ◇ ◇
――勇者が出立してから数ヵ月後の暗黒大陸、魔王城。
悪しき王が総べるその城では、少女の影が、魔王の御前に跪いていた。
「お父上。では、ついに、勇者を迎え撃つ時が来たのじゃな!」
「その通りだ、いとしき娘よ。……偵察の鳥どもより報せが参った。やつはいま、船でこちらへと向かっておる」
「このときを、わらわがどれほど待ちわびたことか!」
魔王による姫への謁見を、異形のものたちが取り巻いて見守る。
「楽しみで胸の高まりが止まりませぬ。必ずやこのシャルロッテ、つとめを果たしてみせましょう」
「期待しておるぞ。あの者の心臓を射抜き、必ずや手中におさめるのだ」
「お任せください――……」
姫は、可憐な唇を歪めて、くすりと微笑んだ。
「魔王さま、ばんざい! 姫さま、ばんざい!」
異形の者たちが、緑色の拳を掲げる。
暗黒大陸に響き渡るほどの勝鬨は、まだ元勇者の耳には届かない――……。