第九章:暴走
トントントン
扉をたたく音が聞こえてくる。
俺は眠気に抗いながらなんとか身を起こすと、ふらふらとした足取りで扉を開けに行った。
「起きてます」
目を閉じた状態で、おそらく目の前にいるであろう相手に告げる。
そのまま立った状態で寝そうな俺に、微笑を含んださわやかな挨拶の言葉が流れ込んできた。
「起きてください日暮さん。来たのが僕だったからいいものの、殺人犯かもしれないんですよ。もう少し自分の身は大切にしてください」
俺がしょぼしょぼとした目をこすりながら、ようやく目の前にいる人物に顔を向けると、そこには寝起きとは思えないきりっとした表情の荒瀬が立っていた。
俺は小さくあくびをしながら、荒瀬に尋ねる。
「おはよう……。それで、こんな朝早くから一体何の用?」
俺は荒瀬から視線を外し、目覚まし時計を見る。時刻は午前六時四十分。涼森が提案した時刻よりも一時間以上前だ。
荒瀬は照れたようにほほを染めながら、恥ずかしそうに言う。
「その、僕たちをこの塔に閉じ込めた犯人――金光権蔵が言っていた期限って今日じゃないですか。よくよく考えてみたら時間指定はされていなかったし、もしかしたら早朝から何らかの動きがみられるんじゃないかと思って。つい朝早くから起きてしまいました」
「全く迷惑な話だ。一人で確認しに行けばいいものを、わざわざ起こして連れてくるんだからな」
荒瀬の後ろから志島が口を挟む。どうやら俺の部屋に来る前に志島のことも起こしていたらしい。
俺は志島に対しても朝の挨拶をしてから、他に人は来ていないのかとホールを見渡した。
俺の行動の意図をくみ取ったのか、荒瀬が言う。
「今一階にいるのは僕と志島さん、それに日暮さんだけですよ。藤林さんは扉をたたいても全く反応がなかったので、多分まだ寝てるのかと。彰子様は二階で涼森さんとお話になってます」
俺は寝ぼけたままの頭で考えつつ、軽く疑問に思ったことを聞いた。
「藤林のおっさんが反応しなかったって、それ、大丈夫なの? 部屋の中で死んでたりしない?」
「まあ死んでる可能性はあるな。だが、その確認は後でいいだろ。全員そろってから見に行けばいいだけの話だ。もし死んでいるなら手遅れだし、涼森の考えからすると、警察が介入する前に俺たちで捜査する時間があればいいはずだ」
まだまだ時間はあるから大丈夫だろ。志島はそういうと、俺同様眠そうにあくびをした。
荒瀬は苦笑いしながら言う。
「少し身も蓋もない言い方になりますけどその通りですね。でも、藤林さんは殺人者の可能性をかなり警戒していましたし、約束の時間以外にだれかが来ても扉を開けさえしないと思いますから。単純に僕がさっき扉をたたいても出てこなかったのも、同じ理由だと思いますよ」
俺は軽く首を捻りつつ、とりあえず頷いておく。
そして小さくあくびをすると、荒瀬達に聞いた。
「それで、朝早くから集まったわけだけどどうする? まだ俺は朝食を食べてないし、せっかくだから一緒に食べる?」
荒瀬は俺の提案にうなずくと、一度ホールの中を見回した。
「せっかくなので朝食はご一緒させていただきます。でもその前に、出口の扉が開かないかどうか確かめてきてもいいですか?」
「もちろんいいよ。志島さんも一緒に食べるだろ」
「まあここまで来たからな」
志島は顔をしかめながら言う。別に機嫌が悪いわけではなく、単純に眠いだけだろうと思い、俺は笑顔で志島を部屋の中に招き入れる。
「じゃあちょっとだけ出口がどうなってるか見てきますね」
荒瀬はそういうと、扉を閉めて出入り口の扉を見に行った。
部屋の中には俺と志島の二人が取り残される。
とりあえず朝食の準備をしようと思い、冷蔵庫へと近づく。
「志島さんは何か食べたいものとかあります?」
「別にない」
「そうですか、じゃあ俺が適当に選びますね」
会話終了。別段俺は無口なわけではないが、会話を持たせる才能は残念ながら持ち合わせていない。まして、今の志島のように喋りかけるなオーラ全開の相手に話しかけるほどの気力もない。
食事で話題作りができたらいいなと思い、普段の朝ごはんでは絶対に食べないようなものをチョイスし、電子レンジ等を駆使して調理していく。
俺が調理を開始してから約五分後、出入り口の扉を見に行っていた荒瀬が戻ってきた。
「やっぱりまだ開きませんね。まあ朝早いですし、仮に開くとしても十二時過ぎになるでしょうか」
俺は三人分の皿を用意しながら言う。
「どうだろうね。もし金光が本当に俺たちに人殺し探しをさせたいのなら、夜遅くまで扉は開かないんじゃないかな。そもそも金光は俺たちをここから出すつもりはなくて、一生扉が開かない可能性もあるしね」
「なんでそんな怖いことをサラッといえるんですか……。でも、扉が開かなかった場合のことも考えておいた方がいいですよね」
俺の言葉を真に受けて、荒瀬は悩まし気に脱出方法を考え始める。
実際扉が開かないなんてことはないと思っているが、別に考えること自体は暇つぶしにちょうどいいだろうと思い、俺は特に口出しせずに朝食の準備を続ける。
「よし、できた。じゃあ二人とも食べようか」
俺はテーブルに料理の載った食器を置き終わると、二人に声をかけた。
俺の言葉に誘われ、二人同時に席に着く。そして並んでいる料理を見て二人同時に絶句した。
「朝からこんなものを食べるんですか……」
「いや待て、俺は朝じゃなくてもこんなものを食べたりはしないぞ。一体なんだこのゲテモノ料理の数々は」
「冷蔵庫にあった食品を俺流に合成していったんだよ。せっかく作ったんだから、残さず食べてくれよな。特に志島さんは何でもいいって言ったんだから」
「何でもいいとは言ってない。それに常識的に考えてこんなものが出てくるなんて一体誰が予想する」
「はい文句言わない。大体俺の部屋に来たからって、手伝わずにずっと座ってた二人にも責任はあるだろ」
俺の言葉に反論できなかった二人は、顔をゆがめながら「いただきます」と言い、恐る恐る食べ始めた。さて、俺がどんな料理を作ったのかは秘密である。というか、適当に冷蔵庫内に入っていたものを混ぜ合わせただけなので、俺自身どんな料理なのかはよく分かっていないのだが。
わざわざ料理を混ぜた理由? 特に意味はない。強いて言うなら面白そうだったからだ。
そんなこんなで何とか朝食を食べきったころ(驚くべきことに二人とも完食した)、時刻は本来の集合時刻である午前八時になっていた。
朝食を食べて以降、吐きそうに口を押さえていた志島が、ようやく落ち着いたのか席から立ち上がった。
「さて、一度俺は部屋に戻らせてもらう。もう顔は見せたし、あまり長居していては当初の考えに背くことになるからな」
「今更誰かを殺そうとするやつがいるとは思えないけどね」
俺はそう言って志島を見るが、すでに志島は扉を開けて部屋を出始めていた。
部屋を出る直前振り向かずに志島が言う。
「俺はなれ合うのは嫌いなんだ。ましてもう二度と会わない奴らとなれ合う必要性は何も感じない」
志島が出て行くと、俺と荒瀬の間にほっとした雰囲気が流れる。
お互い似たような反応をしたことが面白かったのか、荒瀬が笑いながら言ってくる。
「志島さんって悪い人ではないんでしょうけど、一緒にいると何だか緊張しちゃいますよね。他人を寄せ付けないようにしているオーラが出ているみたいで」
「ああいったタイプの人はちょくちょくいるからなぁ。こっちから誘わないとあまり話せないけど、誘われること自体を拒む。仲良くなるのが難しいタイプの奴であることは間違いないな」
そんなことを言っていると、扉を叩く音がして、涼森と彰子が部屋に入ってきた。
「荒瀬さんと日暮さん、もし暇だったら藤林さんの様子でも見に行きませんか? もう集合時刻ですし、今度は居留守を使うこともないでしょうから」
部屋に入ってくるなり、涼森は俺と荒瀬に誘いをかけてきた。
俺と荒瀬は一度顔を見合わせると、お互いにうなずき合い、涼森の提案に従うことにした。
「まあここにいても暇だしな。それにもし藤林が死んでいたことを考えたら、あんまりゆっくりしてるわけにもいかないか」
俺と荒瀬は席を立ち、涼森たちのもとまで歩いていく。
彰子とすれ違いざま、俺はさわやかに挨拶をしようとしたが、目つきが明らかに俺との会話を拒んでいたので断念した。昨日まではそこまできつい視線を向けてこなかったのに、今日になってこれということは、涼森が何か余計なことを吹き込んだのだろう。
俺は涼森に対して非難の目を向けるが、涼森は一切気にせずに笑顔で挨拶してきた。
「そういえば、まだ朝の挨拶をしていませんでしたね。荒瀬さん、日暮さん、おはようございます。本日も無事にお会いできてうれしい限りです」
「……ご丁寧にどうも」
挨拶を済ませた四人は、藤林が寝ている四階へと進み始めた。
他愛ないことを話しつつ、ゆっくりと三階まで上がってきた時点で、突如悲鳴のようなものが上の階から聞こえだした。
「何この声、もしかして志島の悲鳴? 下の階にいる私たちにまで聞こえる声で叫ぶなんて、あいつどんだけストレスたまってるのよ」
頓珍漢なことを言っている彰子を無視し、俺と涼森、荒瀬は互いに顔を見合わせると、走って四階へと向かった。
四階についた俺たちの目に真っ先に飛び込んできたのは、手に血の付いたバールのようなものを持って悲鳴を上げている志島と、その足元で頭から大量の血を流して倒れている藤林の姿だった。
何がどうしてこんなことになったのかは分からないが、いまだ悲鳴を上げ続ける志島を落ち着かせようと、荒瀬が声をかける。
「志島さん、一体何があったんですか! とりあえず手に持っているバールを下において、何があったのか話してください!」
志島の悲鳴にかき消されないよう、荒瀬も大声を出して言う。荒瀬の言葉が聞こえたのか、志島は叫ぶのをやめ、俺たちの方を振り返った。こちらを見つめる志島の目は赤く血走っており、朝食時までは持ち合わせていた理性が完全に無くなっているかのようだった。こちらを向いた志島は、目を見開き、口をわなわなと震わせたかと思うと、再び叫びをあげながら、手に持っていたバールを振りかぶり襲い掛かってきた。誰かを狙っての行為ではなかったらしく、一撃目は誰にも当たらず、ただ俺達三人を分断させただけで終わる。だが、次の二撃目からは最も近くにいた俺を狙ってのものへと移り変わった。何とか志島が振り回すバールを避け続けるものの、志島の勢いに押され、反撃のすきを窺えない。そうこうしているうちに、俺は壁際まで追い詰められ、逃げ道を失っていた。
「これってもしかして、やばい感じか」
あまりのピンチに心の声が口からついて出る。
志島がバールを俺の頭めがけて振り落とそうとするのを、スローモーションで見つめながら思う。
(これって本当に死んだか)
俺が死を覚悟して、今までの思い出にふけっていた瞬間、俺と志島の間に涼森が飛び込んできた。涼森は一瞬で志島の腕をつかむと、バールを振り下ろそうとしていた志島の力を利用し、志島の体を壁に向かってぶん投げた。
ゴシャ、っとものすごく痛そうな音がして志島が壁にぶつかる。壁にぶつかった衝撃から立ち直れず、床でうめき声をあげている志島の腕を捻りあげると、涼森は俺に向かって叫んだ。
「日暮さん! 志島さんを拘束するために、今着ている服を脱いで私に渡してください! 早く!」
俺は涼森に言われて、急いで服を脱ぐと涼森に渡した。涼森は俺の服を使ってあっという間に志島の腕を縛ると、「念のため関節も外しておきましょう」と言って、苦悶の叫びをあげる志島を無視して瞬く間に関節を外し、志島を再起不能状態にした。