第十二章:推理
「今回の藤林殺人未遂事件なんだけど、結局のところはあの男、金光権蔵が仕組んだ事件になるんだよ。だから、藤林を襲った人物も、ある意味では被害者なんだ」
突然今回の事件について話し出した俺を、全員が驚いた様子で見つめてくる。そんな中、俺の言葉を聞き、荒瀬がほっとしたような声を出した。
「なんだ、そういうことですか。要するに志島さんもやりたくて藤林さんを襲ったわけではなく、金光に唆されてやったことだと。だから彼が犯人だとは言えないってことですね」
俺はあえて荒瀬の発言を無視し、今回の事件についてまとめ始める。
「こんな血だまりのあるホールの中、立ったままで悪いんだけど、今から今回の一連の事件について話させてもらう。まずは藤林の事件に関して考えてみようか。藤林を襲った犯人はいったい誰なのかということ。考えられる説は大きく分けて四つかな。
まず一つ目は、オーソドックスに志島が藤林を襲った説。状況的に見たら、最も可能性が高いように思えるよね。第一発見者だし、その後血濡れのバールを持って俺たちに殴りかかってきたし。
次に二つ目、外部犯説。これは今検証してきたことだから、可能性としてはかなり低いとは思うけど、とりあえず出しとくね。
三つ目は、藤林の自殺説、及び事故説。この監禁状況に耐え切れなくなった藤林が、どうしてか手に持っていたバールで自分の頭を殴り自殺しようとした。または、たまたま見つけたバールでジャグリングをしていたところ、手が滑って頭に当たり昏倒したとか」
「いくらなんでもそれはないと思いますけど……。でも自殺説というのは新しいですね。傷が意外と浅かったのは自殺しようとしたけど、結局思い切りやることができなかったせいだ、とすれば一応筋が通る気がしますし」
先に自分の質問を無視され、あげく勝手に話をはじめられた割に、それを特に気にした様子もなく発言する荒瀬。
部外者がいないと分かってほっとしているのかもしれない。
それはそうと、俺は話を続ける。
「最後に四つ目、俺たち四人の中の誰かが、何らかのトリックを使って藤林を殺そうとした説」
この言葉を聞いた途端、突然涼森が楽しげな笑い声をあげた。
俺含めてその場にいる全員(志島はいまだ壁を向いたままだが)がぎょっとして涼森を見る。
一同の視線を受ける中、いつもの無表情とは打って変わって笑顔で笑っている涼森。さすがに、全員が気味悪そうに見ていることに気づいたのか、笑い声をあげるのをやめる。が、以前顔は笑顔のままだ。
そんな薄気味悪い笑顔を浮かべた涼森は、俺に対して続きを話すように促してきた。
「すみません、ちょっとした思い出し笑いです。気にせずに続けてください」
「あ、ああ……。じゃあこれら四つに関して一つずつ検証してみようか」
涼森の奇妙な笑い声のせいで、この中に犯人がいる説への驚きが薄れてしまった。
できればその瞬間の全員の反応を確認したかったのに……。
まあ過ぎ去ったことをいつまでも気にしているわけにもいかない。俺は気を取り直して再び口を開いた。
「まずは最も可能性の低そうな藤林自殺or事故説から検証してみる。けどまあ検証するまでもない感があるかな。仮に自殺をしようとしたとして、なぜバールで頭を殴るなんて行動をとったのか不可解。普通は絶対にやらないし、そもそもどうしてこのタイミングだったのかもよく分からないから、却下でいいかな。事故に関してもまあまずあり得ないでしょ。万が一事故だったのなら、後々藤林の証言を聞けばそれで済むしね」
俺の最後の言葉を聞き、黙ってじっとしていた(今回は寝ていなかったらしい)彰子がめんどくさげに口を開いた。
「あんたさあ、何でこんなまどろっこしい話を始めたわけ? 藤林が意識を取り戻せば、こんな話をしなくても万事解決するでしょ。あいつの口から何があったのか喋ってもらえばいいんだから」
俺は彰子に真剣な顔を向けながら言う。
「最初に言ったけど、藤林を襲った犯人もある意味では金光にいいように使われた被害者なんだ。俺が今している話から皆に伝えたいことは、犯人が誰かなんて話じゃなくて、金光権蔵を放置しておいたら今後もひどい目に遭う可能性がある。だから、どんな弱みを握られているかは知らないけど、この塔から無事でられたら金光のやろうとしていた悪事に関して、皆で警察に証言してほしいってことなんだ」
「それ、以前私に叔父さんのことを警察にチクるなって言ったあんたが言うの?」
彰子が馬鹿にしたような、呆れたような視線を俺に向けてくる。
痛いところをつかれ、俺は一度大きく咳払いをして軌道修正を行う。
「とにかく、そういうわけだから、真犯人さんもあまり気負わずに俺の話を聞いてほしい」
「真犯人って、やっぱり日暮さんは志島さんが犯人だとは思ってないということですか!」
驚いた表情で荒瀬が俺を見つめてくる。俺は軽く荒瀬を一瞥するだけで、またしても質問には答えずに話を続行する。
「じゃあ次は外部犯説について検証する。まあこれもほとんど可能性としては薄いと言わざる負えない。さっき俺と荒瀬さんで四階から上は誰も人がいないことを確認したし、三階に関しても彰子さんが既に確認してくれていた。となると隠し部屋があるか、すでに眩暈の塔から脱出した後か、ということになるけど、すでに話したように二つとも可能性は限りなく低い。よって、外部犯説も棄却される」
いったん話すのをやめ、俺は全員の顔を見回してその反応を見た。相も変わらず笑顔で俺の話を聞いている涼森、こちらも変わらず退屈そうな表情の彰子、ただ一人緊張した面持ちの荒瀬。ちなみに志島は壁を向いて横たわったままの状態から微動だにしていない。ないとは思うが寝ているのかもしれない。
さて、この反応を見る限りでは、もう犯人は決まったような気もするが、今はそれを言及することなく続きを話す。
「それじゃあ、現在一番可能性が高いと思われる志島犯人説を検証しようか。皆も知っての通り、荒瀬と志島が俺の部屋に来る時には藤林の死体――もう面倒だから生きてるけど死体っていうね――は存在していなかった。そしてその後誰も四階には向かわなかったのに、志島が自分の部屋に戻ろうと四階を通った時、そこには藤林の死体が存在した。まあ志島が藤林を殺してないとしたらこうなるな。じゃあ、志島が藤林を殺していたとしたらどうなるか。集合時刻になって部屋から出てきた藤林に遭遇した志島は、そこで何らかの口論を起こし、近くにあったバールを使って藤林を撲殺した。そうなるわけだけど、この説明だけでも変な点があるの、分かるよね?」
俺の問いに対し、困惑気ながらも荒瀬が答える。
「確かに、不審な点がいくつかありますね。偶然接触した藤林さんと志島さんの間で、どうして殺し合いになるほどの口論が発生したのか。それに、志島さんが藤林さんを殴ることに使ったバールはどこから出てきたのか。当然行きにそんなものはホールに置いてありませんでした」
それらの疑問を挙げた荒瀬を笑顔で見ながら、楽し気に涼森が言う。
「荒瀬さん、あんまり深く考える必要なんてありませんよ。それらの疑問は簡単に解消することができます。藤林さんこそ金光の言っていた人殺しであり、彼はバールをもって私たち全員を殺そうとしていた。それで最初に出会った志島さんに襲い掛かったが、逆に返り討ちに会い殺されてしまった。これならさっきの疑問にも説明がつくと思いませんか?」
「そ、そうですね。そうすると志島さんは正当防衛で殺したということになるんですよね。でも、だとしたら、どうして志島さんは僕たちを襲ってきたんでしょうか?」
荒瀬は床に転がっている志島へと視線を向ける。この話を聞いていないわけではない証に、もぞもぞと体を動かしたが、結局自分から説明することはなく口をつぐんでいる。
諦めたように荒瀬は視線を志島から外し、説明を求めるように涼森を見た。
涼森はなぜか自分で答えようとせず、さらに俺に視線を向けてくる。
俺は小さくため息をつくと、口を開いた。
「これは予想でしかないけど、志島は一種の血液恐怖症なんだと思う。普通は血液恐怖症の人っていうのは、体から力が抜けて倒れたりするとかだけど、志島の場合はその逆みたいだな。血液をを見ると異常なまでに興奮して体に力が入ってしまう症状。どうしてそう考えたのかは、藤林の死体の横に立っていた志島が異常なまでに興奮していたこと。それも恍惚そうな表情を浮かべているのではなく、苦悶の表情を浮かべていたこと。そして今現在も壁の方を見続けていて、血が視界に入るこちら側を見ようとしないこと、からかな」
あと、志島自身がさっき血が怖いって言ってたしな、と小さく呟く。
だが、完全に納得したわけではない様子の荒瀬は、志島をちらちらと見ながら言う。
「もしそんな病気なら、どうして志島さんは自分からそのことを説明しなかったのですか?」
「自分から言ったところで誰が信じると思う? 仮に血を見せて本当かどうか確かめようとしても、俺たちにはそれが演技なのか本気なのか判断するすべはない。それに血液恐怖症なんだとしたら、血を見せられるような事態になるのは絶対に避けるはずだ。だから、自分からは何も言わずに、今もそこで転がってるんだ。そうだろ、志島」
志島は体の向きを少し変え、視線を壁から天井へと変える。そして小さく息を吐くと、口を開いた。
「何だか全部お見通しといった感じだな。ああその通りだよ。俺は血液恐怖症だ。それで、すべての謎は解明して、俺が犯人ってことでいいんだな」
最後は皮肉るような口調で言ってくる。
まあ確かに今の話が導き出すのは、結局志島が犯人であるということだ。志島からしたら自分が血液恐怖症であるかどうかなんて、この際どうでもいいとさえ思っているのだろう。
(まあ、俺からしたらどうでもいいどころか一番重要な点なんだがな)
俺の本心はともかく、今はこの志島犯人説の流れを変えなければならない。
俺は軽く深呼吸すると、違う、と言った。
「志島が藤林を返り討ちにしたわけではないと俺は思ってる」
慌てた様子で荒瀬が聞いてくる。
「何でですか? 今の話に不審な点は何もありませんでしたよ。強いて言うなら藤林さんが僕たちを殺そうとしたのはなぜだったのかとか、気になる点もあります。でも、それは藤林さんが起きてから直接聞けばわかることです。他の回答なんて僕には思いつきません」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「今の推理にはまだおかしな点がいくつかある。荒瀬が言ったように、藤林が俺たちをバールでもって殺そうとした理由。そしてそれがなぜあの瞬間だったのか。他にも、どうして志島が藤林を殺していなかったのか。実際殺されかけた俺なら言えるけど、あの状態の志島に頭をバールで殴られてたら、今藤林は確実に死んでるはずだ。まあその程度のことは些細な問題で、決定的とは言えないけどな」
「そうですよ、どれも志島さんが藤林さんを返り討ちにしていない証拠にはなりません。やっぱり犯人は志島さんなんですよ」
興奮する荒瀬をよそに、俺は冷静に言葉を返す。
「でもさ、決定的な証拠があるんだよ。志島が犯人だっていうならひどくおかしなものがさ」
そう言って、俺は血だまりの元へと歩いていく。
俺はかがみ込むと、血だまりに指を少しだけつける。相変わらずさらさらとした触感がするのを確かめると、俺は立ち上がって言った。
「涼森さんは藤林の傷は思ったほど深くないし、助かる見込みがあるって言ったよね。でもさ、この血の量は失血死していてもおかしくない量だと思うんだよ。俺はそんなに医学の知識があるわけじゃないから、どの程度血が出たら失血死することになるのかはよく知らないけど、素人目に見ても、この血の量はかなり多いと思う。まあ藤林はかなり血の量が多そうなタイプに見えるから、これぐらい出ても大丈夫そうな気はするけど……。まあそれとは別にもう一つ。この血液は、すっごくサラサラしてるんだよ。もちろん個人差はあるだろうけど、普通はもっとドロッとしてるものだと思う。それに何より、もうかれこれ十分以上経っているのに全く固まる気配がないのはおかしい。医学に関しては疎くてあまり詳しくないけど、こんな明らかに不自然といえる要素が二つも見つかれば、俺でも考えつく。この血の大半は藤林のものではなく、何か別のものの血を溶解させたものである、とね」
「そんな……」
「そういうことか……」
荒瀬と志島が、ニュアンスの差こそあれ、驚きの声を上げる。ちなみに、涼森は相変わらず笑顔で、彰子は相変わらず退屈そうな表情のままだ。
結果として、いまいち場に驚きが伝わっていないようなのが残念だが、話をやめるわけにはいかない。俺は真剣な表情を作り、志島の無実を晴らしにかかる。
「現状これを確かめるすべはないけど、警察が来て調べてくれれば事実がどうかは瞬時にわかる。さっき俺がこの血を掃除しないように言ったのはそういう理由からだ。さて、これが事実であるとすれば、志島が藤林を返り討ちにしたという解釈は成り立たなくなる。志島には、そんな得体のしれない血を藤林の周辺にばらまく必要性も、やれる機会も持ち合わせていないんだからね。どうかな、これで志島が犯人じゃないってことの証明になると思うんだけど、納得してくれるかな?」
「あってるんじゃない。私もそこら辺のことよく分かんないけど、バールについた血ですでに固まってる部分と固まってない部分があるし、別の血がばらまかれてるのは事実でしょ」
以外にも彰子が賛同の意を示してくれる。彰子の意見に続くように、涼森も俺の言葉を肯定してくれる。
「私も不自然には思っていたんですよ。さすがに出血している量が多すぎるなと。ですが、そういった理由があったのなら納得です」
残りの二人に視線を向けると、志島は天井を向いたまま、フン、とだけ言い、荒瀬は渋々といった様子だが頷いた。
まあこのことを認めるということは、すなわち志島を除いた俺ら四人の中に、藤林を襲った犯人がいるのを認めることにつながる。
荒瀬のように肯定するのを渋るのが普通だろう。
何はともあれ、これで考えられる可能性はあと一つ。ラストスパートということで、俺は気合を入れて語りだす。
「これで考えられる説は、最後に挙げたトリックを用いて誰かが藤林を殺した、という説になる。今のところ、藤林を物理的に殺しに行く機会があったのは、俺たち四人の中では涼森さん唯一人だ。でもまあ、これも実際無理があることはすでに分かっている。数分足らずで二階から四階に上がり、藤林を撲殺。そしてどこかに隠していた血液を藤林の周りにばらまく。これは、血液をばらまく意味も分からないし、やっぱり時間的に足りなすぎる。となるとどうなるか。それは……」
「分かったわ! レバーを使って五階のホールを動かして藤林の頭にぶつけたんでしょ。これなら一階に行ってレバーを少し操作するだけで行えるわ」
さっきまでつまらなそうな表情だった彰子さんが、自信満々で珍回答を発言しました。一応は真剣にこの事件について考えていてくれたようで一安心ですが、まあその発言の内容は……。
俺は苦笑したいのを押しこらえつつ(笑ったら彰子さんの機嫌が悪くなるだろうから)真剣な表情で反論する。
「それは違うよ。いくらなんでも上の階のホールが突然下りて来たら、慌てて逃げるだろうし、よしんば逃げずにあたったとしても、昏倒させるほど威力はないよ。そもそもどうやって藤林がホールにいるのかを確認するのかって話もある。それに、その理屈だと、死体の横にバールが落ちていたことと、大量の偽血液がどこから来たのかの説明がつかない」
反論していくたびに彰子の機嫌が目に見えて悪くなっていくのが分かる。
俺は少し慌てて、彰子をほめるほうへと話しをシフトする。
「でも、この塔の仕掛けを使ったっていうのには俺も賛成だな。直接藤林を殺しに行く時間があった人がいない以上、遠隔操作が行われたと考えられるからね。うん、さすが彰子さん。目の付け所はすごくいいね」
俺の精一杯の褒め言葉を皮肉として受け取ったらしい彰子は、ますます表情を険しくする。これ以上下手なことを言って怒らせたらまずいと思い、俺は話を元に戻すことにした。
「じゃあどんな遠隔操作が行われたのか。俺が考えるに、すべてのホールをあるべき階へと移動させたんだと思う」
「は? あんた突然何言ってんの? 全然意味わかんないんだけど」
機嫌の悪い彰子さんが八つ当たり気味に俺に文句を言ってきます。
まあ自分でも説明不足だと思うので、怒らずに大人な対応を取りましょう。
「少し省略しすぎたかな。今言ったのは、藤林の死体が四階に突如現れた方法のことです。つまり、俺たちが発見するずっと前に藤林は犯人に襲われていたんだ」
顔を青ざめさせた荒瀬が、震える声で聞いてくる。
「僕もまだよく分からないです。藤林さんがずっと前に襲われていたって、彼の死体は行きには確かに四階にはなかったんですよ。一体……」
「だからすべてのホールを元の階に移動させたんだよ。まあ正確には四階から上だけだけど」
荒瀬は完全に蒼白になって口を閉ざす。俺はそんな荒瀬をこれ以上動揺させないよう、穏やかな口調で言う。
「順を追って話そうか。まず、犯人は深夜のうちに、藤林を何らかの方法でホールに出るよう誘導したんだ。たぶん金光直筆の手紙なんかをドアの隙間から渡したんじゃないかな。俺の考えでは、藤林を襲った犯人と金光はグルだからね、まあそんなわけでまんまと誘き出された藤林を、バールでもって殴りつけ、昏倒させる。このとき殺すつもりがあったのかどうかはよく分からないけどね。で、こっからが今回のトリックにあたる部分になる。藤林を襲った犯人は、元から用意しておいた、凝固しないよう手を施した血液を藤林の周りにばらまく。次に、一階へと向かい、レバーを使ってホールを移動させることにした。どんな移動を施したかというと、四階のホールをほんの少し下に下げ、五階・六階のホールをそれぞれ一つ下の階へと下げたんだ。これで仕掛けは完了。後は今日の朝、隙を見て一階のレバーを動かしてホールを元の位置に戻せばいい」
俺がそう言い切ると、志島が天井を見上げたまま質問してきた。
「今のお前の話からすると、犯人はもう明らかだな。だが、お前の説を否定するようで悪いんだが、俺が荒瀬と会って下の階へと向かうとき、確かに六階のホールは存在したぞ。もちろんそんなじっくりと見たわけではないが、さすがに六階にあるはずのホールが存在していなかったら気づいている」
やはり志島は頭がいい。床に寝転がったままであるが、きちんと事件の概要はつかんでいるようだ。
俺は顔面蒼白で黙っている荒瀬を気にかけながら、志島の問いに答える。
「それは大した問題じゃないですよ。この塔の床や壁に描かれているのと同じ紋様の描かれた紙を壁に貼り付けて、ホールがまだ存在するように見せかけたんです。この作業は六階のホールを動かす前に行ったんでしょう。それなら一人でもそこまで苦も無く張り付けられたはずだ。その証拠というにはおこがましいですけど、六階の階段付近に、テープが貼ってあったと思われるようなベタッとした感触の場所がありました。こんな陳腐な仕掛け、普通ならばれるに決まっている。だけど、密閉度が高くて風もほとんどなく、かつ、この変な紋様のせいで視覚的に距離感をつかめなくなっている眩暈の塔では、そのことに気づける可能性は著しく低い。もちろんじっくり見れば気づいたかもしれないけど、実際志島は気づかずに今に至っている」
「だとしたら、証拠があるはずだな。このホールを覆い隠せるほどの大きな紙だ、処分できずにいまだに部屋にあるはずだ」
志島はそういうと、血だまりを見ないように細心の注意を払いながら、荒瀬を見た。
俺は小さく息を吐くと、犯人――荒瀬蔵馬を刺激しないよう、少し距離を取りつつ声をかける。
「荒瀬蔵馬。お前の部屋、確認してきてもいいか」