第十章:志島
涼森さんの圧倒的な強さに、ただ唖然として立ち尽くしている男二人。
そんな中、涼森は何事もなかったかのように立ち上がると、相変わらずの無表情のまま口を開いた。
「これでもう大丈夫だと思いますけど、どこに隔離しておきましょうか。このまま放置しておくのもかわいそうですし。あ、それと、藤林さんが生きているかどうか確認しないといけませんね」
「自業自得ですし、志島はそこら辺に転がしておけばいいと思います!」
「ぼ、僕は救急箱を取ってきます! 確か僕の部屋に一つ置かれていたと思うので!」
俺と荒瀬は慌てふためきながら、とりあえずそれっぽい行動をする。正直、涼森の強さに対して完全にビビっていた。
おたおたとする男二人に対し、涼森は軽く頷くと、一切のためらいもなく血だらけの藤林のもとまで歩いていく。
涼森は藤林の姿をしばらく観察すると、まだ生きてますね、と呟いた。
「血の量に反して傷はあまり深くないようです。それにもう出血も収まってきてますし、今は気を失っていますが、きちんと応急処置をすれば助かる見込みは十分にあると思います」
見た目通りしぶとい人のようですね。と、失礼なことを涼森は呟く。
荒瀬が救急箱を取って戻ってくるまでおよそ三分。今いる四階から自室の六階まで、階段を猛ダッシュして往復したらしい。さすがの荒瀬も息を乱しながら涼森のもとまでやってきた。
今更ながらに思うが、荒瀬の部屋に救急箱があるということは、他の人の部屋にもあったのではないだろうか?
まあ気が動転していたわけだし、それも致し方ないかと納得する。
そんなことを、混乱した頭でなんとなく考えているだけの俺とは違い、涼森は救急箱から包帯や消毒薬を取り出し、てきぱきと応急処置を行う。
俺と荒瀬の無能二人組が黙ってその様子を窺っていると、階段から今更ながらに彰子がやってきた。
彰子はこの惨状を見ると、嫌そうに顔をしかめつつ口を開いた。
「何この状況。志島がそこに落ちてるバールで藤林のことを殴って殺したの?」
荒瀬がその質問に対して曖昧に頷く。
「どうやらそうみたいなんです。でも幸いにも藤林さんはまだ生きてるみたいで」
荒瀬がそこまで言った時点で、突然床に転がされたままの志島が声を張り上げて荒瀬の言葉を遮った。
「違う! 俺は殺してない! 俺が来た時にはもう藤林は倒れてたんだ! 俺はやってない!」
憐れんだような視線を志島に向けながら、荒瀬が言い返す。
「往生際が悪いですよ。朝ここに来た時には藤林さんの死体、あ、死体ではないですよね。えーと、藤林さんはこの階に倒れていなかったじゃないですか。藤林さんを殺せる機会があったのは、いち早く部屋に戻ろうとした志島さんだけです。それに、血の付いたバールをもって僕たちに襲い掛かってきたじゃないですか。もし犯人じゃなかったらあんな行動取りませんよね?」
志島は悔しそうに唇をかみしめると、最後に小さく、
「それでも俺はやってないんだ」
と呟いた。
俺はそんな志島の様子を一瞥した後、藤林のもとまで歩いていった。
俺は隣で応急処置をしている涼森に聞く。
「詳しくは分かんないと思うけど、頭部をバールで殴られたのが原因で倒れてるんだよね」
「ええ、おそらくは間違いないかと。凶器に別のものを使う理由がありませんし、傷は頭部の損傷のみのようですから」
俺は大量に流れている血を触ってみる。血はサラサラの状態で、全く固まる気配を見せていない。
それらの血を見ながら、俺はふと言葉を漏らす。
「致命傷に至るほどの傷じゃなかったのに、ずいぶんとたくさん血が出たんだな。それに……」
いったんそこで言葉を切ると、ついと立ち上がって志島の元へと向かう。
もはや抵抗する気力もなくなった様子の志島を見下ろしてから、志島の耳元で小さな声で質問した。
「なあ、さっきは何で俺のことを襲ってきたんだ? それと俺達が行くまでに上げていた叫び声の理由は何だ? まさか藤林を殺してしまったから、とかじゃないよな」
「どうせ俺が何を言っても、今更信じてもらえないだろ。実際俺はお前らを殺す気で襲ったんだからな」
完全にあきらめた表情で、目をつぶりながら志島が言う。
俺は少し考えた後、再び質問する。
「今日の藤林の服装をどう思う? それとさっき持ってたバールになんか思い入れとかあったか?」
質問の意図が分からないらしく、志島は困惑した表情で俺を見上げてきた。
「お前は何が知りたいんだ? 藤林の服装なんて覚えてないし、あのバールだって知ってるわけないだろ」
「じゃあ、さっきから壁の方を向いているばかりで、藤林の方を見ようとしない理由は?」
志島は言葉を詰まらせ、何も言わずに目を閉じる。それでも俺が答えを待って横に居座っていると、諦めたかのように小さくため息をつき、ぼそりと呟いた。
「俺は血が嫌いなんだ」
「……なるほどね」
俺は一つ、自分の中である仮説が浮かんでくるのを実感しながら、静かに立ち上がる。
藤林への手当てを一通り終えてほっと息をついている涼森。それを心配そうに見つめている荒瀬。誰にも興味を示さずにただ退屈そうに壁を見つめている彰子。
それら三者三様の姿を眺めてから、俺は涼森に声をかけた。
「藤林の手当ては済んだの?」
少し疲れたような表情をにじませつつ、青白い顔を上下させて頷く。
「はい、これで大丈夫だと思います。とはいえ頭の傷ですし、医者でもない私があまり無責任なことは言えないので、『おそらく』という言葉がつけたされますが」
「そっか。じゃあとりあえず藤林をベッドに運んでおこうか。さすがにこのまま床に寝転がせてるわけにもいかないしな」
俺は荒瀬を呼ぶと、二人で藤林の体を持ち上げ、部屋へと運んでいく。
藤林をベッドの上に寝貸し付けたところで、俺は荒瀬に聞いてみた。
「何で彰子はあんなに来るのが遅かったのかな。いくらなんでも、三階から四階まで上がるのに五分もかかんないと思うんだけど」
荒瀬は微笑しながら、穏やかな声で答える。
「彰子様はああ見えて、結構心のか弱いお人ですから。多分うえで惨劇が起こっている可能性を考えて、気持ちを落ち着かせていたんでしょう」
「彰子ってそんなタイプじゃないと思うんだけどなあ……」
「まああの態度ですから誤解なされる人も多いですけど、彰子様は本当はとてもお優しい人なんですよ」
荒瀬は笑顔でそう言い切る。
(さすがに好意的すぎる解釈だよなぁ)
俺は心の中でそう思いながら、今までの彰子の行動を思い出す。
以前の山荘の事件において、金光の死体(仮)を見ても特に悲しんだ様子も見せず、ただわめいていた彰子。紳士的に対応している(つもりの)俺に対して何度も罵声を浴びせかけてきた彰子。場の空気を一切読めず皆を苛立たせていた彰子。
彰子に関する思い出を思い起こすかぎり、ただの傲慢空気読めない女であって、優しさを持ち合わせているような場面は思いつかなかった。
まあ人の主観はそれぞれだし、彰子も荒瀬に対しては実際そういった一面を見せているのかもしれない。
俺はとりあえず自分を納得させると、荒瀬とともに再びホ―ルヘと戻っていった。
俺たちがホールに戻ってくると同時に、彰子が口を開く。
「ねえ、藤林の治療も済んだんだし、今度はそこの血を片付けてくれない。匂いもきついし、いつまでもそんなものが視界にあると気持ち悪いんだけど」
「そうですね。このままっていうのも気分はよくないですし、軽く掃除しちゃいましょうか」
彰子の言いつけに素直に応じる荒瀬。
そんな二人のやり取りを見ていた涼森が、心配そうに声をかけた。
「でも掃除してしまっていいんでしょうか? こういった場合は手を触れずに現場保存しておいた方がいいと思うのですが」
荒瀬が苦笑しながら答える。
「そこまで気にする必要はないと思いますよ。藤林さんを襲った犯人が志島さんであることはすでに分かってますし、藤林さん自身も死んだわけではないんですから。後で警察に呼ばれたとしても、藤林さん自身に証言してもらえばいいんですから」
「確かに、それもそうですね。では、何か血を拭けるようなものを部屋からとってきますね」
涼森がそう言って動き出そうとした瞬間、俺は声を上げて呼び止めた。




