第9話 昼食はテラスで
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと5
「はあっ? 合格って何だよ」
「ザラヴェスク。おまえはもう少し言葉遣いを改めないか」
「兄上、合格って何ですか?」
「特別授業が受けられる。大変お忙しい方で、見込みのない者には教えられないと言われてね。1年も前から打診していたんだが、ようやく受けていただいたんだ」
ルノシャイズはニコニコと嬉しそうだ。
尊敬している先生なのだろう。
「げ。まだ勉強させる気か。遊ぶ時間が……」
ザラヴェスクは顔をしかめて嘆き、従兄の2人からは緊張感が漂ってくる。
3人とも外の学校に通っている為、その授業は夕食後か休日に行われるのだろう。頑張れ。
「メルーソ大学の教授をしておられるのだが、10日に1度、4人一緒に授業を行うから、そのつもりでいるようにね」
ルノシャイズはそう言って、わしの顔を見た。
4人? わしは首を傾げる。
「君もだから」
「……わたくしも?」
なぜだ。
わしだって、〝皇位〟の見込みがない者だ。
「皇女には、難しいのではありませんか? 年齢的に」
リヴァーノフが眉を寄せる。
それも、そのとおりだ。
時代が進み、学問も進んで、わしの知識など役に立たないことばかりだ。現代を知ることは興味深いが、年相応にゆっくり学んでいきたい。
「君達だけだと、競争心ばかり先走って、ギスギスしそうだからね。ロカはお行儀もいいし、こちらの話すことは全部理解出来ているだろう? 勉強が嫌いなだけで、出来ない子じゃない」
ね? とニッコリ笑うルノシャイズに、わしは反論したい。
3人がケンカしないように気を配る役なんて嫌だ。出来ない子でよい。
「……何を教えて下さるのですか?」
「歴史だよ。先生は、モルヴァル乱暦時代の遺跡調査に情熱を注いでおられるんだ」
マシエラが生きていた時代である。
『おおー? それなら、あたしも教えてあげられるよ』
嬉しそうなマシエラに、わしもわくわくしてくる。
そして、ハッと思いつく。
「遺跡の調査に、わたくしも行きたいです」
堂々と、探検が出来るのではないだろうか。
「ロカが、かい?」
ルノシャイズは驚いて、聞き返してきた。
「大きくなったら、冒険と探検と、お金儲けをするんです」
わしは、小さな手で拳を握る。
『だよね、だよね』
マシエラが大きく頷いて、飛び跳ねた。
「冒険と探検と、金儲け……?」
「皇女がすることではないな」
「面白い冗談ですね」
だが、やはりというか、不思議そうな顔をされ、否定されて、本気にされなかった。
「いいんじゃね? 面白そうじゃん」
その中、ザラヴェスクだけが賛同してくれる。
「お兄様が?」
「なんだよ。皇女は政略の道具じゃねぇし、子供を産む為にいるんでもない。おまえは魔力がなくてひ弱だから、先に金儲けしてから、強い護衛を雇えばいいだろ? 皇女がどうやって金儲けするのか知らねぇけど」
ザラヴェスクはぶっきらぼうに言って、照れ臭そうに横を向いた。
わしは自分でも驚くぐらいの、今日1番の笑顔になったと思う。
「お兄様。ありがとう」
わしの心からの礼だった。
「やれやれ。ザラヴェスクの1人勝ちか。なら、わたしは皇女が出来る金儲けの手段を考えてみよう」
「皇子。戯れで言うな。皇女が本気にするぞ」
調子よく答えたルノシャイズを、ジオディーンが呆れ顔で注意する。
「ロカはね、遺跡の調査には行きたいと言ったが、冒険と探検と金儲けはするのだと言っただろう? 願望ではなく、ロカの中では、もう決まっていることなんだよ」
わしは、うんうんと頷く。
「しかし」
「メルーソ大陸は広い。まだまだ発見されていない何かが、あるかもしれないよ? だから、ロカは先ず勉強するところから始めないとね。字も書けないようでは、お話しにならないから」
うう、そう来たか。
「ロナチェスカ。一緒に勉強しような」
ザラヴェスクが同情のこもった眼差しで、わしを見る。
「頑張ります……」
わしはそう答えるしかなかった。
謁見の儀が、そんなこんなで1時間も長引いた為、簡単な計算の勉強時間はなくなり、午前中は書き取りの練習だけで終わった。
乳母のナタシアは教育熱心だが、わしの疲れ具合を心配してくれ、自由時間をたっぷりと取ってくれたのだ。
「お腹がお空きになったでしょう」
庭に面したテラスで、ベンチに座りながら、木の長テーブルに昼食が並べられていくのを、わしはウキウキとした気持ちで眺めていた。
ベンチの隣にはマシエラが同じように座って、満面の笑顔だ。
先ずはグリーンサラダから。高く盛られたレタスやブロッコリーに、キュウリのスティックが立てかけられている。
わしはキュウリにフォークを突き刺して、丸く添えてあったマヨネーズをつけた。
ナタシアとレノアがテーブルの脇に並んで、わしを微笑ましそうに見ている。
だが、これではマシエラにお裾分けが出来ない。
「レノアは、メルーソ大学の出身?」
「はい。そのとおりですわ」
「モルヴァル乱暦時代の、遺跡調査をしている教授を知っている?」
「エリック・スファン教授ですね。とても有名な先生です」
レノアは頷く。
わしはキュウリをかじりながら、何か2人が夢中になりそうな話題を探す。
今日のマヨネーズは、しつこくなく、爽やかで美味しかった。
どうしてもこのマヨネーズを、マシエラに味わってもらいたい。
「どのような先生?」
「そうですね。わたくしは先生の授業を受けたことはないのですが、天才的なひらめきをする、熱血な方だと聞いておりますわ。奥様はモデルのブリアナ・ソウアーさんで、構内を仲よく散歩していらっしゃるお姿をよく見掛けました」
「まああっ、そうなんですの?」
わしはそのモデルを知らないが、ナタシアは声が裏返るほどの興奮を見せる。レノアのほうを向いて、足の長さがどうの、腰の細さがどうのと、話し始めた。
チャンス。
わしはレタスにマヨネーズをチョンチョンとつけて、マシエラの大きく開いた口に放り込む。
『変な味。すっぱいの? 甘いのかな?』
シャクシャクとよい音を立てて食べたマシエラは、うーんと首を捻った。
おや。
わしはブロッコリーに、マヨネーズをたっぷりとつけて自分の口に運ぶ。
美味しいじゃないか。
「ドレッシングのほうが、いいのかな」
わしはガラスの容器に入った茶色のドレッシングを、少しだけ掛けてみる。たまに、とてもしょっぱい場合があるので、注意が必要だ。
レタスを食べ、普通のドレッシングだと確かめてから、今度はブロッコリーをマシエラの口へ。
『こっちのが好き』
そうか。
だが、わしはマヨネーズが好きだ。
キュウリにマヨネーズをつけて、マシエラの前に持っていく。
『むぅ』
マシエラは文句を言いたそうな顔をしながらも、キュウリをコリコリとかじった。
『不味くはないけど』
まあよいだろう。
サラダを全部食べ、次は玉子スープである。
ナタシアとレノアはまだモデルの話しで盛り上がっていた。
ちょうどよく冷めたスープは、玉子はふわとろで、胡椒が利いていて、これも美味しかった。
わしがスープをすくったまま止まると、言うまでもなくマシエラは身を乗り出して、スプーンを咥える。
『懐かしい味がする』
マシエラが嬉しそうに笑うので、わしは彼女の為にスープをすくい続けた。
器が空になると、やっとメーンである。
「媛様は、その先生の授業をお受けになるのですね。大丈夫ですか?」
ナタシアが我に返って、空いた皿を下げる。
そのついでに、心配というよりは不安そうに聞いてきた。
大学の教授が行う特別な授業である。普通なら大丈夫なわけがない。だが、モルヴァル乱暦時代に関しては勉強熱心な皇女と言われるように目指すつもりだ。
「ザラヴェスクお兄様が、一緒に頑張ろうって」
「そうでございますか。安心いたしました」
パスタの皿を手前に置き直してくれたナタシアが、わしを見て、目を潤ませる。
何事だ?
「ナタシア?」
「……媛様はよく泣く赤子でございました。特に朝の謁見の儀で、お母様のローランゼ妃様にお渡しする時が、1番大変でございました」
小広間前の廊下で、その時だけ乳母が実母に皇子皇女を返すのだ。
「皇家の方は、本能で血の繋がりを知ると伺っております。シルヴァーナ様はそうでございました。毎朝、お母様の腕の中で御機嫌に笑っておられましたから。けれど、媛様はローランゼ妃様を拒み、ザラヴェスク皇子殿下も、セレスティア皇女殿下も、媛様を笑顔にすることは出来なかったのです」
そんなこともあったかな。
わしといえど、赤子の頃など、覚えていることは少ない。
それよりも、目の前にあるバター醤油味っぽいベーコンパスタが気になる。タマネギとホウレンソウとコーンが見え隠れしていて、早く食べたい。
「あまりに大きな声で泣かれるので、皇帝陛下が直々に媛様をお抱きになられたこともあるのですよ」
「お父様が?」
それは何というか。
本当に自分の子かどうか、抱いて確かめたのではなかろうか。
父皇帝はわしにとっていつも遠くから眺める人だ。
わしが皇帝であった頃も、気に掛けたのは魔力を持つ息子だけで、魔力も持たない娘は正直なところ顔も覚えていない。だから、他にも子供はいるわけだし、わしが父皇帝に親しむ必要はないと考えている。
「皇帝陛下でも泣き止ますことは出来ず、見かねたアンシェリー皇女殿下が試しにと、お抱きになられたところ、ピタと泣き止まれて」
「アンお姉様が」
わしは顔がほころぶ。
1番上の姉アンシェリー・キャンベル・モーソン・メルーソから時折届く葡萄は美味しい。アンシェリーはルノシャイズと同母で、2年前、18才でさっさとモーソン領家の嫡子に嫁いだ。
「だからでしょうか。媛様が愛称でお呼びになる御兄弟姉妹は、アンシェリー皇女殿下と、ルノシャイズ皇子殿下のみで」
「あ。今日、マルグリットお姉様を、マリーお姉様とお呼びすることになった。あと、ジオディーン様にはジーンと、リヴァーノフ様にはリヴァと呼び捨てにしろと言われた」
わしは我慢が出来ず、フォークを握る。
クルクルとパスタを巻いて食べる。
「……うぅ」
バター醤油味かと思えば、薄甘いカラメルソースだった。
朝が味噌汁なら、異国アキツシマ料理の繋がりで、昼は醤油味かと期待するだろう。
料理人はなんて味付けをするのか。
「媛様……」
悶えるわしに、ナタシアは呆れて溜め息を吐いた。
「ちゃんとザラヴェスクお兄様とも仲よくする。それから、ジオディーン様とリヴァーノフ様のことは愛称で呼ばない」
分かっているのだ。
あの時、うやむやになったが、わしは了承しなかった。
愛称で呼び合いたいと思うほど、わしは2人の従兄に親しみを感じられなかった。お義理で愛称を許すのは違うだろう。
「そうでございますね。媛様がそうおっしゃるのでしたら」
「あと、アシュバレン叔父様に御挨拶出来なかったので、お手紙と、何かお祝いの品を贈りたい」
アシュバレンはルノシャイズと仲がよい。
わしはルノシャイズに連れられて、2人の会話を聞いているだけだったが、嫌いではなかった。
「かしこまりました。レターセットと、カタログを御用意いたします」
「それから」
「はい?」
「護衛官を労いたいの。可愛いメッセージカードはある?」
「ございますが、護衛官にとはいったいどういう」
「……まあ、いろいろ」
わしはベーコンを刺して食べる。
ベーコンはまだ大丈夫だ。
「媛様。では、準備してまいります」
ナタシアは説明よりも食欲を優先したわしに、諦めたような目をして、しずしずとこの場を下がった。
「わたくしは、メッセージカードに添える花を摘んでまいります。媛様は、ごゆっくりとお食事を楽しんで下さいませ」
「はい」
レノアまでが、テラスから庭へと下りて行き、わしのそばには誰もいなくなる。
何というか、放ったらかしにされるのは、都合がよい。
「美味しくないけど、どうぞ」
わしはパスタを大きく巻いて、涎を垂らさんばかりのマシエラの口に入れた。
マシエラは味わうように口を動かして、唸りながらそれを飲み込んだ。
「美味しくないでしょう」
わしはベーコンを数枚突き刺して、口直しにマシエラに食べさせる。
『皇女様って……』
「否応なしの、食の冒険と思えば」
わしはカラメルソース味のパスタを頑張って食べることにした。量は少ないので、どうにかなるだろう。
『よく食べられるねぇ。不味かったり、美味しかったり。皇女様ってもっとちやほやされて、優雅に暮らすもんじゃないの?』
似たような台詞を朝にも言われた気がする。
「うーん。少なくとも食いっぱぐれはないし。こんなでも、気に掛けてくれる人もいる。優雅に振る舞うのは、筋肉痛との戦いでもあるから」
それ相応に水面下の努力は必要である。
『ロカは、楽しいことあるの?』
「楽しくなさそうに見える?」
『生き生きとはしていないよね。しょうがなく楽しんでいる感じがする。あたしと話している時は、本当っぽいけど』
マシエラはテーブルに片肘をついて頬を乗せながら言う。
「食べることと、飛行船。シーラと遊ぶこと。それ以外はきっと、本当はどうでもいいと思っている」
わしはパスタをコーン1粒残すことなく食べ終えて、フォークを置いた。
そして最後の1皿。魚フライのサンドイッチと、子供用の薄いアイスレモンティーに手を伸ばす。
2切れあったので、1切れをマシエラに。
『でも、お姉さんに頭撫でてもらって、嬉しそうだったのは、本当でしょ?』
「うん」
ふっくらした白身魚のフライに、キャベツの千切りとタルタルソースがたっぷりのサンドイッチは絶品だった。
メーンにパスタがあるのに、サンドイッチまであったのは、パスタを残してもお腹が満たされるようにだろう。
『お兄さんに撫でられたのは?』
マシエラがからかう。
「うーん」
嫌ではなかったが、今更な感じがして照れ臭い。
『明日からは、リボンしないんでしょ?』
マシエラはニコニコと笑顔だ。
見透かされているようで腹立たしいが、わしは、きっと、リボンをしないのだろう。
今日の昼食は、75点である。