第8話 訓練の後に
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと4
「あー、やっと終わったぜ」
ザラヴェスクが肩をブンブン振り回して言った。
そんな大層なことはしていないだろうと思うのだが、先に戦っていた護衛官が死なずに済んだのは、ザラヴェスクが頑張ったからだと気づいた。
「お兄様、さすがです」
「そうだろう? もっと褒めろ」
ザラヴェスクが胸を張って言うので、わしは拍手を送ることにする。
トドメを刺したのはマシエラになるのだろうか。
ああ、そうだ。
「救護の方はいないの?」
わしは、壁際に運ばれた、意識のない護衛官の傍らに膝をつく。他にも足の骨を折った者や、腕が変な方向に曲がっている者など、ほとんどが重傷を負っている。
先ほどは、ノイラート3佐の変貌ぶりに意識がいって、気づかなかったが、彼らはギリギリだった。
「はっ、すぐに」
ナルビエス1尉が、素早く踵を返して小広間を出て行った。
「ロナチェスカ、わたくしも」
「マルグリットお姉様」
わしと同い年のマルグリットが、わしの隣にしゃがみ込んで、わしと同じ小さな手を、護衛官の体にかざした。
マルグリットの眼は澄んだレモン色をしている。光の魔力、治癒の魔法を持つ眼だ。
「ごめんなさい、何も出来なくて」
マルグリットは唇を噛みしめ、泣きそうな表情で、治癒の魔法を施していく。
「お姉様?」
「わたくしのことはマリーと呼んでちょうだい。わたくしもロカと呼ぶわ。ロカとは一ヶ月しか誕生日が変わらないのに。ロカのほうが、すごいのに」
「わたくしが? あの、わたくしもロカと呼ばれたいと思っていました」
愛称で呼び合うと、微妙な距離だったのがぐっと近づく気がする。
わしがしまりのない顔で笑うと、マルグリットも表情を緩めた。
「……わたくしの乳母がね、褒めるの。ロカよりも文字を覚えるのが早いって。魔法の訓練でも、魔力のないロカよりすごいって」
「間違っていないと思います」
「わたくしも、さっきまでそう思っていたの。ロカより、わたくしのほうがすごいって」
「はい。マリーお姉様のほうがすごいです。わたくしはこういう時、何も出来ません」
マルグリットはどうしたのだろうか。
分かりきったことを。
わしは結局誰かを頼らなければ、自分では何も解決出来ないのだ。
今もすら、倒れた護衛官を救っているのはマルグリットなのである。
「ロカはウィルを守ったわ」
「可愛かったからです」
「……」
マルグリットは目をパチクリさせた。
間違えただろうか。
「……わたくしは、お母様にしがみついたのに。ロディお姉様だって、ウィルとロカを守ったわ。ロカも、ロディお姉様も、魔力を持っていないのに」
「クロディーヌお姉様に頭を撫でてもらいました。嬉しかったです」
「え? そんなのいつでも……」
マルグリットは日常的に頭を撫でられているのか。わしはマルグリットが、少し羨ましくなる。
「ロカは、ローランゼ様と一緒にいないのね?」
「内緒ですよ? わたくしはお母様の手駒にはなれないので、一緒にいないほうが楽なのです」
わしはマルグリットの耳元に顔を寄せて、小声で教えた。
「楽、なの?」
「はい」
「そうなの……」
マルグリットは返答に困って、視線を落とした。
治癒を受けている護衛官の顔色がだいぶよくなってきた。
「救護班、急げっ」
小広間の扉がバタンと開き、青の救護服を着た者が担架を持ってぞろぞろと入ってくる。
わしとマルグリットは立ち上がった。
「ロナチェスカ」
「ザラヴェスクお兄様?」
まだ褒められ足りないのか。
「あー、ちょっと聞きたいことがある」
「はい」
ザラヴェスクはチラとマルグリットを見た。
内緒話なのか。
「マリー。救護の方が来ましたから、後はお任せして、こちらにおいでなさい」
「お母様」
ちょうどよく、マルグリットにもファティマ妃が迎えに来る。
「待って。ロカ、わたくしは分かったのです。文字を覚えるのが早くても、魔力を持っていても、ちっともすごくないってことが」
マルグリットが叫ぶように言う。
「なぜ? マリーお姉様はすごいですよ。わたくしは知っています」
「そうだぜ。おまえは偉いよ」
ザラヴェスクも、目を細めてマルグリットを褒めた。
「そ、そんなこと」
「だって、怖かったろう? 訓練はしていても、いざとなると動けなかったりするぜ。よく勇気を出したな」
「……はい」
マルグリットは、はにかんで小さく頷く。
そんなマルグリットを、ファティマ妃が優しく肩を抱いて連れて行く。
わしとマルグリットは手を振り合って別れた。
「皇女」
わしとザラヴェスクだけになると、ジオディーンとリヴァーノフが、困ったような複雑な表情で傍らに立った。
何だろうか。
「……まさか、皇女を中心にまとまるとは思わなかった」
従兄ジオディーンが、わしをじっと見下ろす。
「クス。そうだね。一所懸命で可愛らしかったよ。少しヒヤヒヤしたけれどね」
同じく従兄のリヴァーノフが柔らかく微笑んで、わしのモチッとした頬を、細く綺麗な人差し指でスルリと撫でた。
「ジオディーン様と、リヴァーノフ様が助けて下さったおかげです」
わしは礼を言う。
4人もいればいけるかと思った、わしが甘かったのだ。あのまま彼らだけで戦っていたら、マシエラが助けてくれたと思うが、危険だっただろう。
マシエラにも、早く礼が言いたいものだ。
「そうか。わたしのことはジーンと呼べ。敬称はいらん」
つまり、様は付けるなと?
わしは目を見開く。呼び捨てに出来るのは立場が完全に上の者だけだ。同等か微妙な場合でも、互いに敬称を付けるのが慣習である。しかも、いきなり愛称で呼ぶことを許すなど、有り得ないことだ。
「目が落ちそうだ」
彼は冷たい表情で、わしの額を叩いた。
これで、親しみを込めてジーンと呼ぶことなど、無理だと思うのだが。
「小さな女の子なんだから、もっと優しく言わなくちゃ。こんなだけど、ジーンは君のことがずっと気になっていたんだ」
リヴァーノフがフォローするように言う。
「ずっと?」
わしは首を傾げた。
「余計なことは言わなくていい」
「はいはい。僕のことも面倒だから、リヴァと呼んでいいよ。敬称もいらないからね。その代わり、僕も君のことをロカと、呼んでもいいかな?」
なぜだ。
このプライドのとびきり高そうな2人が、何の得があって、わしと親しくなろうとするのか。
「さて。これで、訓練は終了だ」
皇帝の声が小広間に響き渡った。ざわめいていた周囲がシンと静まり返る。
「皆、これからも励むように」
短い言葉と共に、太鼓の音と、天井から音楽が降ってくる。皆が条件反射のように一斉に正面を向いて、慌てて礼をとった。
お言葉は、それだけなのか。
皇帝が退室し、残された皇家の者はというと、置いてきぼり感が漂っている。
むしろ何もしなかった護衛官達が、そういう予定だったかのように、キビキビと働き出した。
「イヤになるよなぁ。父上、自分の期待どおりにいかなかったからさ、きっと、むくれたんだぜ」
ザラヴェスクがぽつりと言う。
「お父様は、何を期待されていたのですか?」
「グレゴリウスが活躍することだろ」
「お兄様」
「いいんだって。あいつを、俺は兄とは認めん。メルーソの自覚もない奴」
ザラヴェスクは鼻をならす。
3番目の兄グレゴリウス・キャンベル・メルーソは、12才、ルノシャイズの同母の弟である。
グレゴリウスは光の魔力、治癒の魔法を持っている。第1皇子のルノシャイズも、第2皇子のクラディエスも、亡きオリビア・キャンベル妃の子だが、2人とも魔力を持っていなかった。グレゴリウスが魔力を持って生まれた最初の皇子である。
彼は次の皇位に1番近いと言われていたが、成人するのを待って継承権を放棄すると自ら公言していた。なぜかは分からない。
「だが、父上は、グレゴリウスを次に据えたいんだ。グレゴリウスがダメなら、ウィナセイルか、この2人か。とにかく、俺じゃない奴を」
「なぜ?」
「あー、そうか、おまえは知らないな。小っさいくせして、独りでいたがるから、噂も聞かないか」
「噂?」
これでも耳を澄ましているつもりだったが、父皇帝がザラヴェスクを疎んでいるような話しはなかったと思う。
「ルノシャイズ兄上と一緒にいて、何も感じなかったか?」
「えぇと、ルイズお兄様はチャラいと思います」
「はあああ? そんなこと聞いてねぇ」
ザラヴェスクは怒鳴る。
「ルノシャイズ皇子がチャラい?」
「まさか、信じられないね」
ジオディーンとリヴァーノフが小さく驚く。
わしも驚いた。
他の者に、ルノシャイズはどのように思われているのだろうか。
「兄上がチャラいかどうかは横に置いとけ。俺は、兄上がなぜおまえを可愛がるのか、分からんと、言っているんだ」
「なぜでしょう? わたくしも分かりません」
魔力を持たない同士だからか、不出来と評価が低い小さな妹に同情したからか。
「そうじゃない」
「お兄様?」
「……俺達の母上が、オリビア妃を毒殺したという噂が流れている」
苦しげな表情で眉を寄せたザラヴェスクが、身を屈めて、わしの耳元で囁いた。
内緒話とは、このことだったのか。
なんということだ。
だが、わしは言う。
「本当に、お母様がそうしたのなら、噂すら立たないと思いますけれど」
それこそ、ファティマ妃に濡れ衣を着せるぐらいはするだろう。
「おまえ……」
「皇女は毒舌か」
ザラヴェスクもジオディーンも顔を引きつらせている。
「でも、陛下が噂を信じていれば、それは真実になる。僕達は余計なことをしたのではないでしょうか」
リヴァーノフがうつむき気味に、考え込む。
継承権を持つ者にとって、皇帝の意図を知ることは、勉強であり、己の身を守る為でもある。
父皇帝は、最初の妃である亡きオリビア妃をとても愛していたと聞いた。皇家には珍しく恋愛結婚だったと。オリビア妃の産んだグレゴリウスを、次の皇帝にしたいと考えるのなら、分からないではない。
だが、わしらはザラヴェスクの見せ場を作る為に動いたわけではない。結果として、そうなっただけだ。
「お父様は、御機嫌ナナメなのですね」
わしが面倒くさそうに言うと、ジオディーンが笑った。
「皇女は、何というか、気楽でよいな」
「これでも怒っています」
「怒っている?」
「そんなことで、護衛官を無駄に傷つけたからです」
グレゴリウスの活躍を期待した実戦訓練とか、護衛官にはよい迷惑だったろうに。
「わたしもそう思うよ」
「……ルイズお兄様」
「おいで」
「イヤです」
両手を広げてやって来た1番上の兄ルノシャイズが、腹立たしかった。
ぷいと横を向いて拒否するわしと、嘘くさい笑顔のルノシャイズに、3人がぎょっとするのは、可笑しかったが。
「うーん。今回のことは、わたしも知らなかったんだよ? 父上とアシュバレン殿が思いついたことでね」
「本当に?」
「知っていたら止めていたよ。こうなることが、分かっていたからね」
溜め息を吐くルノシャイズが、嘘ではなく落ち込んでいるようだったので、わしは両手を上げて抱っこをせがむ。
「よっと。許してくれるかい?」
ルノシャイズはわしを抱き上げて笑った。
「3人を褒めてくれたら」
「おや」
「お父様の代わりに褒めて?」
「クスクス。護衛官とぬいぐるみの魔力の差を見抜いて、真っ先に動いたザラヴェスクは偉かったね。ジオディーン殿も、リヴァーノフ殿も、手出ししにくい状況で、よく助けてくれた。感謝する」
ルノシャイズは、わしの言うとおりに、3人を褒めた。
父皇帝の思惑がどうあれ、今回の彼らの行動は満点と言ってよいぐらい正しかった。当然である。
「マジで?」
ザラヴェスクは驚きながらも、嬉しそうにニンマリと笑った。
2人の従兄は固まってしまっている。
ルノシャイズはいったいどう思われているのだろう。
「ロカも褒めてあげよう。逃げずに護衛官をこき使うなんて、最高だよ」
「そうですか? 褒められている気がしませんけれど」
わしはムッとする。
ナルビエス1尉にはトイレかと聞かれたことだし。
「よしよし、いい子だね」
ルノシャイズは片腕でわしを支え、空いた手でわしの頭をグシャグシャと撫でた。
何をするか。
「いつもロカの頭を撫でてやりたいとは思っているんだよ。だけど、この大きなリボンが邪魔して、ほら、ほどけてしまうだろう?」
そう言ってルノシャイズは、わしの頭からリボンを取ってしまった。
「もう。返して下さい」
わしはルノシャイズの手からリボンを奪い返すと、結ぶのは諦めて、ポケットに入れる。
「クロディーヌに撫でられて、嬉しそうにしていたじゃないか」
「見ていたんですか?」
「うん」
ルノシャイズはクスクス笑って、わしの頭をもう1度乱暴に撫でた。
明日からリボンをするかどうか、悩みどころだ。
「父上の御機嫌は気にしなくていいよ。グレゴリウスがどうしようもないせいだから。あいつには困ったものだ」
「……お父様は、グレゴリウスお兄様に次の皇帝になって欲しいと、お考えなのですか?」
わしは率直に聞いてみることにした。
「どうだろうね。考えても仕方がないことだし。わたし達の思惑など、そっちのけで決まるのが皇位継承だろう?」
ああ、そのとおりだ。
皇位継承は、7大貴族が継承権を与えた者の中から、7大貴族と、82の領家が投票して決まる。
「けれど、お兄様。結局は、皇位に貪欲な者が勝つのではありませんか? 勝てる者でなければ、玉座はとても務まらないと思います」
わしは昔、玉座が欲しかった。
皇帝だった父すらも蹴落として、皇位に即きたかった。
弟達を殺しこそしなかったが、罠に掛けて貶め、毒にならないギリギリの薬を盛ったこともある。
当然、努力も怠らなかった。
わしはかつて灰眼で氷の魔力を持っていた。労働者の暴動が起きた時は、軍に協力して、それを鎮圧。領家による領地の圧政に、反発した民衆側に立ったこともある。
誰からも認められるように、学生時代の全メルーソ学力テストでは10番以内をキープ、魔法工芸の品評会で金賞を取ったりもした。
玉座の為に、人生のすべてを捧げたと言ってよいだろう。
「君はそんなふうに思っているのだね。結構厳しい見方をする」
今はそんな感じではないのだろうか。
「だって、強くなければ、国を守れないでしょう?」
わしはあの時、異国との戦争を、何としても避けたかった。勝ってもメリットのない戦争など、する意味がない。
よその国が、さらによその国のクーデターに荷担して、その支援をメルーソに求めるなどわけが分からない。
だが、皇帝だった父は、参戦するべきだと考えていた。大国が世界のバランスを調整するのだと、これもわけの分からない理由で。
自国が、暴動だ改革だと騒がしく不穏だというのに、それを置いて世界にかまける余裕がどこにあるのか。
皇位に即けば、皇帝の権限で、戦争は回避出来る。世界との繋がりなど、経済だけで充分、内政に心血を注ぐべきだと、わしは考えていたのだ。
それが、正しかったのか否か。まだそれからの歴史を習っていないわしには何とも言えない。
「本人にその気がなければ、玉座は無理だと思います」
昔と今と、事情は多分に違うだろう。
だが、少し感傷的になったが、それだけは言える。
自ら継承権を放棄すると公言しているグレゴリウスではダメだ。
「そうだね。小さなマルグリットでさえ、傷ついた護衛官の為に魔法を使ったのだから。グレゴリウスは、マルグリットと同じ魔力を持つというのに。皇位継承どころか、皇家としての自覚すら足りない」
ルノシャイズは苦笑いを浮かべながら、冷めたように言った。
「それも見ていたのですか?」
「ちょうどいいと思ったからね」
「ちょうど、いい?」
「うん。おめでとう。君達は合格だよ」
ルノシャイズは一転して朗らかな笑顔を向けた。