第7話 わしの出来ること
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと3
皇家一族の興りは、大帝国の興りと共にあり、メルーソ大帝国とは、メルーソ大陸全土をいう。
『昔々、この大陸がまだ東の果てと呼ばれていた頃、竜族の男が現れて、荒れ狂う風を静めて大地に平穏をもたらした。人々は感謝の証に、1人の美しい乙女を差し出した。乙女は名前をアンソラータ・メルーソといい、やがて竜族の男と結ばれた。数年後、竜族の男は世界を去ったが、アンソラータ・メルーソのお腹には子供が宿っていた。エンフェルト・メルーソ、後にメルーソ大帝国初代皇帝になった男である、てな感じ?』
そんな感じである。
エンフェルト・メルーソは、母アンソラータ・メルーソと共に、人々をまとめ、村から町へ、町から都市へ、都市から国へと発展させていった。
つまりその子孫である皇家一族は、全員が竜族の血を、僅かながらに引いているのである。だが、今それを知る者は、ほとんどいないはずだ。
「シーラを見ることが出来てよかった」
相性テストに合格しても、肝心のマシエラが見えず、話すことも出来なければ、わしにとっても、彼女にとっても、意味のないものになっていただろう。
『ホント。ロカがそう思ってくれて、嬉しい』
照れたように笑うマシエラに、わしもつられてヘラリと笑った。
『それで、あれはどうする?』
「どうしよう」
巨大猫のぬいぐるみに、ザラヴェスクと5人の護衛官が挑んでいるが、まったく歯が立っていない状況である。
『確かめないの?』
「……うーん、あんまり知りたくない」
『どのみち、身内だものねぇ』
「そう」
『一応見てみたら?』
マシエラは面白がっている。
わしはげんなりしつつ、巨大猫から出ている魔力の糸を、視線を動かしてゆっくりとたどった。
小広間は窓際だけがひどい有様だ。
防弾ガラスで、少々の魔法攻撃にも耐える強度があったはずだ。それがここまで壊れるとは。巨大猫にどれほどの魔力が込められているのか。
皇家の人間に混乱は見られなかった。妃達は全員が魔力持ちで、いろいろな修羅場を潜ってきているからか毅然としている。
親と離れて宮廷に入った先代皇帝の孫、つまり父皇帝の甥で継承権を持つわしの従兄達は、ぼんやり過ぎるほど優雅に佇んでいる。
その隙間に、護衛官の黒スーツがちらほらと混じっていた。
「あ……」
紛れている護衛官の中に、青い焔眼のジョナス・オーエン3佐もいるようだ。
そして、玉座は。
「……可哀想に」
わしは玉座で談笑する皇帝と彼らを目に入れて、心からの同情を護衛官達に送った。
『ただの訓練にしては、大ごとじゃない?』
「そう思う……巨大猫を操っているのは、アシュバレン叔父様だ」
わしは巨大猫に視線を戻した。アシュバレンの魔力に、太刀打ち出来る護衛官など、いやしまい。
ぬいぐるみに踏みつけられている護衛官が不憫だった。
「ザラヴェスクお兄様は、戦っているふりをして、少しも本気を出していらっしゃらないし。遊んでいるだけで……」
わしは溜め息を吐く。
それでも、他の何もしない皇家の人間よりましだが。皇帝の実戦訓練発言があったにもかかわらず、真剣味を帯びているのが護衛官だけとか。
「有り得ない」
こんなのが、訓練なものか。
わしは10才以上年齢の離れた、口も聞いたことがない皇帝の甥達のところへ行くことにした。
護衛官や妃達では無理だと分かっているので、皇家の人間を頼みにするしかない。
魔力を持つ兄は2人、1人はザラヴェスクで、1人は第3皇子のグレゴリウスだ。グレゴリウスは12才で魔力は癒しの光だったか。姉はわしと同母のセレスティアが風の魔力を持っているが、7才で、音楽にしか興味がない。マルグリットとウィナセイルは幼過ぎる。
父皇帝と叔父アシュバレンは黒幕なのでもとより頼めない。
この場で戦えるのは、皇帝の甥で、わしの従兄達だけである。
「うーん。風の魔力を持つ者は、誰だろう」
『風?』
「風で、ぬいぐるみを窓の外に押し出せないかな。空中に放り出して、ザラヴェスクお兄様の炎で燃やし尽くせば、建物にも被害がない」
『ふぅん』
わしが思いついた策を言うと、マシエラは目を細めた。
「ダメ?」
『ううん。それをするなら、あたしが魔力の糸を切ってあげる。部屋の中で糸を切ると、制御を失って大暴れするかもしれないから、無理だなと思っていたの』
マシエラはニンマリと笑う。
「糸が切れる?」
『同じ闇なら、あたしのが上だからね』
マシエラはフフンと胸を張った。
巨大猫を操るアシュバレンは、マシエラと同じ紫眼である。
「なら、部屋の外に出しさえすれば、ここに戻ってはこれないか」
わしは点在する従兄達の顔を見上げては、目の色を確かめていく。
「皇女殿下、いかがなされました」
小広間全体を守る体ではあるが、実際は暇そうにしている無傷な護衛官の1人が、片膝をついて伺いを立ててくる。
「あの……」
「……お手洗いでございますか?」
小声でそっと問われ、わしは体の力が抜ける。
マシエラは吹き出して、大笑いし始めた。
確かに幼い子供とは、そういうものかもしれない。いっそトイレに行って、そのまま自室に帰ろうか。
わしは、廊下で心配そうに待っているであろう乳母ナタシアのことを思った。
「そうしたとしても、お叱りはないかもしれないけれど。何もしないのも、後味が悪い」
『ブハハッ……ロカは案外、真面目だね』
マシエラは爆笑し続けている。
仕方がないではないか。
面倒くさいこと、この上ないが、わしは皇家の人間である。自身の力では何も出来ないが、無意味に傷つけられている護衛官を見てしまえば。
「皇女殿下?」
その護衛官は明るい緑の眼、風の魔力の持ち主だ。
「わたくしは第7皇女ロナチェスカ・ヴァレンテ・メルーソです。あなたは?」
「はっ。自分はリベルト・ナルビエス1尉であります」
「では、ナルビエス1尉に尋ねます。ここにいる護衛官の中で、あなたの他に風の魔力を持つ者はいますか?」
「風の魔力でございますか? チャールズ・ノイラート3佐、デトレフ・ヒンデミット1尉、マルセル・ニードルマイヤー2尉がおりますが」
目の前のナルビエス1尉は、戸惑いながらも答えてくれる。
この者を入れて4人か。
4人いれば、いけるだろうか。
「あの巨大猫を、窓の外に出せますか?」
「それは……」
「4人で力を合わせてなら出来ると思うのです。しかし、あなた方に出されている命令がどういうものか分かりません」
それ次第と思うのだ。
「この場においては、訓練の一環として、皇家の方からどのような命令が下されても、従うように指示されています」
ナルビエス1尉はもの凄く言葉を選びながら答えた。
「わたくしでも?」
「問題ありません。ノイラート3佐と、ニードルマイヤー2尉を連れて参ります。ヒンデミット1尉はあちらで戦っていますので」
ナルビエス1尉は素早く立ち上がると、袖口からのぞく無線マイクに何か告げながら、迷うことなく小広間を歩いて2人の護衛官を連れて来た。
「ナルビエス1尉に聞きました。自分はチャールズ・ノイラート3佐です」
「自分はマルセル・ニードルマイヤー2尉です」
「あれを窓から放り出せという御命令ですが……」
ノイラート3佐が身を屈めて言う。
「出来ますか?」
「やってみましょう」
ノイラート3佐は力強く答えてくれた。
わしは3人の護衛官と共に、暴れるぬいぐるみのところへ戻る。
「皇子が……」
邪魔か。
「お兄様は大丈夫です。たぶん」
「……分かりました。てめぇら、どきやがれっ」
溢れた気迫に、わしは目を見開く。
『おぉー、カッコイイ』
ノイラート3佐は顔つきまで別人のように変わってしまった。兄ザラヴェスクも、ぬいぐるみすらも動きを止めて、ノイラート3佐を見ている。
「ヒンデミット1尉はこっちに来い。あとは下がっていろ」
「はっ」
ドスの利いた声に、ズサーッとはけていく護衛官達と、ザッと駆け寄る1人の護衛官。
黒スーツをボロボロにして敬礼するヒンデミット1尉は、先ほど巨大猫に踏みつけられていた護衛官だった。
「はめ替えられていなければ、窓は防弾だと思うのです」
わしはノイラート3佐の上着の裾を引っ張る。
「そうでしたな。割れたところを狙いましょう。ナルビエス1尉、ヒンデミット1尉、ニードルマイヤー2尉、このぬいぐるみを、割れた窓から外へ放り出すぞ」
「はっ」
「全力でいく」
キラキラしたものが彼らの全身から湧いて、風が起こっていく。
『うん、魔力が上手く混ぜ合わさって、これならいけるかも』
マシエラが弾んだ声で言う。
「ロナチェスカ」
「お兄様」
ザラヴェスクがわしの隣に移動してきた。
その直後、一陣の風が、ぬいぐるみを襲う。
ぬいぐるみは手足をばたつかせながら、床を滑るように後退していく。
このまま、窓の外へ。
固唾を呑んで見守っていると、ぬいぐるみが踏ん張る姿勢をとり、風に抵抗し始めた。
『まずいわっ』
ぬいぐるみに込められた魔力が、減るどころか増えていく。
おまけに、布が裂ける音も聞こえてくる。
もし、ぬいぐるみの1部が千切れるようなことがあれば、どこへ飛んで行くか分からず、どんな被害が出るか。
千切れて、ただの布きれに戻るほど、叔父アシュバレンの魔力は甘くない。
巨大猫は憎らしいほど凶悪に見えた。
「ナルビエス1尉。あのカーテンを、上のほうから裂いて下さい」
小広間を飾るカーテンは天井から床まで垂れ下がっており、6メートルはあるだろうか。
「カーテンをでありますか?」
「はい。カーテンを裂いて、あの巨大猫に被せて、グルグル巻きに。カーテンを魔力で覆えば出来ますね?」
わしは言う。
それが出来れば、少なくとも巨大猫がバラバラになって飛んで行くことは防げる、かもしれない。
「承知しました」
ナルビエス1尉が腕を交差させる。
空気が刃になってカーテンを裂いていくのが見える。
そして、カーテンが重そうに落ちる途中で、風に持ち上げられて絨毯のように広がると、巨大猫に被さった。
「リヴァ」
「分かっているよ」
小さな緑の葉をつけたツタが、ムチのようにしなって飛んでくる。
なんだ? どこからだ?
わしは視線を走らせ、小広間の隅に置かれた大きめの観葉植物から伸びているのを知る。
ツタは巨大猫を、カーテンの上からギリギリと締め上げた。
突如現れた2人を見上げて、わしは絶句する。
黒を基調とする衣装を着た、真緑の眼、ジオディーン・エクトル・ランヘル・メルーソと、淡い紫の衣装が華やかな、薄茶色の眼、リヴァーノフ・バルビエ・ルブランシュ・メルーソ、皇帝の甥でわしの従兄達だった。
2人とも15才で、継承権を持つ父皇帝の甥達の中では最年少になる。
ジオディーンが片手を上げ、わしも思わず後退るほどの魔力をまとわせた。
風というよりは旋風だろう。
4人の護衛官が魔力を合わせて作り出した風とは桁違いの威力で、縛られた巨大猫を押し返す。
わしの目の前を、観葉植物の鉢がヒュンと通り過ぎる。
巨大猫に巻き付いたツタの本体だと気づいた時には、無傷な窓を豪快に破って、バルコニーの向こう側へ消えていた。
「え? 落ちた?」
それはまずい。
「いや、大丈夫だよ」
慌てて窓際に駆け寄ろうとして、肩を掴まれる。
「リヴァーノフ様?」
「フフ」
妖しげに笑う薄茶色の眼、植物を操る魔力を持つリヴァーノフの手が、キラキラと輝いて変な動きをしている。
『あ、戻ってきた』
「ほらね」
バルコニーの向こう側で、カーテンの裾がはためき、短足な足が見え隠れする。巨大猫のぬいぐるみが、じたばたと暴れていた。
「ああ、だけど、向こうのほうが少し強いかな」
再び部屋に入って来ようとしているのだろうか。ぶら下がっている観葉植物が大きく揺れている。
わしはマシエラを見る。
マシエラは頷くと、ふわりと飛んで、巨大猫とアシュバレンをつなぐ魔力の糸を、両の手で引き千切った。
何という力業。
制御を失った巨大猫は、バランスを崩して上下左右に回転する。
「うん? 何だろうね?」
リヴァーノフは不思議そうな顔をして、本体の観葉植物からもう1本ツタを伸ばして、巨大猫を雁字搦めにした。
これで巨大猫が部屋に戻ってくることはない。
「お兄様。お兄様の炎で、あれを燃やして下さい」
わしの隣でずっと大人しくしていた兄ザラヴェスクに、さあ出番だと声を掛ける。
「いいのか?」
「ダメなのですか?」
「あー、見せ場を取っちまうぞ?」
ザラヴェスクはジオディーンとリヴァーノフをチラと見る。
「お兄様。殊勝というか、意外と細かいことを気になさるのですね」
わしは驚く。
ザラヴェスクはまだ9才ながら勉学をよくし、行動的で機転が利き、魔力が火ということもあって、注目度1位の皇子である。だが、わしの印象では、がさつで調子に乗るところがあり、自惚れ屋だ。
「チッ、おまえが俺をどう見ているのか、よぉく分かったぜ。燃やせばいいんだろ、燃やせば」
「そうだ。皇子、焼き尽くせ」
「……はいよ」
ジオディーンの低い声はよく通った。
ザラヴェスクは窓際まで行くと、両手を突き出して大きな火の玉を作り出す。
「ホント、めんどくせぇけどな」
ブツブツ文句を言いながら、ザラヴェスクは窓の割れたところから、カーテンとツタに封じられて動けない巨大猫を狙って、火の玉を撃った。
巨大猫は、すぐに赤い火柱を上げて燃え上がる。
『ちょっと、足りないねぇ』
マシエラがそう言って、手をかざした。
キラキラした魔力が炎に吸い込まれていき、赤い火柱が黒く変わったかと思うと、それは一瞬で灰になった。
「すごい」
カーテンも観葉植物の鉢まで跡形も残さず燃え尽きて、黒い灰がハラハラと舞う。
その灰も、自然の風に砕かれて、粉々になって消えた。
次は、兄と姉とわしの溝が少し埋まります。