第43話 お着替え
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと25
年齢も性別も、マシエラの言うとおりでよいが、食べることは趣味になるのだろうか。
しかし、食に興味ない子では、一緒に食べていても楽しくないかもしれない。
『お友達は男の子がいいですわ。ロカ様が男の子に慣れておくのも必要だと思うんです。女の子のお友達はシーラ様がいますもの』
『でも、買い物とか、生身の女の子がいたほうがよくない?』
『そうですねぇ。男の子では一緒にトイレに行くことも出来ませんから……』
ブリジットが思案顔で言う。
いやいや、それはどういうことだ。
『トイレは家か、茂みでコソッとするものでしょ?』
『シーラ様、今は茂みでするのはよほどの緊急時でないと、捕まってしまいますよ。お店で借りられますし、学校やマーケットなどでは、1カ所にトイレがずらっと並んでいるんです』
ブリジットが教えてくれたトイレ事情は、わしには想像もつかなかった。
茂みでするのは論外として、マシエラはもっと分かっていないようだ。
「友達は、一緒にトイレに行くもの?」
わしはナタシアに問う。
「学校に通われるようになれば、そういうこともございますね」
本当らしい。
「……性別はどちらでもいい。年齢は少し年上がいいかも。物作りとか畑仕事が好きな子で、食べることも好きな子がいい」
これなら共通の話題もあるだろう。
「さようでございますね。よろしいのではありませんか」
ナタシアはニッコリと笑った。
わしに空想上の友達を作られるぐらいなら、生身の友達をあてがったほうがマシだということだろうか。
案外早く友達募集をしてもらえるかもしれない。
「あ、そうだ」
わしは年表をサイドテーブルに置いて、分解した銀の卵を取りに行く。ナタシアにまだ見せていなかったと思い出したのだ。
「ナタシア、見て」
「まあ、媛様。これは何でございましょう?」
ダンゴムシからさらに蜘蛛のようになったそれを見て、ナタシアは目を丸くする。
「お庭で飛ばした変形ナイフ?」
「え? あれなのでございますか?」
「すごいでしょう? ここが心臓部で1番大事。でも、人工魔力源礎石はなくて、要の魔法陣は、宙に浮いたら羽根を出すとしか書いていない。その代わり、この金具が羽根と連動していて、魔法陣から放出される魔力の量を調整すると共に、羽根が動く度に魔力が隅々まで行き渡るようになっているの。羽根の根元の軸の所にも魔法陣があって、魔力の蓄えと、羽根が動く順番を指示しているわ。地面に落ちると卵に戻るのは、本物の場合、敵の陣地に投げ入れる武器だから、敵に再利用されないように、魔力は使い切りで、ここの部分が壊れるようになっているのだと思う。ここが壊れると、羽根はもう開かないのだけれど、これはおもちゃだから、単純に出たり引っ込んだりするようになっているの」
変形型デザインナイフの仕組みは、だいたい分かった。
わしは胸を張って説明する。
「す、素晴らしいですわね。媛様は器用でいらっしゃること。元に戻せるのでございますか?」
「もちろん」
わしはソファーに浅く腰掛けて、飛び出している部品を畳んで収納していく。最後に割れた部分を合わせれば、分解する前の卵に綺麗に戻せた。
「ほら」
マシエラとブリジットがパチパチと拍手をくれる。
「まあ、媛様。お見事でございますわ。クスクス、媛様のお手に掛かれば、武器の模造品も本当におもちゃのようですわね」
ナタシアはわしの手元を感心して眺めた。
「こういうの、面白い」
「では、明日はピアノの練習をたっぷりといたしましょう」
「ピアノ?」
「指を動かすのは同じでございましょう?」
全然違うと思う。わしは頬を引きつらせる。少し得意なところを見せたかっただけなのに。
「イライア先生と、ピアノの練習もするとお約束なさっておられませんでしたか?」
「そうだった」
「媛様は読み書きも上達してきましたし、お薬の調合も難なくこなせます。次は芸術面を伸ばしましょう。絵を習うのもよいかもしれませんね」
ナタシアはほくほく顔で言う。
絵はナタシアの専門である。わしの出来が悪いので読み書きが優先されてきたが、これからは芸術方面の勉強も増えそうだ。
わしは卵を置いて、年表を手に取った。現代にたどり着くまで、あと200年ほど残っている。
「では媛様、お休みなさいませ」
夜8時。いつものように、入浴と歯磨きとトイレを済ますと、就寝時間である。
ナタシアとレノアが下がり、わしはむくっと起き上がった。
『行く?』
「うん」
ソファーの後ろにあった目印の薄い黄色は、今は作業台の足元にある。
ブローチのピンを指に刺し、血を絞り出して床に名前を書くと、それが淡く光って、わしは地下室に落ちるのだ。
『どこ行くの? 何するの?』
ワクワクと目を輝かせるマシエラ。
「青い蝶の部屋。アシュバレン叔父様が行くようにって」
エルザというアシュバレン付きのメイドが、こっそり寄越した紙に書いてあった。
『ふぅん。近くの部屋はだいたい見たんだけど、チョウチョの部屋はなかったなぁ。遠いの? あ、そうだ。これ、ロカにどうかな?』
マシエラが何だか散らかっている床から上履きを拾い上げて、わしの足元に置いた。
『ここは清潔だけど、裸足は冷えるよ? 裁縫室にあったから持ってきておいたの』
『あら、可愛らしい布靴ですね。そういえば、ロカ様はスリッパをお履きにならないんですか?』
スリッパか。
入浴した後、脱衣所でパジャマを着せてもらうが、その時は靴ではなく、スリッパを履かされる。
部屋は毎日わしが謁見の儀に向かっている間に、レノア監督の下、清掃係りのメイド達が綺麗にしてくれているので、裸足で歩いても足に汚れがつくようなことはない。今日のように謁見の儀が中止になっても、朝食と着替えが済むと、わっと来てサッと掃除してササッと帰っていくので、清掃の予定が狂うことはないらしい。
だが、土足の床を裸足で歩くのは、褒められたことではないのだ。
「まぁ、靴下ぐらいは履いたほうがいいかと思うけれど。1日中硬い靴を履いているから、裸足が気持ちいい」
窮屈な靴を履かされているわけではない。
将来、ピンヒールを履きこなして、カツカツと優美に颯爽と歩く為の訓練なので仕方がないと分かっている。
「でも、これは柔らかそうで可愛いから」
わしはマシエラが持ってきてくれた水色の布靴に足を入れた。
『どお?』
「クッションが入っていて、痛くないし、歩きやすそう。ありがとう、シーラ。似合う?」
サイズもちょうどであった。
『うん。可愛いよ』
『よくお似合いですわ』
2人が褒めてくれるので、わしはそこら辺を歩いてみる。
「双六?」
床に散らかっているのは、作りかけの双六と、材料のようだ。布やら裁縫箱やら、なぜか水の入ったバケツも。
『あ、まだ見ちゃダメ。後のお楽しみなんだから』
マシエラは縫いかけの布を隠すように畳んで、わしがあげた私物入れにコソコソと仕舞い込んだ。
「これ、刺繍糸? 魔力を含ませたの? 糸は染まりにくいのに、さすがシーラ」
色とりどりの刺繍糸の束が、蛍光灯のように光っている。
『水に魔力を溶かして、糸を漬けておけばすぐに染まるよ』
「それで、バケツが」
水は研究室になっている部屋から汲んできたのだろう。
『分けてあげようか? 鞄に荷物を軽くする魔法陣を刺繍すれば、金塊も楽に運べるよ。糸だから効き目は短いけど。お兄さんに頼まれていたでしょ?』
マシエラは可笑しそうに笑う。
そういえばそうだった。
「裁縫出来ない……」
『わたしが縫いましょうか? 魔法陣を教えていただければ、2時間ぐらいで出来ると思います』
裁縫は得意だとブリジットは言う。
『じゃあ、後で裁縫室に行こうか。キルトの鞄とか、あったと思うし』
『はい』
ブリジットが縫ってくれることになった。
ダイヤモンドを持って帰ってきたことといい、ブリジットは本当に物に触れるようになったようだ。
『その前に、じゃーんっ』
じゃーん?
マシエラはハンガーラックから、昨日見ていた焦げ茶色の大人っぽいドレスを取り、それをぎゅっと抱きしめる。と、マシエラの粗末な衣服がじわじわと同じドレスに変わっていく。
ドレスに膜のように張っていた魔力が、マシエラに吸収されていくのが見える。
『どう? どう?』
マシエラはドレスの裾を翻して回った。
焦げ茶色のドレスはマシエラによく似合った。
「うん。すごく可愛い」
『素敵ですっ。お姫様のようですわ』
わしとブリジットが褒めると、マシエラは照れたように笑った。
『問題は、あたしが魔力を吸収しちゃうと、こっちのドレスがボロ布になっちゃうことなのよね』
マシエラは焦げ茶色のドレスと、黄色の花が付いたドレスを見せる。黄色の花のドレスは先に試したらしい。確かに2着とも魔力が消えていた。
「こっちのも春らしくて可愛い。1回限り?」
『ううん。思い浮かべると変わる。じゃじゃーん』
マシエラの衣服が焦げ茶色のドレスから、黄色の花が付いたドレスに一瞬にして変わった。
『まあっ、すごいですね。どうなっているんですか?』
『食べる代わりに魔力を吸収してみたら出来た。ブリジットも出来るかも』
『魔力吸収ですか……?』
ブリジットは不思議そうな顔をする。
『やってみたら? 着替えようとするんじゃなくて、呑み込むイメージで』
『呑み込む……』
『丸呑み?』
『……やってみます』
ブリジットはハンガーラックから若草色のドレスを選び、マシエラがしたようにぎゅうっと抱きしめた。
ドレスにまとわりつく魔力が、少しずつブリジットに吸い込まれていくのが見える。
そして、ブリジットの衣服が若草色のドレスに変わった。
『出来たね』
『出来ました』
マシエラにちょうどのドレスはブリジットには小さいはずだが、実体がないからか、ブリジットの体型にぴったりと合っている。
「ブリジット、綺麗」
『ホントね。男共がメロメロになるわ』
ブリジットは魅惑的で、相変わらず胸の谷間は強調されているが、これで幽霊達の舞踏会に出ても恥ずかしくないだろう。マシエラとブリジットには宮廷に巣くう幽霊達のボスになってもらいたいものだ。わしの安全の為にも。
『ありがとうございます。何だか不思議ですわぁ。こんな上等なドレス、お仕事でも着たことがありません』
『あたしも。裾が翻るほどたっぷりの布なんて、領主のお嬢様でも着ていなかったよ』
二人はウフフと嬉しそうに笑い合う。
『それは僕がジョアンナの為に作ったドレスなんだけど。ああっ、ジョアンナ。なぜ、なぜ君がここにいないのですかっ』
変なのが現れた。
どうやら男の幽霊のようである。
黒のズボンに、たっぷりとした白のシャツ、肉球模様の派手なスカーフを首に巻いている。眼は鮮やかな黄色だ。年齢は30代後半といったところか。そういえばブリジットの年齢は幾つなのだろう。
『どうする?』
『どうしましょう』
『脱ごうか?』
『脱ぎましょう』
脱ぐって……脱いで、魔力を失ったドレスが元に戻るのか?
『いや、結構。我が愛しのジョアンナはもういない。ジョアンナが着てくれないなら、誰が着ようと同じ。このまま朽ちるだけのドレスに、やっと出番が訪れた。そう思うことにしよう』
男はあっさり言うと、人好きのする笑みを浮かべた。
わしはジョアンナという名前に覚えがあり、ハンガーラックに掛かっているドレスのスカートを捲ってタグを確かめる。
ジョアンナの為に、セバスより。
「セバス?」
『おや、どうして僕の名前を。そうさ、僕がセバス・エルバーニ。灰色の都に虹色の華を咲かせた当代随一の服飾デザイナーだよ』




