第41話 小さな誤解
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと23
腹を抱えてヒィヒィ笑う兄に、わしは頬を引きつらせる。そんなに笑われるとは思わなかった。
『ロカ様がせっかくお作りになったお薬ですのに、皇子様といえどひどいですわ』
ブリジットは腰に手を当てて怒っている。
『水虫の呪いを掛けようか? 自分が水虫になれば笑い事じゃなくなるんじゃない? ウフフ』
マシエラは不気味な笑い声を漏らし、ザラヴェスクの足元にしゃがみ込んだ。そして、指先を光らせる。魔力を放出し、靴の上に魔法陣を描いているようだ。円の数が多く、びっしりと書かれた文字はすべて水虫とある。
「お兄様……」
わしは少し同情する。強力な呪いだ。強烈というべきか。
アシュバレンに薬を預けようかと思ったが、ザラヴェスクの為に置いておいたほうがよいかもしれない。
『これで人体実験が出来ますわね』
ブリジットも機嫌を直して笑う。
哀れ。
「おまえがそっち方面に行くなら、いいことを教えてやる」
ザラヴェスクは笑い過ぎて目尻に涙を溜めながら、わしの頭をグリグリと撫でた。
「いいこと?」
そっち方面はどういう意味だろう。
「虫歯を治す薬の作り方だ。ウループスの骨粉を耳かき1杯、スピルカの鱗をゴリュウのネバネバで溶かしたものと、混ぜるだけでいい。それを虫歯に埋めれば、丸1日で歯は元どおりってな」
ザラヴェスクはニッと白い歯を見せる。
もの凄く胡散臭い笑顔だった。
『聞いたことない材料ばっかだね』
『わたしはどこかで聞いたことがあるような……』
マシエラとブリジットは首を傾げる。
「お兄様はどこでそれを?」
「学校で習った」
ザラヴェスクは胸を張って堂々と言う。
そんな嘘を吐いても仕方がないし、嘘ではなさそうだが。
わしは一応メモ帳に残すことにする。
「完成したら俺にも分けてくれ」
「いいですよ。虫歯なんですか?」
「俺じゃない奴がな。忙しくて歯医者に掛かる暇もないんだとさ」
それからどうでもいい話しを少しして、ザラヴェスクはドレスの入った箱を持って帰っていった。
「媛様。あれは今流行っている〝人魚のマミーア〟という映画にもなった本に出てくるのです」
ザラヴェスクがいなくなると、レノアが告げ口するように教えてくれる。
『そうでしたわ。それで聞いたことがあったんですね』
ブリジットはポンと手を叩き、腑に落ちた表情を浮かべた。
「主人公のマミーアが、海の世界の学校に通うお話しで、理科の授業で作る架空のお薬なのです。マミーアが楽しそうに歌いながら調合するシーンで、ポスターにもなりましたから、わたくしも覚えております」
「架空の薬……」
「皇子殿下は、媛様がお作りになった水虫の薬も、そのようなものだと思われたのでしょう」
「なるほど」
おままごとに付き合ってくれたというわけか。
『じゃあ、本物を作って驚かせるのはどうよ? あたし、虫歯を治す薬も作れるよ』
それは面白そうだ。
わしはマシエラから材料を聞き、ナタシアとレノアに薬品棚と収納ボックスからそれらを集めてもらう。
ナタシアとレノアは、不思議そうな顔をしながら手伝ってくれた。2人はわしにそんな知識がないことをよく知っている。
言うべきか、言わないでおくべきか。
夕食までの時間を掛けて、木の皮から出来た泥水のような液体と、貝殻を粉にして薬草と混ぜクリーム状になった物を作る。泥水のような液体で歯を磨き、クリーム状にした物を虫歯に塗ったり詰めたりすればよいらしい。
それぞれを保存の刻印が入った薬瓶に移し、ラベルを貼って薬品棚に並べると、わしはナタシアを見上げた。
「全部、シーラが教えてくれたの」
「シーラでございますか? メイドにいましたかしら」
「シーラは、幽霊の女の子なの」
わしが告げると、ナタシアは蒼白になり、レノアは息を呑んだ。
マシエラは目をパチクリとさせ、ブリジットは驚いてアワワと慌てふためく。
『あらら、言っちゃった』
「だって、わたくしが作れるはずないのだもの」
黙って作らせてくれたが、ナタシアとレノアは不審でいっぱいだろうと思う。
『どっちにしろ、変に思われる?』
「うん。こんな作業台や薬品を譲ってもらえたのに、シーラと遊べないのはつまらないし、どうしてわたくしが水虫の薬や、虫歯を治す薬を作ることが出来たのか、言ってしまったほうがいい気がした」
『そっかぁ。あたしが浮かれていたせいだね。ロカが賢くて器用だから、調子に乗って教えちゃったから』
マシエラは心配そうに言う。
「少し早いか遅いかの違いだわ。それに、魔力が見えるのだから、魔力の塊である幽霊が見えてもおかしくないのだと、分かってもらえるかもしれない」
反対に、噂が立ち、気味悪がられ、誰も近寄ってこなくなるかもしれない。ナタシアもレノアもわしから遠ざかるかもしれない。
だが、幽霊が見えて話しが出来るぐらいで、こっそり始末されたりはしないはずだ。どこかに幽閉されても、生きてさえいればどうにかなる。幽霊が見えず、声が聞こえなくなれば問題解決と、目と耳を潰されればどうしようもないが。
「ひ、媛様……」
「シーラは昔、この部屋の前の廊下で殺されて、幽霊になったらしいわ。薬草を育てたり、薬を作っていたそうなの」
ナタシアから見れば何もないところに向かって喋っているわしは、さぞかし怖いだろう。そこに幽霊がいると言われれば、見えなくても信じてしまうタイプは、笑い飛ばすことも出来まい。
『え、シーラ様は殺されたのですか?』
ブリジットが驚く。ブリジットはマシエラから聞いていないのだろうか。
『そういうことにしたんだっけ? 乳母さん、廊下に豪華な花を飾ってくれているわよ。お花を飾ってくれれば、祟ったりしないって言ってみる?』
マシエラに出会った日、そう言ってナタシアをなだめたのだ。
「ナタシア、廊下に花を飾ってくれているのでしょう? シーラは花を飾ってくれれば怖いことはしないって。幽霊は魔力の塊だから、呪いとか祟りに力を使うと消滅しちゃうそうなの。シーラは、わたくしに薬の作り方を教えてくれて、少し遊んでいるだけ。お勉強も見てくれる。手紙の書き方とか、計算の仕方とか、説明書を分かりやすく読んでくれたりとか……」
『そこまでしてないんだけど』
いや。この際、全部マシエラのおかげにしておこう。
「媛様は、シーラさんとお友達になったのでございますね……?」
ナタシアは顔を強ばらせて動かない。
レノアが膝をついてわしと視線を合わせた。
「シーラは面白くて何でも知っていて、たくさん教えてくれる」
「……さようでございましたか。媛様は幽霊が見えるとおっしゃいましたが、シーラさん以外の幽霊も見えるのでございますか?」
「いいえ。今のところ見えるのはシーラだけ。シーラは近くにはいないって言っている」
わしは堂々と嘘を吐き、首を横に振る。
見えるのが1人だけなら、まだ怖がられないかもしれないと思ったのだ。幽霊がうじゃうじゃいると聞けば、わしでも怖い。
それにブリジットが幽霊になったのは最近らしいので、調べられて真実味が増すと、余計に怖くなる気がする。
「では、シーラさんにとっても、媛様は大切なお友達なのでございましょう。シーラさんは、ナタシア様とわたくしのことで、何かおっしゃっておられますか?」
「ナタシアとレノアのこと?」
わしはマシエラを見る。
『働き者だよね。手を抜かないでちゃんとお世話出来ていると思う。もうちょっとロカが自由に遊べたらいいのにとは思うけど、皇女様だからしょうがないのかな』
『ロカ様のなさりたいことを、尊重しようとしているところも、素晴らしいと思いますわ』
『そうだね。勉強勉強って言っているけど、結局はロカの為になることだし』
幽霊2人がうんうんと頷き合う。
「働き者で、わたくしのしたいことを、させてくれようとしているところが素晴らしいって言っている」
「まあ。ありがとうございます」
そのままを伝えると、レノアは嬉しそうに微笑んだ。
「レノアは怖くないの?」
「正直に申しますと、怖さ半分、驚き半分でしょうか。媛様はお友達を欲しがっていらっしゃいましたから」
「シーラは、冒険と探検をするには生きた人間の護衛が必要だと言うの。それなら護衛の人にもシーラの存在を信じて欲しい。護衛の人と友達になるか、友達がついでに護衛をしてくれたらちょうどいいと思う」
ただの護衛では駄目だ。友達もただ友達というだけでは冒険と探検に行けない。
「わたくしを守れて、幽霊を受け入れられる根性の座った友達が欲しい。その代わり、わたくしはお金儲けを頑張る。皆で贅沢三昧出来るように」
わしが力強く言うと、レノアは目を瞠って、納得したように頷いた。
「それで冒険と探検とお金儲けなのでございますね。ナタシア様、少しよろしいですか?」
レノアは立ち上がって、まだ立ち直れていないナタシアの腕を引いた。
2人は部屋の隅に行き、何やら話し始める。
『こっそり聞いてきます』
ブリジットが盗み聞きしに行き、わしは苦笑する。
この部屋に幽霊がいるということをレノアは分かっていない。
『大丈夫かなぁ』
「絵から目を反らす為に、悲劇の主人公的な身の上話しにするといいかも」
一番心配なのは、マシエラとベイジルの〝夜明け〟の関連を疑われることである。
ベイジルの〝夜明け〟は古い時代の貴重な絵で、大切に保管されていたと思われる。マシエラと友達になるには絵を見て、相性テストに合格しなければならない。だから絵を見てくれる人がいなければ始まらないのだ。
マシエラはわしと出会うまで2千年も絵の中にいた。わしが死んだ後、すぐに次の友達を見つける為には、隠されたりせず、たとえ宮廷の隅でも飾られていたほうがよい。
『絵も大事だけど、ロカが心配だよ。乳母さんに見放されたら困るでしょう? お母さんと上手くいっていないのに』
「……」
噂が立てばわしの嫁ぎ先がなくなり、母は、わしを殺しにくるかもしれない。
「もう2、3人、娘を産めばいい。お兄様の為と、産まれたときから洗脳すれば、お母様に言いなりの、いい娘になるわ。お母様、年齢は幾つだったかな。33か、34?」
わしでは無理なのだから、次に期待するべきだ。
『それはなんか違う気がしない?』
マシエラは呆れたように言う。
そうだろうか。皇帝が何人もの妻を持ち、次から次へと子供を作るのは、そういうことだと思うのだが。
『はぁ、大丈夫かなぁ。メイドさんは何とかなりそうだけど、乳母さんがいないと、ロカが甘えられる人いなくなるじゃん』
わしは驚く。
「甘える?」
『ロカが甘えているの、乳母さんにだけよ。分かりにくいけど。お兄さん達や、お姉さん達とも仲良くはしているけど、大人に甘えるっていう感じじゃないでしょ?』
「そ……」
そうなんだろうか。
『ロカ様。面白いことになりましたわ』
盗み聞きしていたブリジットが戻ってくる。
「面白いこと?」
『レノアさんが、ロカ様には空想上のお友達がいらっしゃるのではないかと、ナタシアさんに説明していました。ロカ様は淡泊に振る舞っているけれど実は寂しがっていて、空想上のお友達を作って御自分を慰めているのではないか。けれど空想上のお友達の説明が付かず、幽霊だと思い込んでおられるのだろうと、そんな感じになっています』
ブリジットはニコニコしながら聞いてきた内容を話してくれる。
『空想上のお友達かぁ……反抗期の次に微笑ましい現象だねぇ』
プッと笑うマシエラ。
『そうなんです。薬の作り方などを知っているのは、ロカ様が実は天才で、能力を隠しているからだと。御自分が騒がれたくない為に、空想上のお友達に教えてもらうというふうに無意識にしているのではないかとも言っていました』
『ふぅん。いいじゃん。それでいこうよ』
『はい。幽霊が見えると言われるより、空想上のお友達のほうが受け入れやすいと思います。ナタシアさんもそれでどうにか納得したようですし。わたし達のことは、ロカ様が知っていて下さればいいんですわ』
ブリジットはそう言ってコロコロと笑った。
ならば、そういうことにしようか。
いや、待て。
空想上の友達では、兄達から生暖かい視線が向けられそうである。
「媛様……」
「ナタシア」
「取り乱してしまい、申し訳ございません。媛様が、シーラさんのことを打ち明けて下さったというのに、わたくしときたら」
ナタシアは微苦笑を浮かべる。
顔色はまだ悪いが、恐怖は拭えたようだ。
「ごめんなさい、変なことを言って」
わしは一応正直に話したのだ。
ナタシア達が誤解して納得し、マシエラを空想上の友達としたいなら仕方がない。奇異なものを見る目と、生暖かい目なら、生暖かく見られるほうがマシか。
「いいえ、媛様。媛様は、得難い経験をされておられるのでございますから、これからもシーラさんと一緒に、お勉強に力を入れて下さいませ」
ナタシアは、公に出来ないことが増えましたねと、笑って溜め息を吐いた。