第4話 地下室の秘密
子供編
4才のわし、始まりの1日 ぱーと4
メーンの皿が置かれ、ナタシアは再び書き物に戻った。肉はどんなに軟らかくても、子供には時間の掛かる食べ物である。
『あ、これ、鹿肉だ』
右側に戻ってきたマシエラがわしのフォークに食らいついて言った。
わしも食べる。
肉料理は、鹿肉のソテーであった。ジビエソースが掛かっている。昔はもっと血肉の味が濃かったが、これはあっさりしている。
『エルフは鹿を生で食べるんだよ。火が使えないから』
ポロッと漏れた言葉に、わしはナイフとフォークを置いた。
水に手を伸ばす。
エルフが人間と相容れない存在であることは知っていた。だが、エルフは美しいものだと思っていた。
口元を血で真っ赤に染める、獣のようなエルフを想像してしまい、わしはげんなりする。
『食べないなら、ちょうだい』
食べるとも。
わしはナイフとフォークを手に取って、肉にソースをたっぷり絡めて口に入れた。
付け合わせのマッシュポテトも食べる。
『あーん』
わしは遠慮なく口を開けるマシエラに、肉を食べさせ、パンを食べさせていく。
ひな鳥にせっせと餌をあげる親鳥になった気分だ。
マシエラのほうが年上で体も大きいが。
肉を食べ終えると、最後はデザートである。
ナタシアが書き物を片付け、ワゴンから、少し溶けかけたピンク色のシャーベットを出してくれる。
そしてまた左側に回ってきたマシエラが、目をキラキラさせて中腰になる。
食べる気満々のようだ。
運よくナタシアはレノアと話し始めた。
わしは、シャーベットをスプーンですくって、ポタージュの時と同じ、一時停止する。
「明日の謁見の儀に、アシュバレン様が……」
「まあ。では、いよいよなのですか?」
ナタシアとレノアの会話に、最近話題になっている叔父の名前が出る。
アシュバレンは父皇帝の1番下の弟である。先代の皇帝が死去した年に生まれ、2番目の兄と同じ16才だ。皇帝が亡くなっても、成人前の皇子皇女はそのまま宮廷で育てられる為、わしもアシュバレンの顔は知っている。
そのアシュバレンが、なぜ話題になっているかと言えば、彼に養子の話しが来ているからだ。それだけなら珍しいことではないが、彼は継承権を持っている。
継承権を得るには、幾つか条件がある。
皇帝の実子か、実孫であること。
魔力を持っていること。
7大貴族の承認を得ること。
7大貴族の血ではないこと、7大貴族の養子になっていないこと。
領家の血ではないこと、領家の養子になっていないこと。
アシュバレンを養子にと望んだのは、メルーソ大帝国の82ある領地の1つを治めるメオルン領家だ。
アシュバレンがこれを受ければ、継承権を失うことになる。
『……皇女様、これ、すっぱいよ』
か細い声にふと視線を落とすと、マシエラが床に転がって悶えていた。
ナタシアとレノアの会話に気を取られていた一瞬の間のことらしい。
そんなにすっぱいのか。
だが、わしは基本、毒でないかぎり残さないのだ。
意を決してシャーベットを口に入れた。
「……」
スプーンが、手から滑り落ちる。
「媛様? まあ、何ですか。お行儀がお悪うございますよ」
派手な音を立てて皿に直撃したスプーンが、そのまま床に落ちて、ナタシアの叱責が飛ぶ。
「……しびれる」
すっぱいとは、なんて甘い表現だろうか。
口内に唾液が溢れ、口の端からよだれが垂れていく。
「媛様?」
「これは、無理」
わしはナプキンで口を押さえた。
これは無理だ。
溶けて唾液と混ざり合ったシャーベットは、喉を通りもしなかった。
すべてをナプキンに吐き出すと、ナプキンごと皿を遠ざける。
「……飲み込めるものを作って」
わしは怒りを込めて言う。
ナタシアが目を見開いた。
ロナチェスカとして生まれて、初めて感じた怒りである。
わざと不味く作るにしても、程度があると思うのだ。
「申し訳ございません」
「すぐに代わりを持ってまいります」
ナタシアは腰を折り、レノアはそのデザート皿を持って部屋を出て行く。
わしは口の中を洗うように水を飲んで、溜め息を吐いた。
マシエラがようやく立ち上がり、憤慨する。
『皇女様なのに、なんてものを食べさせられているの』
いや、今日のは特別だ。
ナタシアも心なしか落ち込んでいる。
なんて言葉を掛けようか。
怒ったものの、ナタシアが悪いわけではない。
いやいや、ナタシアもメニューを知っていたはずだ。
しかしフォローぐらいは。
「パンは美味しかった。何というパン?」
「……それはよろしゅうございました。ポンデケージョというそうですわ。タピオカ粉とチーズを入れて作るそうです」
「また食べたい」
「申しつけておきますわ」
ナタシアはホッとしたように微笑んだ。
これでよし。
レノアが美味しいバニラアイスを持ってきた時には、部屋の空気は平常に戻っていた。
わしはバニラアイスを上機嫌で食べる。
ナタシアとレノアがわしから目を離さなかったので、マシエラは一口も食べることが出来ず、泣いていた。
今日の夕食は、65点である。
夜8時。
わしの部屋は、寝室と学習室と食事室をまとめた広めの部屋に、衣装部屋、洗面室とトイレ、浴室がくっついている。
入浴と歯磨きとトイレが済んだら、もう寝るだけだ。
灯りが落とされ、ナタシアとレノアが退室すると、わしはベッドから起き上がった。まだ寝ない。
わしには寝る前にすることがあるのだ。
「シーラは、ずっとそばにいるの?」
『そうよ。あんたが死ぬまでそばにいるわ。でも、ちゃんと空気は読んであげるから、心配しないでね』
ウフフと意味ありげに笑われた。
わしは深く考えたりせず、裸足のままベッドを降りて、背伸びすれば何とか届く、キャビネットの扉を開ける。
『何しているの?』
マシエラがついてきて聞いた。
わしは、下の段に仕舞われているクッキーの空き缶を取り出して床に置く。
このクッキーの空き缶は、赤いバスと首都ヴィンスの南門が印刷された、有名店のもので、ナタシアが厨房からもらってきてくれたものだ。
「宝物」
わしはニンマリ笑うと、缶のふたを開ける。
缶の中にはメッセージカードや、折り紙で折られた鳥や犬、手作りと分かる栞など細々としたものが入っていた。兄達にもらったもので、捨てられなかったものだ。
それらをゴソゴソとあさり、ピンの少し曲がったブローチを探し当てると、手に取った。
「こっち」
わしは、部屋の真ん中あたりにでんと置いてある、普段座らない大きなソファーの後ろに行く。
ソファーに用はない。わしはしゃがみ込むと、ブローチのピンを外し、人差し指の先をプツと刺した。
『ちょっと、ちょっとっ』
マシエラは驚いて慌てるが、赤い血が点のように、わずかに盛り上がっただけである。
本番はこれからである。
この部屋の床は白木のフローリングだが、所々ピンクや青などの色が入っていて華やかだ。その中で、薄い黄色をしているのは、わしがしゃがんで見ているこれだけである。
その薄い黄色の床板に、わしは血のにじんだ指先で自分の名前を書く。すぐに掠れて血がつかなくなってもそのまま、昔のわしが使っていた線やら飾りの多い凝った文字で、ロナチェスカ・ヴァレンテ・メルーソと。
血で書いた名前は、淡い光を放って床に吸い込まれた。
『ウワオ』
「離れないで」
わしはマシエラの手を握る。
次の瞬間、わしの体は浮いていた。
そして柔らかいクッションの上に落ちる。
「ようこそ。地下室へ」
わしはクッションの上で同じように転げているマシエラに、ニッコリと笑ってみせた。
『どうなっているの?』
「部屋から落ちただけ」
わしはマシエラの呆然とした顔が可笑しくてクスクス笑う。
ここはランプの灯りで、煌々と明るい。魔力に満ち、魔法が働いているせいか埃っぽくもない。
「見て」
この真上がわしの部屋だ。
皇家の血と名前に反応して、通り抜けの魔法が作動したのだ。
わしは天井を指差す。
直径30センチの簡単な魔法陣が彫られていた。
『おお、そういうこと』
そういうことだ。
魔法陣が隠し部屋の玄関代わりになっているのである。密談を行ったり、宝物を隠しておくのに便利だ。
「あっちにもある。あっちは帰る時に使う」
わしは少し離れた天井も指差す。
その下には梯子が置いてあった。
『なるほどね』
「こっち」
わしは起き上がると、マシエラを手招きした。ピカピカのフローリングに所々カーペットが敷かれており、裸足でも汚れることなく歩ける。
この魔法陣がある部屋は、上のわしの部屋より少し狭いぐらいだろうか。
だが、部屋の奥から3方に廊下が延び、小部屋が100ほどあるので、地下室としては大きい。
『お宝がありそう』
マシエラはウキウキと弾む声で言った。
「も、ある」
『も?』
「他にもいろいろ」
ここを見つけたのは去年四才になったばかりの夏だった。
冷房器具が故障し、サウナのようになった部屋で、わしは鼻血を出して倒れたことがある。床に落ちた鼻血が、雨が地面にしみ込むように、床板に跡形もなく吸い込まれていくのを見て、隠し部屋があることに気づいたのだ。
宮殿において、皇家の血を鍵とする仕掛けは多い。血だけで作動しない場合は、名前も書く。魔法陣なら大概それで動いた。
『ふぅん。で、何の部屋?』
「……趣味に没頭する部屋?」
血と名前を鍵とするこの部屋は、皇家の者しか入れないようになっているので、逢い引き用でないことは確かだ。
皇家の者は、蒐集癖を持つ。あまり大っぴらに出来ないものに興味を持ってしまった時、こういう部屋に隠してこっそり楽しむのだ。
実験や研究、低俗なのか芸術なのか分からない写真集を楽しんだ者もいたようだ。
「金の延べ棒がぎっちりの部屋とか、宝石が山積みの部屋は、あった」
「ええっ。すごい、すごい」
キャーキャーと喜ぶマシエラ。
凄くはない。皇家の隠し財産は別の所で、もっと厳重に管理してある。つまり、ここにあるのは秘密の取引で得た、後ろ暗いものである。
「好きに見てきていい。小さい部屋のどこかにあった。鍵は掛かっていないから。わたくしはここで日記を書いている」
「ホント? じゃあ、探してくる」
マシエラは廊下を駆け出していった。
わしはぽつんと置かれた古い書斎机の、頑丈そうな椅子によじ登って座ると、1番上の引き出しを開けた。
引き出しの中には、いろいろなものが残っている。
わしはまだここにペン1本も持ち込めないので、ありがたく借りている状況だ。
鉛筆と消しゴムと黄ばんだノート1冊を取り出し、机の上に広げた。
この地下室を見つけてから書き始めた日記である。
内容はその日に食べたものと、その感想、その点数だった。
先ずは朝食のコーンフレークから。もちろん昔の文字でだ。
『ぎやーっ』
何だか悲鳴が聞こえる。
マシエラにはあえて言わなかった。大っぴらに出来ないコレクションの中には、気持ち悪いものが多い。
「ありきたりなコレクションなら、隠したりしないな」
わしは呟くと、ノートに鉛筆を走らせる。
小部屋にはいろいろなものが詰まっているが、この部屋の物は少ない。机と椅子と書棚と、壁に女性の肖像画が1枚掛かっているだけだ。
ここをマシエラの部屋にするのはどうだろうか。幽霊なのだから、地下室があることさえ知っていれば、床というか天井というか、通り抜けられるのではないか。
ベッドを置いて、ソファーを置いて、冷蔵庫を置いて、ミニキッチンを作って、お菓子をたくさん入れた籠を置いて……わしに用意出来るか分からないが、マシエラには2千年ぶりの世界を、生活を楽しんで欲しい。
「出来そうなこと……家具は、呪いの家具がコレクションされてあった」
幾つかの小部屋に収納されているアンティークな家具は、美しいままだった。だが、呪われている。
呪いと幽霊と、どちらが強いのだろう。
わしはシャーベットが殺人的にすっぱかったことを書きながら、そんなことを思った。
『……ディープだったわ』
マシエラがヨロヨロと戻ってくる。その一言にすべてが詰まっていた。
だが、手にはちゃっかりと金の延べ棒が、ポケットからは真珠のネックレスがはみ出ている。
「お人形の部屋は見た?」
『ううん。全部は見ていないの。これ持って歩くの、重かったし』
「お人形の部屋が一番怖い」
『……』
金の延べ棒がゴンと床に落ちた。
マシエラは青ざめ、今にも倒れそうである。
『髪の毛の部屋よりも?』
「カツラを作る為かもしれないと思えば、まだ」
『まだ? そうかな? 髪の毛が天井からワサワサ垂れ下がっているのは、最高に気持ち悪かったけど?』
「お人形の部屋、見に行く?」
『絶対にイヤ』
それは残念だ。
あの恐怖をマシエラに共感して欲しかったのだが。
『そ、そんなことより、これ』
マシエラは落とした金の延べ棒を拾い、書斎机の上にドンと置く。ポケットから宝石やアクセサリーを出して、それもジャラッと置いた。
『これは使っていいもの? 使ってはダメなもの?』
「使ってもいい。足がつかなければ」
『いいのね? じゃあ、これ、あたしにちょうだい』
マシエラに勢いよく言われ、わしは頷く。
だが、そんなものをどうするのだ。
金も宝石も財産だが、わしには使えないし、マシエラも幽霊では何も買えまい。
「どうするの?」
わしは首を傾げた。
『材料にする。これであんたの武器を作ってあげるわ』
「……武器?」
『冒険にも探検にも金儲けにも、武器は必要でしょ?』
「分かった」
わしはもう少し大きくなったら家出しようと決意した。
それから、日記を書き終え、マシエラは金と宝石をここに残して、わしらは梯子を登り、魔法陣を通って上の自室へと戻る。
床に転がっていたブローチを回収して、クッキーの缶へ戻し、元通りキャビネットに仕舞うと、わしはベッドに潜り込んだ。
「一緒に寝る?」
わしは掛け布団をめくってマシエラを誘う。ベッドは大きくスペースは十分にある。
『あたしに、一緒に寝ようって言ったのも、あんたが初めてね』
マシエラはいそいそとベッドに上がってきた。
『ねえ、あんたのこと何て呼べばいい?』
「ロカ。わたくしを可愛がってくれている兄達は、そう呼ぶ」
『そう。ロカね。明日も楽しみだわ』
「うん」
明日もマシエラはいる。
きっと楽しいだろう。
わしは目を閉じた。
楽しそうな地下室です。
次は、動き出した2日目、朝食から始まります。