第39話 糞で水虫の薬
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと21
ステンレス製の作業台はピカピカだった。薬品棚の薬も新品ばかりで、いかにアシュバレンが調合の類に興味がなかったかよく分かる。
『要は水虫菌をやっつけちゃえばいいのよ』
マシエラは簡単に言って、わしに薬研や乳鉢など、定番の器具を並べさせた。
『あと、ケウト草と、バンシル草と、オクファントルの茎と、ボラナミの実と、ハッカ油も』
「ケウト草とボラナミの実はあるけど、バンシル草とオクファントルの茎はないみたい。ハッカ油はある」
わしは薬品棚から瓶を取り出す。
「何がないのでございましょう?」
うっかりマシエラに答えてしまったが、ナタシアもレノアもいるのだ。2人とも、水虫の薬を作りたいと言ったわしに、怪訝な顔をしたものの、1人では作業しないことと、薬品を使う時は慎重に扱うことを約束して、何とか許してもらったのである。
「バンシル草とオクファントルの茎。かゆみ止めと、炎症を抑えるものだと思う」
薬草は少しならわしも分かる。
『えぇと、かゆみ止めは、これですね』
ブリジットが薬品棚にある瓶のラベルを見て、1つを指差した。
わしは薬の辞典からその薬品の項目を探し出し、成分や効能を調べてみる。
「バンシル草から抽出される。んー、これでいいかな?」
ブリジットは美人で、頭もよいらしい。
『成分が一緒なら大丈夫。たぶん』
「たぶん……」
薬なのに、たぶんでよいのだろうか。
「どれでございますか?」
「えっと、メル、メルチリ、ルチル?」
「メルチリルチルでございますね」
ナタシアが薬品棚から瓶を取った。
『最後は魔法陣で調整するから平気、平気』
魔法陣も使うのか。
「レノア、叔父様からいただいた物の中に、大きめのトウオは入っていなかった?」
「お待ち下さいませ」
レノアが目録を見て、作業台の下の収納ボックスをガサゴソとあさっている間に、わしは足りないもう1つの薬草を、薬の辞典で引いてみる。
「リシロカインというのか。あ、ちゃんと、水虫の薬として使われるって書いてある」
大帝国薬剤師会監修の、薬の辞典はなかなか使えるようだ。
「リシロカインでございますね。ありましたわ」
ナタシアが薬瓶を作業台に置く。これでマシエラの言った薬草は揃った。
『それじゃあ、ケウト草からいく?』
わしは頷いて、踏み台に乗る。身長が1メートルと10センチもないわしは、踏み台に乗らなければ少し厳しい。
『葉っぱは13枚。擂り鉢でデロデロになるまでゴリゴリしてね』
ケウト草の葉は親指の先ほどの大きさで、厚みがある。
わしはハサミでケウト草を切り刻むと、擂り鉢に入れて、すりこぎを握った。薬瓶には保存の魔法陣が刻印されており、葉は摘み立てのように瑞々しく、水なしで簡単に擂り潰すことが出来た。
「これは魔法陣そのものに魔力が蓄えられるタイプのものみたいだけど、永久ではなさそう」
茶色の薬瓶にうっすら浮かび上がって見える魔力は弱い。魔法陣は作成者の魔力に比例するので、刻印を作った者、或いは刻印を押した者の魔力がいまいちだったのだろう。効力が切れても、血を塗れば一時は凌げるであろうが。
「その為の消費期限でございます」
ナタシアがラベルの隅を指差した。3ヶ月後の日付だった。
『へぇ、なるほどねぇ。面白い』
『お値段も変わってくるのですわ。この魔法陣は命令が事細かですから、保存期間は短くても、そこそこお高いのではないでしょうか』
確かにブリジットの言うとおり、基本の〝何が何でも保存〟を省略した雪の結晶のようなマーク以外に、耐火、耐冷、耐圧、物理的な衝撃の吸収など、瓶の強度を高めるありとあらゆる言葉が5重の円の中に書き込まれている。
『次は、ボラナミの実。これはすごく堅い実だから、薬研を使って砕くの。6個よ』
瓶から取り出した藍色の実は、飴のようにツヤツヤである。
「媛様。それはわたくしがいたしますわ」
実を作業台に並べ、1つを薬研の小舟に入れたところで、ナタシアが変わってくれた。
薬研は鉄製で大きく、わしの手では車輪が動かなかったかもしれない。
ナタシアは車輪の持ち手に手を掛け、ゴロゴロと転がした。ボラナミの実の潰れる鈍い音がする。
「ありましたわ」
収納ボックスをあさっていたレノアが、アルミ缶のケースを見つけてわしのところへ持ってくる。蓋を開けると、10センチ四方のトウオがたくさん入っていた。
トウオは魔力を餌にする捕食植物である。可愛いミミちゃんを動かすのに、初めて知って初めて使った。
『どうするの?』
「これで魔法陣を作る」
わしはナタシアがボラナミの実を砕いている横で、トウオを1枚取り出して、作業台に置いた。
「媛様、手袋を」
「わたくしは魔力を持たないから、大丈夫みたい。ほら、サラサラ」
やはり花びらというよりは皮の感触である。
わしは万年筆を持ち、先ずは魔法陣の基礎となる円を中央に描いた。薬は効かなければ意味がないので、中央に太く効果と書く。
「あとは」
『調整と成熟があればいいよ。保存は容器がしてくれるし』
わしは円を2重にして、調整と成熟をこれも太く塗り潰すように書いた。
「レノア、カッターナイフと、何か下に敷く物はある?」
「はい。こちらにございます」
わしはレノアからカッターナイフとカッティングマットを受け取る。
「まさか、くりぬくのでございますか?」
「そう。魔力を持たないわたくしが、ただインクで書いただけの魔法陣は、落書きと同じだけれど」
現代の文字は力がなさすぎる。
わしはトウオの下にカッティングマットを敷いて、トウオにカッターナイフの刃を突き入れる。
トウオは案外切りやすかった。円と文字だけを残す為に、複雑な隙間もカッターナイフでくりぬいていく。
「どお?」
『あはは、すごいすごい。ロカってば器用だね』
『なんて素晴らしいのでしょう』
幽霊の2人が拍手して褒めてくれる。
「これに、人工魔力源礎石をちりばめれば、魔法陣になると思う」
どうだろうか。試してみなければ分からない。
ナタシアとレノアもびっくりした顔で、形だけは魔法陣になったトウオをしげしげと見つめた。
『じゃあ、あとはバンシル草とオクファントルの茎を、お酒に漬けたり、焼いたりするんだけど、もう薬になっているみたいだから、えぇと、バンシル草は小さいスプーンに5杯、オクファントルの茎は大きいスプーンに4杯、ケウト草と混ぜたら、薬研で砕いたボラナミの実を入れて、混ぜないで静かに泡が出るのを待つの』
わしはバンシル草のメルチリルチルと、オクファントルのリシロカインを、言われたとおり計量スプーンを使って擂り鉢に入れる。すりこぎでよく混ぜると、緑色のゼリーみたいにプルプルになった。
「媛様。大丈夫でございますか?」
『うーん、何で緑色?』
ナタシアの心配そうな問いに、マシエラは首を傾げる。
メルチリルチルとリシロカインでは、成分が濃かったり何か足りなかったりするのではないだろうか。
わしはもう一度薬の辞典で調べることにした。索引からバンシル草とオクファントルが載っているページへ飛んでは、それらが原材料になっている薬を探す。
「……あ、あった。ステゴスラミン。オクファントルの茎の表皮から抽出される。睡眠薬に使われる」
「ステゴスラミンでございますか? 確か、軽い不眠症の薬に入っておりますね。媛様が作ろうとなされているのは、水虫の薬では?」
「寝て治すのかな?」
わしも不思議に思う。
オクファントルの茎は、炎症を抑える湿布薬を作るのに使ったと思う。睡眠作用があるとは知らなかった。
『眠くならないはずだけどねぇ。水虫の薬だもん。でも、混ぜてみる?』
まあ、マシエラがそう言うなら。
「ステゴスラミンはある?」
「はい。ございましたよ」
「ありがとう」
ナタシアは小ぶりの瓶を作業台に置いた。
『少しずつ、いってみようか』
マシエラはニッコリと笑う。
なので、ちょっとドキドキしながら、わしがスポイトで1滴垂らしては、レノアがすりこぎで混ぜるを繰り返す。
緑色だったのがだんだん白く濁り、透明へ変わったところで、マシエラは頷いた。
『うん。よくなった。色はあってる』
次に、ナタシアが薬研で砕いたボラナミの実を、擂り鉢に入れる。ボラナミの実は、藍色のままゴマのような粒になり、胡椒のような匂いがした。
それをパラパラと振り掛け、じっと待つ。
「媛様、ボリンの糞はどう使うのでございますか?」
レノアが問う。出番の来ないボリンの糞が気になるのだろう。わしも気になっていた。
『それはねぇ、ヤスリで表面の光沢を削れば出てくるのよ』
マシエラは意味深に言い、わしは驚く。
この美しい乳白色の光沢を取り除くというのか。ボリンの糞が入った小瓶を手に取って眺める。
『中身を使うのですか? そのぅ、勿体なくないですか? 皮も有効利用出来ないのでしょうか』
『皮って、果物の皮じゃないんだから』
『そうですよね……』
『うーん』
何だかしょんぼりするブリジットに、マシエラは顎に指を掛けて考え始める。
「ヤスリで削って、中身を使う。光沢部分は何かに使えるかもしれないから、取っておく」
わしは答えを待つレノアにとりあえず教えた。
「まあ、削るのでございますか? 真珠も光沢の下はどうなっているのか見たことありませんから、興味深いですわ」
レノアは収納ボックスをまた漁って工具箱を探し出す。
ボラナミの実を入れた擂り鉢は、まだ何の反応もない。
わしは瓶から1センチもないボリンの糞を取り出すと、ナタシアが敷いてくれた紙の上で、レノアが出してくれた金属ヤスリを使い、乳白色の表面を削ってみる。
ボリンの糞は想像以上に堅かった。
「大丈夫でございますか?」
全員がわしの手元をハラハラと見守る。わしは、指に気をつけながら、力を入れてヤスリを押し出した。
やっと少し削れて、粉が光を発しながら舞う。
「今……」
「どうかなさいましたか?」
わしはもう1度ヤスリを使う。
やはり粉はチカチカと光っている。
「見た?」
「何をでございますか?」
皆が揃って首を傾げるので、わしも首を傾げる。
粉は光りながら空気中を漂っている。皆に見えていないのなら、魔力で光っているということか。
ならば。
わしはヤスリを置いて、トウオの魔法陣を手にする。そして、光っている粉がトウオにくっつくように振り回した。
『ロカ、何しているの?』
「ボリンの糞を削ったら、粉が魔力を帯びた」
『は?』
「糞は光っていないけど、削って出た粉には魔力がある」
『マジかー』
光っている粉は無事、トウオにくっついたようだ。トウオが魔力を吸っているのがよく見える。
わしはトウオを紙の上に置き、なるべく近いところで、ボリンの糞を削ることにした。
「媛様。糞に魔力はないけれど、糞を削って出た粉には魔力が出現するのでございますね?」
「そう。こっちは削れたところも光っていないから、魔力はないと思う」
糞のもっと中まで見てみないと、はっきり言い切れないが。
「ナタシア様。これは新しい発見ではありませんか? わたくしは、ラブリンナの雛を見たのも初めてなのですが、どなたかが論文などで発表していないか、調べてみる価値はあると思います」
「まあ、レノア。では、未発見であれば、媛様のお名前を広く知らしめることが出来るのでございますね」
ナタシアは手を合わせて目を輝かせた。
そんな大げさな。
「メーンは水虫の薬……」
「それは、年齢的にも資格的にも公には出来ませんから」
ナタシアは苦笑を浮かべる。
そういえばアシュバレンも同じことを言っていた。
「魔力が見えるのも、公には出来ない気がする」
「……そうでございました」
アシュバレンやナタシアからどこまで報告が行っているか分からないが、なるべく身内で留めておきたい。
ナタシアとレノアはがっくり項垂れた。
わしは糞に光沢がなくなるまでヤスリを掛け、下で待ち構えるトウオは、どんどん粉から魔力を奪っている。
「人工魔力源礎石はいらないかもしれない」
糞の粉は、チカチカ光るだけあって魔力が豊富なようだ。トウオは信じられないほど光り始めていた。
『え、そんなに?』
『とっても綺麗なんですもの。皮にも力があったんですね』
『皮じゃなくて、殻なんだけど……』
削り取った光沢部分にも使い道があってよかった。
『えっとね、殻が薄くなってきたから、そろそろだよ。ちょうど、こっちも泡が出てきた。ロカ、糞を乳鉢に入れて、叩くように潰してみて。指につかないように気をつけてね』
マシエラはボリンの糞と、擂り鉢を交互に見て言う。
わしは言われたとおり、光沢がなくなって灰色になったボリンの糞を乳鉢に放り込み、乳棒でコツコツと叩いた。
糞は簡単に割れた。
「……糞?」
どろりと流れ出たそれは、糞としか言いようがない形状をしていた。
中心が黒く、周りが白い。
庭の煉瓦道に落ちている、鳥の糞そのままである。
「あらまあ」
「糞でございます、ね」
『なんてこと』
皆が目を瞠る中、マシエラだけがケタケタと笑い声を上げる。
糞は糞だったのか。
『匂いはあんまりしないけど、強力な酸だから、指とかにつかないように、こっちの擂り鉢に入れてくれる? あ、殻はいらないから』
わしは乳棒で殻を押さえながら、乳鉢を傾けて、糞を擂り鉢に流し込んだ。
ボラナミの砕いた実が溶けて藍色に染まったゼリー状の物に、鳥の糞が入って、何とも気持ちが悪い。
これを足に塗るのか。
『じゃあ、混ぜて混ぜて』
仕方がない。
わしはすりこぎを握って、グチュグチュとそれを混ぜる。
「媛様、大丈夫なのでございますか?」
言われたのは何度目だろう。
マシエラが自信満々なのだから大丈夫に決まっている。
白っぽい紫色になったところで、マシエラが止めた。
『じゃあ、仕上げにハッカ油をどばっと入れちゃって。この瓶、全部』
ハッカ油は、500ミリリットルサイズの瓶に入っている。
なみなみと入っていたそれを1滴も残さず擂り鉢に移し、こぼさないように混ぜれば、少しトロッとする薄い白紫色の液体になった。
『これで完成』
糞が原料とは思えない。ハッカ湯の爽やかな匂いに、皆が騙されるだろうと思った。
「誰かで実験してみよう」
『クスクス、人体実験だね。楽しみ』