第38話 青い蝶の予感
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと20
カードを4枚書いて、ぷっくりシールを貼れば、そのぷっくりシールの数がずいぶん減ったことに気づく。
「これは嬉しいことだ」
またカタログで注文しなければ。
……予算は足りているのだろうか。贅沢な品を買っているつもりはないが、ナタシアはわしにカネを掛けている。
「媛様。贈り物はすべて包み終えましたわ。残りの動物達は、どこに飾りましょう?」
「ありがとう。カードも書けた。動物達はサイドチェストの、フォトフレームの隣がいいと思う」
「では、そういたしましょう。御自分で並べられますか?」
「そうする」
わしは勉強机を離れ、ベッドのそばまで行く。
サイドチェストは、この部屋の家具の中で唯一の年代物だ。桐製で2列の引き出しが3段、引き出しの表面は赤青黄の色が淡く塗られ、天板には水色のタイルが貼ってある。
「ウサギ、タヌキ、クマ、トラ、ライオン、パンダ、ゾウ、ペンギン」
レノアがガラスの動物を1つずつ渡してくれる。
「ゾウが可愛い」
それらを兄ルノシャイズにもらったフォトフレームの隣に並べていく。
『楽器シリーズや、果物シリーズも可愛いんですよ』
ブリジットがニコニコと言うので、小冊子を開いてみる。確かに楽器や果物も可愛らしかった。しかし、自動車や飛行船の乗り物シリーズのほうが欲しいかもしれない。
「お値段も1個300セーロとお手頃ですし、コレクションする人はとても多いようでございます。媛様も集めてごらんになりますか?」
「それも楽しそうかも」
わしとしては、集めるならタンタリィア村のガラスの置物、つまり本物がよいのだが、それは自力で金儲けが出来るようになってからだろうか。
「媛様。瓶とエタノールを御用意いたしました」
ナタシアが戻ってきて、茶色の小瓶と、無水エタノールが入った容器をテーブルに置いた。
「ありがとう、ナタシア」
わしはテーブルに着いて、さっそく香水を作ることにする。
手間はまったく掛からない。高さ5センチほどの茶色の小瓶に、薔薇の花びらをぎゅうぎゅうに詰め込み、無水エタノールを少なめに注いで、コルクで栓をして終わりだ。
「明日、これにフューレとペラントの花を加えて、アシュバレン叔父様にいただいた人工魔力源礎石を1つ入れれば、10日ほどで出来ると思う」
動くぬいぐるみの可愛いミミちゃんと一緒に贈られた道具セットの中に、人工魔力源礎石がなければ思いつかなかったかもしれない。
昔は蒸留酒に指を突っ込んで魔力を溶かしていたのだ。
「魔力が香りを調和するのでございますか?」
「たぶん、そうなる」
わしが知っているはずはないので、断言はしないでおく。
「楽しみでございますね」
『本当に楽しみですわぁ』
上手く仕上がれば、ナタシアとレノアの分も作ってあげようと思う。
昼食はオムライスとリンゴだった。
『それはなに?』
マシエラが地下から戻ってきて、涎を垂らしそうな勢いで飛びつく。
『オムライスというのですわ。ふわとろも美味しいのですけれど、薄焼きも美味しいのですよ』
ブリジットが代わりに答えてくれる。
わしは玉子は薄焼き派だ。
「でも今日は、ふわとろ」
玉子の黄色が眩しく、ケチャップの赤が美しい。
スプーンを入れると玉子は柔らかく、トマトごはんが顔を覗かせた。
『うーっ』
食べたそうに、うずうずと体を揺するマシエラ。
わしは笑ってスプーンにトマトごはんと、ふわっとした玉子を載せ、マシエラの口に運ぶ。
「どう?」
料理人が変な味にしていなければよいのだが。
『うまぁ……』
マシエラは頬を押さえ、うっとりと目を細めた。
何よりである。
わしも食べる。トマトごはんは、こってりケチャップごはんの時もあるが、わしはどちらも好きだ。トマトごはんには、鶏肉とニンジンとタマネギとピーマンが入っている。
『もう1口』
マシエラは大きく口を開く。
玉子多めでスプーンにすくうと、マシエラは本当に美味しそうに食べた。
ナタシアは部屋におらず、レノアは衣装部屋で衣服の整理をしている。もっと食べさせてあげようとスプーンを持って行くと、マシエラは首を横に振る。
『いつもいっぱい食べておいて何だけど、ロカが食べないと大きくなれないし、お腹空いちゃうからね』
「量があるから、シーラが食べてくれるとちょうどいいよ? わたくしはシーラと一緒に食べるのが楽しい」
ナタシアとレノアは、わしが不味い物を食べても澄ました表情でいるが、マシエラとは共感し合えるのだ。
『うん、ありがと。だけど、あたしはつい食べ過ぎちゃうから、2口で我慢する。あたしはお腹空かないし、魔力もじゅうぶんあるから』
マシエラは笑って自分のお腹をバシバシと叩いた。
だが、わしはマシエラに美味しい物をたくさん食べてもらいたいのだ。
『これからいくらでも食べる機会はありますわ』
ブリジットが励ますように言ってくれて、わしは気を取り直す。
オムライスを食べ終え、デザートのリンゴを食べていると、ナタシアが慌てた様子で部屋に戻ってくる。
「媛様……」
ナタシアの表情は困惑していた。
リンゴも美味しく、今日は昼食も百点である。
「廊下でアシュバレン殿下のメイドに会ったのですが、媛様宛の大荷物を従僕に運ばせておりまして……」
「大荷物?」
「はい。作業台と、諸々の道具や材料などを入れた収納ボックスらしいのですが、作業台が、あのソファーよりも大きいのです」
ナタシアは部屋の真ん中を占領するクリーム色の、大きなコーナーソファーに目を向けた。
「どういうこと?」
「お手紙を預かってまいりましたので、お食事中に申し訳ありませんが、先にお読みになって下さいませ」
ナタシアもわけが分からないのだろう。封筒をわしに渡す。
わしはフォークを置いて、手紙を開く。
手紙には、〝可愛いミミちゃん〟を動かすことに成功したのなら、次の段階に進むべきだ。アヒルの池でわしが語った水虫の薬と、育毛剤、化粧水の研究を応援する。メオルン領へは持っていかない自分の実験創作道具一式を譲るので、魔法グッズの修復や制作も楽しめるだろうと書いてあった。
「見返りが怖い気もする」
実際欲しい物であるし、もらえる物はもらうが、アシュバレンがただの親切でくれるはずがない。
わしは手紙をナタシアに渡し、リンゴをシャクシャクとかじる。
「婚姻などで宮殿をお出になる場合、お部屋の物を御弟妹に譲られることはよくございますから、不思議ではありませんが。アシュバレン殿下は、媛様に期待されておられるのでございますね」
「水虫の薬を?」
「まあ、媛様」
面白かったらしい。ナタシアはホホホと笑う。
リンゴを食べ終えると、ナタシアとレノアは素早くテーブルを片付け、わしはアシュバレン付きのメイドを部屋に迎えた。
「目録でございます。アシュバレン殿下が作られたおもちゃの設計や資料、専門書などもお持ちいたしました」
アシュバレン付きのメイド、エルザがわしに数枚の用紙を渡した。
目録を作らなければならないほどあるのか。
「作業台を置くには、家具の位置を少し変えなければなりませんね」
部屋を見回して考えていたナタシアが溜め息を吐く。部屋のインテリアやレイアウトは、ナタシアのこだわりで出来ている。
それからは、庭で遊び回ったわしが言うのも何だが、警戒態勢はどうしたというぐらいの騒ぎになった。
グレーのスーツを着た従僕が数人がかりでソファーを動かし、重そうなステンレス製の作業台と入れ替えたり、ナタシアとレノア、アシュバレン付きのメイドであるエルザも加わって、12個の収納ボックスを作業台の下に押し込んだりしていく。
その後、書棚が運ばれ、薬品棚が運ばれ、段ボール箱が山のように積まれて、わしは唖然とする。
『引っ越しでもするの?』
マシエラも口をポカンと開けて眺めた。
「アシュバレン殿下は、アヒルの池の代わりにと仰せでございます」
ナタシアが書棚はあっちへ、薬品棚はこっちへと従僕に指示を出す中、エルザが答える。
アヒルの池は断ったのだから、代わりは必要ない。実験や、魔法グッズ製作で遊べるのは楽しいだろうが、やはりこれはどう考えてももらい過ぎだ。
「アシュバレン叔父様に、どうお礼を返せばいいのか……叔父様は他に何かおっしゃっていなかった?」
わしは尋ねる。
「……これを直接お渡しするように、そしてお返事をいただいてくるように言いつかっております」
エルザが声を潜めながら、誰にも見られないように小さく折り畳まれた紙を渡してきた。
紙を広げると、色鮮やかな青い蝶の絵が目に飛び込んでくる。色鉛筆で細部まできっちりと描かれたチョウチョは見覚えがあった。地下の小部屋で見たものと同じだ。
青い蝶と共に記された文章を読む。これはよく分からなかった。
〝君なら見えるはずだよ。わたしには興味のなかったものの中に、真実が紛れ込んでいるかもしれない。いつかその時がきたら、君にも助けて欲しい。わたしも君を全力で支援しよう。君が惑い、囚われたりしないように。環境調和大臣のゲンダルは水虫、魔法科学大臣のエルネストは薄毛に悩んでいるようだよ〟
どう返事しろというのか。
青い蝶の部屋へ行けと言われているのは分かる。あの部屋は壁に青い蝶が描かれている他、何もないのだ。たぶん仕掛けが隠されているのだろう。わしの部屋は、前はアシュバレンが使っていたらしい。ルノシャイズが二人でよく地下室へ行って遊んだと言っていたので、わし以上に詳しいはずだ。
真実とは何の真実だ。いつかその時とは、どういう時で、アシュバレンはどうしてわしの助けがいるのか。わしを支援してくれるのはありがたいが、その分面倒事も増えそうだ。そして、わしが何に惑い、何に囚われるというのか。
「ペンを」
わしはエルザから万年筆を借りると、〝ドゥナルスキー家の悩みは?〟とだけ、青い蝶の上に書く。ドゥナルスキー家は、姉ヘカテリーナを連れて行った7大貴族である。
ヘカテリーナは手の届かない所へ行ってしまった。アシュバレンの欲しい返事が何かは分からないが、わしはヘカテリーナの情報が欲しい。
わしは紙を折り畳み、万年筆と一緒にメイドへ返した。
「薬品があんなにたくさん」
重厚な木枠に、モザイク模様の化粧ガラスが嵌められた、落ち着いた雰囲気の薬品棚に、ナタシアが茶色の瓶を並べている。
「アシュバレン殿下のお母様の御実家は、製薬会社をお持ちでございます。前皇妃様は、アシュバレン殿下に研究職に就いて欲しいらしく、いろいろ送ってこられるのですが、アシュバレン殿下の興味は他にございまして……」
「変な猫のぬいぐるみ?」
「手袋や靴下なども人気でございます」
エルザはにこやかに言い、まだまだある段ボール箱を開けに掛かった。
段ボール箱の中から取り出されたファイルと書籍の山は、新たに運び込まれた書棚に収まるようだ。
その書棚もまた立派だった。この部屋にある書棚の3倍は大きい。
「難しそうな本」
わしは本を1冊手に取る。アシュバレンは1度も開かなかったのではないか。年月は経っていそうなのに、手に触れる紙の感触は新品だった。
文字を読むことには問題がなくても、800年先の進んだ数式や理論は1から学ばなければならない。中を見ても、当然ながら理解出来なかった。
「先ずはこちらから。初等学校の教科書でございます」
エルザが笑って、わしの前に薄っぺらい本を積む。
「楽しい理科、1年生……」
こちらはちゃんと読んだ形跡があった。アシュバレンもこれで勉強したのだろうか。わしはしゃがみ込んで教科書をパラパラと捲り、ああここはまだ理解出来ると少しホッとする。
「ロナチェスカ皇女殿下は、何に興味がおありなのですか?」
教科書と睨めっこするわしを、微笑ましげに見てエルザが問う。
「今は、ボリンの糞かな」
「糞でございますか?」
「そう。ボリンというのは、あの子」
ボリンはこんなに騒々しくしても、微動だにせず。
わしが指差したボリンに目をやったエルザは、不思議そうな顔をする。
「ラブリンナという鳥の雛なの」
「鳥でございましたか」
エルザの言いようにわしは笑う。知らなければ、誰もボリンを鳥の雛とは思わないだろう。
『これだけ道具と材料があれば、水虫の薬も出来そうだよ』
薬品棚を覗いていたマシエラが満足そうに言いにくる。
『蒸留器がありましたから、精油も作れますわ。ロカ様の香水作りにも役立ちますし、石鹸や、化粧水にも。わたしは化粧水は自分で作っていましたから、少しはお手伝い出来ると思うのですけれど……』
ブリジットも嬉しそうに言う。幽霊になっても、女性は女性なのだ。
部屋が何とか片付き、わしは書いたばかりのアシュバレン宛のカードを破って、代わりに礼状をしたため、レノアに包んでもらったガラスのアヒルに添えて、エルザに渡した。
「お預かりいたします」
「叔父様には、元気を出して下さいと」
「お伝えいたします」
読んで下さって、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。




