第36話 鮮やかな黄緑の葉っぱ
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと18
朝食はサンドイッチと、サラダと、トマトジュースだった。
「本日の謁見の儀は、取り止めになりました。警備態勢に不安が残るとのことで、皇家の方々、皇妃様方は外出禁止、お部屋を出ることも控えていただくようお達しがありました。それから、特務捜査課とセラピストが媛様にお話しを伺いにまいります」
鶏ささみとレタスのサンドイッチを手に取って食べ始めると、ナタシアがそう報告した。
つまり、今日1日、勉強三昧になるらしい。
「捜査官とセラピスト?」
「媛様だけでなく、皆様とお話しするようでございますから、有り体に申し上げれば、ヘカテリーナ皇女殿下のように、闇を抱えている方がおられないか探る為でございましょう」
「……」
ナタシア、それは直球過ぎるのでは。
レノアがプッと笑う。
「わたくしは客観的に見て、引っかかりそう?」
反逆行為はしていない。アシュバレンに少々関わっただけである。だが、突飛な真相に近づいてもいる。ダイヤモンドも猫ばばした。
「大丈夫でございますよ。媛様に闇部分はございませんわ」
「そう?」
「はい。媛様は健康に、たくましくお育ちでございます」
ナタシアはわしの食欲を見て、気楽に答えた。
確かにサンドイッチは美味しい。
酢と胡椒が利いたピリリと甘めの味付けで、いくらでも食べられそうだ。3切れしかないが。
「それなら、今日は少しでも清楚に見える服を着る」
「そのように準備いたしますわ」
ナタシアとレノアは笑いながら、衣装部屋へと行く。
『健康で、たくましくだって。何よりだけど、皇女様の例え方じゃないよね』
マシエラは勝手に自分でサンドイッチを手に取って、モグモグと口を動かした。
『健康でたくましくの中に、慈悲深く、寛大で、賢明な方というのが含まれるのですわ』
『そうなの?』
『そうなのです』
ブリジットは大げさに賞賛してくれるが、中身のことだけだった。
『で、セラピストって何?』
マシエラは首を傾げた。
「嘘を見抜く人だよと、ルイズお兄様はおっしゃっていた」
わしにもよく分からない。カウンセラーとどう違うのかも。
『心身の苦しみを楽にしてくれる人ですわ』
「楽に?」
『一般的には。動物セラピーとか、アロマセラピーとか、森林セラピーとかもあるみたいです。ストレスの軽減ですね』
ブリジットは現代の幽霊だけあってよく知っている。
『ストレスの軽減ねぇ。動物とか森林でどう癒されるのよ。動物は食料だし、森林はエルフの巣窟じゃん』
マシエラらしい物言いに、わしは笑う。
「ボリンは可愛い。見ているだけでほんわかする」
『ああ……そうね、クスクス、ただの丸っこい毛玉にしか見えないけど。でも捜査官と一緒に来るセラピストは、そういうんじゃないんでしょ? 胡散臭いのが来そう』
それは仕方がない。
育成統括官は皇子皇女の教育の仕方を考えなければならないのだろう。
「トマトジュース、飲む?」
『いい。でも、サラダの小さいトマトは欲しい』
わしはマシエラの口にミニトマトを放り込む。たっぷりのサラダも、トマトジュースも普通だった。
普通で嬉しいが、何か変だ。
「料理人が変わった気がする。サンドイッチのパンの切り口、サラダに掛かっているドレッシング、この葉っぱは今まで出たことがない」
わしはその鮮やかな黄緑をフォークに刺す。
『モン・ソトツに似ている。胃腸の働きを整える効果がある……うん、味もモン・ソトツね』
マシエラはそれをパクリと食べて言った。
「昼食は、朝に胃腸の働きを整えるハーブを食べる必要があるメニューということ?」
『昨日のストレスを和らげる気配りかもよ』
「なるほど」
ならば、ありがたく食べよう。
「媛様。机の上には、アシュバレン殿下宛のカードしかありませんが」
レノアがカードだけを持って来る。
「あ。昨夜、ルイズお兄様が来て下さったので直接渡したの」
「ルノシャイズ皇子殿下がでございますか?」
「心配したとおっしゃって」
「よいお兄様でございますね」
レノアはわしの肩に遠慮がちに手を置いて微笑んだ。
「オーエン3佐がどうしているか分かる?」
「いいえ。オーエン3佐のことはメイドの間でも人気なので、いろいろ噂は飛び交っていますが」
「人気なの?」
「それは、もう」
レノアは力強く頷いた。
そんなにか。
『魔力が強く、男前だもん』
マシエラもか。
「アシュバレン殿下付きのメイドに渡してまいります」
「お願い」
レノアはカードを持って部屋を出て行く。
『青い焔眼は、クビになる?』
「降格か左遷か」
『勿体ないですわ。せっかくの目の保養ですのに』
ブリジットまで。
『青い焔眼を味方に出来れば、ロカの為になると思うからよ。どうしても生きている護衛が必要だもの。強くて戦い方を知っていて、誠実な。ブリジットが拾ってきたダイヤで、彼を雇えば?』
「雇うなら、報酬の出処をナタシアに説明出来なければ。それに、オーエン3佐の意思が大事。降格か左遷でも、それを受け入れるかもしれないし、アシュバレン叔父様なら彼を雇える。さらに、富豪や重要人物のボディーガードとしても高給取りになれる。オーエン3佐を個人的に雇うなら、わたくし自身が魅力的になることと、堂々としたお金儲けが先」
物事はなるべく正しくあることをわしは望む。
『魅力的にかぁ……ボン、キュッ、ボン?』
「……努力で何とかなることを言って欲しい」
こればかりは成長してみないと分からないからだ。
『ロカ様はそのままでじゅうぶん魅力的ですわ。オーエン3佐の弱みを探りましょうか?』
「ありがとう。ブリジットには、シーラと一緒にケスレイの墓に繋がる井戸を探して欲しいの。井戸に落とされた人の幽霊が、願いを叶えてもらったのかどうかも知りたい」
これは探検の下調べである。
『分かりましたわ』
『洗濯係の子を探すわ』
二人は意気込む。
「媛様。お着替えを」
「はい」
今日の朝食は百点である。
ナタシアが選んだ衣服は襟の大きな白のブラウスと、紺色のワンピースだった。前髪を横髪とまとめてヘアゴムで括れば、大人しそうな皇女様の出来上がりだ。
後ろめたいことはない。皇家にも国にも他意はない。
だが、部屋を訪れたセラピストは、人を怒らせる天才ではないかというほど感じが悪かった。
「皇女殿下はお母上のローランゼ妃様とあまり上手くいっていないようですが、原因は何だと思いますか?」
「あなたは御家族と仲が良いのですか? コツを教えて下さい。両親と兄弟姉妹、仲良く遊べる方法があるなら」
わしはニッコリと笑ってみせる。
テーブルには双六が広げられていた。セラピストのギャレット・デイトンが持ち込んだ物で、フランツ・ハイソルド特別捜査官と、わしの3人でサイコロを振っては、プラスチックの人形を進めている。
「答えになっていません。約束ですよ。赤のマス目に止まれば質問、そして答えると」
「……わたくしがお母様に馴染めないからです。状況的に、わたくしはザラヴェスクお兄様の駒ですが、わたくしは結婚相手を勝手に決められたくないのです。会えば、お母様はその話しばかりですから」
「なるほど。それは確かに憂鬱ですね」
デイトンとハイソルド特別捜査官が赤のマス目に止まる度に、わしは質問攻めにあうのだ。とても、うんざりである。
次はわしがサイコロを振る番だ。2が出て、飴を1個もらうのマス目に止まる。
「はい。どれがいいですか? イチゴ? オレンジ?」
「ミント」
デイトンは籠から飴を1つ取ってわしにくれる。これで飴は4つだ。
「全部ミント?」
「ミントだけたくさんある」
籠の中は半分以上が水色の包み紙である。人気だからか、不人気だからか分からないが。
「イチゴやオレンジは欲しくありませんか?」
「1種類だけ、もしくはバランス良くというのがわたくしは好きです」
「ふむ。その趣向は、メルーソ民族の長所であり、短所でもある。本当はどの飴がお好きですか?」
「葡萄味」
「……なかなか手強いですね」
デイトンは苦笑する。籠の中に葡萄味がないのは承知である。
「では、次はわたしの番です」
ハイソルド特別捜査官が苦笑を浮かべてサイコロを振った。6が出て、赤いマス目に人形が止まる。
「今1番なさりたいこと、興味を持っていることは何ですか?」
「宮殿の探検と、友達」
「宮殿の探検は出来ますよ。友達は……」
「ナタシアが募集出来るか聞いてみると言ってくれたので、楽しみにしているところです」
育成統括官が許可を出してくれるとよいのだが。
「それはいいですね。お友達と宮殿の探検ですか。宮殿は広いですから、探検のしがいがありますよ」
ハイソルド特別捜査官は微笑ましそうに言う。
「さて、わたしですね」
デイトンがサイコロを転がす。
1が出てマス目は空白、次のわしはまた2が出て赤いマス目に止まった。
『お、ロカが聞く番。何聞くの? 年収も聞いたし、誕生日も聞いたし、好きな食べ物も聞いたし、次はどっちに聞く?』
マシエラは双六に興味津々である。
『井戸の場所を聞いてみてはどうですか? 宮殿の捜査官なら井戸の数や場所もよく知っていると思うんです』
ブリジットが提案する。
それはよい考えだ。
「特別捜査官は、宮殿で起きた事件を捜査するのでしょう?」
「そうですよ」
「なら、宮殿の隅々まで御存知ですね? 例えば井戸の数や場所とかも?」
「井戸ですか?」
「井戸の底がどうなっているのか見てみたいのです。〝ネズミくんのだいぼうけん〟のネズミくんが猫に追い掛けられて井戸に隠れるのです。わたくしも隠れてみたいです」
好都合なことに今読んでいる絵本は、そういう物語なのである。
「そうなのですか? 宮殿に井戸はたくさんあります。ほとんど使われていませんが。数は、そうですねぇ、50以上はありますか」
「50以上……」
わしは唖然とする。宮殿は広い。蛇口を開けば水が出る今と違って、昔は井戸が要だった。その数は当然ともいえる。しかし、1つずつ探検するには多すぎる。
「水路ではどうですか? ネズミくんは水路も走り回ったと思いますよ。井戸は危険ですし」
ハイソルド特別捜査官は笑いを堪えて言う。
「水路も探検したいですが、井戸も見たいのです」
「そうですか。では、井戸の正確な場所を記した地図を用意しましょうか?」
「ホント?」
飛びつくように声を弾ませたわしに、ハイソルド特別捜査官はとうとう笑い出した。笑われてもよい。地図が手に入れば、マシエラ達も問題の井戸を探しやすいはず。
次はハイソルド特別捜査官がサイコロを振る番である。4が出て、空白に駒を進めた。彼は次に3以上を出せば上がりである。
「残りも僅かです。最後にわたしの質問に答えて下されば、双六はここで終了、飴も全て皇女殿下に差し上げます」
次はデイトンの番だ。デイトンが赤のマス目に止まるチャンスは上手くいけばあと2回ある。悪くない取引である。
「わたくしは最後までしたいです。飴はこれだけでじゅうぶん」
「分かりました」
デイトンはサイコロを振った。4が出て、赤のマス目に人形が置かれる。
「何を聞きましょうか」
「1番知りたいことを」
せっかく来てくれたのだ。気に食わない人物だが、納得して帰ってもらいたい。
「……御自身が皇女であることを、どう思われますか?」
「どう? 生まれは選べませんから、しょうがないと思いますけど」
「しょうがないですか? もっと自由でありたいと本当は思っていらっしゃる」
「皇家にはある程度の枷が必要だと分かっています。そうでなければ、皇家の人間が大人しく管理されているわけがないでしょう? 何千年も」
わしは今更何をと、飴の包みを開けて、中身を口に入れる。爽やかなミント味は、歯磨き粉の味である。
「ルノシャイズ皇子殿下と、ザラヴェスク皇子殿下が同じことをおっしゃっておられました。皇家の方々、共通の認識ですか?」
デイトンは少し目を瞠って言う。
「認識というより、本能だと思います。魔力を……」
「魔力?」
「いいえ、何でも」
わしは口を噤む。皇家でも魔力を持たない者のほうが、より本能が強く出る、気がするのだ。
「わたくしの番です」
わしはサイコロを振る。3が出て人形を進めると、また飴を1個もらうのマス目に止まった。
「ミントですか?」
「ミントにします」
その後、ハイソルド特別捜査官が5を出して上がり、デイトンも何もないところに止まり、わしは6を出してゴールしたのだった。




