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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
35/43

   第35話  ブリジットの報告

子供編

4才のわし、少しずつ変化する日常   ぱーと17

 フォルカ聖暦1817年、4月26日。

 朝6時。

「ひゃっ」

『皇女様。ただいま戻りましたわ』

 目を開けると、ブリジットの顔がどアップで飛び込んでくる。

「お、おかえり」

『あ、おかえりー。遅かったね』

 わしと、わしの足元で猫のように丸まって寝ていたマシエラは、むくっと起きてブリジットを見る。

 ブリジットは灰色の眼をキラキラさせて、幽霊なのに、熱気が伝わってくるほど元気いっぱいだった。


『これ、お土産ですわ』

 ブリジットはベッドの上に黒の革袋を置いた。

『気合いを入れたら、わたしでも持てましたの。ダイヤモンドのようですわ』

「ダイヤ?」

 わしは革の巾着袋の紐をほどく。ジャラと鳴って色とりどりのダイヤモンドが顔を覗かせた。

『お宝だ、お宝だ』

「どうしたのこれ?」

 わしはひときわ存在感を放つオレンジ色のダイヤモンドを指で摘み上げる。本物だろうか。今は人工ものもあると聞く。

『あ、それ、地底人が加工したやつだ』

 マシエラが言う。

「え、地底人が?」

『ダイヤの色の濃いのは、地底人がギュノとかいう砂と混ぜて、捏ねくりまわして作ったものだよ』

 捏ねくりまわす? 世界で3番目に硬いダイヤモンドを?


『わたしには縁のないものでしたけれど、美しいアクセサリーは地底人様々ですねぇ』

 ブリジットもニコニコと言う。どうやら常識のようだ。

『ロカはアクセサリーをするなら、濃い色のほうが似合うかなぁ。赤より青……これとか、ピアスにするといいんじゃない?』

 マシエラは巾着袋の中から深い青色のダイヤモンドを取り出して、わしの眉に持っていく。

「眉? 眉なの?」

『眉を縦断するように穴をあけるんだよ。星型にすると可愛くない?』

「ダメダメ、可愛くないから。耳にしよう。耳ならあけてもいい」

 マシエラは本気だった。わしは慌てて首を横に振る。


『えー、つまんない。普通じゃん』

「普通でいい。だいたい、ブリジット、どこで拾ってきたの?」

 出処の分からないダイヤモンドを、私物化してはいけないのだ。


『アーカンシアの橋ですわ。わたし、見てきました。お止めになってと言いながら喜んでいる皇妃様。あなたの為なら全てを捨ててもいいと言う自己陶酔する男達のくだらない決闘。ひょろひょろの火の玉があたって燃え上がった邸。土と火の魔法を同時に使って、建物を破壊するヘカテリーナ皇女様。アーカンシアの橋で取引する陰謀ありげな3者。古めかしいお城で、大勢の人に傅かれるヘカテリーナ皇女様と、ヒゲの老人。これで皇女様の理解者となる幼なじみの少年がいれば、1600年代の古典映画みたいでした』


 ブリジットは興奮して一気に語る。ブリジットなりに要約したのだろうが、わしにはさっぱりだ。それとダイヤモンドがどう関係してくるのか。

『ケスレイの亡霊が、ヘカテリーナ皇女に取り憑いたらしいって噂と関係ある?』

 マシエラが身を乗り出して聞く。

「どういうこと?」

『夜中にちょっと聞き回ってみた。凄いよ。ケスレイの墓が宮殿のどこかにあって、ルグレイを呪う声を聞いたとか聞かないとか』

「ケスレイ? なぜケスレイ?」

 わしは、知ってはいるが口にしたことも、これまで聞くこともなかった竜族の名に戸惑う。


『竜族のケスレイ様は、実は皇家の祖先でいらっしゃると、ヒゲのおじいさんが』

 ブリジットが言う。

 変な話しになってきた。

「皇家の祖先はルグレイのはず。ケスレイは竜族のお1人に過ぎないのだけれど、本当は違うの?」

 まさか、そんなはず。

 5千年も前、遡ること167代も前のことだ。確かめようもないが、祖先はルグレイだと伝わっている。今更違うとなれば、びっくりだ。


『えー、ルグレイでしょ? あたしの時は、建国記念日といえばルグレイだったもん……星の煌めきのような瞳は、何を見ているのだろう。雲を吹き飛ばす、荒ぶる風を、鎮めるには祈りだけでは足りず、大地を赤く染めるほどの血を捧げた。夜空を見上げる、小さな花を、潰さないようにそっと抱きしめる。生命を哀れに思ってはくれないのか……』

 マシエラは声低く歌い出す。

 わしもヘンドリックであった頃は、建国記念日に必ず歌ったものだ。


 嘆きを聞き届けて降り立ったあなたは、地上に吹き荒れる嵐を、灼熱の翼を羽ばたかせて収めてくれた。しおれゆく花の赤く染まった大地は、空を映す光の鱗を爪で剥げば、その痛みの涙で新しい生命を芽吹かせる。

 と続くのだが、灼熱の翼と、光の鱗は竜族ルグレイの固有のものである。ケスレイであれば別のものになっていたはずだ。


『いいお声ですねぇ……初めて聞きました。昔の建国記念日の歌ですか?』

 ブリジットがマシエラの歌にうっとりとなりながら尋ねた。

『え、初めて?』

「初めて? そういえば……」

 ロナチェスカとして体験した建国記念日では、耳慣れない国歌を宮廷楽士と宮廷合唱団が演奏し歌っていたが、ルグレイの歌は聞かなかった気がする。国歌は3族全てを讃える歌詞で、これを覚えるだけで3族への隷属と奉仕になるのではないかというほどの、名前の羅列だった。


『ルグレイの歌って、廃れちゃっているの?』

『廃れたのかどうかは分かりませんが、わたしは歌ったことがありません。竜族を讃える歌なら文化祭などで歌いますが……』

 ブリジットは首を傾げながら答えた。

 800年前にはまだ歌っていたが、ブリジットが知らないなら、現代では廃れているのだろう。


「ブリジットは皇家の祖先のこと、どう教えられているの?」

 ヘンドリックであった頃、皇家では、ルグレイが初代皇帝エンフェルト・メルーソの父だと教えられ、教えていた。だが、学生の教科書では、竜族のルグレイがアンソラータとエンフェルトに助力してとだけ記されていたはずだ。

『学校では習いません。竜族の助力を得たエンフェルト・メルーソ様が幾多の困難を乗り越えて大陸を平定したと。ただ、竜族の信仰者が、皇家は竜族の血を引くと言っているのを噂のような形で耳にしたことはあります。わたし達は、何となくああそうなんだと思うぐらいで。あの、では、ケスレイ様は間違いなんですか?』


「わたくしの記憶では。ケスレイは、竜族の序列では下っ端なの。覚えなければならない名として、かろうじて引っかかるぐらい。ルグレイも中位で、荒れ狂う風を静めて大地に平穏をもたらしてくれたメルーソの英雄でなければ、像も作られていないと思う」

『そうだよねぇ。ミルレイ、マオレイ、メルレイ……ルグレイは30番目だっけ? ケスレイは50番代だったかな』

 わしとマシエラは答え合わせをするように、顔を見合わせる。

 何が正解か、よく分からなくなってきたが、マシエラの時代とヘンドリックの時代で、認識に大した差はないようだ。


『序列というと、竜族の方々に順位があるのですか?』

「……ある。竜族は74名いる。神族の、フォルカの神々だけで92名もいることに比べたら少ないけれど。その代わり、1位から74位まで順番がきっちり決まっていて、間違えて覚えると失礼になるの。まさかそれも」

 今の時代には伝わっていないというのか。

『えぇと、3族の名は初等学校で習います。教室の壁には名簿のように貼ってありました。ですが、竜族の名はケスレイ、ミルレイ、マオレイ、メルレイ……ルグレイの10名しか覚えていませんわ』

 ブリジットは指折り挙げていくが、竜族の9位と10位を外してなぜかケスレイとルグレイを入れる。

 メルーソにおいてルグレイはともかく、ケスレイはいつの間にのし上がったのだ。


「ケスレイの墓があるという話しはどこから?」

 宮殿にそんなものがあるなど聞いたことがない。

『なんかね、井戸に落とされて死んじゃった洗濯係の女の子がいたらしいの。井戸の底に横穴があって、そこを進むと迷路になっているんだけど、5つあった分かれ道の左端を行くと地底に大きな穴が空いていて、そこからルグレイを呪う声が聞こえたんだって。皇女を連れてくれば何でも願いを叶えてやろうと言われて、その子は1番近くにいたヘカテリーナ皇女の体を乗っ取ってそこに連れて行ったそうだよ』

「お姉様を?」

 ゾッとしない話しである。


『恨み辛みが強い、執念の塊みたいな子なんだって。だから出来ることかもね。普通はしない。魔力が減るから』

 とマシエラは笑う。

『皇女様にはシーラ様やわたしがおりますから、安心なさって下さいね。他の幽霊には指1本触れさせませんわ』

 ブリジットが頼もしい気がする。

「……お姉様はそれで?」

『我が名はケスレイ。今こそルグレイを倒し、清浄なる世界を取り戻すのだあぁぁぁ……』

 マシエラはベッドの上で立ち上がると、腰に両手を当てて叫んだ。


「シーラ?」

『だから、こんなふうになっちゃったんだって。洗濯係の女の子が面白がって、あちこちで触れ回っているらしいよ』

「お、お姉様が?」

 何ということだ。ヘカテリーナがそんな珍妙なものになったというのか。

 これが本当なら一大事である。しかし、相談しようにもきっと誰にも信じてもらえない。


「ブリジット、ヘカテリーナお姉様はどんな御様子だった?」


『ええっと、オドロオドロしておりましたわ。時折変な言葉をブツブツと呟いて、土と火の魔法で地面を吹き飛ばしたり、小屋を燃やしたり……でも、ヘカテリーナ皇女様は黒い眼でした。それから、何もないところで、こう、ファスナーを下げるように指を動かして、空間を開いたんです。ヘカテリーナ皇女様と男達が次々にその開いた空間に飛び込んで行ったので、わたしも続きました。そうしたら、一瞬の先は、アーカンシアの橋の上だったんです』

 わしとマシエラは黙り込む。

 それはたぶん魔法では出来ないことだ。そもそもヘカテリーナは魔力を持たない。竜族の力が開花したか、マシエラの聞き込みのとおり、ヘカテリーナに竜族ケスレイの亡霊が取り憑きでもしない限り。


『アーカンシアの橋では、ヒゲの老人が待っていました。宮殿で暴れた男達と取引があったみたいで。でも、男達は仲間割れしていたようです。1人がヘカテリーナ皇女様の名前を懸命に呼んでいましたから。ヒゲの老人は、お供の人達に指図して、キャリーケースとこの巾着袋を男達に渡しました。キャリーケースには現金がぎっしりでした』

「お姉様はヒゲの老人について行ったの? 嫌々ではなかった?」

『はい。ヒゲの老人より偉そうでしたわ』

「……」

 ヘカテリーナは何がしたいのだろう。結局ヒゲの老人が目的だったのだろうか。ヘカテリーナというより、取り憑いたケスレイ……か?


『ヒゲの老人と、ヘカテリーナ皇女様の乗った自動車は、ゼリエ通りの大きなお城に行きました。そのお城はドゥナルスキー家の所有です。都内では有名ですから、間違いありませんわ』

 ブリジットが自信満々に告げた家名に、わしは愕然となる。

『7大貴族じゃん?』

「……なぜ7大貴族が?」

 厳格な7大貴族なら、ルグレイが祖先であることも、国の興りも、竜族の序列も、正しく伝わっているはずである。ケスレイのことは関係なしに、ヘカテリーナを迎え入れたのだろうか。


 ともかく、ヘカテリーナは無事である。オーエン3佐達も、7大貴族の1つに保護されたヘカテリーナには、すぐに手が出せないだろう。

 わしは少し安心すると同時に、護衛官達の苦労を思い同情する。オーエン3佐に次に会うことがあれば労ってあげよう。

「このダイヤは?」

 ブリジットの話しでは、このダイヤモンドは宮殿で暴れた男達の手に渡ったはず。


『キャリーケースの持ち手に結んでいたのがほどけて道路に落ちたんですよ。ちょうど自動車が来て、気づかずに行ってしまったので、もらってもいいかなと思いました。ヒゲの老人の自動車に、片手でしがみつくのは大変でした』

 ブリジットはウフフと笑う。

 よく分からないが、つまり猫ばばをしたということか。

『おー、やるじゃん』

 パチパチと手を叩いて喜ぶマシエラ。


『皇女様のお役に立てて下さいませ』

「ありがとう、ブリジット。ブリジットがスパイしてくれたから、ヘカテリーナお姉様に何が起きたのかよく分かった」

 ダイヤモンドよりそれが重要である。

『わたし、もっとスパイします。何でも申しつけて下さいませ』

「頼りにしている。だけど、無理をしてはダメ。幽霊でも、危ないことがあるかもしれないし」

 ブリジットが誇らしげに言うので、わしはブリジットの頭をそっと撫でた。

 だが、狂喜乱舞するブリジットを見て、褒めるのはほどほどにしようと少し思うのだった。



 ナタシアとレノアが朝食のワゴンを押して部屋に入ってくると、わしはダイヤモンドをブリジットに押しつけて、地下室へ隠してくるよう言う。

「おはようございます、媛様。遅くなって申し訳ございません」

「おはよう。わたくしも少し寝坊したの。すぐに支度する」

 まだ顔も洗っていなかった。

 その前に、わしはボリンを見に行く。

「ボリン、おはよう。寝ているのかな?」

 相変わらず反応はないが、大きくて丸い毛玉は可愛かった。餌入れを覗くと、乾燥虫が1つ減っていた。ちゃんと食べているようで安心する。


『ロカ、ロカ。見て、これ見て』

 マシエラが飛び跳ねながら、ボリンの足元を指差す。

「あ」

 砂の上に乳白色の粒が落ちていた。

 これが、糞なのだろうか。

「ナタシア、レノア」

 わしは、テーブルに朝食の準備をしている2人を呼ぶ。

「どうかなさいましたか?」

「ほら」

 いそいそとやってきたナタシアとレノアに教えると、2人ともそれをまじまじと見つめた。

「まあぁ」

「これがそうでございますの?」

 乳白色の粒は1センチもない大きさで、本当に真珠のようである。

 だが、糞は糞なので、ナタシアはプラスチックのケースとピンセットを持ってきて、慎重に挟む。


「アルコールで消毒してもよいようですので、綺麗にしてから媛様にお渡しいたしますね」

「よろしく」

 わしはナタシアに任せると、ボリンの水入れを持って洗面室に行く。水替えはわしの役目なのだ。

『皇女様。ちゃんと地下室に置いてきましたわ』

 髪をさっと整えていると、床からぬうっとブリジットが帰ってくる。

「ありがとう、ブリジット」

『あの、皇女様?』

 ブリジットはモジモジしながら言いにくそうにする。

「どうしたの?」

『その、ロカ様とお呼びしてもいいですか?』

「……そう呼んでくれたら、わたくしは嬉しいです」

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