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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
32/43

   第32話  打ち明け話し

子供編

4才のわし、少しずつ変化する日常   ぱーと14

「お父様はわたくしを抱っこして下さったことがおありでしょう? ナタシアに聞きました。大泣きして、お母様を困らせたことがあったと。お父様とアンシェリーお姉様に抱っこされて泣き止んだのでしょう?」


「あれか……いや、わたしでもそなたは泣き止まなかった。何がそんなにイヤだったのか、小さな体をそり返して泣いていた。アンシェリーが抱き上げて、やっと泣き止んだのだ。泣き喚くそなたを抱いた時は、赤子とはこんなに重いものだったのかと驚いたよ。命が詰まっていた。命の重さだった。抱いてごらん?」


 父は、わしの膝の上に赤子の頭を支えながら乗せた。わしは恐る恐る赤子に手を添える。

「わ、わ……」

 赤子は暖かかった。もぞもぞと動く赤子の、わしより小さな手。

「どうだい?」

「生きている……わたくしの弟です……」

 感動がじわじわと湧き上がってくる。


「そうだな。皇家では腹違いの兄弟姉妹が仲良くすることはあまりないが、ロナチェスカが弟を可愛がってはいけないということもない。アンシェリーやルノシャイズがそなたを可愛がるように、そなたも弟と仲良くしてよいのだよ」

「はい」

 わしが頷くと、父は表情を緩めて、赤子を抱き上げた。

 それからすぐにわしとナタシアは診療所を後にする。赤子がぐずり始めて遠回しに追い出されたのだ。


「ナタシア。可愛がるってどうすればいいの?」

 4才のわしではもう抱かせてもらえないだろう。言葉も文字もまだ分からないから、カードを贈っても意味がない。おもちゃもそうだ。朝の謁見の儀で、イザベラ妃にくっついて赤子を構えばいいのか。イザベラ妃には鬱陶しがられそうである。

「そうでございますわねぇ……」

 ナタシアは頬に手を当てて考え込んだきり、答えなかった。



「ぷっくりシールは、星と、羊」

 ルノシャイズへの手紙と、アシュバレンへのカードをしたためて封筒に入れる。ルノシャイズへは安否の確認と映画の礼を、アシュバレンへはいつ部屋に行けるか分からなくなったので、可愛いミミちゃんが動いたとだけ書いた。

 その後、わしは入浴を済ませ、パジャマを着て、鏡台の前でレノアに髪を乾かしてもらいながら、イチゴミルクを飲む。アシュバレンにアヒルの池で買ってもらった物だ。


「飲み物があんなふうに売っているとは思わなかった」

「いろいろなものが、いろいろな形で売られておりますよ。媛様が御要望の世界地図と、国内の地図は本棚に入れておきました。それから大まかなメルーソ大帝国の年表も。今日はお勉強出来ませんでしたね」

「ありがとう。明日はゆっくりした日になるといいけど」

 イチゴミルクを飲み終え、歯を磨けば、もう寝るだけである。

「お休みなさいませ」

 ベッドに潜り込むとナタシアとレノアは電気を消して退出した。

 わしはすぐに起き上がる。

『寝なくていいの?』

「まだ平気。日記も書きたいし、シーラの服も探してみよう」

 時刻は夜8時を回ったところである。


 わしとマシエラは地下室に落ちると、わしは先に日記を、マシエラは衣服を探しに奥へ行く。

 わしは古い書斎机の引き出しを開けて、筆記具と黄ばんだノートを取り出した。

 昨夜は降霊術を優先し日記が書けなかったので、昨日の分から、食事の内容と点数を思い出して、起こった出来事を書いていく。

「長い……」

 これまで食べた物の感想だけでノートの半ページを埋めてきたが、この3日間は、それ以外のことでいっぱいだ。昨日と今日で3ページにもなり、読み返すともっと付け加えたいことが出てくるほどだった。


『ロカ、ロカ。見て、見て』

 マシエラがたくさんの衣装をぶら下げたハンガーラックをガラガラと転がしてくる。

「いいのがあったね」

 わしは椅子を降りて、マシエラのところに行く。

『鏡の部屋にあったの。でも、着られるかな。無理な気がする』

 マシエラは豪奢な刺繍が施された真っ赤なドレスを体に当てて言った。


「手で触れるのだから、着ることも出来そうだけど」

『着るだけならね。でも、結局魔力に変換しないと、服だけが浮いているように見えちゃうよ?』

「そうか、なるほど」

 それはまずい。

『あたしは服まで魔力だから』

「食べ物は、食べると魔力に変わってシーラ自身になるのでしょう? 服は食べられないの?」

『……もっかい言ってみ?』

「服は食べられないのか?」

『食べられるわけないじゃんっ。待って、待って。本気の本気で言っているの?』

「本気だけど」

 わしは頷く。


『マジで……』

「食べ物と同じように消化して魔力に変える途中で、頑張ってアレンジして服にしてしまえ」

『してしまえって……そんな無茶な』

 マシエラは唖然として、肩をがっくり落とした。

 食べ物は栄養になるかならないかで、魔力になるかならないかだろう。衣服は栄養にはならないが、魔力にはなるかもしれない。

「この服は魔力を帯びているから、もしかしてと思って。だけど、服なんて食べるものではないものね」

 冗談である。


『魔力?』

「たぶん古いドレスだから……ほら、タグに1365年と刺繍がある」

 わしはドレスのスカートを捲って中のタグをマシエラに見せた。450年前の物が完璧な状態で残っているのは、膜のように張っている魔力のおかげだろう。

『ジョアンナの為に、セバスより。暁は憎悪の果てへ、沖天の陰独り立つ? どういう意味?』

「さあ……呪いではないようだけど」

『そうだねぇ。変な感じはしないもん。セバスって男が、ジョアンナっていう女の子へ向けた単なるメッセージかなぁ』

 マシエラは真っ赤なドレスをわしに渡し、次は焦げ茶の大人っぽいドレスを手に取った。

『これいいな』

「うん。シーラによく似合う」

『あ、これもジョアンナの為にセバスよりだって』

 確かめると、ハンガーラックに掛かっている衣装は、全て1362年から1372年のそれだった。

 愛なのか、執念なのか。ブランドでコレクションしたものなのか。サイズはちょうどマシエラに合うようで、マシエラが着られないのが残念である。


「シーラ、竜族の文字を教えるって言ったでしょう?」

『うんっ。ホントに教えてくれるの? でも、竜族の月花文字は門外不出の皇家の秘密でしょ? いいの?』

「読み書きが出来ても、血と名前がなければ仕掛けは動かないから。けれど、血と名前ならわたくしのを使えばいいし、宮殿のどこかに隠されているルグレイの手記も読めるかもしれない」


『ルグレイ? ルグレイの手記があるの? うわぁ、信じられない。だって竜族だよ? 英雄じゃん』

 マシエラは目をぱちくりさせて驚く。

 ルグレイは建国記念日にもっとも讃えられる竜族の名の1つである。メルーソ大陸がまだ東の果てと呼ばれていた5千年前、荒れ狂う風を静めて大地に平穏をもたらした英雄だった。メルーソ大帝国初代皇帝の父でもあるが、それを知る者はあまりいない。

 わしは手記そのものを見たことはないが、ヘンドリックであった頃、収蔵庫の目録に記されていたのを覚えている。竜族の視点から当時のメルーソ大陸を知ることが出来るのだ。わしが読んでみたい。


「他にも書物はある。アンソラータ・メルーソが、息子エンフェルトの為に作ったお話しで、自身アンソラータと親友カーリーの友情物語とか、ルグレイの〝間のモノ〟退治録とか。竜族の文字で書かれていて、皇家の人間はそれを教科書に覚えるの」

 原本はもちろんどこかで保管されているのだろうが、人が使う文字の読み書きが難なく出来るようになると、父だったり兄姉だったり、先に覚えた皇家の人間に教わるのだ。

 わしは書斎机に向かうと、日記帳にしているノートから白紙のページを破る。


〝おまえにも、氏名が必要だろう。氏はアリッサムとするがよい。花を愛するもう1人のおまえを、いつも意識していられるようにな。名はカーリーだ。闇に生きることになっても、雲1つない晴れた夜空の、月の光りが隅々まで照らす竜姫カーリーの如く、澄んだ心を持っていられるように。おまえはこれから、カーリー・アリッサムと名乗るのだよ〟


 こんなふうに物語は始まるのだが、わしはこれを先ず竜族の文字で書き、それに現代の人が使う文字で訳していく。

 竜族の文字は、月と草花の絵の掛け合わせだ。故に月花文字とも呼ばれている。


「文字の並びは同じだから、魔族の目玉文字より覚えやすいと思う」

 わしは千切ったページをマシエラに渡した。

『月花文字を額縁に彫ると、絵がいい感じにクシャクシャになったり、布に載せた絵の具から花の匂いがしたりするのよね。でも、月花文字は秘境にしか残っていないから、盗むのが大変でさ……ロカは簡単に書けちゃうのね? それはもっと小さい時から勉強しているせい? それとも魂に刻まれているもの?』

 盗む?

 どう話せばよいか。

「月花文字も、魔族の文字も、前のわたくしが覚えたもので、今のわたくしはまだ習っていない」

『は? どういうこと?』

「わたくしはわたくしとして生まれる前、ヘンドリック・マクドネル・メルーソとして生きていたの」

 わしは思い切って言う。

 マシエラは口をポカンと開けた。理解しにくい話しであると、わしでも思う。


「ヘンドリックはフォルカ聖暦1005年に生まれ、メルーソ大帝国第142代皇帝に即いていた。わたくしの感覚では4、5年前のことなのだけれど」

 実際は8百年ぐらい経っていて、慣れたものの今でも実に変な感じだ。だが、この不可思議な出来事も、いざ説明するとあっけないほど短く済んでしまった。


『はあ……ヘンドリックねぇ、皇帝って……』

「……嘘っぽいかな?」

 わしは緊張しながら、マシエラの反応を窺う。頭のおかしな皇女と思われただろうか。信じてもらえなくてもよいのだ。友達を止めるとさえ言われなければ。


『ううん。あたしだって絵を寝床にする幽霊だもん。ロカが2度目で、生まれ変わりでも、有り得るっていうか』

「……ホントに?」

『ウフフ。ロカは、普通の皇女様じゃなかったのね。いいよ、いいよ。面白いじゃん』

 マシエラはわしの背中をバシバシ叩いてケラケラと笑った。

 わしはつられて笑いながら、ホッと胸を撫で下ろす。

「シーラに話してよかった」

 これで隠し事はない。


『どんとこいよ。だけど、大変だったね。おっさんから、女の子に生まれ変わったんでしょ?』

「おっさん……」

『あ、ダメだった?』

「クスクス。確かにおっさんだった。じいさんだったかも。死んだ時のことは覚えていないの」

 ナタシアが持ってきた年表を見れば、思い出すこともあるだろう。


『どっちの意識のほうが強いの?』

「よく分からないけれど、混ざり合っているのではないかと思う。ヘンドリックだったことがあるロナチェスカというふうに」

 今のわしはまだヘンドリックだろう。だが、ヘンドリックだった頃は思い出になり、ロナチェスカとして違和感なく生きていくのだろう。もう女子になって、戸惑うこともなくなっていた。死んだ過去より生きている今だからだと思う。


『おっさんが、可愛いシールとか貼らないものね』

 そういうことだ。

「鏡の部屋に行ったのなら、壺の部屋も見た?」

『見た。壺の中に、小麦粉がぎっちり入っていた。なんで?』

「教えてあげる」

 わしは首を傾げるマシエラを手招きして小部屋に誘った。


 3方に延びた廊下の1つを少し進んで、目当ての小部屋の扉を開けると、大小様々な壺が壁際に収まっている。

「壺は、これとか、これとか、有名な作家の染付の磁器で、国宝級だけど、この部屋の持ち主だった人が分かっていて集めたのかどうか。たぶん小麦粉を貯蔵する為に、適当に持ち込んだのではないかと思う」

 わしは部屋に入って、壺の1つから小麦粉を手ですくった。

『小麦粉がメーンなの?』

「そう。見てて」

 わしは片手に小麦粉を握って、何もない部屋の中央、すべすべの床に少しずつ撒いていく。小麦粉は舞い散り、床に薄く広がる。

 それを何度も繰り返し、時々足で払ったりしながら、床に白い絵を浮かび上がらせる。


 三日月が2つと、スミレの花。もっと細い月が3つと、タンポポの花。

『月花文字ね』

「奉納と書いた。〝トイケリデ〟」

 わしは抑揚をつけて歌うように、音を意識して言葉を紡ぐ。

 その瞬間、床に撒いた小麦粉が綺麗さっぱり消える。

『こ、これは……』

「竜族の特別な守護に対する、メルーソ民族からの返礼の儀式。トイケリデは、竜族の音声なの」


『返礼の儀式……皇家のお役目の1つって聞いたことがあるわ。それなの?』

 マシエラは言葉を震わせた。

「こうして返礼の儀式をすれば、さらなる守護が得られると伝わっているけれど、お礼が少しの小麦粉では」

 わしは笑う。

 返礼の儀式ではあるが、願掛けとして個人的に行われることがほとんどである。

「シーラは竜族の守護が得られるとすれば、何を願う?」

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