第31話 夕食と、初めまして
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと13
「駄々をこねる子供は、お菓子で御機嫌を取ってもらうの」
『なるほど、いい考えね』
マシエラはケラケラ笑って言う。
「ヘカテリーナお姉様はどうしてトゥリオ・アスコーネと一緒に行ったのだと思う?」
『うーん、羽目を外したかったから?』
「大騒ぎを起こして?」
単なる家出や駆け落ちなら、密かに監視がついても見逃してもらえる。皇家の長い歴史の中、よくあることだからだ。羽目を外したいなら、よく準備をして普通に家出すればよい。自分の乳母やメイドまで殺してすることではない。
『本当は脅されていたからとか? よくあるでしょ? 人質を取られていたから仕方なくって。あとは、単純に一緒に行きたかったから?』
マシエラはテーブルに座ったまま可愛らしく首を傾げた。
「脅迫されていたのなら納得出来る。単純に一緒に行きたかったというのは分からないけど」
『そう? お姉さんはお妃の恋人が好きだったのよ。これもよく言うでしょ? 血の繋がりだけが親子じゃないって』
「会う機会はそんなになかったはず。お母様とは朝の謁見の儀でしか会えないし……そういえば、エドゥアールお兄様の部屋をこっそり覗いていた時、アシュバレン叔父様に片腕を落とされた侵入者が、エドゥアールお兄様達は自分の子供だと叫んでいた。カロリーヌ様が実家に帰る度に愛し合ったとも。カロリーヌ様は実家に帰ることは出来る。でも、お姉様達やお兄様が一緒について行くことは出来ないはず。どうやって会う?」
『そっか。でも、お妃の恋人は皇女や皇子を自分の子供だと言ったのだから、皇女や皇子がお妃の恋人を父親だと思っていてもおかしくないわ。脅されていたより、真実味はあると思わない?』
そうかもしれない。
だが、やはり思う。本能で父親ではないと分かっている男を、父親のように慕えるだろうか。
『ロカ、考え過ぎはバカになるよ。本当のことが知りたいなら、あたしとブリジットで探ってあげるから』
「出来るの?」
『うふふ。幽霊はあたし達だけじゃないのよ』
「……そうだった」
背筋がひやっとする。宮殿に幽霊がうじゃうじゃいるかと思うとやはり少し怖い。
『ブリジット、戻ってこないね』
「ブリジットは……あっちの遠いところにいる。どうしてだろう」
わしはブリジットを思い浮かべて、ブリジットがいると感じる方角に目を向けた。領家の私邸区域ではなく、宮殿の外ではないかと思うほど遠いところにいる。
『スパイ活動しているのかもね。早く聞きたいけど、我慢する』
「幽霊って、どこにでも行けるの?」
『行けるよ。幽霊だもん。でも、知らないところでは迷子になっちゃうこともあるんだよ。迷っても人に聞けないし。まあ、危険もないからいいけど』
「ブリジットは大丈夫かな」
『大丈夫、大丈夫。迷子になっても、ロカのいるところは分かるから、まっすぐ戻ってこられるよ』
マシエラが言うなら、そうなのだろう。
「お待ちかねの、お夕食でございますよ」
ナタシアとレノアが、ワゴンを押して部屋に入ってくる。
『ごはん、ごはん』
マシエラはテーブルから飛び降りた。
テーブルに並べられた料理は、テリーヌとスープと魚のムニエル、犬の顔パンである。デザートはプリンだ。
『美味しいといいねぇ』
まったくだ。
「レノア、お夕食の後に、お手紙とカードを書くから、机の上はそのままにしておいてくれる?」
「畏まりました。お届けはこの騒ぎですから明日の朝になりますが、よろしゅうございますか?」
「はい。宮廷はだいぶ混乱しているの?」
わしはテリーヌにナイフを入れる。色とりどりの野菜と鶏肉が段になっておりとても美しい。味も、コンソメのゼリーがちょうどよく美味しかった。
「5の建物は大穴が空いており、4の建物はその流れ弾が当たったように見えました。松林のクレーターといい、何と申しますか、魔法だけで出来ることではないような気がいたします。通いで働いている者も、帰宅が許されないようですから、取り調べがあるのではないかと皆心配しておりましたわ」
レノアは緑眼だ。魔力を持つ。
『魔法だけじゃない? 今は、威力を増幅する武器とかあるの?』
マシエラは不思議そうに尋ねる。
「魔法の威力を増幅する武器? 魔法に火薬を放り込むとか? 武器じゃないけど」
「いいえ……魔力は魔族の恩恵ですから、武器に魔力を込めることはありましても、反対は有り得ません」
「同じことじゃ?」
「……」
レノアは固まって無言になった。
『あるのか、ないのかよく分かんないけど、戦闘は魔法だったと思う、よ?』
マシエラは自信満々のまま、大きな疑問符をつける。
「特務捜査課が調べるようでございます。ハワード・フェザー2佐が拘束されたそうですが」
ナタシアが、考え込むレノアに代わって話しを続けた。
「フェザー2佐、フェザー班、オーエン3佐の上司。いろいろ聞かれるだけだと思うけれど。アシュバレン叔父様と連帯責任でよくて降格。悪くて、辞職勧告」
ヘカテリーナを連れ戻すことが出来れば不問といったところか。アシュバレンとフェザー班はカロリーヌ妃の浮気を隠し、子供を死なせまいとした。離婚すれば済むと思うわしは甘く、明らかに父皇帝の血を引く子供でも生存は許されないらしかった。だが、守りたかった子供の1人に裏切られ、大勢が死んで傷つき、アシュバレンもフェザー班も罰を受ける。ヘカテリーナは連れ戻されて殺される。エミリアーナもエドゥアールも殺される。
このままではあまりに救いがない。
「媛様? テリーヌは美味しくなかったですか?」
「美味しい」
せっかくの食事だ。わしは集中して食べることにする。
『ねぇねぇ、野菜と魚はいらないけど、その黄色いのは食べてみたい。ゼリーでしょ?』
マシエラがガラスの器に盛られたプリンを指で突いた。確かにプルプル具合はゼリーとよく似ている。
「そういえば、媛様。おめでとうございます」
「おめでとうございます」
ナタシアと、立ち直ったレノアが、ニコニコと笑顔で言ってくる。
「なに?」
「媛様の弟君が御誕生されたのでございますよ」
「わ、産まれたの? 赤ちゃんとイザベラ様はお元気なの?」
弟ならウィナセイルがいるが、彼が産まれた時、わしは2才でどんな感じだったか覚えていない。今はすごく可愛いと思っているが、その時はふぅんで終わったのではないか。
「お健やかでいらっしゃいます。皇子殿下は赤眼とお聞きいたしました」
「赤眼? ザラヴェスクお兄様のように、やんちゃになるのか」
「まあ、媛様」
わしが何気なく答えると、ナタシアとレノアは笑い出す。
『赤ちゃんかぁ。見に行く?』
わざわざ見に行かなくてもそのうちお披露目されるが、こんなことがあった後だ。弟が増えたことを喜ぶのもよいだろう。
「会いに行ってもいい?」
「媛様ならば、大丈夫でしょう。お夕食の後に面会出来るかどうか、伺ってまいります」
ナタシアはテーブルを離れて、部屋を出る。
わしはテリーヌを食べ終え、ジャガイモとニンジンとタマネギがゴロゴロ入った塩胡椒味のスープに取り掛かった。
「レノア。弟が産まれた時は、何をすればいいの?」
「兄弟が増える時は、自分が身に付けているアクセサリーを贈るのが伝統ですが、皇家ではどうなのでしょうか」
「アクセサリー?」
わしが持っているのは女の子用のばかりだ。
「すぐにではなく、後日、御用意するのでもよろしいかと思いますよ」
「そうする」
皇家でも子供が産まれれば喜ぶし、お祝いもする。ヘンドリックであった頃は、どうしていたのだったか。
わしはスープを食べ、魚のムニエルにレモンを搾る。
「ホルカル?」
「はい」
ホルカルはよく出される赤身の魚だ。テリーヌとスープは普通だった。これも普通なら、プリンが危険だ。かといって、不味いムニエルもいただけない。わしはムニエルにナイフを入れ、フォークを刺して口に運ぶ。
ムニエルなのに素材とレモン汁の味しかしなかった。
「こんな時でも、料理人は遊び心がある」
ホルカルは味付けがしていなくても美味しい魚だ。香草や、塩けがなくても、レモン汁だけでじゅうぶん食べられる。
「そうですわ。お着替えを御用意いたしませんと。弟君と初めてお会いになるのですもの。オシャレに決めませんと」
レノアは思いついたように言うと、いそいそと衣装部屋に消えた。
オシャレに決める?
わしは急いでムニエルを食べ終えると、楽しみに取っておいた犬の顔をしたパンを半分にする。夕食に出されるパンが不味かったことはない。
「シーラ、あーん」
わしはパンの半分をマシエラの口に入れる。マシエラは大口を空けてそれを咥えるとモグモグと食べた。
『柔らかくて、甘いねぇ。犬の顔にするとか、わけ分かんないけど』
「子供向けに可愛らしくしているの。パン職人の愛情?」
『そっかぁ。ロカは容赦なく真っ二つに引き裂いたけどね』
「え? それはだって」
パンはパンだ。
わしもパンを千切って食べる。目は干し葡萄だった。
さて、プリンはどうだろう。
「ゼリーじゃなくて、プリンという」
わしはワクワクと期待するマシエラの為に、プリンをスプーンにすくう。
『プリン?』
「プリン」
プリンがマシエラの口に入ると、マシエラは目を見開いた。
「美味しい?」
『なにこれ。なめらかで、甘くって、とろけるぅ』
うっとりと幸せそうな顔をするマシエラ。プリンはおやつに出たイチゴゼリーのように甘過ぎるということはなかったようだ。
こんな顔が見られるなら、スプーンごとマシエラに渡してもよい。だが、そうするとレノアに見られた時に、スプーンだけが宙に浮いているので言い訳が難しい。
わしはゆっくりと味わうマシエラのペースに合わせてプリンを運んだ。
今日の夕食は九十点である。
「媛様。こちらのワンピースはどうでしょう?」
プリンを食べ終わった頃、レノアが水色の衣服を持ってくる。光沢のある長袖のワンピースは、レースの襟に薔薇のコサージュがついて、謁見の儀で着るようなドレスとどこが違うという感じの物だった。
『おお、豪華』
「もう少し、普段着的なのは?」
「普段着的ですか? そうでございますねぇ……」
レノアは首を傾げながら、衣装部屋に戻って行く。
『ロカは、ああいう服は嫌いなの? 皇女様らしくて可愛いと思うけど』
「服は可愛いけど、わたくしに似合うかどうかは別だと思うの」
わしは自分の顔を過大評価しない。華美な衣服はマシエラのほうがよく似合う。
『うーん、血色のいい健康そうな肌、眼は黒いけどクリクリしているし、鼻の形は完璧。唇はちょっと薄めで賢そうに見える。表情があんまり動かないのは大人受けしないけど、笑うと可愛いんだから、もっと笑うといいよ。子供なんだから、着る服に似合う似合わないはないと思うの。ほら、不細工な子でも可愛い服を着れば、可愛く見える気がするでしょ? あれ?』
不細工……いやいや、わしの顔は地味だが、不細工まではいっていないはず。
『違うのよ。ちょっと言い間違っただけだから』
「いいの」
『ホントに違うからね。ロカは可愛いよ』
「分かっている」
いいのだ、別に。
「では、これなどどうでしょう?」
レノアは今度は薄緑の、生地の柔らかなふんわりしたワンピースを持ってくる。それは前に何度か着ていた。
「それでいい」
わしはもう何でもよいと頷いた。
診療所は3の建物の近く、別棟にある。
「お父様?」
「ロナチェスカ。そなたが来ると聞いたときは驚いたよ」
3メートル毎に警備官が詰める廊下を進んで、特別室に入ると、父皇帝がソファーに腰掛けていた。
父はシャツにスラックスという寛いだ服装で、腕にはブランケットに包まれた赤子を抱いている。
「わたくしもお父様がいらっしゃるとは思いませんでした」
口をあんぐり開けそうになったのを慌てて取り繕い、わしは礼をとった。
「我が子が産まれたのだ。わたしがここにいて不思議はあるまい?」
父は苦笑を浮かべて言う。
『皇帝が赤ちゃんを抱っこしているよ。うわぁ、すごいねぇ』
マシエラが物珍しそうに父に近づいて行った。
ナタシアは壁際に下がって控える。レノアは部屋で留守番をしているのでここにはいない。
「ロナチェスカもこちらに来なさい」
「はい、お父様」
父と言葉を交わすのはこれが初めてではなかろうか。
わしはソファーの、父が腰掛ける隣へどうにか座った。父の腕と、わしの肩が触れ合う距離で、わしは少し緊張する。
「そなたの弟だよ。名前はまだ決まっていないが」
「……小さい」
赤子は想像よりずっと小さかった。目蓋は固く閉じ、口元がふにゃふにゃと動いている。
「少し早く産まれたからな。だが、メルーソは頑丈だから、すくすくと育つだろう」
「初めまして、赤ちゃん。わたくしはロナチェスカ。あなたの姉上です。これからよろしくね」
「フフ、よかったな。おまえは皇家の一員として認められたぞ」
父は面白そうに笑って赤子をわしのほうに寄せる。
「可愛い……」
本当にそう思った。
「そなたが産まれた時もこうして抱いてやればよかったと思う。ヘカテリーナの時も……」
父は何の感情も乗せない目で、赤子とわしを見つめた。