第30話 被害状況
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと12
『魔法の投げ合いが終わったっぽいよ』
マシエラがそう教えてくれてから30分。
さすがにそれほど切羽詰まっていないのに、よく分からない魔法陣を試してみようということにはならなかった。ソファーに座り直すと、学校の話し、学友の話し、今日の夕食はちゃんと食べられるのかで盛り上がる。
わしはザラヴェスクとエミリアーナが、仲良く話しているのを眺めているだけだったが、退屈はしなかった。
マシエラが竜族の文字が覚えられるなんてとテンション高く、ずっと変な踊りを披露していたからだ。
「失礼します。安全が確認されました。もうお出になっても大丈夫です」
パネルの前にいた警備官の1人が魔法陣を通って部屋に入ってくる。
「遅かったな? 何があったんだ?」
ザラヴェスクがやれやれと立ち上がって問う。
「申し訳ありません。今回の騒ぎは、昨日の襲撃犯が牢を脱走したことと、ハーマンカンプ邸で決闘が行われたことが原因です。松林は消滅、5の建物と4の建物の一部が破損、ハーマンカンプ邸は焼失しました。護衛官7名が死亡、警備官は数十名が負傷しています。それから……カロリーヌ妃様とイザベラ妃様が診療所に運ばれました」
警備官は淡々と告げた。
エミリアーナが短い悲鳴を上げる。
「お母様は、お母様は御無事でいらっしゃるのでしょう?」
「火傷を負われましたが、命に別状はないと聞いております。イザベラ妃様は4の建物が破損した時の衝撃で陣痛が始まりました」
「そう……ベアータ、お母様に会いに行ってもいいかしら?」
ホッと胸をなで下ろし、エミリアーナは自分の乳母に伺いを立てた。成人するまで、父母に会えるのは朝の謁見の儀の時だけである。
「もう少し情報が入るまで、お待ち下さいませ。一度お部屋に戻ってからにいたしましょう」
「……分かったわ。ヘカテリーナにも会いたいですし。ザラヴェスク、ロナチェスカ、お先に失礼しますわね」
エミリアーナ達が慌ただしく部屋を出て行くと、わしとザラヴェスクは顔を見合わせる。
「護衛官7名が死亡、警備官は数十名が負傷。これって、普通逆じゃね?」
「逆だと思います」
「だよな」
ザラヴェスクは警備官をチラと見る。このシェルターに入れるのだ。アクセス許可レベルは4以上で、オーエン3佐と同じ。もっと情報を持っている可能性が高い。
「脱走した襲撃犯はどうなったんだ?」
「抵抗が激しく……」
「ふぅん。決闘のほうは?」
「ハーマンカンプ領家の御長男と、ミディス領家の御長男が重傷です。決闘の理由は分かっておりません」
「邸が焼失だろ? 何やっているんだろうな。護衛官は職務をまっとうしたということか?」
ザラヴェスクの静かな問いに、警備官は頷いた。
場所を守る警備官と、人を守る護衛官。脱走した襲撃犯が暴れれば、取り押さえるのは警備官の役目である。護衛官は護衛対象に引っ付いて、護衛対象に危険が迫るまで戦闘はしない。
「全員が領家の2人に付いて死んだわけじゃないよな?」
「申し訳ありません。それ以上はお答え出来ません」
「分かった。じゃあ、俺らも部屋に戻るか」
ザラヴェスクはわしの肩に手を置いて、先に魔法陣を通って出ていった。
ザラヴェスクの乳母とメイドも去り、わしらもシェルターを後にする。
『決闘って、女かな? 名誉を掛けてってこともあるけど』
自室へ帰る途中、マシエラがスキップをしながら言う。
どちらにしろ、いいゴシップになる。珍事といってもよい。
『ブリジットがあっちに行ったから、後でいろいろ聞こうよ。お妃のスキャンダルも面白いけど、別腹ってやつ?』
そうか。別腹か。
「皇女殿下」
オーエン3佐がカツカツと後ろから追いついてくる。
「無事ですか? オーエン3佐」
「ナルビエス1尉が負傷しましたが、フェザー班は、まあ無事です」
「そうですか。護衛官が7名死亡したと聞きました。贔屓はよくないと思いますが、ナルビエス1尉が負傷で済んでよかったです」
「……お部屋で話したいことがあります。お願いします」
オーエン3佐が言うので、わしは頷いた。
ややこしいことでなければよいが。襲撃犯が死んで、誘拐事件は解決したことにして欲しい。
「皇女殿下」
部屋に入るなり、オーエン3佐は両膝をついて、胸で手を組んだ。
「媛様。何事ですか?」
ナタシアとレノアが驚いて、オーエン3佐にではなく、わしに問うてくる。
わしに聞かれても困る。
わしはとりあえずボリンが気になっていたので、ボリンの様子を見に行く。護衛官よりもペットを優先するのはどうかと頭の隅に浮かんだが、オーエン3佐の話しはきっと長くなる。
「ボリン。怖くなかった? 置いてけぼりにしてごめん」
声を掛けながら、ボリンの毛の中に手を入れて首のくびれを撫でる。ぐーるぐると喉が鳴る。
「媛様。オーエン3佐を放置なさらないで下さいませ」
ナタシアが呆れたようにわしを諫めるが、わしはボリンのお腹に顔を埋めたい衝動と戦っているのだ。
「媛様」
「ナタシア、レノア。少し休憩してきて。その間に、オーエン3佐とお話しするから」
「よろしいのでございますか?」
「オーエン3佐は、アシュバレン叔父様の息が掛かっているの。だから、昼間のことだと思う。お腹が空くと怒りっぽくなるというから、夕食をなるべく早くにお願い」
「……畏まりました」
ナタシアは苦笑して、オーエン3佐に同情の眼差しを向けた。
怒りたいわけでも、怒るつもりもないが、オーエン3佐のこの態度はさらなる面倒事の到来なのだろう。
『何だろうね? 青い焔眼が、すっかり使いっ走りになっちゃって』
マシエラはベッドに飛び乗って、ゴロゴロと転げた。
「それでは、お夕食の準備をしてまいります」
ナタシアとレノアが部屋を出て行く。
「わたくしはこちらに座ります。あなたもこちらに来て座りませんか?」
わしはテーブルの椅子を2つ引いて、いつもの席に座った。オーエン3佐がいつまでも膝をついていては落ち着かない。
「恐れ入ります」
オーエン3佐は立ち上がると、そっとテーブルに着いた。
「何がありましたか?」
「皇女殿下。ヘカテリーナ皇女殿下が、脱走犯と一緒に逃げました」
「え?」
わしは今信じられないことを聞いた気がする。
「ヘカテリーナお姉様が、攫われたのではなく、脱走犯と一緒に逃げた? 脱走犯というのは、昨日、わたくしを誘拐し損ねたほうですか? お兄様を助け出した時に捕らえたほうですか?」
「……昼間の襲撃犯です。ヘカテリーナ皇女殿下が、脱走の手引きを」
「なぜ? どうやって?」
わけが分からない。
「実は、皇女殿下に謝罪を……」
「謝罪? 何をまだ謝るの?」
「昨日の襲撃犯は、皇女殿下ではなく、始めからエドゥアール皇子殿下を狙ってのことでした」
知っている。
オーエン3佐は嘘を吐いた。
それを白状するとは。
「……嘘を吐いた理由は、わたくしのほうが都合がよかったからですか? エドゥアールお兄様はなぜ誘拐され、ヘカテリーナお姉様はなぜ誘拐犯と一緒に行ったの?」
わしも嘘を吐く。
その全ては、カロリーヌ妃が原因であると知っている。
「カロリーヌ妃様は、トゥリオ・アスコーネという男と恋仲だったようです」
「トゥリオ・アスコーネ? 従兄達ではない。誘拐犯ですか?」
「そうです。一緒に侵入した仲間は、トゥリオ・アスコーネともう1人を除いて死亡しました。もう1人はエドゥアール皇子殿下を連れ去り、我々が皇子殿下を救出した際に捕らえたのですが、先ほどの戦闘でこちらも逃げられました」
よくもまあ逃げられたものだ。
「カロリーヌ様はどうしたの? 火傷を負って診療所に運ばれたと聞きましたけれど」
「ハーマンカンプ領家の御長男と、ミディス領家の御長男が決闘したことは?」
「聞きました。ハーマンカンプ邸が焼失したそうですね」
「その決闘の場にカロリーヌ妃様がおられました」
「カロリーヌ様が? なぜ?」
「ハーマンカンプ邸へは招待されて馬の置物を見に行ったそうです。招待された者は多数おり、メイドが言うには、いつものように男達がカロリーヌ妃に美辞麗句を述べて、菓子を食べ、ワインを飲み……しかし、些細なことでハーマンカンプとミディスが言い争いを始め、決闘になった。邸が焼失したのは、ミディス領家の御長男が赤眼ですから、飛び火したのでしょう」
オーエン3佐は気まずそうに答えた。
本当にわけが分からない。
自分の恋人が捕まったことを知らないで、別な男と遊んでいたのか。それとも恋人を助ける為に、助力を願っていたのだろうか。エミリアーナが言うには、カロリーヌ妃は無自覚らしいが。
「……その間に、ヘカテリーナお姉様は襲撃犯を牢から脱走させ、一緒に逃亡したと」
ヘカテリーナは12才の、魔力を持たない皇女だ。カロリーヌ妃の娘、エミリアーナの妹、エドゥアールの姉である。
「乳母とメイドが殺されていました。ヘカテリーナ皇女殿下は松林に隠されていた緊急避難用の魔法陣を動かし、外から仲間を呼び込みました。奴らは牢のある詰め所を破壊、トゥリオ・アスコーネともう1人を脱走させたのです」
「お姉様がそんなことを。詰め所の場所は、どうやって知ったのですか?」
わしはヘカテリーナのことを、ほとんど何も知らない。
そんなに大胆で、行動的な人だったとは。
「フェザー班に、トゥリオ・アスコーネの従弟がいました」
「……それは何というか、踏んだり蹴ったりですね」
「クク……まったくです。結局失態は隠せず、陛下にバレて、アシュバレン殿下は叱責を受け、罰としてアヒルの池を取り上げられることになりました」
オーエン3佐は笑い、最後は溜め息を吐いた。
内通者に、皇女の手引き。秘密裏に動いていたのが仇となったようだ。父皇帝はさぞかし怒っていることだろう。
『あらら、あのアヒルの池を取り上げられるんだ。誰か引き継ぐ人がいないと、潰されちゃうの? 勿体なくない?』
マシエラがテーブルにお尻を乗せて、足をぶらぶらさせながら言う。
「アヒルの池は?」
「ルノシャイズ皇子殿下の預かりにしてもらえるようお願いしてみると、アシュバレン殿下はおっしゃっていましたが」
「そうですか」
ルノシャイズなら上手くアシュバレンを庇えるだろう。
『また遊びに行けるといいね』
わしは頷く。アシュバレンとの会話は不愉快だったが、アヒルの池は楽しかった。
「これからヘカテリーナ皇女殿下の捜索と同時に、トゥリオ・アスコーネと、もう1人の脱走犯ジェイル・アスコーネ、魔法陣を通って侵入し破壊活動を行った4人の男を追います。カロリーヌ妃様とエミリアーナ皇女殿下は尋問されます。当然、乳母とメイドも。エドゥアール皇子殿下は離宮で保護から軟禁になります。ロナチェスカ皇女殿下に御協力をお願いしたことは話していませんので、皇女殿下は素知らぬフリをして下さい」
それはとても助かる。
「ありがとう。カロリーヌ様の恋人がトゥリオ・アスコーネで、ジェイル・アスコーネというのは?」
「兄弟です。アスコーネ家と、カロリーヌ妃様の御実家ネイト家は、親しい付き合いがあったようです。娼婦はジェイル・アスコーネと一緒にいたので捕らえました」
「いろいろ向こうのほうが上手だったのですね」
その娼婦もなにがしかの役割があったのだろう。
エドゥアールは取り返したが、ヘカテリーナは奪われた。ヘカテリーナは母親の恋人を助ける為に大勢を犠牲にし、そして自ら外に逃げたのだ。こうなってくるとエミリアーナとエドゥアールの立場は微妙だ。カロリーヌ妃とヘカテリーナは殺されるだろう。
なぜそこまで。
カロリーヌの恋人は自分の父親ではないと、本能でも分かっているだろうに。
「アシュバレン殿下は、皇女殿下を心配されていました。穏便に済ませるつもりで皇女殿下を巻き込んだのに、知らなくてよかったことを、知らせることになってしまったと」
確かに、知らなければ、カロリーヌ妃やエミリアーナ達が事故で死亡したと聞かされても、疑問にも思わなかっただろう。
胸も痛まなかった。
「わたくしは大丈夫です。でも、お心遣いは嬉しいと伝えて下さい」
「はい」
「オーエン3佐も捜索に加わるのですか?」
「自分の失態ですから」
「昨日からろくに休んでいないのに、大変ですね」
「お気遣い、感謝します」
オーエン3佐は微笑んで立ち上がった。
あからさまにホッとしていた。
「そんなに怖がらなくても。マシュマロと、ゲイリーズ・チョコレートを忘れないで下さい。それからクッキーたくさんで手を打ちます」
「も、もちろんです。クッキーも評判の店のをすぐに」
オーエン3佐は何度も頷いて、そそくさと部屋を出て行った。
『ロカ、青い焔眼が手下になったわ。おめでとう』




