第3話 昔話と、「あーん」
子供編
4才のわし、始まりの1日 ぱーと3
『ひこうせん?』
「わたくしも乗ったことはない。兄達が話していたのを聞いただけで。ちょっと待って」
わしは本を横に置いて、お尻を滑らせてソファーを降りる。
ベッド脇のサイドチェストに、デジタルフォトフレームが置いてあるのだ。
これもまた素晴らしい。
小さな手で掴むと、落とさないようにしっかりと持って、ソファーまで戻る。
「あらあら」
わしが動いたのを見て、レノアが衣装部屋から出てきた。
レノアはナタシアほどかっちりしていない。レノアはまだ20代前半と若く、宮殿に来てまだ間がない為か、わしを市井の子供と同じように見る時がある。わしが本に飽きたと思ったのだろう。フォトフレームを持ってきたわしを諫めたりせず、腋に手を入れてソファーに座らせてくれた。
「レノア、ありがとう」
「御本は膝の上に置いて、ページを開いておきましょうね」
そう言ってレノアは、わしの膝の上に本を広げた。ナタシアに叱られないように、誤魔化せるように。
わしは目を瞬いてレノアを見る。
「媛様は、実はもう字を覚えておられるのでしょう? これはズルではございませんわ」
レノアはニッコリと笑った。
そしてサイドテーブルをわしの近くに寄せてくれた。
わしはその上に、電源を入れてフォトフレームを置く。
ゆっくりとスライドショーが始まると、レノアは衣装部屋へ戻っていった。
レノアに気づかれていたとは。
マシエラは興味津々に、ソファーによじ登って胡座をかいた。その格好にわしは度肝を抜かれるが今は関係ない。
「これが現代。アーカンシアのテムス橋、ヴィンスの新しい駅ビル、サリフェ公園の大観覧車……」
次々と映る建造物や風景は、国内の観光名所だと、このフォトフレームとメモリーカードをプレゼントしてくれた1番上の兄が言っていた。
「そして、これが飛行船」
なんて美しいのだろうか。
全長130メートル、ゴンドラ部分はマストのない海賊船である。飛行船は交通手段の1つらしいが、フォトフレームに映っているのはホテルでもあるらしい。
『人を乗せて空を飛ぶ乗り物よね。これに乗って戦うの?』
マシエラは現実的だった。
「違う。戦う為の乗り物ではなくて、遊びに行く為の、娯楽的な……浪漫?」
そう、これは浪漫なのである。
『娯楽? 浪漫? わけが分からないけど、余裕があるってこと?』
「そうなるのかな」
『ねえ、それじゃあ、エルフとの戦いはどうなっているの?』
マシエラは、ようやくそこに思い至ったらしい。
「エルフはフォルカの神々に新大陸をもらった」
『エルフに勝ったってこと?」
「……違う。フォルカの神々が仲裁に入ったのだから、勝ち負けにはならない」
『ああ……それはそうよね。そういうことにしておかないと』
マシエラは悪い顔で笑った。
──世界は竜族、魔族、神族によって創造された。人間とエルフと地底人は世界より生み出され、3族の守護と恩恵と加護を受けた。人間とエルフと地底人は、代わりに隷属と奉仕が義務となった。
「マシエラはエルフを見た? エルフはどんな容姿?」
『あたしのことは、シーラって呼んでよ。エルフは耳がちょっと尖ってて、肌は黄土色で、髪は緑よ。それから背中に透明な羽が生えているわ。綺麗な者もいたけど、醜い者もいたわ』
「それで、それで?」
わしはもっと聞きたくて意気込む。
『見たことないの?』
「ない」
『血まみれエルフ人形とか流行っていたんだけど、それもなさそうね』
マシエラはフンと鼻で笑った。
『本物の代わりに串刺しにして楽しむ人形なんだけど』
わしはぎょっとする。
なんて恐ろしげな遊びなのか。
わしにとってエルフは伝説の種族であり、好奇心をくすぐられる存在だが、マシエラにとっては、現実で、憎き敵なのだろう。
エルフのことを聞くのは止めたほうがよさそうだ。
『エルフがいなくなったのはいいことよね。フォルカの神々もよいことをしてくれたわ。予言者が言ったとおり、神々がでしゃばったのね。でも、そうなった時は、カズェンの神々が降りると思っていたから、ちょっと意外』
「カズェンの神々が?」
『そうよ。カズェンの神々は博愛で移り気だから、仲裁役としてちょうどいいもの。幅広く加護を与えるけれど、執着はしないから、お返しの義務も奉仕も軽く済むでしょ? これがエルラーシの神々だと大変だよ?』
──竜族は世界の安定の為に世界全体に薄い守護を、魔族はひ弱な人間に魔力という恩恵を、神族はお気に入りに濃い加護を与えた。
メルーソの民に加護を与えた神族は3つ。土のフォルカ、火のエルラーシ、風のカズェンである。これは普通とも言えるし、少ないとも思える。
『きっと、あっちこっちに飛び火して、余計にこじれたわよ。竜族の制裁とか、魔族の干渉とか。人間かエルフか、どちらかが死に絶えるまで収まりが付かなかったりしてね。人間が生き残ったとしても、隷属と奉仕の義務はきっときついものになったと思うわ』
きついものとは、どういうことなのか。
マシエラは当たり前のように話すが、わしは神々の性格まで知っているわけではない。
そもそも、隷属と奉仕は、あってないようなものだ。
世界は3族が創造し、わしらは世界から生まれた。謂わば孫のような存在である。孫は祖父母に甘え、感謝すればよいのだ。
『フォルカの神々でも悪くないのよ。エルラーシの神々に比べたらね。貸し借りゼロの、ローン返済可っていう、分かりやすい神々だもの。年号をフォルカ聖暦にしたことで、隷属と奉仕は果たせていると思うし』
「エルラーシの神々だったら?」
わしは問う。
隷属と奉仕は分けているが同義である。
3族への義務の果たし方はそれぞれ異なり、神々へのそれは、例えば絵を描く、像を建てる、広場や公園に神々の名を付けるなど、讃えることが多い。
『エルラーシの神々全員分の名を覚えるとか?』
「……101名分を?」
『子供の名前に、エルラーシの神々と同じ名を付けたりとか、体にシンボルタトゥーを入れたりとか、かなぁ』
それはもう神々に一生を捧げますと言っているようなものだ。
確かに、きつい。
『というわけで、あんたにいいものあげる』
マシエラはわしの目の前に拳を突き出し、手のひらを開いた。
手のひらには、5ミリに満たない菱形というよりは正8面体だろうか、色取り取りの小さな石がたくさん載っている。
『選んで』
「……魔力源礎石?」
『綺麗でしょ?』
マシエラはニッコリと笑った。
「……こんなに?」
『エルフとの戦いで死んだ兵士達のよ。すぐに取り出さないと、エルフ達に食べられてしまうんだもの』
マシエラはなかなか凄惨な光景を見てきたようだ。
『何色がいい? あたしの紫は、闇の魔力で、眠らせるのと、ただ強いのが取り柄かな。援軍系っていうの?』
「援軍?」
『トドメを刺す係りね』
なるほど。
『あんたはどんな魔法が使いたいの?』
わしはどうしようか悩む。困惑と言ってもよい。
今のわしは魔力をあまり欲していないからだ。
ヘンドリックであった頃、わしはよく頑張ったと思う。子供時分は勉強と魔法の訓練に明け暮れて、皇位に即いてからは好戦的な異国との外交や、ひっきりなしに提唱される改革案に頭を悩ませた。政情不安からくる内乱に、胃に穴をあけたこともある。善政を布いたとは言えないが、そのように努力はしたと思う。
死因は未だ思い出せないが、あっさり死んだ気がする。なぜなら、ヘンドリックに未練などないからだ。生まれ変わりたくなかったし、生きなければならないなら、ひっそりと気ままがよい。
今度は皇女で、皇女としての生き方など知らぬし、戸惑うばかりだが、継承権も魔力もない為に、期待も注目もされない。愚鈍だとも言われている。平穏が約束されているのだ。
「わたくしは……」
『魔法仕掛けの道具作りに適した魔力にする?』
ああ、そうだ。
それだけは残念だと思っていたな。
「幽霊が見える魔力は?」
『幽霊が見える?』
マシエラは面白そうに目を細めた。
「シーラと喋っていても、納得してくれそうな魔力を持っていたら、説明が楽?」
『つまり、あたしと堂々と遊びたいってことね?』
「まあ、そう」
『それでも変に思われるよ?』
変どころか、気味悪がられるだろうと容易に想像出来る。
「別に、いい」
『そっか。でも、そんな魔力はないよ』
「……ないの?」
『プッ』
わしが情けない顔をしたのだろう。マシエラは吹き出した。
幽霊とともに歩む、ちょっと刺激的な人生というのもよいかと、一瞬思ったのだが。
『たくさんあるから面倒くさいけど、1個1個試してみる?』
「試す?」
『心臓に埋める石を順番に入れ替えれば……』
「い、いらない」
わしは慌てて拒否する。
そんな恐ろしいことをされてはたまらない。
わしがプルプル震えていると、部屋の扉がカチャッと開いた。
ナタシアが戻ってきたのだ。
わしは急いで膝の上の本のページを捲る。
『クスクス、頑張れー』
なんて心のこもっていない応援だろうか。
あの後、レノアのとりなしで何とか叱られずに済んだわしは今夕食をとっている。
前菜はホワイトアスパラガスとエビの春野菜添えである。
『わあ、綺麗ね。これは何? こっちの葉っぱも食べられるの? これはエビよね? あたしもよく食べてた』
マシエラは身を乗り出して、皿を覗き込んだ。
わしも離乳食から普通の食事に変わった時は、好奇心が疼いた。素材も味付けもずいぶん変わり、わしでさえ驚いたのだから、マシエラのように2千年も間が空けば当然だろう。
わしはナタシアをそっと見る。
レノアはわしの入浴の準備と、明日の朝、謁見の儀に出る為の衣装選びに忙しい。
ナタシアは同じテーブルの向かい側に着いて、書き物をしていた。
フォークの先を少し上げればイケるかもしれない。
わしはしっかり茹でられたホワイトアスパラガスを一口サイズに切って、バターソースを絡めると、マシエラに目配せする。
触れるのだから、もしかして食べることも出来るのではないか。
ホワイトアスパラガスを刺したままのフォークを揺らすと、マシエラは目を瞠った後、顔を寄せて、口を大きく開けた。
思ったとおり、フォークの先からホワイトアスパラガスが消える。
『んー、なんかオシャレな味』
次は田芹である。シャキシャキの田芹がモサッと盛りつけられている。
『にがっ』
くしゃっとしかめられた顔を見て、わしは笑いをこらえた。
ついでに丸まったエビをマシエラの口に入れてあげる。エビはエビのようだ。
わしもそれらを食べ、ホワイトアスパラガスと田芹をねだられて、もう一口ずつマシエラの口に運ぶ。
『美味しいね。あたしに食べ物を差し出したの、あんたが初めてよ。幽霊になって、初めて食べたわ』
マシエラは目を潤ませている。
マシエラは幽霊だが、わしには生身の少女にしか見えない。食べたそうにしていれば、分けてやりたいと思うのが普通ではないか。同じフォークで、あーんをしたのは、わしも初めてだが。
『だけど、食べられるものなのねぇ。食べられるなんて、思いもしなかったわ』
そう言って、幸せそうに笑う。
『食べてみて分かったんだけど、口に入れた瞬間、魔力に変わるのね。味も食感も匂いもあるんだけど、魔力として消化……違う、蓄積される感じかな』
胃に溜まるわけではないのか。
幽霊とはいったい何なのだろう。
「媛様。田芹は美味しく召し上がれましたか?」
食べ残しのない皿に目を留めて、ナタシアが席を立ち、聞いてくる。
「美味しかった」
「そうですか。幼い方はたいていお残しされるのですけれど。媛様のよいところは、好き嫌いをなさらないことでございますわね」
ナタシアは感心したように言って皿を下げた。
確実に、食いしん坊だと思われている。
前菜の次は、春キャベツのポタージュである。
スプーンでそっとすくって飲む。マシエラの視線を感じたが、マシエラは右側に、スプーンを持つ手も右だ。さっきは左手にフォークだったので上手くいったが、さてどうしたものか。
「ナタシアは、嫌いな食べ物ある?」
書き物を中断してそばに控えるナタシアに、話しを振る。ナタシアは左側の斜め前にいた。
わしは左手の人差し指でテーブルを小さくトントンする。マシエラはすぐに気づいてテーブルを回ってきた。
「わたくしでございますか? そうですね、わたくしはからい物が苦手でございます」
ナタシアは少し首を傾け、恥ずかしそうに答えた。
テーブルトントンを気にしている様子はない。
「からい物?」
「幼い媛様にはまだお出ししたことはございませんが、唐辛子を使った汁物が少し前から流行っているようでございます。わたくしは年齢のせいか、どうもあまり……」
「そう。わたくしはマスタードのソースがからいと……」
鶏肉のパリパリ焼きが出された時のことを思い出して言う。
言いながら、少々行儀が悪いが、ナタシアに顔を向けたまま、ポタージュにスプーンを入れ、すくい上げてから停止した。
すかさず、マシエラがズズッと音を立ててすする。
わしにはその音が聞こえたが、ナタシアには聞こえていないはずだ。スプーンからポタージュが消えたのを、スプーンを傾けてこぼしたふうを装って誤魔化し、またスプーンをポタージュに潜らせた。
何だか、凄く楽しかった。
『あまーい』
マシエラはうっとりしている。
気に入ったようだ。
「マスタードも、からいといえば、からいですわね」
ナタシアは微笑ましそうにわしを見ていた。
バレないと分かれば、自分もポタージュを飲みつつ、マシエラにも飲ませられる。半分以上をマシエラの口に運び、深皿が空になれば、次はメーンの肉だ。
ナタシアが食べやすい大きさに切ってくれている間、わしはパンを千切って食べる。今日のパンは変わっていた。
ロールパンよりも丸っこく、もっちもちなのだ。
美味しかったので、マシエラにもお裾分けする。
『美味しっ。何この食感。チーズの味がする』
マシエラはもっとくれと口を開けた。
いつもは一つしか食べないが、今日は3つ全部なくなりそうだ。
わしは、幽霊な彼女にもう夢中です。
次は、夕食の点数と、彼女が叫びます。