第29話 談話室で
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと11
庭が陥没。
ザラヴェスクの問いに、好奇心いっぱいな顔で答えるエミリアーナ。
最初の爆発音はそれだったのだろうか。
「陥没するほどの魔法……? 風か? 土か? 水か? 紫か?」
「紫って、ザラヴェスクは面白いこと言うのね。わたくしは魔法のことは分かりませんけれど、強いってことですの?」
エミリアーナはわしの隣に腰を下ろした。マシエラはザラヴェスクの隣に座り、エミリアーナを眺めることにしたようだ。
「どうだろうな。程度によるが、まあまあ強ぇのか。俺のは火だから、火薬とかないと無理だな」
「そうなのですね。わたくし、驚きましたわ。3階の渡り廊下から見えましたの。5の建物の向こう側に松林がありましたでしょう? その林がなくなっていたものですから」
エミリアーナはコロコロ笑いながら、信じられないことを言う。
「松林って、キノコ狩りが出来るあの松林か?」
ザラヴェスクが目を瞠る。
「ええ、そこですわ。驚きますでしょう? わたくし、思わず二度見しましたもの」
「それって、木々が薙ぎ倒されている感じか?」
「いいえ。遠目ですけれど、大きな穴になっておりましたわ。木々は埋まっていたり、飛び散っていたかしら。ねぇ、ベアータ」
エミリアーナは乳母に同意を求め、ベアータと呼ばれた乳母はそのとおりだと頷いた。
「ふぅん。じゃあ、風の魔法か、ひょっとすると魔法じゃねぇかもな」
「魔法ではありませんの?」
「爆弾とかさ」
「まぁ、爆弾ですか?」
『爆弾じゃないよ。魔法だよ。今もいっぱい弾けているもん。ボンボン、バンバンって』
マシエラが速攻で否定する。
騒動は収まらず、戦闘が始まっているということだ。
「魔法によるテロよりも、爆弾によるテロのほうが多いらしいぜ」
「あ、らしいですわね。それは聞きましたわ。この間のソモン・マーケット立て籠もり事件は、ネズミ爆弾が仕掛けられていて大変だったのでしょう?」
「ああ、あれな」
わしには分からない話題だ。世間ではそんなことが起こっているのか。
「昨日の今日ですから、てっきり捕まった誘拐犯が脱走して大暴れしているのだと思いました。爆弾なら、持っていても取り上げられているでしょうから、別の犯人ですわね」
エミリアーナはあっさり締めくくった。
『同じだと思うな。きっと同じ』
マシエラはソファーの上で胡座をかいて寛ぎ始めている。
「あー、姉上。昨日のはロナチェスカのせいでは」
「あら。もちろん、分かっておりますわよ。悪いのは誘拐犯ですわ。エドゥアールは巻き込まれただけなのでしょう? あの子はとても不運な子なのです。産まれた時、眼の色は緑だったのですって。でも、数時間後には黒になっていて、魔族の恩恵を失いましたの。他にも……」
部屋で転んで頭を打ったとか、バルコニーから落ちそうになったとか、エドゥアールの不運話しは続く。だが、産まれて数時間で眼の色が変わるのはよくあることだ。
「そして、今回のことでしょう? エドゥアールは恐怖のあまり、泡を吹いて気絶したとか。精神的ショックが大きいので、離宮で静養することになったそうですけれど、皇子としてどうなのかしらね」
エミリアーナは呆れたように溜め息を吐いた。
「それもエドゥアールのせいじゃねぇだろう。エドゥアールはまだ5才だし、しょうがなくね?」
「そうかしら?」
エミリアーナはここで初めてわしと目を合わせる。責めるような、疑うような目でわしを見下ろした。
「ロナチェスカはどうお思いになって?」
「わたくしは、エドゥアールお兄様が早くお元気になられて戻って下さればいいなと思います」
「そう。そう思って下さるのね。情けないとは思いませんか?」
「そんなふうには……」
「わたくしは、どうしてかしら? と思いますのよ」
エミリアーナはわしを見ながら首を傾げる。エミリアーナは何を言いたいのだろうか。
「どうして、ですか?」
「これも昨日のことなのですが、巨大猫のぬいぐるみが襲ってきた時、ロナチェスカは冷静に護衛官を動かしていましたでしょう? エドゥアールはあなたより1つ年上で、しかも男の子ですのに、うずくまってガタガタ震えておりましたの。わたくしも恐ろしくて、動けませんでしたわ。ロナチェスカは、怖くありませんでしたの? その後、誘拐までされそうになったのに、ケロリとしているでしょう?」
「巨大猫のぬいぐるみは、ザラヴェスクお兄様が先に遊んでいましたから。侵入者の知らせが入った時は、すぐに浴室に連れて行かれて、わたくしは大人しくしていただけです。何もしていません」
マシエラもいたし、命の危険を感じるようなことはなかった。少しスリルを味わっただけである。
そうか。そんなふうに見られているのか。
「ロナチェスカは鈍感なんだよな。ルノシャイズ兄上にいつも抱っこされているから、恐怖とか麻痺してんだよ」
「フフッ、そうでしたわね。ロナチェスカは、その、よくルノシャイズお兄様と御一緒出来ますわね。いえ、あの、悪口ではございませんのよ」
「そうだぞ。悪口ではないからな」
2人は言ってから失敗したという顔をする。別に言いつけたりしないが、ザラヴェスクだけでなく、エミリアーナまでルノシャイズが苦手とは。
ルノシャイズは格好つけで、チャラい。女の子に優しく、よくデートをしている。だが、大学に通いながら父皇帝の補佐官の仕事までこなす、とても優秀な皇子である。人当たりがよく、苦手意識を持たれる人ではないと思うのだが、時折溢れる威厳が、恐怖を植え付けるのかもしれない。
「ルイズお兄様はきっちりした方で、完璧主義ですから、誤解されるのかもしれません……?」
わしは何とかフォローを入れる。
『あの皇子様はすごくいい人そうだよ。実は、腹黒なの?』
腹黒……。
「まぁ、そうだな。ルノシャイズ兄上は、バカは相手にしないというか、バカは嫌いだもんなぁ。人の学校の成績とか知ってやがるし……1+1から勉強したほうがいいんじゃない? とか言われたし」
ボソボソと自分を貶めるザラヴェスク。
「わたくしは、外面だけが取り柄というのは人としてどうなのでしょうねって言われましたわ。お父様のお話を、黙って聞いていただけでしたのに」
エミリアーナは遠い目をする。
「……まぁさ、学校に行くともっとひどいことを言われるというか聞かされるというか、現実を知るというか、な」
「そうですわねぇ。現実はもっと競争社会というか、実力主義というか……」
「俺は皇子だってのが、あんまり通じねぇ」
「えぇ。お友達になったらこんな特典がありますというのを示しませんと、ちやほやしてくれませんもの。それを考えると、ルノシャイズお兄様はまだお優しいほうかしら」
学校に行く2人からどんよりとした空気が流れ、殺伐とした現実を聞かされるが、わしはそういうものだろうと思う。生き抜くのは、たぶんどの時代でも大変なのだ。
「おまえは? ルノシャイズ兄上に何か言われたこととかねぇの?」
「……何か、何か……? お母様と仲良くしなさいとか? 毒ではないからと不味くても食べてしまっては料理人が図に乗るとか……」
ルノシャイズはいつも優しいので、わしには2人と共感出来るところが少ない。精一杯思い返して答えると、ザラヴェスクとエミリアーナは、哀れみの籠もった目でわしを見た。
「あ、あの……」
「ロナチェスカがしっかりしているのは、そのせいかしら。ローランゼ様は、セレスティアにばかり構っていらっしゃるようですものね。あなたはまだこんなに小さいのに」
「え? いえ、そういうわけでは」
自分から独りぼっちになっているのに、母が悪者になってしまった。
「母上も姉上もちょっと面倒くせぇ人だからな。俺も、おまえのことずっとほったらかしで悪かった」
「そのようなことは……」
わしは言葉を濁し、曖昧に微笑む。
親や兄弟、宮廷生活に今更関心もなかった自分。厄介事に近寄らないように噂には耳を澄ましていたが、生きることが面倒でしょうがなかった。こんな自分と、母や姉や、ザラヴェスクとよい関係が築けるはずがないのだ。悪いのは、ザラヴェスクではなく、わしだ。
「わたくしのお母様も、少しおかしいのです」
「姉上?」
「お姉様?」
『なになに?』
キッと顔を上げて、エミリアーナが思い切ったように言い出す。
「媛様」
エミリアーナの乳母が、エミリアーナをそっと諫めた。
「どうせすることないんですもの。少しぐらい相談してもいいでしょう?」
「ですが」
「お母様は、とても、おっちょこちょいなのです。イヤリングの片方をなくしたり、ネックレスの鎖が切れたり、靴が脱げたり、指に薔薇のトゲが刺さったまま朝の謁見に臨んだり……」
乳母が止めるのも聞かず、強引に話しを進めるエミリアーナ。エミリアーナの母は浮気が疑われているカロリーヌ妃である。わしのイメージと少し違う。
「ベルナルディだっけ? カロリーヌ様に跪いて靴を履かせていたのを見たときは、正直、どん引きだったけどな」
ベルナルディ・オウレリ・ダルカイサ・メルーソである。継承権を持つ従兄達の中で最年長だったはずだ。
「お恥ずかしいですわ。ビセンテシオ様が薔薇のトゲを抜いて下さった時などは、お母様ったら、指先にキスを許し、記念にと言われて手袋を持ち去られたりしました」
エミリアーナはモジモジしながら言う。
それは、おっちょこちょいというのか。ビセンテシオ・ブラン・カナレハス・メルーソも、継承権を持つ従兄の一人である。確かに、カロリーヌ妃といえば、遠目でしか知らないが、いつも従兄達に囲まれて花のような笑顔を浮かべている気がする。
「……ヤバくね?」
ザラヴェスクは少し前のめりになって声を落とした。
「やっぱり、そう思われますか?」
「思う」
「でも、お母様は自分がそそっかしいことをしたからだと思っていらっしゃるのです」
エミリアーナも小声で返す。
「はあ? なんだそれ」
「言い寄られていることに、お気づきになっていないのです。おかしいでしょう? わたくしとヘカテリーナは、せめて朝の謁見の儀の間はと、お母様から目を離さないようにしているのです」
「大変だな」
「大変なのです」
そういうことなら、カロリーヌ妃は浮気をしていないのだろう。
わしとマシエラが盗み見した侵入者はカロリーヌ妃への愛を叫んでいたが、あれは男どもが勝手に誤解するというパターンなのか。しかし、エドゥアールを自分の息子と勘違いするようなことはあったのだろう。それはやはり浮気になるのか。
『ねぇねぇ、やっぱりスキャンダルの話し?』
マシエラがニコニコと聞いてくる。
わしはコクコクと頷く。
カロリーヌ妃の情報がまさかエミリアーナからもたらされるとは思わなかった。
「ロナチェスカにはまだ早いな」
「そうですわねぇ。ごめんなさいね。ローランゼ様はお母様よりお綺麗ですけれど、そんなことありませんか?」
「母上? 母上は野心の人だからなぁ。ヴァレンテ家の令嬢だったし、ちやほやされ慣れているだろうし。宮廷で権力のある男って言ったら、父上が一番だろ」
「クスクス。確かに、それはそうですわね」
姉と弟が、それぞれの母親の男関係を話す、何だかシュールだ。わしがそう思ったのと同時に、ザラヴェスクとエミリアーナは黙り込んだ。
『お妃達のスキャンダルかぁ。もっとドロドロすればいいのに。あ。あれ? ロカ、あれって魔法陣じゃない?』
マシエラは恐ろしいことを笑顔で言ってソファーを降りると、部屋の隅に走っていく。
魔法陣? 通ってきた魔法陣ではない魔法陣があるのか?
わしはシンとした部屋の中、3人の乳母と3人のメイドの視線を気にしながら、マシエラの後を追った。
「媛様?」
ナタシアとレノアがすかさずついてくる。
『ほら、これ』
「ホントだ。ちっちゃいけど」
カーペットも届かない、花柄の壁紙が迫るフローリングの隅に、手のひらサイズの魔法陣が彫られている。
「八重の魔法陣。これ、魔族文字だ」
わしは床にしゃがむと、びっちり彫られた魔族の文字を読む。
「ずいぶん小さい魔法陣でございますね」
レノアが膝をついて、わしと同じように魔法陣を覗き込んだ。
「どれだ?」
「どうしましたの?」
そこにザラヴェスクとエミリアーナも体を寄せてくる。
「何の魔法陣だ?」
「出る、飛ぶ、場所、ヴィンス、でございましょうか」
レノアがザラヴェスクに場所を譲りながら、分かる文字を読んでいく。
「ここから移動する魔法陣か?」
「そのようです。ここからさらに避難する場合の魔法陣かと思われます」
レノアはそう言って立ち上がると、後ろに下がった。
「なるほどな。まったく読めねぇが……魔族文字ではあるな」
「ええ。目玉の絵ですものね」
ザラヴェスクとエミリアーナは首を傾げる。
魔族の文字は目の絵としか言いようがない形をしている。睫の本数、虹彩の大きさ等、細かいところは異なるが目の絵は、目の絵である。一つの目で長文だったり、複数の目で一つの単語だったりと、解読は難しい。レノアが読んだ、出る、飛ぶ、場所、首都ヴィンスは、魔族の落とし物として各地に残っている移動の魔法陣でよく使われている文字な為、比較的解読が進んだものなのだ。
だが、ブリジットを呼び出した降霊術の魔法陣が、魔族の文字で出来ていたように、皇家には魔族文字の読み方が伝わっている。
わしは子供の頃に、開かずの書庫で覚えたし、我が子の中でもあまり取り柄のない息子や娘には、少しは人生を楽しめるようにと積極的に教えた。
ザラヴェスクとエミリアーナはまだ習っていないらしいが、まさか、廃れて、誰も読めなくなっているということはないだろう。
この小さな魔法陣に彫られた文字は、真ん中から現代風に読むとこうなる。
外へ出るぜ。飛ばされる場所はランダムだ。八カ所あるから運がよければ面白いことになる。ヴィンスのどこか、ソフィアンナ博物館のどこか、サリフェ公園のどこか、アウリッキ・デパートのどこか、ファニーフローの湖岸、クラーラ・クラーロ・リゾート、ニズール山の東側、リヒゲルトの森。
ランダムに飛ばされる場所は、どれもこれもいわゆる行楽地である。
「避難場所というよりは、家出用?」
わしは立ち上がってソファーまで戻ると、マシエラに小さくおいでおいでをする。
『いいこと思いついたの?』
「ううん。シーラは魔族文字が読める?」
わしは声を出さないように息を潜めて問う。
『何となくなら』
「じゃあ、シーラには竜族の文字を教えてあげる。宮殿にはいっぱい隠されているから、読めるときっと楽しいよ」
『おおおおおっ』
興奮して雄叫びを上げるマシエラに、わしはわしの最大の秘密をマシエラに話そうと決めた。