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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
28/43

   第28話  避難

子供編

4才のわし、少しずつ変化する日常   ぱーと10

 彼を呼んだのは、もちろん彼が護衛官だからである。

 だが、そばに控えたのはナルビエス1尉ではなく、オーエン3佐だった。

「ちょうど交代の時間でしたので」

「御苦労様」

「ありがとうございます。お呼びとは、何かありましたか?」

 部屋には入らず、窓の外で身を屈めたオーエン3佐は、涼しげな顔をして言う。


「何もありませんか?」

 ないならそれでよいのだ。近くで戦闘が起きていようと、わしに関係がなければ気にすることではない。

「皇女殿下が懸念されることが?」

 オーエン3佐は庭を振り返って警戒する。レノアもブリジットも魔力の爆ぜる振動を感じていないのだ。オーエン3佐も知らないのかもしれないが、護衛警備官は無線を持っている。担当区域でなければ連絡も入らないのだろうか。


『あっちだよ』

『わたしが見てきますわ。いざ、スパイ活動です』

 マシエラの指差した方角に、レノアがはりきって飛んで行く。

「あっちには何があったかな」

「領家の私邸がございますね」

 ナタシアが答える。

『え、スキャンダルってこと?』

 キランッとマシエラの目が輝く。

 わしは笑う。どれだけスキャンダルが好きなのだ。領家のことなら、戦闘が起きるほどのスキャンダルでも、マシエラが楽しんでくれれば、まあよいかとは思う。カロリーヌ妃の浮気云々よりは、わしも楽しめるかもしれない。


「媛様? 何かあるのでございますか?」

「オーエン3佐に、可愛いミミちゃんを見てもらってもいい?」

「あら、それはよろしゅうございますね」

 ナタシアに許可をもらって、わしは可愛いミミちゃんを取りに行く。

 箱は片付けられ、道具が収まったケースもどこかに仕舞われ、テーブルの上には可愛いミミちゃんがぽつんと所在なげに置いてけぼりになっていた。

 わしはそれを抱きかかえ、窓際に戻る。


「ああ、可愛いミミちゃんですね」

 オーエン3佐は可愛いミミちゃんを見て笑う。彼も小さい頃、これを作ったことがあるのだろうか。

「アシュバレン叔父様が子供の頃遊んだ物らしいです」

「……さすがに魔力切れではありませんでしたか?」

「魔法陣とか、制作道具も付いていたんです」

 驚くオーエン3佐に、わしは黒猫の可愛いミミちゃんを床に立たせて見せる。

 もそもそと手足が動くのをのんびりと眺めながら、わしも床に座り込んだ。


「人工魔力源礎石とトウオは面白いです。叔父様が作っているぬいぐるみは、魔法仕掛けなんですか?」

「そうですね。目が光る物とか、爪がニョキニョキするのが人気だと聞きます」

「……趣味悪くないですか?」

 わしはアシュバレンにもらったぬいぐるみリュックが、さらに目が光ったり、爪がニョキニョキするのを想像して、ゾッとなる。

「ぬいぐるみというのはもっと、こう……」

 わしはずっと目の端にいる、ラブリンナの雛、ボリンを見る。

 ただの丸い毛玉でも、あの猫のぬいぐるみリュックより、ボリンのほうがぬいぐるみらしい見た目だ。


「どこに顔があるのか、丸いだけの、鳥とも思えない鳥よりは……」

「ボリンはちゃんと顔があるし、顔も可愛いです」

「本物の猫はもっと可愛いらしいですよ」

「そ……」

 それは言い返せない。

『何か、論点が変じゃない? というか、今度はこっちで始まるみたいだけど』

 マシエラの指が部屋の中を向く。部屋を通り越した向こう側ということだ。


「皇女殿下?」

「……やっぱり、警備が甘いと思う」

 わしは可愛いミミちゃんを持って立ち上がる。

『来るよ、来るっ』

 マシエラの切羽詰まる叫びに、わしは身構える。

 ドガーンッと一発大きな爆発音が轟き、続けて小さな爆発音が3度、4度と響いた。

 そして領家私邸の方角からも火柱が上がるのが見える。

 間を空けず、西の塔にある鐘がリンゴンと鳴り、わしらは黙ってその数を数えた。

「10回」

 部屋を出て、決められている場所へ避難である。


「レノア、媛様の靴を。オーエン3佐は、部屋の中に入って下さい」

 ナタシアが冷静に指示を出し、オーエン3佐は部屋に入って窓に鍵を掛け、カーテンを引いた。

 わしはエナメルの靴を脱いで、レノアが持ってきてくれた白のスニーカーに履き替える。

「ボリンは」

「媛様。一時の避難でございますし、無人の子供部屋は素通りされます。襲撃犯も時間は惜しいでしょうからね。ボリンは毛玉にしか見えませんし、大丈夫でございます」

「……分かった」

 わしは可愛いミミちゃんをボリンの近くに置き、ボリンはぬいぐるみではないが、ぬいぐるみアピールをしておく。


「向かうのは2番非常階段から第1シェルターへ。オーエン3佐、アクセス許可レベルは?」

「4です」

「では、行きましょう」

 ナタシアは頷いてわしの手を握った。


 廊下に人影はなく、喧噪だけが聞こえてくる。

「爆発音は、1の建物で起こったものではありませんね」

 オーエン3佐がわしの少し後ろを歩きながら言う。

 宮廷は皇家と皇妃の住居として1から5までの建物がある。皇帝の室があり、わしの部屋があるここを1の建物と呼んだ。

「おそらく、4の建物より向こうでしょう。3の建物までなら、何とか感知出来ますので」

「4は新しい皇妃、5は従兄達が住んでいる?」

「はい。イザベラ・イレール妃様は皇子を御懐妊中です」

「皇子なの?」

「はい」

「従兄達は継承権を持っている。襲撃じゃなくて、内部ってこと?」

「そこまでは」

 オーエン3佐がくれた情報は、面倒くささを伴っていた。もし内部なら人騒がせもいいところである。だが、オーエン3佐はそうであって欲しそうだった。


「本当は?」

「……5の建物のさらに向こうに、詰め所があります」

「詰め所?」

「フェザー班の詰め所です。地下に取調室がありまして」

「……」

 廊下を西に歩いて角を曲がり、北に向かって歩くと謁見の小広間へ上がるエレベーターの前に出る。

 そのエレベーターの上行きしかないボタンを6回連続で押すと、扉の横の壁がかすかな機械音を出して上下に開いた。

 避難訓練以外で、ここを潜るは初めてである。


「逃げられたってこと?」

「そうでなければいいのですが」

 オーエン3佐は困ったように言う。

 昨日捕らえられた襲撃犯は、いずれ始末されるにしても、すぐに殺されることはなく、カロリーヌ妃の真偽を問う為、ひっそりと取り調べが行われていたはずである。

「減給では済まされなくなりそうですね」

 隠されていた階段を下りながら、わしは呟いた。


 カロリーヌ妃の浮気云々の延長ならば、わしには関わりのない話しではある。わしにとっての最良は、人死にがなく穏便に済むこと。誰にとっての穏便かというと、父皇帝にとってである。

 ここまで大ごとになると、アシュバレンや護衛警備官の都合など知ったことではない。


「オーエン3佐は、事態の詳細が掴めているのですか?」

 ナタシアが問う。

「いえ、予測の範囲ですが。昨日の襲撃犯を収容していた牢が、この方角にあるのです。昨日の今日で、別の襲撃がとも考えにくく。領家私邸のほうは分かりません」

「さようでございますか。媛様はまだ狙われているのでしょうか?」

「可能性はあります」

 ない、ない。

 オーエン3佐はしれっと嘘を吐くが、わしはその設定に不満がある。


 階段を下りきると、狭い廊下が延び、1列になって進む。

 その先は行き止まりの開けたスペースになっていて、顔だけは知っている警備官が2人待機していた。

「こちらに立っていただき、両手をパネルに乗せて下さい」

 警備官が先ずわしを誘導する。

 わしは床に嵌め込まれた、金属プレートに深く彫られた魔法陣の上に足を乗せた。

「あ、オーエン3佐はここまでで構いません。フェザー班と合流するなり、よきように」

「媛様。狙われているのは……」

「魔法陣の向こうまで、襲撃犯が来られるとは思いません。大丈夫」

 安全と分かっている場所に、オーエン3佐は勿体ない。


 わしはどうにか手が届く高さのパネルに、何とか手を押しつける。この魔法陣は登録された両手の掌紋と、親指以外の4指の指紋で動く。アクセス許可レベル4以上が必要だ。


「来たか。学校から帰ったらこれだもんな。おまえは、おやつはもう食べたのか?」

 一瞬の清涼感の後、わしはマシエラと共に第1シェルターという名の談話室にいた。

「お兄様。イチゴのプルプルゼリーをいただきました」

「プルプルか。すっぱかったか?」

「甘かったです」

「そうか……」

 わしは同母の兄で9才の第4皇子ザラヴェスクの向かいのソファーに腰を下ろす。

 部屋にはザラヴェスクと、ザラヴェスクの乳母とメイドがいた。ナタシアとレノアも魔法陣を通ってこちらに来る。


「俺は買い食いが出来るから、昼とおやつは美味いもんが食える」

「それは羨ましいです。でも今日のお昼は、鍋焼きうどんで美味しかったですよ」

「へぇ。つか、何でも出るよなぁ。うちのメニュー、手当たり次第じゃね?」

 ザラヴェスクは派手なパッケージのペットボトルに口をつけた。

 行儀悪くも、直飲みである。


『ねぇ、ねぇ。避難したの、これだけ?』

 がらがらな部屋、空いたソファーを気にしてマシエラが言う。

「ここへ避難するのは、他に誰がいらっしゃいましたか?」

 避難訓練ではもう2、3人いたが、わしは誰だったか覚えていない。シェルターは他にも幾つかあり、万が一の全滅を防ぐ為に、1カ所に集まらないようになっているのだ。宮廷で働く他の者も、それぞれ避難する場所は別にある。

「あー、誰だっけ?」

「クラディエス皇子殿下と、エミリアーナ皇女殿下と、エドゥアール皇子殿下でございますよ、確か」

 ザラヴェスクの乳母が答えた。


「クラディエス兄上の野郎は来ねぇな。避難など軟弱者のすることだーとか何とか、爆心地に走っていってクロスボウぶっ放していそう」

「クラディエスお兄様はそんな気がしますね」

 ルノシャイズの同母の弟、16才の第2皇子は、脳筋だった。

「乳母もメイドも似たようなアレで、何つうか、変わっているよな」

「朝の謁見の儀では、嘘みたいに大人しく、見事なまでに存在感がありませんけれど」

「乳母がいないと何にも出来ないお坊ちゃまで、メイドに格好つけたがるっていうか。育成統括官は、俺達をどう育てたいんだ?」

「持って生まれたものはなかなか矯正出来ないってことでしょうか」

 わしが言うと、ザラヴェスクの乳母が何度も大きく頷いた。ナタシアもわしの後ろで同じ反応をしているかもしれない。


「エドゥアールは離宮だし。そうなるとあとはエミリアーナ姉上だけか?」

 カロリーヌ妃を母に持つ、エドゥアールと同母の姉、13才の第2皇女である。

 まだ学校から帰っていないのかもしれない。

「エミリアーナお姉様は、学校が遠いのですか?」

「どうだっけ? 女子校だよな? この間、お姉さん達をぞろぞろ引き連れて、庭で遊んでいたけど」

「お庭で?」

「噴水のところでピクニックしていたみたいだったな。俺のツレは許可下りねぇのに」

「破壊されたお庭が目に浮かびます」

「おまえな……んなわけあるかよ」

 ザラヴェスクは横を向く。

 その一瞬の間は何だ。


「クスクス。ザラヴェスク様とそのお友達は、梨の木を丸裸にしてしまわれたことがおありなのです」

 ザラヴェスクの乳母が柔らかく笑いながら告げる。

「喉渇いていたんだよ。クラス全員で1個ずつだぞ。俺が全部食ったんじゃないし」

「クラス全員……? さすがお兄様」

「お、おう」

 何人いたのか知らないが、大勢をわやわやと率いているザラヴェスクが容易に想像出来る。


「ああ、いましたわね」

 衣擦れの音がしてエミリアーナが魔法陣を抜けてきた。続いてエミリアーナの乳母とメイドが入って来る。

 部屋に花のような匂いがふわりと漂い、雰囲気がガラリと変わるのが分かった。

「外はすごいことになっておりますわよ」

 エミリアーナは興奮した様子で、頬をほんのり上気させている。


『うわぁ、可愛い……』

 マシエラが口をぽかんと開けて、うっとりとエミリアーナに見惚れた。まあ、気持ちは分かる。

 エミリアーナはマシエラと同じ年頃で、マシエラより少し背が高い。緩くカールした黒髪、二重の大きな黒眼、ピンク色のリップがツヤツヤなふっくらした唇、少女らしく華やかで、いきいきとした表情は人目を引く。

「姉上。すごいことにとは?」

「お庭の1部が陥没しておりましたの」

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