第25話 わしは悪くない
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと7
「お手」
2匹の犬が競うようにお手をする。
花柄のプラスチックのコップに、水筒のリンゴジュースを入れてもらって、わしは一息ついていた。
ナタシアとレノアは緊張が解けないようで無口だ。特にナタシアは何だか元気がない。
マシエラとブリジットは犬のしっぽをつかめないのに、つかもうとしていたり、アヒルに突っ込んでいったり、楽しそうに遊んでいる。
「ロナチェスカは葡萄を植えたいんだね? どの葡萄が好きなの?」
四阿で、テーブルを挟んで向かいに座ったアシュバレンが、紙パックのジュースを片手に聞いてくる。
四阿には自動販売機、略して自販機というものが設置されていた。おカネを入れて商品を選び、パネルにある商品と同じ番号をタッチすると、数秒で取り出し口に落ちてくるのだ。アシュバレンは自分用にバナナミルクを、わしにイチゴミルクを買ってくれた。
面白い。
自販機は紙パックのジュースだけでなく、ペットボトルのドリンクや、アイス、小袋に入ったお菓子も買えるようになっていた。値段は80セーロから、200セーロまで。
面白すぎる。
しかも、魔法仕掛けではなく、普通に機械だという。魔力は特権を生むが、携帯電話や映画、魔力のない人間でも楽しく生きていける世の中なのだろう。
すっかり時代が違うのだと、わしは思い知る。
「種なし、皮ごと食べられるオレンジ色の葡萄が1番好きなので、それを植えたいです」
「ブナセか。モーソン領の特産品だね」
「はい。アンお姉様がよく送って下さるのです」
ロナチェスカになって初めて食べた葡萄がそれだった。あの時の感動は今も継続中である。わしが姉アンシェリーを好きなのは、異母なのに可愛がってくれるからというのもあるが、その葡萄にメロメロなせいかもしれない。
「よく?」
「毎月三日か四日ぐらいに、五箱届きます」
葡萄は1房ずつ化粧箱に入っている。それが5つ、まとめて大きな保冷箱で届くのだ。隙間に野菜や菓子と、何も書かれていない風景画のポストカードが1枚必ず入っていた。
「デザートに出ませんか? 1房はまるまるわたくしがいただくのですけれど、2房はお裾分けとして厨房に任せています」
「……そういえば、月初めになると、ケーキとかヨーグルトに付いてくるね。2、3粒」
「フフッ。お裾分けですから」
「あとの2房はどうしているんだい?」
「お父様と、ナタシアにあげています」
「……」
アシュバレンは目を見開いた。
そんなに驚く台詞だっただろうか。
わしはリンゴジュースをゴクゴクと飲み干した。
アシュバレンに買ってもらったイチゴミルクはレノアのトートバッグに入っている。レノアがせっかく用意してくれた水筒を無駄にするのは勿体なく、リンゴジュースも好きだからだ。アシュバレンは気を悪くすることなく、持ち帰るのならもっと買ってあげようかと笑っていたので大丈夫だろう。
「なぜ兄上に?」
「アンお姉様は、大雑把で細かい気配りが苦手なのです。特産だというのに、添え状が面倒だとおっしゃって、わたくしにしか送っていないようなのです。いつもお手紙代わりのポストカードが入っているだけで」
「それは、アンシェリーらしいね。アンシェリーも、勉強が嫌いだった」
「なので、お父様に。わたくし経由でも、お姉様からの葡萄ならお喜びになると思って。ルイズお兄様は外で大勢の彼女と美味しい物を食べているでしょう? クラディエスお兄様と、グレゴリウスお兄様はわたくしと親しくしていませんから」
「なるほど。兄上はきっと喜んでいるよ。ルイズは悔しがっているだろうな。今度からかってやろう。クラディエスは葡萄より肉だし、グレゴリウスはどうでもいいよ」
最後は辛辣だった。
ナタシアにあげていることには何も言われなかった。
乳母とはそれだけの地位にある。レノアはもちろん、他の乳母やメイド、ナタシアの上司や、下働きまで、必要な人脈を得る為に、葡萄は利用されているだろう。乳母とは、成人するまでの執事の代わりである。
「メオルン領は何が美味しいのですか?」
「海があるから魚かな。有名なのはツミハだよ。唐揚げが美味しいんだ」
「ツミハ……」
その魚は知っている。独特の旨味と苦みがあって、干物が美味しかった記憶がある。
ニドリア領の特産だった。ニドリアは消え、メオルンとなったのか。メオルンは難しい土地で、遠いところにあると聞いていたが、ニドリアならよく分かる。貿易港があるのだ。
異国との貿易は、富と共に変化をもたらす。メルーソ民族は、異国の文化を取り入れることにためらわない。食も、衣服のデザインも、建物の仕様も、代々の仕来りすら、よいと思えば変えてきた。だが、異国の人間、他民族の移住だけは認めなかった。この大地はメルーソ民族の縄張りであり巣穴であるとはよくいわれる言葉である。
そうはいっても、異国と交流する以上、異国の人間、他民族がやってくるのは避けられず拒めることではない。外界を完全に遮断すれば、却ってその閉塞感に病んでしまう。国は貿易港のある土地に限って、異国の人間、他民族の居留を認めたのである。
ニドリアの貿易港はヴァレンテ家が開いた。ヴァレンテ家は異国の人間も他民族も商売相手として大事にしたので、居留地は地元の町よりも栄えていると聞いた。他民族によるマフィアの台頭である。
「それから、煙草と珊瑚はヴァレンテ産業の取り扱いだったかな」
「どっちも儲かりそうですね」
「そうだね。密約がなければ、領地としてもウハウハだったんだけど」
「密約?」
「昔、当時の領主がヴァレンテから貿易港を取り上げちゃってさ」
「自分で自分の首を絞めたのですね……」
ロナチェスカはアシュバレンに同情する。密約は相当なものだろう。違えようものなら、ヴァレンテ家の蓄積された恨みが領主に向かう。
「まあいいさ。わたしには1枚だけ、強力な切り札がある。10年後か、20年後か分からないけどね」
「使う気ですか?」
「悩むところだね。ロナチェスカが取り持ってくれてもいいけど?」
「家出していいですか?」
同情はなしだ。
領主は皇帝選抜の投票権を持つ。アシュバレンがそれを得て、兄ザラヴェスクないしヴァレンテ家と取引すれば、領内で暴れているヴァレンテを手中に収めることも出来る。
アシュバレンはわしを上手く使いたいのだろう。あの、紙一重といわれる青い焔眼、オーエン3佐を飼い慣らしているぐらいだ。
アシュバレンは兄エドゥアールの誘拐事件で、わしに利用価値があると思った。
秘密の共有、ルノシャイズとの仲の良さ、アヒルの池、わしと母の仲の悪さ、そのすべてが交渉材料なのだろう。
アシュバレンは欲をかいたのだ。
『ロカ? イヤなことあった?』
『皇女様。凍らせますか?』
マシエラとブリジットが戻って来ていた。
アシュバレンは身を強ばらせて、驚愕の表情でわしを見ている。
またやってしまったようだ。
わしは立ち上がる。
犬と別れるのは名残惜しかったが、もう部屋に帰りたい。
犬達を見ると、これでもかと腹を見せて服従のポーズをしていた。
「あなた達は、とんだとばっちり?」
わしが思わず笑うと、犬達はひっくり返ったまま、尻尾をゆさゆさと振る。顔は楽しそうである。
「ナタシア、今日のおやつは何?」
「フルーツゼリーでございます」
「ゼリー、好き」
「ピアノの練習が先でございますよ」
いつものナタシアだった。
テラスで顔色の悪いナルビエス一尉と別れ、部屋に入る。
衣服を着替え、手と顔を洗い、ついでにうがいをして、わしはフラフラとベッドに倒れ込んだ。
『ロカ、しんどいの?』
『お顔が赤いですわ。少し熱が出ているのかもしれません』
2人が心配そうに顔を覗き込む。
「平気。ちょっと疲れただけ」
いつもより歩いたからか、足が痛い。体は元気である。
「日焼けしておられますよ。まだ4月ですのに。次は帽子を被らないといけませんね。レノア、媛様に氷入りのお水を持ってきて下さい」
「畏まりました」
ナタシアが珍しくベッドに腰を掛けて、わしの前髪を払う。
いつもなら、だらしがないと叱るのに。
『日焼け……ちょっと羨ましいかも』
マシエラがぽつりと言う。
『……本当に、熱はありませんか? 苦しいとかないですか?』
ブリジットとは契約しているので、わしのモヤモヤが伝わっているのかもしれない。
アシュバレンのことである。
少々利用され、さらに利用されようとしたぐらいで、何度も怒るようなわしではなかったはずだ。
アシュバレンのことは信用もしていなかったのである。
「媛様。少しお話しをしましょうか」
「ナタシア?」
「皇家のお生まれは、普通の人とは違う。型に嵌めようにも、嵌らないから、育児書も子育ての経験も役に立たない。乳母同士、慰め合う言葉でございます」
なんと。
「シルヴァーナ様はお勉強がとてもよく出来ました。けれど、媛様に比べますと、思考は幼く、手の掛からない大人しい方でございました。媛様は、お勉強は苦手ですし、美術には興味もなく、音楽は音程も関係なく大声で歌うだけ。お作法や所作は素晴らしゅうございますが」
だいぶ、けなされている気がする。
「媛様は……お勉強や常識を学ぶ前に、精神のほうが先に成長したのでございますねぇ。理性が働くので、感情が置いてけぼりになる。けれど子供は子供ですから、感情が振り切れて癇癪を起こすこともありましょう」
「癇癪……?」
「わたくしは媛様の乳母でございます。皇家所掌管理局育成統括の方針に従い、心身ともに健全にお育てするのが乳母の仕事でございます。お世話していればいいというわけではないのです。さあ、媛様、どんとおっしゃって下さい」
「え? え?」
「媛様が癇癪を起こされたのは、今日で3度目でございます。1度目は一昨日、シャーベットがすっぱかった時、あれは仕方がありません。媛様は食い意地が、いえ食べることがお好きですから。2度目は昨日、襲撃があった時。警備の不手際にお怒りになりましたね。これも分かります。自分達のしくじりを、媛様のせいにしようとしました。媛様がヴァレンテであることを侵入された言い訳にするなど、呆れるにもほどがあります。ですが、媛様。普段の媛様なら、一言、ふぅんで終わったのではありませんか?」
確かに。
アシュバレンが兄エドゥアールの部屋で、侵入者とやり合うのを盗み見した上での怒りではあったが、ナタシアの言うとおりかもしれない。
「フェザー2佐が気に食わなかった」
そういう理由にしておこう。
「何をおっしゃいます。ソフィアンナ博物館を見学させろとお約束をもぎ取ったではありませんか」
ナタシアは苦笑する。
「苦労すればいいと思う」
「まあ、媛様。意地がお悪うございますこと」
「行きたいのは本当。だけど……」
意趣返しだった。
この宮殿の隣に、同じぐらいの敷地の、最大にして最高と言われる国立博物館がある。昔の皇女が創立し、その名前が付いた博物館は、展示にも研究にも莫大な金額を注ぎ込み、国からの予算ではとても足りず、常に民間からの寄附を募るほど金食い虫であるが、問題はそこではなく、この宮殿と同じぐらいの敷地というところである。
つまり、小さな町ほどの面積があるのだ。
展示棟だけで何十とあるらしい。
わしは全部見て回る気でいる。1日1棟として、何十日も、護衛官はわしに付き合わなければならないのだ。
かつてそこは軍事演習場であった。
ヘンドリックより後の時代に、博物館となったのだろう。地雷が残らず撤去されていることを願う。
「媛様は自我の目覚めと、反抗期に入られたのだと思いますよ」
「……反抗期?」
わしは一瞬で悟った。
『ぶっ、反抗期……』
『反抗期ですかぁ……』
本人は大真面目に悩んでいるのだが、端からは生暖かい目で見られるという。
わしは手で顔を覆った。
「成長には必要なことでございますから」
違う。
今更反抗期などあるわけがない。
『ねぇねぇ、イヤイヤ期とかあったの? うわー、見たかった。ロカのイヤイヤ期』
『きっと、もの凄くお可愛らしかったに違いありませんわ』
ない、ない。
そんなのはなかった。
わしはいたたまれなくなって、ベッドから起き上がった。
「そして、今日でございます。アシュバレン殿下と葡萄や魚の話しを機嫌良くしておられましたのに。密約とか物騒な言葉が聞こえ、媛様は突然お怒りになって席をお立ちになりました。わけを、教えて下さいませ」
アヒルの池でのことなら隠すことはない。
わしは話すことにした。




