第23話 アヒルの池
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと5
衣服はヒラヒラのワンピースから小さな水玉のブラウスとスキニーパンツになった。薄手のカーディガンを羽織り、髪はピンからリボンのカチューシャに。踵の高いエナメル靴から歩きやすいローファーに履き替えて、テラスから庭に降りると、ナルビエス1尉が護衛に付く。
「護衛を2人でするのは交代が大変ではありませんか?」
フリとはいえ、ナタシア達の手前、おろそかには出来なかろう。夜通しとなると2人ではきつそうだ。
「そうですね。皇女殿下がよろしければ、もう2人、増やしても構いませんか?」
ナルビエス1尉は遠慮がちに言う。
「はい。わたくしは構いません」
テラスから先の庭は幾つもの花壇があり、薔薇の生け垣がその向こう側との境界線になっている。わしは薔薇の生け垣から先へは出たことがなかった。
薔薇のアーチを潜ると、芝生の草原が広がっている。この辺りは昔と同じ、広すぎて芝刈りが間に合わないのだろう。伸び放題な芝生は、青々と瑞々しく、そして歩きにくい。
「媛様、お手を」
この芝生を突っ切って行くらしい。ナタシアが差し出した手とつなぐ。レノアが空いている隣に来て、真っ赤な日傘を差した。レノアは他にもキルトのトートバッグを持っている。タオルや水筒を入れていたのを見ている。
「乗馬をなさる方もおられるので、芝生を渡る時には目立つ赤い傘がルールなのでございます」
ああ、そういえばそうだった。
わしもよく息抜きに馬を駆ったものだ。
「わたくしも馬に乗れる?」
「ええ。媛様がお望みでしたら」
「アヒルの池でロバも飼われていますから、試してみてはどうでしょう」
とはナルビエス1尉だ。
「ロバ?」
「他に、犬や羊もいますよ。池では魚釣りも出来ます」
なんと。
「アシュバレン叔父様は、そんな面白そうなことを」
わしの中でアシュバレンの好感度がぐんと上がる。これはもはや呼び出しではなく、招待だ。だから、わしはスカートではなく、ズボンを履かされたのだろう。
「皇女殿下もお庭を賜ることになりますが、皇女殿下はどのようになさりたいですか?」
ナルビエス1尉が聞く。
「そうですね。わたくしは、畑にします」
「畑でございますか?」
ナルビエス1尉ではなく、ナタシアが不思議そうに首を傾げた。
「媛様はお花を植えられるのかと思っておりました。花壇のお世話をしたがっておられましたので」
「お勉強よりは楽しそうだったから」
わしがきっぱり答えると、周囲に沈黙が落ちる。
「葡萄の樹を植えて、お野菜を作って、薬草を育てます」
わしの好物でマシエラの飢えを満たし、薬で慈善と金儲けが出来るのだ。これしかないだろう。
「葡萄と、お野菜は分かります。薬草というのも、何となく分かります。ですが、それらもお勉強は必要でございますよ」
食い意地と、金儲けだとナタシアは察したようだ。呆れたように溜め息を吐いた。
「頑張る」
人生を楽しむ為である。
『ロカ、ロカ、畑がもらえるのね? 薬草の改良とか、薬師の仕事とか出来る? あたし、ちゃんと覚えているかなぁ』
マシエラはわくわくした顔で言う。
冒険と探検と金儲けを語りながら、堅実でもあるマシエラ。育毛剤はいつの時代でも需要がありそうで、マシエラと一緒に研究でもしてみようか。
芝生の草原を渡り、雑木林を横断する石畳の小道を通り抜ければ、ガァガァとアヒルの鳴き声がする。
「わ、羊だ」
柵で囲った広い雑草地に、大きめの羊が10頭ほどと、ロバがいた。
「あれがそう?」
「さようでございます」
放牧地と隣接して、白いフェンスが長く続いている。
ワン、ワン。
そして犬だ。
黒と白の牧羊犬が2匹、颯爽と走ってきたかと思うと、少し距離をとったところで低姿勢になる。尾を激しく振って、歓迎してくれているようだ。
「おいで」
手を出すと、2匹の犬はゆっくり近寄り、わしの手をベロベロと舐めた。それはもう遠慮なく。思わず声を上げて笑う。
「いい子、いい子」
よく躾けられた、よい犬だ。首やら頭やら、夢中になって撫でると、犬達のテンションも上がり、手だけでなく、顔まで涎まみれにしてくれる。
『ロカが可愛い』
『ええ、ホントに。なんて愛らしいのでしょう』
2人に微笑ましく見られ、わしはハッと我に返る。いつも気を張っているわけではないが、無意識の素を見られるのは、恥ずかしいものだ。マシエラとブリジットはともかく、ここにはナタシアもレノアも、ナルビエス1尉もいる。
「あらまあ。媛様、お手とお顔を拭きましょうね。レノア」
「はい」
レノアはトートバッグから、ウェットティッシュを取り出し、ナタシアに渡す。
「媛様。お手は仕方ありませんが、お顔は気をつけませんと」
ナタシアは犬達を手振りで下がらせ、ベタベタになったわしの顔を丁寧に拭った。確かに顔を舐められるのは少々汚い。
「入り口はあちらですよ」
ナルビエス1尉は笑いながら向こう側を指す。
「ぐるっと回って行くの?」
「はい。こちらは裏側になりますから」
「朝廷から人が来てもいいように?」
「そうです。よくお分かりになりましたね」
ナルビエス1尉は感心したように言う。
昔と場所が変わっていなければ、この先にバレイ川があり、バレイ川の向こうは朝廷である。
朝廷と宮廷を行き来する道は、今通ってきたところではなく、広く舗装された大通りで、もっと分かりやすい。
「つまり、出会いの場なのです」
「ナルビエス1尉。媛様になんてことを」
「あ、そうですね。申し訳ありません」
出会いの場?
アヒルの池は、朝廷と宮廷の近道の途中にある。動物と触れ合ったり、魚釣りを楽しむことも出来るらしい。
仕事に明け暮れる官吏と、規則で雁字搦めな宮仕え。どちらも婚期が遅れがちだ。
そういえば、ナタシアも独身である。
『うーん。家畜くさいところで、愛が芽生えるかなぁ』
『家畜くさい……ですか? ですけど、お互い1人なら声は掛けやすいと思いますよ。あの羊、可愛いねとか』
『えー? ダンスパーティーとか、夜這いするほうが情熱的でいいじゃん。家畜に可愛いとかないし』
『ダメですよ。ダンスパーティーはいいですけど、夜這いは犯罪です』
幽霊2人の、時代の差だろうか。
「皆が動物好きというわけではありませんから、本当に異性との出会いを求めてという方は少ないですよ。普通の触れあい広場と変わりません」
ナルビエス1尉はナタシアに叱られて困ったように付け足した。わしが子供だからといって、隠すようなことでもないと思うが。
「ナルビエス1尉はどうなのですか?」
話しの流れに乗って聞いてみる。
ナタシアは独身、レノアも独身である。恋人の有無は分からない。
「えっと、自分は……」
言い淀むナルビエス1尉。難しいことを尋ねたつもりはないが。
「媛様」
ナタシアが首を横に振る。
あまり私的なことを詮索するのは、よろしくないということか。それとも、子供が男女の話しをするのが駄目なのか。
母はわしの嫁ぎ先と、嫁ぐことによって生じるメリットや役割しか話さないが、それはよいのか。
「ナルビエス1尉は優しそうなので、モテそうです」
わしはそう言って、犬達が焦れてじゃれ合うのを追いかけた。
「いらっしゃい。よく気がついたね」
入り口に着くと、叔父アシュバレンがベンチに腰掛け、本を読みながら待っていた。
「お招きありがとうございます。ラムネも」
「うん。オーエン3佐が、ロナチェスカはお菓子が好きみたいだと言っていたからね」
ああ、なるほど。
「オーエン3佐はマシュマロを下さるそうです」
「そう。彼は軍人の鑑でね、理性的で常識人だが、他人に興味がない。少しばかり反逆心もある。だから、敵にすれば厄介だが、そばに置くには面白い。そんな彼が、ロナチェスカの御機嫌取りをするなんて、よほど気に入られたんだね」
アシュバレンは可笑しそうにクスクスと笑った。
「……」
「そんな嫌そうな顔しなくても。あれかな? オーエン3佐が言っていたけど、もしかして気がついている?」
「え?」
「紙一重って言われているからね。だから、そんなに嫌がるのかい?」
そのとおりだが。
ということは、アシュバレンはオーエン3佐が青い焔眼であることを知っているのか。
「まあ、そうかも」
「ふぅん。やっぱりか。自分で気がついて? それとも誰かに教えられた?」
「……」
わしは答えられずにマシエラを見る。
『今のロカなら自分で気づけるよ』
マシエラはそう言うが、どうだろう。マシエラが気づかなければ、わしはオーエン3佐を知りもしなかった。
嘘を吐かれるのは嫌だが、自分が嘘を吐くことに抵抗はない。相手は親しいとはいえないアシュバレンであるし。
「どこ見ているのかな?」
誰もいないところを見ているようなものだ。
ふと思う。
言ってみようか。
わしはベンチにゆったりと腰掛けるアシュバレンと目を合わせる。
「内緒です。秘密にしてくれますか?」
「……もちろんだよ。約束しよう」
アシュバレンは面白そうな顔をして、立ち上がった。
「ちょっとロナチェスカと秘密の話しをするから、君達は離れてね」
わしは驚く。
そのままアシュバレンの耳元で囁くだけのつもりだったのだが。
アシュバレンはナタシア達を追い払うように手を振る。
「いいえ、それは」
だが、真面目で忠実な乳母のナタシアが聞き入れるはずもない。
「うーん、どうしよっか。だって、ロナチェスカの初恋物語を聞くわけだしねぇ?」
は?
まて、まて。
「は、初恋、初恋でございますか? 媛様の?」
「わたしの初恋を聞いてもしょうがないだろう? 聞きたいの?」
「い、いえ、そういうことでは。ひ、媛様?」
ナタシアは珍しく動揺している。
レノアはポカンとしているし、ナルビエス1尉は肩を震わせて笑いを堪えている。
『おお、何だかおかしなことになっているわ』
『皇女様と護衛官の恋。王道ですね。さすが、皇女様』
『王道って、確かにそうよね。青い焔眼なら、あたしも文句ないわ』
『愛に年の差なんて関係ありませんもの』
どうしてくれよう。
幽霊2人はともかく、アシュバレンは本気で言っているのか、冗談なのか、誤魔化す為なのか、どれだ。
「アシュバレン叔父様。わたくし、ロバに乗ってみたいです」
「うん? いいよ」
わしはアシュバレンと手をつないで、フェンスの中に入る。ようやくである。
ナタシアとレノアは戸惑いながら少し離れてついてくる。
フェンスに囲われた中は、ぐるりと長く歩いただけあって、かなりの広さだ。小川が流れ、木が植わり、花壇があり、道はむき出しだが平らで歩きやすい。
丸太小屋ふうのトイレや、変な動物の形をした水飲み場、居心地よさげな四阿もある。
官吏らしき男がベンチでパンをかじっていたり、釣り道具を片手に通り過ぎる人や、あちらこちらで草むしりをしている人もいた。
「わ、アヒルがたくさん」
大きな池の水辺に、アヒルが集まっている。
ガァガァと賑やかだ。
「ハーブとかの野草園があった頃は、バレイ川から水を引いた小川しかなくてね。だけどちょうどいいと思って、小川の1部を潰して池にしたんだ。ボートを浮かべて昼寝したかったから」
「気持ちよさそうですね」
「うん、最初はね」
「では、今は?」
「何もいない池はちょっと寂しいかなと思って、アヒルを放してみたところ、見事に増えて、ガァガァとうるさいこと、うるさいこと」
「それは、フフフッ」
池にはアヒル以外の鳥も浮いている。わしは気にならないが、見た目の長閑さに比べ、耳に入ってくるのは騒音かもしれない。
「じゃあ、先にロバに乗ろうか。おーい、ボビー。ロバの用意を頼むよ」
「へーい、畏まりました」
羊とロバが放牧されている柵の前で、アシュバレンが呼び掛けると、花壇の手入れをしていた作業着の男が腰を上げた。