第21話 ロックと映画
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと3
「今欲しいのは、レム・ソレックのレコードだな。探してんだけど、ないんだよなぁこれが」
兄ザラヴェスクにラブリンナの雛の礼を述べ、好きなものはと聞くと、趣味はスポーツ全般と、ロック・ミュージックだという答えが返ってきた。
わしの部屋にもフォトフレームを小さくしてスピーカーを両サイドに付けたプレイヤーがあるが、音楽はメモリーカードに入っているものであり、かつて慣れ親しんだレコードはもう消滅したのだと思っていた。
「お兄様はレコードで聞くのですか?」
「おう。コンポでも携帯でも聞くけどな。ロナチェスカはまだ携帯とか持ってないよな。ロック、聞いてみるか?」
ザラヴェスクはズボンの尻ポケットから薄っぺらい金属の板を取り出した。指をピアノを弾くみたいに動かして何やら操作すると、それをわしの手に持たせてくれる。
「小さい小さいフォトフレーム?」
「フォトフレームは持っているのか? まあ、それに電話とかアプリとかの機能がいっぱい詰まった奴だな。電話とかインターネットは、電波がないから、宮殿では使えねぇけど。情報漏洩を防ぐ為とかで。カメラも使えないんだぜ。魔法バリアでそういうふうにしたんだと。ブログとか出来やしねぇ。ほら、このひげ面のおっさんを指でタッチしてみろよ」
これが、携帯電話なのか。
ザラヴェスクの言っていることはほとんど分からなかったが、彼の言うとおり、画面の中のおっさんを人差し指で触ってみる。
「わっ」
画面が動いてずらずらと文字が現れる。
「そうだな、これとか、聞きやすいかもな」
ザラヴェスクがわしの指を掴んで〝進化と堕落〟という一文にタッチすると、また画面が変わって、今度は映像が流れ始めた。
「わわっ」
小綺麗な浮浪者が4人、楽器を演奏し、叫ぶように歌い出した。
『なにこれ、なにこれ? 〝間のモノ〟に取り憑かれているの? 頭おかしいの?』
マシエラは言葉とは裏腹に、激しいリズムに合わせて楽しそうに体を動かす。
『いかにもロックというやつですね。結構昔のものって感じがします』
ブリジットは冷静だ。今の時代、普通に流れている音楽なのだろうか。
「カッコイイだろ?」
「カッコイイ気がします」
わしはニンマリと笑う。
演奏者はもさもさ頭に布を巻いて、真っ黒な眼鏡に、無精ヒゲなのかわざとなのか、よれよれのシャツに破れたズボンを履いて、浮浪者か犯罪者の風体である。音楽は、下手をすれば騒音で、正直、見るのも聞くのも初めてなわしには判断が難しい。だが、カッコイイと言われれば、カッコイイ気がするのは、本当である。
「だろ? セレスティアはこんなの音楽じゃないって言うけどな」
「聞いていたら乳母に取り上げられそうだとは、わたくしも思います」
同母の姉セレスティアがヴァイオリンで賞を取ったのは、ヘンドリックの時代でも古典とされていた伝統的な曲だ。格式を重んじるタイプは毛嫌いしそうである。
「ああ、俺の乳母もガミガミ言っている。曲よりも、歌詞がダメだって」
「だらけきった官吏とか、宮廷は悪の温床だとか?」
「そうそう。真剣味のない政治批判は、格好つけているだけでパフォーマンスだってのに、分からねぇんだよな」
歌詞だけで不敬罪に問えそうだから、乳母が正しいだろう。
「それに、こういうのばっかりでもないんだぜ。友情とか、家族愛とか、合唱の課題曲に選ばれるようなものもあるしな。ほら、これだ」
ザラヴェスクがわしの手にある携帯電話を操作して、違う映像が流れた時だった。
「何をしているのですか? そんなものを謁見の儀に持ち込んで、妹をたぶらかすのはお止めなさい」
母ローランゼ妃が、冷ややかな微笑を浮かべて立っていた。
わしは思わず1歩後ろに下がる。
「ロナチェスカ、こちらにおいでなさい。ザラヴェスクお兄様は、音楽の何たるかをまるでお分かりにならないのですから」
3つ上の姉セレスティアも一緒だ。
「ハッ。母上も、セレスティアも、ずいぶんな言いようだな。妹と楽しく交流して何が悪いって?」
ザラヴェスクは凶暴な顔つきで2人を睨む。
『お母さんと、お姉さん?』
『ええっ? 何か険悪ですよ?』
ああ、もう逃げたい。
ルノシャイズがいれば、その後ろに隠れるのに。
「兄ならば品行方正を心がけ、妹の手本にならなければなりません。そのような野蛮なものを教えるのが兄と言えますか?」
「その野蛮なグループのスポンサーになっているのは、ヴァレンテだろ」
「あなたはヴァレンテではなく、メルーソです」
「そうだな。俺はメルーソだ。メルーソの国民がロックを演奏しているのを、メルーソの俺が楽しんでいるだけだ」
「屁理屈を。楽しむなら、自分だけで楽しめばよろしい。ロナチェスカは皇女として気品を備えていかなければならないのです。魔力も持たないロナチェスカが、ロックなど覚えて婚活に支障をきたせば、結局困ることになるのはあなたです」
母はビシッと言い放つ。
継承権を持つ者を確実に皇位に据えるには、同母の姉妹を、投票権を持つ家に嫁がせるのがセオリーである。母はわしを7大貴族が1つカミネーロ家を支えるベルマディ家に嫁がせたがっているのだ。ベルマディ家はカミネーロ家の親戚であり大きな銀行を持っている。カネの力を知っている母は、カミネーロ家がベルマディ家の資金欲しさに、暗黙の了解としてベルマディ家の意向に沿う1票を投じるだろうと見越していた。わしがベルマディ家に嫁げば、そうなるだろうとわしも思う。
皇家の婚姻は、恋愛でも有りだが、皇家所掌管理局がお膳立てし、両親と本人の承諾があって成立する。わしの場合、両親は皇帝とローランゼ妃なので、根回しされた後では、拒否するのが難しいかもしれない。
「母上は思い違えをしているみてぇだな」
ザラヴェスクはローランゼ妃に向かって1歩踏み出した。魔力がゆらゆらと陽炎のようにザラヴェスクの体から湧き出ているのが見える。
まて、まて。
「思い違えなど。本当に欲しいものを手に入れるには、他のすべてを利用し犠牲にするぐらいの気概が必要です」
母はオホホと笑って、ザラヴェスクの殺気を軽くいなした。母は青の眼、水の魔力を持つ。ザラヴェスクの炎を苛立たせ、真っ向から勝負するのはさすがだった。
『うわー、親子でコレ?』
『皇女様、大丈夫ですか? 逃げましょう?』
マシエラは後ずさり、ブリジットはガタブルと震えている。
炎にならない魔力と、水にならない魔力がぶつかり合って、バチバチと静電気が発生している。
なのに誰も止めに入らないのは、なぜだ。
わしはオーエン3佐とナルビエス1尉を振り返る。
2人は首を横に振って、無言で無理だと答えた。護衛官のくせに。
「いつものことよ。お兄様は、お母様の言うことを絶対に聞き入れないの」
セレスティアがそばに来てわしに告げる。
「いつものこと?」
「ええ、いつものこと。ロナチェスカはわたくし達のところに来ないから、知らないわよね」
セレスティアがわしを見下ろす。その緑の眼には、憎しみが宿っていた。
「お母様の言うことを聞いていれば間違いないのに、お兄様もあなたも、どうしてお母様に逆らうの?」
不思議そうに問われる。
わしだけでなく、姉セレスティアの嫁ぎ先も、いやその先の人生も、母の手の内なのだろう。セレスティアは音楽さえ好きに出来れば他はどうでもよく、母に従順な人である。
セレスティアは苦しくないのだろうか。苦しいから、わしを憎しみの籠もった目で見るのだろうか。
わしはセレスティアと同じにはなれない。
「わたくしとの婚姻を、ロックを聞く聞かないで決める愚か者はいないと思う。継承権も、皇帝選定も、同じ」
「……それもそうね」
セレスティアは目をパチクリさせて、納得したのか頷く。
とりあえず今は、音楽のたかが好みが原因である。
「ロナチェスカはメルーソだ。メルーソは、人の言いなりにならねぇ。母上はメルーソじゃないし」
「だから何だと言うのです? メルーソだから努力を怠ってよいのですか? 勝手に良縁に恵まれるとでも?」
わしのことで争っているように見えて、互いが気に食わないだけの、答えの出ない不毛な親子喧嘩のようだ。
わしはどうでもよくなって、この場から離れることにした。
セレスティアは何も言わなかった。
『あー、怖かった。お母さんって、あんなに怖いものだったっけ?』
『皇妃様ですから。並大抵の方では務まりませんわ』
『そっか』
確かに、そうだが。
あの母とやり合えるザラヴェスクは、さすが未来の皇帝候補。ザラヴェスクと仲良くなっておけば、母から守ってもらえるかもしれない。
いや。
この人生は、打算などしなくてもよいのだ。打算ではなく感情で、ザラヴェスクと仲良くなりたいか否かを考えてよいはずである。
「ロカ」
「ルイズお兄様」
「その珍妙な格好は……」
ゆったりとやって来たルノシャイズは、わしの姿を見て、プッと吹き出した。
そして盛大に笑われる。
そういえば母と姉はコレに触れなかった。猫のリュックは話題にもしたくないぐらい、二人の美意識から外れるものなのだろう。
『まあっ、ルノシャイズ皇子が、爆笑を?』
ブリジットが声を上げる。目がキラキラしているのは気のせいだろうか。
「アシュバレン叔父様にいただきました」
開き直るしかない。
「みたいだね。アレンのセンスは独特なんだ。猫とぬいぐるみが好きで、店まで出しているけど、まあ……」
「お店を? これを売っているんですか?」
そういえば店頭がどうとか言っていた気がする。
『うわぁ』
『うはぁ』
わしも、マシエラ達も、引きまくりである。
「多少は売れているみたいだよ。これよりは可愛らしく作ってあるし」
「じゃあ、これは……」
「アレンの趣味全開で作ったものだろうね」
ルノシャイズはまだ笑っている。
しかし、ある意味、貴重な品ではある。嫌がらせではなく、謝罪からであるし、背負っていれば不気味な猫もわしからは見えないし。
「叔父様はお父様と仲良しなのに、遠いメオルン領へ行ってしまわれるのですね」
わしは玉座を見る。父とアシュバレンと、姉エミリアーナが和やかに話している。先ほどまであそこにルノシャイズもいた。
「メオルンに愛しの彼女がいるんだよ。仕方がない」
「彼女? アシュバレン叔父様に?」
「フフ、そうだよ。メオルン領主の孫娘で、中等学校の途中まで宮廷に住んでいたんだ。サーベック邸にね」
「サーベック邸?」
「サーベック家の孫でもある。彼女の両親、メオルン領家の跡継ぎ夫婦が事故で亡くなって、メオルン領に戻ったんだ」
では、アシュバレンは彼女を追いかけていくのか。変わり者だと思うが、意外という感じはしなかった。
「ルイズお兄様のほうが年上ですけど、お兄様にはいないのですか? 遊びじゃない彼女は」
「うーん、そうだねぇ。ロカが大人になるまでには決めないとね」
ルノシャイズはニッコリと笑う。
つまり、遊び相手ばかりということか。
「あ、そうだ。わたくし、えぇと、映画? というものが見たいのです。お兄様は映画を御存知ですか?」
「ああ、もちろん。そうか、映画か。〝人魚のマミーア〟が今人気らしいけど、まだ映画館は無理だものな。どんなのが見たいの?」
「うーん、〝駆け上がろう〟とか? コメディーか恋愛? よく分からない」
わしは首を傾げる。
映画がどういうものかさっぱりなわしは、ブリジットが教えてくれたままを言う。〝駆け上がろう〟はブリジットが出演しているようなことを、出会った時に言っていたからだ。
「いいよ。〝駆け上がろう〟は戦乱ものだけど。まあ、いろいろ持っているから、すぐに部屋に届けさせる。前にあげたフォトフレームで見られるメモリーカードでいいかな?」
「はい」
フォトフレームで見られるのか。携帯電話といい、凄いことだ。
「ロカも映画を見る年頃になったんだな。広間の隅っこで立っているだけだった君が、わたし以外ともコミュニケーションとれるようになって。少しずつ大きくなっていく君を見るのは何とも楽しみだよ」
ルノシャイズは目を細めて、わしの頭に手を置いた。
「今日はリボンじゃないんだ」
そして頭を撫でてくれる。
胸がざわざわして、嬉しさと幸せを感じた。
『皇女様は、ルノシャイズ皇子がお好きなのですね。ルノシャイズ皇子は庶民にとても人気がおありなのです。図書館の閉館時間を延ばして下さったり、バスや循環飛行船の本数を増やして下さったり、道路の冠水を改善して下さったり、街路樹の葉っぱ拾いをボランティアにお願いするのではなく、学生やお年寄りをアルバイトとして雇って下さったり、他にも……』
ブリジットは指を折りながら、1つずつ挙げていく。
『なんか地味だね』
『あら、そう言われると、そうかもしれませんね。ルノシャイズ皇子は、スポーツ観戦や、オペラの観劇などをよくなさっておられるので、お姿を拝見出来る機会が多く、女子の憧れなのですわ』
『分かる、分かる。優しくて人好きな感じがするもん。雰囲気が柔らかくて、親しみやすいっていうか』
『そう。そうなんです。お顔も綺麗過ぎないところがまたよくて。あ、わ、わたしったら、わたしのような者が、も、申し訳ございませんっ』
ブリジットは機嫌よくルノシャイズを褒めていたかと思うと、急に青ざめて床に這いつくばった。
『あらら。皇家の人間をあれこれ言うのはタブーだけど、これぐらいどうってことないと思うよ。さっきも陛下が男前だねって話してたし』
『ああぁっ。わたしは、わたしはなんてことを。申し訳ございません』
ブリジットは床に額をめり込ませる勢いで謝る。
わしはすぐに大丈夫だと言いたかったが、ルノシャイズがニコニコとわしを見ているので無理だった。
『バカねぇ。ロカはそんなことで怒ったりしないって』
マシエラがケラケラと笑いながら、ブリジットの背をバシバシと叩く。
『悪口言ったんじゃないんだし。ほら、ロカと契約したブリジットなら、ロカの感情も分かるでしょ? 怒ってないって。ブリジットがこんなことして、びっくりしていると思うな』
『……』
ブリジットは恐る恐るわしを見上げ、泣きそうな顔をする。
怒っていない。
全然平気。むしろ自由に発言して欲しい。
「ロカは甘え下手なのか、甘え上手なのか分からないね。もし、ロカが誘拐されていたら、わたしは犯人を一生半殺しにしているだろうね」
ルノシャイズはわしを軽々と抱き上げ、恐ろしい台詞を言う。
半殺しの前に一生が付いたが、どういう意味だ。
「一生殺さずにおくということだよ。クスクス」
「怖いです、お兄様」
「そう? 殺して終わりなんて、わたしの気が済まない。アレンも護衛警備に交じっていたんだろう? アレンにも罰を与えるつもりだけど、ロカはどんなのがいいと思う?」
抱き上げられたことでルノシャイズの表情がよく分かる。
わしはもう、ブリジットを気にしている余裕はなかった。
「フェザー班は減給3ヶ月ってところかな」
護衛官2人はそれで済んでホッとしているようだ。
わしもホッとする。
アシュバレンは黙っていても黙っていなくても、ルノシャイズに怒られるようだ。