第20話 猫のぬいぐるみリュック
子供編
4才のわし、少しずつ変化する日常 ぱーと2
「……というわけで、これ、お詫びのしるしだから」
毎朝恒例の謁見の儀が行われる小広間で、着いた早々、わしはニコニコ顔の叔父アシュバレンと対峙している。
わしの両脇にはマシエラとブリジット、その後ろにオーエン3佐とナルビエス1尉が控えていた。護衛官2人は、アシュバレンとグルなので、わしは左右どちらかの隙間からしか逃げられないのだ。
「ひいおばあ様にわたくしの名前を出したことぐらいで怒ったりはしません」
わしもエドゥアールを助けたかったのだから。エドゥアールが無事なら、些末なことである。
「じゃあ、口止め料ってことで」
アシュバレンは猫のぬいぐるみなのかリュックなのか、不可解なモノを押しつけようと迫ってくる。
そんな恐ろしげなモノをわしに背負えとは、ひどい仕打ちである。
「口止めって、わたくしもいろいろと……」
突っ込んで聞かれたくないのだから、おあいこだと言ったはずだ。
「さあ、遠慮なんてしないで。これはわたしが見本に作った新作だから、まだ店頭にも並んでいないプレミアム商品だよ」
アシュバレンはずいっとわしの目の前にそれを持ってくる。
プレミアム?
それはそうだろう。そんな不気味なモノ、たくさんあったら困る。
「叔父様が作ったのですか?」
「そうさ。ミシンでダダダと縫って、ここは手縫いで、ほら、この鼻とか可愛いだろう?」
ピンク色の、陶器で出来たつるりとした感じの猫の鼻があった。
ぬいぐるみというのは、わしの部屋にもあるクマさんのように、デフォルメされたもののことではないのか。アシュバレンが持っているのは毛も顔も本物のようで、まるで死骸だ。猫の腹にはファスナーが付いていて、それが手術跡にも改造されたようにも見え、怖い。
「そ、そんな死んだ目をした猫はイヤです。昨日の、大暴れした巨大猫のほうが、まだ可愛いです。それは、断固、拒否します」
わしはそんなモノ欲しくないのだと、手を後ろで組んだ。
『剥製にしか見えないし』
『これは嫌がらせですわ。皇女様が汚れますっ』
マシエラもブリジットも、わしと同じ意見のようだ。わしは間違っていない。
「……可愛らしいと思いますが」
後ろでボソッと呟く声が聞こえる。
わしはギョッと振り返った。
「僭越ながら、アシュバレン殿下のお作りになった猫のリュックは、大変可愛らしいと思います」
のたまうのはオーエン3佐だった。
「……」
やはり、紙一重だったか。
わしはクルリと踵を返し、マシエラの横を通り抜け、一目散に駆ける。
礼儀がなっていないと言われてもよい。アレを背負うぐらいなら。
『ぶはははははっ』
『追ってきますわ』
マシエラは走りながらお腹を抱えて笑い、ブリジットは敵を見る目で背後を睨み付ける。
誰なら助けてくれるだろうか。
兄ルノシャイズは駄目だ。面白がるだけな気がする。
まともな感性の持ち主で、アシュバレンからわしを庇ってくれる人物。
「ファティマ様。助けて下さい」
わしは母ローランゼのライバルであるファティマ・ベレット妃のドレスの陰に隠れた。
「ロナチェスカ様?」
「ロカ?」
「ロナチェスカ?」
「姉上?」
ファティマ妃とその子供達が不思議そうに首を傾げる。
2才の弟ウィナセイルのきょとんとした顔がまた可愛らしい。頬ずりしたくなるではないか。
「アシュバレン叔父様とオーエン3佐がひどいのです」
「え?」
「ひどいのはどちらだ。挨拶もなく行ってしまうなんて。そんなに気に入らなかったのかい? わたしは悲しいよ」
すぐに追いついてきたアシュバレンと護衛官2人。アシュバレンは不機嫌そうな、オーエン3佐は落ち込んだ顔をしている。ナルビエス1尉は苦笑していた。
ファティマ妃は驚きつつも、悠然と構えて礼をとった。子供達もそれに倣う。
「やあ、ファティマ妃。お子達も。ロナチェスカをこちらに渡してもらおうか」
アシュバレンは居丈高に言い放つ。
完全な悪役の台詞である。
「何事でございますか? どうなさったの?」
ファティマ妃はアシュバレンとわしを困惑気味に見比べた。
「叔父様が不気味なリュックをわたくしに押しつけようとなさるのです」
「押しつけるとは、心外な。叔父から姪への贈り物じゃないか。こんなに可愛いのに」
「ファティマ様。あれが可愛いと思いますか?」
わしはアシュバレンが両手で掲げる猫のぬいぐるみリュックを指差した。
「……前衛的ですわねぇ」
ひくっと頬を引きつらせて、ファティマ妃は答える。
やっぱり。
「ほら、可愛くないのです」
味方を得たわしは、堂々と言い切る。
「な、なんだと」
「クロディーヌお姉様はお顔を背けていらっしゃるし、マリーお姉様はクロディーヌお姉様の後ろに隠れてしまいましたし、ウィナセイルは泣きそうです。つまり、それは可愛くないのです」
「……マジで?」
「マジです」
わしがフンと鼻息も荒く答えると、アシュバレンは愕然とした様子でよろめいた。
『ホントに可愛いと思っていたんだ』
『たまーに、いますよねぇ。こういう方』
アシュバレンは自作だという猫のぬいぐるみをじっと見つめ、悲しそうに何か呟いたかと思うと、ぎゅうっと抱きしめた。
「殿下……」
それをそっと慰めるオーエン3佐。
言い過ぎたか。
しかし。
「あの、ロナチェスカ様?」
「はい……」
ファティマ妃が腰を落として、わしの肩に手を置く。嫌な予感がする。
「アシュバレン様がせっかく贈り物をして下さるのですから、御遠慮せずにいただいてはどうですか?」
「アレを?」
「よく見れば、しっぽとかふわふわで可愛らしいですし。ね?」
アシュバレンの顔を立てて、もらっておけと、ファティマ妃の目が言っていた。
「そうね。ぬいぐるみとはとても思えないほど綺麗な毛並みだわ」
クロディーヌが追い打ちをかける。
「きっと、芸術品なのよ。わたくし達は凡人だから、素晴らしさに気づくのが遅くなってしまっただけよ」
そのフォローには少々無理があると思うぞ、マルグリット。
だが、芸術品という言葉に、アシュバレンが反応する。
「そうか。わたしの作品は芸術の域に達していたのか。なるほど。それなら、少し可愛らしさが足りないと感じるのも無理はないね」
アシュバレンは見事に浮上し、オーエン3佐がうんうんと納得して頷いている。
ナルビエス1尉はわしと目が合うと、しょうがないというふうに肩を竦めた。
『そのぅ、もし不敬にあたらなければ、縫い直してはどうでしょう? 顔だけでも何とか出来れば……』
ブリジットが恐る恐る提案する。
そうだ。怖いのは顔だ。
わしはそれならとなけなしの勇気を出して、アシュバレンに近づいた。
「叔父様。もう1度、よく見せて下さい」
「いいとも」
アシュバレンは上機嫌で猫のぬいぐるみリュックをわしの目の前に持ってくる。
灰色の毛並み、呪いを吐いているような顔、マシエラが言ったように、これはもはや剥製だ。
「お姉様方がおっしゃったとおり、じっくりと見ると、素晴らしさが分かってきました。逃げ出したりして、ごめんなさい。本物みたいで、驚いたのです」
わしは何とか言葉を絞り出す。
だが、可愛いとは決して言わない。
「そうだったんだね。いいよ、いいよ。じゃあ、改めて。もらってくれるかい?」
「はい。叔父様、ありがとうございます」
わしはアシュバレンの厚意に、ニッコリと笑って答えた。
それからあれよあれよという間に、わしは猫のぬいぐるみリュックを背負わされ、小広間を練り歩く羽目になっている。
皆がわしの背中に注目していた。アシュバレンは御満悦である。
マシエラが言うには、猫の首がだらんと曲がって逆さまになっている上、濁ったガラス玉の目が怨嗟に満ちてとても恐ろしく、しかもそれを小さな子供がしているのだからまるでホラーだと。
「ロナチェスカに話しておかなければならないことがあってね」
「何ですか?」
「一連のこと、ルイズにも秘密なんだ」
エドゥアールが攫われたことか。
「どうしてですか?」
皇家所掌管理局も、護衛警備課も、宮殿近衛師団も知らず、アシュバレンとフェザー班のうち8名だけが動いていると聞いたが、アシュバレンとルノシャイズは仲が良いのに内緒事を共有しないのだろうか。
「そりゃあ、怒られたくないからに決まっているじゃん」
「……は?」
さらっと言われ、意味を理解するのに少し時間が掛かる。
怒られたくないから? つまり処罰逃れ。
「なんだ……もっと深い理由があるのかと思っていました」
オーエン3佐が言わないわけだ。言えるわけがない。格好悪くて。
わしは思わず笑ってしまう。
「まあ、深い理由もあることはあるかな。今回は特別だから。わたしが駆り出されていなかったら、隠蔽なんて普通は出来ないよ」
それもそうである。
「深い理由というのは、聞かないほうがいいですか?」
「いやぁ、怒られたくないの延長上にあるというか」
「ルイズお兄様が怒ると怖そうなのは分かります。でも、黙っていてバレた時のほうが、もっと怒ると思います」
「うっ」
わしが事実を言うと、アシュバレンは顔をしかめた。
「ルイズにバレると、兄上にもバレる。ルイズはあれでお父さんっ子だろう? 兄上にバレると、嘘か本当か分からないことでいろんな人が傷つく。君がルイズを慕っているのは知っている。だけど、お願いだ。内緒にして欲しい」
アシュバレンはわしの顔をじっと見下ろして嘆願した。
彼はカロリーヌ妃の浮気云々を、不問にしたいのか。
わしは辺りを見回す。
母ローランゼの次ぐらいに華やかな彼女はすぐに見つかった。可憐で儚げで、少しきつい言葉を投げ掛けられただけで、涙を浮かべるような、か弱い人である。いつも継承権を持つ従兄達になぜか取り囲まれ、花のような笑顔を見せていた。それを少し離れたところからじっとりと睨む彼女の2人の娘。
カロリーヌ妃が浮気していたとしても、子供が皇家の血なら、大ごとにしなくてもよいとわしも思う。
「内緒にすることはいい。でも、嘘か本当か、もし本当なら罪に合った対応をして欲しいです」
離婚ぐらいはするべきだ。
カロリーヌ妃と愛し合ったと叫んでいたあの男の、思い込みや独りよがりによる虚言ならば、カロリーヌ妃に罪はないかもしれない。恋に狂った男がしでかしたことで片付く。だが、浮気が本当ならば、カロリーヌ妃にも罪はある。まるまる不問にするのはおかしい。
「……君は調査の続行を希望するのね。結構面倒くさいんだけど」
「エドゥアールお兄様が攫われたのですから、当たり前だと思います」
面倒くさいって、それが不問にする理由なのか。わしは呆れる。
「はあ。分かったよ。結果は教えてあげられないかもしれないけど、いいかい?」
「はい」
わしは頷いた。
カロリーヌ妃が宮廷に残るか否かで分かるだろう。
ドン、ドン。
太鼓の叩く音と共に、天井からキラキラした音楽が降ってくる。
ようやく皇帝の入室である。
「ああ、では、わたしは行くよ。ロナチェスカはザラヴェスクのところへ?」
「はい。昨日、ザラヴェスクお兄様に、ラブリンナの雛をいただいたので、そのことだと思います」
兄ザラヴェスクが不機嫌なオーラを発しながら、少し前からわしとアシュバレンを睨み付けるように見ているのだ。
「へぇ、ラブリンナか。ロナチェスカは動物が好き?」
「そうですね、好きなほうだと思います」
「そう。それはよかった」
フフフと意味ありげに笑って、アシュバレンは皇帝の元に向かう。
『こんな間近で、皇帝陛下のお顔が見られるなんて。さすが皇女様ですわぁ』
ブリジットが感激していた。
『さすがというか、皇女様なんだから当たり前じゃん』
『あ、そうですよね。でも、皇帝陛下のお顔はテレビで見るものですから、緊張してしまいます』
『ねぇねぇ、皇帝陛下って、地味だけどハンサムだと思わない?』
『思いますっ。すっごく思います』
マシエラとブリジットは変な盛り上がりを見せる。
父皇帝は案外モテるのだろうか。
今日は特にお言葉もなく、ルノシャイズとアシュバレンを相手に談笑している。
「おい」
「お兄様。おはようございます」
「お、おう。その不気味なリュックは何だ?」
そろそろと近づいてきたザラヴェスクが、死んだ猫のようなリュックを怖々と指差した。
「アシュバレン叔父様が昨日のお詫びにと」
「……詫びになるのか? 嫌がらせだろう」
ザラヴェスクは可哀想な子を見るような目で、わしを見下ろす。
「本人は本気で可愛いと思っていらっしゃるみたいです」
背後に控えるオーエン3佐もである。
「そ、そうか……襲撃犯の狙い、おまえだったそうだな? 俺んとこにも警戒するようにって注意が来た」
「魔力を持たない7番目の皇女のことを、よく知っていたなと思いました」
「当たり前だろう。魔力を持たない皇子皇女は人気なんだぞ。俺が行っている学校じゃあ、俺よりクロディーヌのほうが取り巻きが多い」
ザラヴェスクは何を今更と答えた。
母親同士が反発するせいか、ザラヴェスクと、ザラヴェスクと同い年の姉クロディーヌは同じ初等学校に通わされている。
「お姉様のほうが優しくて勉強も出来るからでは?」
「ちーがーうー。おまえは、なんでそう腹違いの兄姉に懐くんだ。俺だって、いい兄貴になりたいのに」
ザラヴェスクはわしの頭をグシャグシャに撫でたかと思うと、ボソボソと意外な言葉を吐いた。
「……」
わしは驚き、顔がかあぁっと熱くなる。
「だ、だからな。学校とか、養護施設、公園や、鉄道に飛行船、魔力を持たない皇家の社会への貢献度は半端ないんだ。皇家なんてのは、魔力を持っていても踏ん反り返って前線に立ったりしないと思われているし、昔のようにヘンテコな魔法グッズを作って世間を沸かす皇家もいないしな。国民にとっちゃあ、良くも悪くも、皇帝なんて誰がなっても同じっていう感覚なのさ。魔力を持たない皇家は公園掃除のボランティアに参加するが、魔力を持つ皇家は華やかな式典にしか姿を見せないっていうのが、国民の皇家に対する共通認識なんだぜ」
ザラヴェスクはそっぽを向いて饒舌に語る。
『なんて可愛らしい皇子様』
『ホントだねぇ』
ブリジットとマシエラがクスクスと笑う。
どうすればいいんだ。
「ヴァレンテの末皇女は黒眼だから、そのうち遊園地作ってくれるぜ。とか言われているぞ」
「遊園地?」
遊園地というのは観覧車などがあるテーマパークとやらのことだろうか。わしはフォトフレームでしか見たことがない。
『あ、それはわたしも聞いたことがありますわ。皇女様に作ってもらいたいランキング1位が遊園地だったそうです』
ランキング……。
現代とは、いったいどうなっているんだ。
「それだけ、期待されているってことさ。冒険と探検と金儲け、するんだろ? 7番目の黒眼の皇女がするんだから、きっとすげぇお宝を発見してくれるんだろうぜ」
ザラヴェスクはニカッと笑って、わしの額を突いた。