第15話 降霊術、準備
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと11
ラブリンナの雛は、本当に動かない。
窓際の一角に出来た砂場は、ナタシアとレノアが頑張って作った雛の居場所である。生息環境に合わせたのと、立派なかぎ爪と床の、両方を傷つけない為でもある。
それにしても丸々とした毛玉だ。
『気に入ったの?』
「抱きつきたくなる可愛さ」
今日の夕食はフォアグラのせハンバーグだった。コンソメスープと、蒸し野菜のサラダ、パン、デザートにオレンジのゼリーが出て、どれも美味しかった。
『やれば出来るんじゃん』
とマシエラは満面の笑顔だった。
なので、点数は3ヶ月ぶりの百点である。
食事が終わり、入浴と歯磨きとトイレを済ますと、ナタシアとレノアは退場だ。
結局、脱衣所の天井からぶら下がった避難梯子は、上の階での戦闘の衝撃で、ツマミが緩んで落下したのだろうということになり、レノアが元どおりにしてくれた。
わしはいつもどおり、ベッドを抜け出して、地下室に行こうとしたのだが、常夜灯で薄暗い部屋の中、白くぼんやり浮かび上がるラブリンナの雛に、ついつい引き寄せられたのだ。
『まだ小さいからね。角が生えてくると、邪魔って思うようになるわ。天井近くまで大きくなるのよ? 横幅も、奥行きも、同じだけ』
マシエラによると、モルヴァル乱暦時代、ラブリンナは卵目当てに多くの家で飼育されていたらしい。メルーソ大陸の南方にあるタレー砂漠だけでなく、西海岸の砂丘や、砂地であればどこにでも生息しており、捕獲しやすかったそうだ。
「……このソファーを退ければ、大きな砂場を作れるかな」
大きさを想像して、笑いそうになる。
どうせ誰も座らないソファーだ。地下への入り口さえ塞がなければよい。
「名前、どうしよう?」
『好きなの付ければいいじゃん』
「わたくしが名前を付けると、縛ってしまうかなって」
『ああ、竜族の血がねぇ。だけど、飼うんだから同じじゃない? ルゥルゥ鳥、今はラブリンナ? ラブリンナは自分ではあんまり移動しないから、名前付けても付けなくても、関係ないと思う』
マシエラはそう言うと、雛の腹を触ろうとしたが、手がすり抜けて、がっくりと肩を落とした。
「シーラ?」
『やっぱり生き物は触れなかった……ごはんも食べられるし、ベッドに寝られたのに』
「床を歩きながら、床を通り抜けることも出来るのにね?」
幽霊とはいったい。
わしも首を傾げる。
『目がある生き物は無理なの。生き物だから、見えてくれないと触れないんだよ』
「目……」
わしは中腰になって雛の目があるところの毛をかき分けた。毛で覆われたままではどっちにしろ見えないだろう。
『あ、起きてる?』
反応はないが、パッチリと開いた目が現れる。
「見えないかなぁ」
わしは手だけをそのままに、体を少しずらして、マシエラに場所を譲った。
マシエラは雛の目の前に顔を持って行き、フーと息を吹き掛ける。
『やっぱり、見えていないね。残念』
毛はふわりとも揺れず、マシエラの指に絡まることもなかった。
「……名前、シーラが付けて? わたくしは思いつかないから」
『プッ。そんな、気を遣わなくていいってば。そうねぇ、ボリンというのはどうかな?』
マシエラはそれでも嬉しそうに笑って、名前を挙げる。
「ボリン? フフ、そんな顔しているかも? あなた、ボリンと呼ばれるのはどう?」
わしは雛と目を合わせて問うが、雛はやはりぴくりとも動かない。
まあ、よい。一応礼儀として聞いただけだ。
「あなたはボリン、わたくしの友達。これから、よろしくね」
わしはボリンの首のくびれを、優しくさすった。
今日は日記に書くことが多い。
だが、そんな時間はなく、地下室に行くと、マシエラに案内されて小部屋に向かう。
廊下もフローリングなので裸足で難なく歩ける。壁は漆喰にタイルで模様が描かれ、窓がなくても重苦しさは感じられない。ガスも油も使っていないランプは、いつも煌々としており、地下深くだということを忘れてしまうぐらいだ。
『降霊術の部屋だよ』
時々ぐねぐね道になりながらも、北方向に延びた廊下の奥近くにその部屋はあった。
「……降霊術?」
『驚け。幽霊は、あたしだけじゃないのだ』
マシエラはなぜか自慢気に、腰に手を当てて言う。幽霊という言葉があるのだから、マシエラ以外の幽霊がいるのは頷ける話しだ。
「この宮廷にもいるの?」
『いるいる。まだ会っていないけど、気配が感じられるから』
「そう」
わしとしては、マシエラはマシエラだからよいのであって、他の幽霊にはなるべく会いたくないと思う。
この部屋の異様さを見れば、なおさらだ。
人形の部屋や、髪の毛の部屋に比べれば、この部屋はまだましなほうだと思っていた。床や壁に飾られた骨は、ただのコレクションだと。人の頭蓋骨が緑に塗られて床の隅に転がっていても、それほど気持ち悪いとは思わなかったのだが、降霊術の部屋だと知れば、恐怖が湧いてくる。
それに、部屋全体に張り巡らされた蜘蛛の巣のような淡く光る糸と、部屋の隅でクチャクチャになった敷物からぼんやり浮かび上がる魔法陣は、前にこの部屋を覗いた時にはなかったように思う。
わしは光る糸に触れても感触がなかったので、それが魔力であることを知る。
「骨コレクションの部屋だと思っていた」
『骨はただの飾りで、カモフラージュじゃないかな。これ、魔力源礎石だよ』
マシエラが壁に掛けられている青銅鏡の縁を指でなぞった。
『これもそうだし、これも』
わしはマシエラの指差す物を見ていく。
確かに、骨以外の飾りには、一見すると宝石のような、小さな正八面体の魔力源礎石が使われていた。
「なぜ?」
『幽霊は魔力の固まりで、魔力が尽きれば消えてしまう。魔力源礎石は、幽霊が泣いて欲しがるものだからかなぁ?』
「……シーラも?」
『あたし? あたしは魔法で出来ているし、〝夜明け〟の絵に守られてもいるから、大丈夫。あたしが持っている魔力源礎石は、戦場でしょうがなく集めたものだから、ロカが欲しければいくらでもあげるわ。それに、魔力が必要なら、ごはんを食べることにするわ。ごはんを食べれば、魔力に変わることが分かったしね』
マシエラはケラケラと笑って答えた。
わしはホッと安心する。だが、マシエラの魔力とて無限ではないはずだ。ごはんが魔力に変わるのなら、たくさん食べさせよう。その為には、わしの食事のお裾分けだけでなく、ちゃんとした食料を確保しなければ。
兄エドゥアールを助け出すことが先決だが、秘密を共有出来、冒険と探検と金儲けを一緒に楽しめる協力者を見つけることにも、本気で取り組む必要があるだろう。
「でも、他の幽霊を呼んで、どうするの?」
『古式派占い師の居場所を聞くのよ』
「幽霊に?」
『そうだよ』
マシエラはニンマリと笑む。
さっぱり分からん。
「……わたくしは何をすれば?」
『ここにある魔力源礎石を、削り取るところから始めよっか』
「分かった」
わしは部屋を見回し、小さな円テーブルの上に置かれていた錐を手に取る。
『青銅鏡は術に関係がありそうだから、この絵の額縁にする? たいした絵じゃないし』
マシエラが、壁に立て掛けてある絵画の前にしゃがみ込んで言う。
わしはマシエラの隣に行って、その絵を見る。
ありきたりで陰気な、墓場の絵だった。
「ここと、ここ……穴がある。すでに何個か取り出したあと? どれにする? 強いのがいい?」
粗末な木枠に、5ミリに満たない魔力源礎石が不規則に埋められていた。
『強いのがどれか、分かるの?』
「モヤモヤッとしているのが強い、気がする」
わしはその中から、赤と紫と茶色の魔力源礎石を指で押さえた。昨日、マシエラが手のひらいっぱいの魔力源礎石を見せてくれた時には分からなかったが、今なら見える。
この部屋の魔力で出来た蜘蛛の巣といい、敷物の魔法陣といい、マシエラが言うように、わしの目の視力は進化したようだ。
『すごい、すごい。ロカ、すごい』
パチパチと手を叩いてはしゃぐマシエラ。
見えるだけだ。そんな大げさな。
『あたしは分かんないもん。魔力源礎石だけになったら、そりゃあ、色で魔力の性質は分かるけど、強いのか弱いのかまでは無理。ロカはすごいね』
マシエラは興奮気味にわしに抱きついてくる。
「あ、危ない。錐が刺さったらどうする……」
『ロカ。暇な時でいいから、あたしが持っている魔力源礎石、選別してくれない?』
「いいけど……?」
『あと、畑が欲しいな』
「畑?」
『そう、畑。どうにかならない?』
マシエラはわしの肩に手を置いて、真剣な顔で迫ってきた。
だが、すぐには答えられない。
だって、畑だ。
「ナタシアに聞いてみる」
『あたし、絶対に畑が欲しいの』
「分かった。頑張って、ねだってみる。だけど、畑をどうするの?」
わしは首を傾げる。
畑だ。することは1つに決まっている。ただ、脈絡がなさ過ぎて、わけが分からない。
『薬草を植えるのよ』
「薬草?」
『あたし、本業は薬師なんだ。ロカが魔力源礎石を選んでくれたら、それを肥料にして育ててみたい薬草の種を、実は、山ほど持っているの。レフラーゼンでしょ、ミッドキスでしょ、ブッセルとか。きっとすごい薬が出来ると思うわ。強力毛生え薬とか、絶倫精力剤とか、若返り美肌化粧水とか』
語りながら、夢見る乙女になっているマシエラは可愛らしかったが、突っ込みどころがたくさんあり過ぎた。
「……ついでに野菜も育てれば、食料になる?」
農園の経営者になりたいと言えば、冒険、探検、金儲けよりは、皇女の将来としてまだ受け入れられるだろうか。
「シーラは、冒険と探検とお金儲けがしたいのでしょう?」
『そうよ。でも、薬師という肩書きは便利なの。よそ者を嫌う僻地の村でも、薬師は歓迎されるから。傷薬より、化粧水のほうがなぜかよく売れるんだけどね』
「なるほど」
マシエラも考えているのだなとわしは感心する。
とりあえず、餌にするなら強いほうがよいだろうと、モヤモヤが出ている魔力源礎石を3個、錐でほじくり出した。
「次はどうすれば?」
『えっと、このボロい椅子の魔法陣と連結する魔法陣が、どっかにあると思うんだけど』
マシエラは部屋の真ん中に置かれたシンプルな木の椅子のところに行き、座面を見下ろした。
座面には、魔族が使う文字と記号が複雑に絡み合った、3重まるの魔法陣が浅く彫られていた。
『魔法陣は2重か、5重か、8重って決まっているし、降霊術の魔法陣はもっと大きいんだよね。床か天井に隠れているのかなぁ』
マシエラは床を見下ろし、天井を見上げた。
「シーラ。たぶん、これだと思う」
わしは魔力源礎石をパジャマのポケットに入れると、魔法陣が宙に浮かんでいる薄い敷物を引き摺って、持ってくる。だが、綺麗に広げても、古くさい絵柄が現れただけで、普通の敷物だった。ぺろんと裏を捲っても、変わったところはない。
『ロカ?』
「うーん。ここに浮いているのだけれど」
わしは敷物の上に椅子を置いて、パズルのピースのように魔法陣を合わせる。
「ぴったり」
『ロカ?』
「1、2、3、4、5、6? まだ足りないのか」
魔法陣の円は数えると6までだ。
わしはマシエラの真似をして、床を見下ろし、天井を見上げた。
「あ、そういうこと」
魔力で出来た蜘蛛の巣は、真ん中がぽっかりと空いている。たぶん、これが魔法陣の外側部分なのだろう。
わしは椅子を載せたまま敷物を動かし、魔法陣と蜘蛛の巣がちょうど合うように調整する。
「んー? 少しずれているのかな?」
『あの、ロカ?』
「ええと、ああ、これを、こっちにすれば」
わしは壁に掛けられている青銅鏡を、爪先立ちになって取り外した。
凄く重い。
青銅鏡が術に関係していると推察したマシエラはさすがである。
よたよたと、よろめきながら、青銅鏡を近くの別のフックに何とか引っ掛ける。鏡に魔力が当たって反射すれば、ずれが修正され、魔法陣は8重まるのちゃんとした形になった。
『ロカ?』
「見て? 魔法陣になった」
あとは椅子の高さにある中の魔法陣と、見上げる高さにある外側の魔法陣の、上下を揃えて合わせるだけである。
『あのね、ロカ。よく分かんないんだけど。何しているの?』
「何って……」
不思議そうに問うマシエラに、わしは戸惑う。
「ほら、魔法陣がここと、あそこに」
『どこ? どこ?』
キョロキョロと部屋を見回すマシエラ。わしが指差したところを見て首を傾げる。
「……えっと」
『うん。見えない。だけど、ロカには見えているのね?』
マシエラは喜色の表情を浮かべて、わしの手を取った。敷物の魔法陣も、蜘蛛の巣のような魔法陣も、マシエラには見えていなかったようだ。
『すごいわ、ロカ。本当にすごい。あたしは、スーパー幽霊だから、動いている魔力は見える。だけど、留まっている魔力は見えないの。せいぜい感じとるぐらいで。ロカがいれば、魔法グッズの解明も簡単だし、罠だらけのエルフの巣穴から、奪われたあたし達のお宝を取り返すことだって楽に出来るのよ』
マシエラは最高潮に興奮して、わしの手をブンブンと振り回す。
「……わたくしでも役に立つ?」
『もちろんよ。何言っているの? ロカはあたしにもう1度生きるチャンスをくれたし、ごはんを分けてくれるし、ベッドにも入れてくれた。何もしなくても誰も何も言わないのに、労力を惜しまず、ぬいぐるみと戦ったり、お兄さんを助けようとしていたりするじゃん。なのに、とっても賢くて、魔力が見えるっていう才能まであるんだよ? それって、本当にすごいことでしょ?』
頬を上気させたマシエラに最大級の褒め方をされて、わしは、どうにかなりそうなぐらい嬉しかった。