第14話 丸々とした毛玉
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと10
「媛様。ザラヴェスク皇子殿下から、鳥の雛が届きましたが、何かお約束なさっておられたのですか?」
「鳥の雛? いいえ、何も」
わしは昨日の本を読み終わり、新しい本〝ネズミくんのだいぼうけん〟の表紙を開いたところだった。
「どうなさいますか?」
ナタシアが戸惑いながら、大量の荷物を載せたワゴンを押してくる。
「どうって」
わしは本を置いて、ソファーから降りた。
ワゴンの1番上に置かれた大きな鳥籠に、丸々とした毛玉が、ゴロンと存在している。
「鳥?」
「鳥とお聞きしました」
「鳥……」
鳥籠に入っているのだから、それは鳥なのだろうが、毛足の長いクッションにしか見えない。
「羊のぬいぐるみではございませんの?」
レノアが首を傾げるほど、ふわふわと巻いた毛は、羽ではなく、動物のものだった。
だが、よく見ると、立派なかぎ爪の猛禽類の足がはみ出ている。そして、顔の辺には小さな嘴があった。嘴の近くに目があるはずだが、毛に埋もれているのか、分からない。
「雛なのよね?」
「はい。鳥の雛とお聞きしましたが」
「雛って、こんなに大きいもの……?」
高さ80センチほどの鳥籠が、5センチほどの空白を開けて、ぎちぎちである。
「クッションより大きいですわね」
レノアがソファーに置かれたクッションを持ってきた。
「あらまあ」
「うわぁ」
ナタシアとわしは驚くより、微妙な表情になる。
これで雛なら、成鳥はどのぐらいの大きさなのか。マシエラがいれば、大騒ぎしていそうだ。彼女はまだ戻っていなかった。
「媛様。こちらがザラヴェスク皇子殿下からのお手紙でございます」
「お手紙?」
手紙にしては大きな茶封筒が渡される。
「お座りになられますか?」
わしは頷いて、またソファーに座らせてもらう。
毎日、何度でも思う。いつも座るこのソファーは、柔らかくて据わりが悪く、お尻が落ち着かない。
見栄えはよい。奥行きがあり、どっしりとしており、一応2人掛けだが、4人は楽に座れるのではないだろうか。生地張りの洗練された伝統的なデザインで、色は淡いピンクと、可愛いらしい。
もう一つの、部屋の中心にあるクリーム色のコーナーソファーはさらに大きく、背もたれにクッションを重ねてもらわなければ、後ろにひっくり返る。
子供でも行儀良く座れて、くつろげるソファーが欲しいものだ。
わしは茶封筒から紙の束を取り出す。
「……こんなに?」
「飼育の仕方なども入っていると伺いましたが」
「飼うってこと? わたくしが?」
「まあ、そういうことでございましょうね」
ナタシアは荷物満載なワゴンを見た。
「……お兄様」
わしはわけが分からなくて、一番上にあった手紙を読む。
5日前、ヴァレンテ家から母ローランゼ妃へ献上された鳥である。ローランゼ妃は美意識に合わないからと姉セレスティアへ譲り、セレスティアは世話をする暇があるならヴァイオリンに触っていたいとザラヴェスクへ譲り、ザラヴェスクは自分よりもわしの為になるだろうと、わしに譲ることにした。
「その理由は、希少な鳥で飼育は難しいが、その卵は極上の美味さである。真珠のような糞をし、高値で取引されている。研究を兼ね、売り上げの1部を福祉団体等に寄付すれば、皇女らしい金儲けの手段といえるのではないか……」
簡潔に書かれた手紙を読み、わしは感動する。ザラヴェスクは、わしが冒険と探検と金儲けをすると言った時も変な顔をせず賛同してくれたばかりか、一財産を産むらしい鳥を譲ってくれるというのだ。
「媛様。金儲けとは……?」
「わたくしは大きくなったら、冒険と探検とお金儲けをする」
「は?」
ナタシアだけでなくレノアも、目を丸くしてわしを凝視した。
「冒険と、探検と、お金儲け……でございますか?」
「そう」
わしは頷く。
「いつから、そのようなお考えを?」
「……昨日?」
そう、昨日からである。
「なぜ、そのようなお考えに? 昨日、何かございましたか?」
と問うたナタシアが、ハッとして、口を閉じた。
幽霊がいるとわしが言い出して、慌てたことをナタシアは思い出したらしい。
「ルイズお兄様にいただいたフォトフレームで、外の世界を見たから。もっと見たいと思った。飛行船にも、いつか乗ってみたいし」
マシエラのことは言わない。
「そういうことでございますか。媛様も6才になられた秋には、ヴィンスの初等学校に通えますからね」
「楽しみ」
わしはニッコリ笑う。
先のソフィアンナ博物館に行きたいというわしの発言もあり、ナタシアは納得したようだ。
正直、学校はどうでもよかった。
皇家の人間でも、6才になれば学校に通うことが出来る。アシュバレンのように通わない選択もあるが、宮殿がある首都ヴィンスであれば、どの学校を選んでもよいらしい。
「ですが、お金儲けというのは?」
ナタシアは首を傾げる。
「強い護衛を雇いたいから」
先行投資のようなものだ。
ザラヴェスクは言った。ひ弱なら、強い護衛を雇えばよいと。わしにはマシエラがいるが、マシエラは友達で、幽霊である。護衛なしに、外を歩くわけにはいかないが、護衛が付くなら許可も下りやすいだろう。
「媛様が、個人で、ということでございますか?」
「そう」
「宮殿の護衛官ではいけないのでございますか?」
ナタシアは驚く。
「だって」
すべてを報告されるではないか。
「媛様?」
「友達のような仲間のような関係を築くには、宮殿の護衛官では無理でしょう?」
どうせなら、その護衛にはマシエラのことを理解してもらいたいと思っている。
「護衛でございますよ? 護衛が、媛様の御友人になれるわけがありません」
もっともである。
だが、マシエラが望む冒険や探検は、ハラハラドキドキワクワクを友達と共有することだと思うのだ。少年少女が読む物語のように。
学校に行くだけなら、宮殿の護衛官でじゅうぶんだが。
「難しい?」
「そうでございますね……媛様がもっと大きくなられて、同じ年頃の方が護衛に付くようになれば、或いは」
ああ、年齢の問題もあるのか。
「……今から友達になれそうな子供を、護衛に育てる?」
「媛様。そのような計算尽くでは、御友人とは言えないのでは」
「……」
わしは黙るしかなかった。
「媛様。では媛様は、この鳥を飼うのでございますね?」
レノアがこっそり落ち込むわしをとりなすように、話題を鳥の雛に戻してくれる。
「飼う。研究もする」
鳥の雛とは思えない見た目と大きさだが、初めてのペットである。卵と真珠のような糞はとりあえず二の次で、死なせないように真面目に世話をしよう。
「わたくしもお手伝いさせて下さいませ。鳥のお世話はしたことがないのですけれど」
レノアは興味津々、鳥籠の中を覗いてニコニコしている。
「そうでございますね。ザラヴェスク皇子殿下からの贈り物でございますし、一丸となって、お世話いたしましょう。媛様、お手紙の続きをお読みになって下さいませ。先にこの荷物をどうにかいたしませんと」
何だかナタシアもやる気だ。
「はい」
手紙は1枚だけだった。
あとは書類と、飼い方のようである。わしは手紙をソファーの横に置いて、書類から捲っていく。
「ナタシア。権利書と、飼育許可証がある」
「まあ。見せて下さいませ」
ペットを飼うのに所有者の証明がいるのか。
わしはその書類をナタシアに渡して、次に行く。
「……えっと、タレー砂漠に生息するラブリンナ、別名、羊鳥。毛色は茶、灰、白、黒が発見されている。アリなどの小さな虫を食べるが、穀物や豆類も食べる。糞はほとんどしない」
「餌が難しいものでなくてよかったですこと。媛様、権利書と飼育許可証が分かって、なぜ絵本に手こずるのですか?」
書類に目を通したナタシアが呆れたように言う。
「……」
「サインを幾つかすれば、この鳥は媛様のものになります。ヴァレンテ家がそれだけで済むように、粗方の手続きをしたようですね。卵は食品として売る場合は保健所の許可がいります。糞は、羊鳥協会を通して売買するようでございます。飼育放棄や虐待等、故意に死なせたりしなければ罰則もありません。サインをなさいますか?」
「する」
わしが頷くと、ナタシアは万年筆と書類を渡してくれる。わしは膝の上で、封筒を下敷きに丁寧にサインをした。
「こんな面白そうなペットを譲って下さった、ザラヴェスクお兄様に感謝しなくては。お礼は何がいいと思う?」
「明日、直接お聞きになればよろしいのでは?」
ナタシアは、わしから書類と万年筆を引き取って、クスリと笑う。
それもそうだ。ザラヴェスクの好みは何1つ知らない。感動を伝えるのに、適当な贈り物はしたくなかった。
わしは紙束の続きを読む。
「……翼は退化、飛べない鳥で、足は強靱だが、走るのは遅い。性質は大人しく、鈍感。成鳥になると羊のような角が生える。雌雄の区別は不明。卵を産めばメス。体長は最大2メートル50センチ。2メートル50センチ? 重さは百キロにもなる。百キロ?」
本当に鳥なのだろうか。クマではなくて。
ナタシアとレノアが固まっている。
この部屋で2メートル50センチ、百キロの、丸々とした鳥を飼うのか。
「巨体なので餌を近くに置いておくと、そこからほとんど動かない。良かった。鳥籠はなくても大丈夫そう。さすがに3メートルの鳥籠は置けないもの」
「さ、さようでございますね」
部屋を見渡して顔を引きつらせるナタシア。
「湿気の少ない日向を好み、夜行性である。じゃあ、陽当たりのいい窓際に居場所を作ってあげて、雨の日は除湿器を活用すればいい?」
「除湿器も荷物の中にあるようでございます。レノア、荷物を降ろしますので、手伝って下さい」
「畏まりました」
ナタシアとレノアが窓際までワゴンを押して行く。
わしもソファーを降りてついて行った。
マシエラはまだ戻って来ない。わしの為に魔法グッズを探しに地下室に潜っているのだ。わしだけこんな鳥の雛を見て、喜んでいるのは気が引ける。
「いきますよ。よろしいですか? せーのっ」
ナタシアの掛け声で、ナタシアとレノアが鳥籠を床に降ろした。
何とも重そうだった。
だが、雛のほうは身じろぎ1つしない。
「今もぎゅうぎゅうで窮屈そうだから、出してもいい?」
「大丈夫でしょうか」
「……窓も閉まっているし、逃げられない」
わしはニンマリ笑う。
「そんな悪い顔をなさって。苛めてはいけませんよ?」
ナタシアは苦笑し、レノアはクスクス笑って鳥籠の留め具を外した。
小鳥なら小窓を開ければよいだけだが、この雛は大きいので、鳥籠を分解しなければとうてい無理だ。
底部分だけになった鳥籠に、でんと存在する丸々とした毛玉。
「わたくしはロナチェスカ。友達になってくれる?」
床に座り込むと、鳥の雛はわしより大きかった。見上げるように、出来るだけ優しい声で話し掛ける。
「あなたは男の子? それとも女の子? 名前を付けてもいい? 縛られるのはイヤ?」
わしは紙の束を横に置いて、そっと手を伸ばす。
真っ白な毛は、猫の毛のようにふわっとしているのかと思えば、ナイロンのようにつるっとしていた。
「……おぉ、手が埋もれる」
身は、毛の遙か下にあった。ほんのりと暖かく、ぬいぐるみではないことを証明している。
わしは両手で、雛の頭から順番にゆっくりと確かめていく。
「おめめはどこ?」
正面なのか、側面なのか。フクロウなのか、ペンギンなのか。
小さく主張する嘴の付近の毛を、慎重に暴く。
「あった……起きてたの?」
クリクリとした目と、目が合う。フクロウの目だった。虹彩は黄色、中心は真っ黒で、少し垂れ目だ。
「じじくさい顔。可愛い」
わしは雛の、首のくびれを指先でコチョコチョとくすぐる。
ぐーるぐると、指に震動が伝わってくる。
「気持ちいいの? それとも威嚇?」
雛は瞬きして、ほんの少し首を傾けた。
分からないが、何となく機嫌は悪くなさそうである。
「媛様。餌は乾燥虫と、乾燥トウモロコシが用意されているようでございます。どのようにすれば……」
ナタシアが銀色の缶に入った虫とトウモロコシをわしに見せた。
そうだった。
飼い方を先ずは知らなければ。
「えっと、食器台に食器をセットして、1番小さな食器に水を、1つに乾燥虫を、1つにトウモロコシや豆類を入れる。ニワトリの餌で可。入れっぱなしにして、水は毎日、餌は古くなってきたら取り替える。痛みかけを好む場合もある。見て、図が描いてある」
わしは紙束をパラパラと捲り、読み上げると、そこをナタシアに見せた。
「……この傘立てのようなものが、食器台ですね」
ナタシアは陶器の皿を、ステンレスの棒をつなげて筒状にしたものの上にはめていく。
昔の洗面器を置く台に似ている。
「高さがちょうど」
雛がうつむけば食べられる高さだ。
わしは雛のふっくらした腹を撫でる。これで地面を啄むのはしんどそうである。
「手はあるの?」
腹を触ったついでに、退化した翼がどうなっているのか確かめる。ペンギンの手のようになっているのか、普通の鳥のように、飛べないだけで翼はあるのか。
「媛様、その用紙をこちらに貸して下さいませ」
夢中になって触っていると、ナタシアが仕方なさそうに笑って、そっちのけになっていた紙束を持っていく。
「あ。ごめんなさい」
「よろしいのですよ。嫌がられて突かれないようにお気をつけ下さいませ」
「はい」
と答えながらも、わしの手は雛の毛の中にある。
翼は背中にあった。体の割に小さいが、ちゃんとした鳥の羽で、毛の中で折り畳まれている。
「それにしても、ずいぶんと辛抱強い鳥でございますね。猫ならとっくに逃げてしまっておりますよ」
ナタシアが言い、レノアが笑う。
『おぉ。ルゥルゥ鳥じゃん。白い石のような糞は、水虫の薬になるのよ』
マシエラが滑るようにわしの隣にしゃがみ込んだ。
ルゥルゥ鳥? 昔はそう呼ばれていたのか。
そして、水虫。
わしは吹き出すのを堪える。
『これどうしたの? 飼うの?』
わしは頷き、口をパクパクする。ナタシアとレノアがすぐそばにいるので、ヒソヒソ話しも出来ないのだった。
『おっと。じゃあ、後で話してね。人捜しの魔法グッズだけど、いいもの見つけちゃった。ちょっと大変だけど頑張ろうね』
マシエラは意味ありげに口角を上げた。
ながい、ながい2日目。
まだもうちょっと続きます。




