第12話 白々しい嘘
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと8
ナタシアが持ってきてくれた暖かい紅茶を飲んで、イライアは少し気分がよくなったようだ。
わしはクッキーを1枚、2枚と食べ進めながら、ホットミルクをコクコクと飲んでいた。
すでにお茶の時間なので、これが今日のおやつということだろう。厨房も、ナタシアも、さすがに変な試練は課さなかったようで、とても美味しい。
「では、これに署名を」
イライアは黙って書面を見つめ、万年筆を取った。
襲撃があった真下の部屋ということで、今日の護衛警備の責任者であるハワード・フェザー2佐と、ジョナス・オーエン3佐が来ていた。
『チャンス。青い焔眼をゲットするんだっ』
マシエラは、2人が部屋に来てから、ずっとうるさい。
だが、ナタシアが時々わしの口元をハンカチで拭ってくれる以外、誰もわしに注意を払う者はいなかった。
仕方がないので、オーエン3佐にせめて自分を覚えてもらえるように、彼の顔を凝視しながらクッキーをボリボリと食べ続けることにした。
「……ところで、皇女殿下にカウンセリングは必要ですか?」
書類を封筒に入れて脇に抱えると、フェザー2佐がナタシアに問う。
「怖がっている御様子はなく、このとおり食欲もございますから、必要ありませんでしょう」
「分かりました。ムリージョ先生、本日は御苦労様でした。お帰りいただいて結構ですよ」
フェザー2佐が許可を出すと、イライアはホッとしたように立ち上がった。
わしはクッキーを置いて、イライアのところに行く。
「先生、また来て下さい。ちゃんとピアノの練習もします」
「……もちろんです。でも、ピアノに関しては、皇女殿下の口約束はアテになりませんからね。どうしましょうか」
イライアはクスリと笑う。
わしは目を逸らす。
「また10日後に来ますからね。しっかりと練習しておいて下さいませ」
「はい」
よし、これで歌の授業がなくなることはない。イライアはよい先生だし、これきりというのは寂しい。懲りずにまた来てくれるのなら、ピアノの練習も頑張ろう。
「……次に、本題ですが」
イライアが退室すると、テーブルに着いているのは、わしだけになった。
「エドゥアール皇子殿下は、ショックが大きく、ハリナムの離宮でしばらく静養することになりました」
フェザー2佐は淡々と述べる。
つまり、エドゥアールは見つかっていないのだ。
「それで、ロナチェスカ皇女殿下には、御身に危険が迫っていることを先ず認識していただきたい」
何だ、それは。
唐突過ぎるだろう。
「どういうことでしょう? 詳しい説明をお願いいたしますわ」
ナタシアが険しい顔で問うた。
「オーエン3佐」
「はっ」
オーエン3佐が椅子に座っているわしの横に来て、片膝をつく。
似合わない、似合わなさ過ぎる。
わしは頬がひくつきそうになるのを、澄まし顔で懸命に取り繕う。
「皇女殿下。襲撃犯の口述から、狙いは皇女殿下であったことが分かりました」
涼しげな青の眼が、悲しそうに伏せられる。
魔力が炎と知っていなければ、騙されるだろう。青い焔眼は、変人で、紙一重な性格であることを忘れてはいけない。
「媛様がでございますか? なんてことでしょう」
ナタシアは動揺して、テーブルに手をついた。
『どういうこと? 痴情のもつれじゃないの? もしかして、ロカのせいにされているの?』
マシエラはなかなか鋭い。
「襲撃犯は、間違えたのでございますね。では、また狙われる可能性も?」
ナタシアは不安そうに言う。
「……なきにしもあらずでしょう。襲撃犯は、ヴァレンテの皇女を誘拐して、身代金を要求する予定でした」
オーエン3佐が静かに答える。
やはり、そう来るのか。
ちょうどわしの部屋が真下で、設定しやすかったのだろう。母も、母の実家も大金持ちだ。
わしはバカらしくなって、再びクッキーに手を伸ばす。
「レノア、ミルクのお代わりをちょうだい?」
「畏まりました」
レノアは微笑んで、カップをトレイに載せて部屋を出て行く。
「媛様。それどころではございません。媛様が狙われたのでございますよ? それに、あまりたくさん召し上がりますと、お夕食が入らなくなります」
「警備をもっと強化すればいい」
わしはそれでもクッキーを食べる。夕食は楽しみだが、美味しいとは限らないからだ。
「それは、もちろんそうでございますが」
ナタシアは困った顔をする。
「お母様の実家のヴァレンテ家が狙われずに、わたくしが狙われたということは、宮廷の警備が、ヴァレンテ家より甘いからではないのですか? 身代金が目的なら、後々面倒になる皇女より、普通にヴァレンテ家の人間を誘拐するでしょう?」
都合よく、わしのせいにするのは許さない。
わしは片膝をつくオーエン3佐を見る。白々しい嘘は、不快なだけだ。
「……仰せのとおりです。皇女殿下の御身は、しばらくは自分が護衛にあたります。皇女殿下はいつもどおり健やかにお過ごし下さい」
「あなたが守って下るのですか?」
「はい」
「わたくしに、そこまでの警護が必要ですか?」
でっちあげの危険にかまっている暇があるなら、エドゥアールを探せばよいのに。
朝のことといい、今のことといい、どいつもこいつも。
そんなに策謀するのが好きか。
『ロカ、ロカ。出てる、出てるから』
何がだ?
マシエラの慌てる声に、わしは首を傾げる。
「媛様。クッキーをもう1枚、いかがですか? それから、お夕食の献立は、ハンバーグと聞いております」
「ハンバーグ?」
その瞬間、わしの頭はハンバーグのことでいっぱいになる。
ナタシアが差し出した皿からクッキーを取って、ニンマリと笑った。
『おー、さすが、乳母さん』
マシエラはパチパチと拍手する。
何なのだ。
わしはわけが分からなかったが、クッキーを頬張りながら、ふとフェザー2佐に目をやると、額に汗をかいていた。表情も苦しそうだ。
オーエン3佐は片膝立ちのままだが、体が傾き、床に手をついている。
「なに?」
「……媛様の怒気にあてられたのでございましょう。わたくしも、少しばかり」
ナタシアが苦笑して教えてくれる。
ああ、わしは無意識のうちに彼らを圧迫していたのか。
不機嫌な感情や、怒りの感情が、相手を畏怖させ、威圧する力になる。魔力と違い、皇家の人間だけに備わっているものだ。
3族が世界を創造した時、たくさんの生き物が生まれた。生き物の中から、人間とエルフと地底人は、長い時を経て特別な進化を遂げ、魔族と神族から恩恵と加護を得るまでになった。
メルーソ大帝国の祖であるアンソラータ・メルーソと、エンフェルト・メルーソは、さらに竜族の血という反則的な寵愛を受けたが為、子孫には5千年後の今でもその力の1部が残っているのだ。
ヘンドリックであった頃は、それを支配者の力と呼んでいた。
「皇女殿下のお怒りは重々お察しいたします。護衛警備の不備、至らなさ、心よりお詫び申し上げます」
オーエン3佐が体勢を立て直して、神妙に謝罪する。
それは本当の言葉に思えた。
「そのお言葉は、わたくしにではなく、エドゥアールお兄様におっしゃって下さい。わたくしは無事だったのですから。わたくしにどうしても護衛を付けるのでしたら、あ、ナルビエス1尉がいいです」
わしは思いついて言う。
「ナルビエス1尉? 皇女殿下はオーエン3佐では不服だとおっしゃる?」
フェザー2佐だ。
「ナルビエス1尉は面白い方でした」
「面白い……?」
「オーエン3佐は護衛官の中でもトップクラスの実力をお持ちでしょうから、少しの間とはいえ、わたくしなどに引っ付いていては勿体ないと思うのです」
実際、わしは狙われていないのだから、無駄遣いである。
「そのようなことは……」
フェザー2佐は言い淀み、オーエン3佐に目配せするのが分かった。オーエン3佐をどうしてもわしの護衛に付けたい理由があるのか。
『ゲットするチャンスじゃん。ロカは青い焔眼が嫌いなの?』
マシエラこそ、そんなに青い焔眼が欲しいのか。
わしは欲しくない。
「媛様。わたくしは心配です。媛様のお好きな、お庭の散歩も、テラスでのお食事も、このままでは安心して続けられません」
「……」
がーん。
わしが打ちひしがれていると、レノアが戻って来て、わしの前にミルクの入ったカップを置いてくれた。
「媛様、お待たせいたしました」
「レノア」
「はい?」
「レノアもいるし、ナルビエス1尉もじゅうぶん強いと思う」
わしは譲らない。
「レノアはメイドでございますよ」
「でも、わたくしより戦えるでしょう?」
「媛様は、メイドに戦わせるおつもりですか?」
ナタシアは呆れたように首を横に振った。
「皇女殿下には分かりにくいことかもしれませんが、魔力を持つことと、戦うことは、別物なのです。魔力を持つからと、戦えるとは限りません」
フェザー2佐は厳しい口調で答えた。
わしはどうやら、叱られたようだ。
「レノア、ごめんなさい」
「いいえ、媛様。媛様がお謝りになることはありません。メイドのわたくしが戦えるかそうでないかというお話しでしたら、わたくしは戦えますわ。どんと頼って下さいませ」
レノアは笑って言う。
「メイドに、我らと同じ働きが出来ると?」
「不届き者の侵入を許した方々と、同じ働きでございますか?」
おっと。
フェザー2佐とレノアが火花を散らす。
「……皇女殿下」
呆気にとられていると、オーエン3佐がコソッとわしに呼び掛ける。
「皇女殿下はサンドラ・ヴァレンテを御存知ですか?」
「……ひいおばあ様?」
わしは意外なことを聞かれ、驚く。
母方の、ヴァレンテ家の家系図を頭に思い浮かべ、自分との関係を確かめる。
「実は、古式派占い師の第1人者であるサンドラ様とのコネクションが必要になり、所在など、皇女殿下に御助力いただけたらとお願いにあがりました」
もの凄く小さな声で、フェザー2佐に意識が行っているレノアはもとより、ナタシアにも聞こえないように、オーエン3佐は言う。
「ひいおばあ様に近づく為の、わたくしの護衛ですか?」
「はい」
なるほど。
それなら、納得出来ないこともない。
わしは、サンドラをまったく知らないが。
古式派占い師の第1人者ということは、まさか、エドゥアールの行方を占ってもらう為なのか?
「……わたくし、行きたい所があるのです」
「媛様?」
「ルイズお兄様にいただいたフォトフレームで、ソフィアンナ博物館を見ました。オーエン3佐を護衛にすれば、そこに連れて行ってもらえますか?」
わしはニッコリと笑う。
「部屋にいる分には、レノアがいれば大丈夫です。けれど、オーエン3佐ほどの方が護衛なら、宮殿の外にも行けるのではと思いました」
「まあ、媛様。狙われているのに、外になど、とんでもないことでございます」
ナタシアが目を吊り上げる。
「それなら、レノアとナルビエス1尉でもいいでしょう?」
ナタシアは1尉より3佐のほうが階級も上で、強いからという認識なのだろうが、ナルビエス1尉も、来年には3佐に上がっているのではないだろうか。
「では、こうしましょう。調査が済み、安全を確認した後になりますが、万全の警護態勢を敷き、皇女殿下の御希望どおりソフィアンナ博物館へお連れいたします」
フェザー2佐が、物言いはしぶしぶといった感じだが、ここぞとばかりに、わしの我が儘に乗っかる。
「それでしたら、まあ……」
ナタシアも頷く。
わしはやれやれとミルクを飲む。
これで双方が妥協したという形で、うまく収まったようだ。