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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
11/43

   第11話  スキャンダル

子供編

4才のわし、動き出した2日目   ぱーと7

 今日は変な日である。

『毎日、こんな感じなの?』

「ううん。朝の訓練も初めてだったし、バスタブに隠れなければいけないような侵入者も初めて」

『ふぅん』

 厳重な警備体制を敷いていても、押し入る者はいる。だが、大概は知らせが入ることもなく、翌朝になって侵入者が捕まったとか殺されたとか、ナタシアとレノアが話しているのを耳にするだけだ。

 こうして、わざわざ連絡が入るということは、危険な状況なのだろうか。


「何が目的だと思う?」

『普通に考えると、暗殺か誘拐か盗みだよね』

「うん」

 見つかれば人生が終わるのだから、よほどの理由と目的がなければ宮殿に侵入などしない。


『暗殺されるとしたら、誰?』

「誰?」

『ほら、暗殺されるのって、皇帝だけじゃないじゃん?』

 確かに。

 有り得ないことだが、母ローランゼ妃が、オリビア妃を毒殺したという噂もあるぐらいだ。

「継承権を持つ者とか、領家の跡継ぎも対象になるか」

 領家の私邸も宮廷の一部だ。建物も敷地も分けられているが、庭続きである。


『そうね。領家といえばお家騒動だもん。去年はデシャネルだったけど、今年はウインストンだねって。活劇にもなっていたし。今もそう?』

 マシエラは野次馬的な楽しみ方をしていたようだ。

「たぶん?」

 7家しかない大貴族は、皇家と同じだけの歴史を持ち、未来永劫、家の存続が約束されている。厳粛主義で、体面を気にする為、お家騒動が起こったとしても決して外に漏れない。また、不敬罪に問われるので、庶民は気軽に悪口も言えなかった。

 だが、領家は取り潰しあり、新興の家ありと、栄枯盛衰が激しく、スキャンダルに事欠かない。対する不敬罪もないので、噂好きな領民の恰好の餌食だった。


『領家の、なんか面白いお家騒動はないの?』

「私邸が9棟に増えたという話しと、ハーマンカンプ領家だということしか聞いたことがない」

『そっか』

 マシエラは残念そうな顔をする。

 ヘンドリック時代のゴシップならいくらでもあるが。


「シーラはそういう話し、好き?」

『支配者階級の愛憎劇なんて、平民には御馳走だよ?』

「御馳走……」

 そんなにか。

『ロカも、大きくなったら愛人をいっぱいつくって、あたしを楽しませてね』

「……」

 恋の為に戦えとか、運命の相手と出会えるとか、愛人をつくれとか、言いたい放題である。

 わしは断言する。無理だ。絶対に無理だ。


『あ、上の階かな? 魔力が膨らむのを感じる』

 浴槽の縁に腰掛けていたマシエラが、斜め上の天井を見据えた。

 この真上は、わしより1才上の、第五皇子エドゥアール・ネイト・メルーソの部屋である。

 わしは魔力は見えるようだが、離れた所のを感じるまでにはなっていないようだ。

「戦闘に?」

『かもね。小さい魔力が飛び交い始めたわ』

 マシエラは落ち着いたものだ。

 かすかにドンという音が響く。

 エドゥアールは無事だろうか。


「……そういえば」

 わしは立ち上がって浴槽を出る。

『何するの?』

「避難口があるのを思い出した」

 魔力を持つ者は、空を飛べたりもするので、窓があれば外に逃げることが出来る。だが、魔力のない人間は、火災が起きても階段を使うしかないので、その階段まで行けない場合を想定して、部屋や廊下に避難器具用ハッチが埋め込まれているのだ。


「魔力を持たない皇子皇女は1階とか、避難口がある部屋とかになるの」

『へぇ』

「乳母とかメイドとか、護衛官が守ってくれるけれど、いざという時は、自分の身は自分で守らないと」

 わしは脱衣所の天井を見上げて、タイルではなく、四角いステンレスがはまっている場所を確認する。

「ほら、あそこ」

『おお、あれが?』

 しかし、当然ながら手が届くわけもなく、椅子はあるが、登っても無理だろう。

 わしはマシエラをじっと見つめた。


『どうしたの?』

「シーラ、物に触れるよね? 金塊持ってた」

『うん』

「あそこの、あの赤いツマミ、回してみて?」

『いいけど』

 マシエラは軽くジャンプして泳ぐように天井まで飛ぶと、底蓋になるのだろう、ステンレスの板を留めてある赤いツマミを回した。


『わっ』

 ステンレスの板が勢いよく外れてぶら下がる。マシエラの頭を、通り抜けていった気がする。

「大丈夫?」

『びっくりしたけど、平気。ねえ、ロカは上に行く気なの?』


「エドゥアールお兄様がいらっしゃるかもしれないから。お兄様はわたくしより1つ年上なだけで、魔力も持っていないの。わたくしと同じように、バスタブに隠れているかも」

『そっか。分かった。次はどうする?』

「緑のレバーを下げてみて」

『これね』

「梯子が下りてくるから、気をつけて」

『うん。まあ、当たらないけどさ』

 マシエラはケラケラ笑って、緑のレバーを下げた。ガコンという音がして、ステンレス製の梯子が落ちてくる。


「シーラ、ありがとう」

『どういたしまして。でも、ロカが、これを上れるの?』

「頑張る」

 わしは梯子に手を掛けた。

 グラグラと揺れる梯子を、しがみつくようにして1段1段上っていく。途中、この靴では危ないと気づき、足を振って靴を落とす。


『もう少し』

 わしは思う。大人しく、淑やかに過ごすだけでは駄目だ。もう少しやんちゃに、体を動かすこともしなければ。


 梯子を何とか上りきると、わしは赤いツマミを回して、上蓋になるステンレスの板をゆっくりと押し上げた。

 エドゥアールの部屋が、わしの部屋と同じ間取りなら、脱衣所に出るはずだ。

「お兄様、おられますか?」

 わしは緊張しながら、上蓋を完全に上げて、顔を出す。

 色合いは違うが、間違いなく脱衣所である。

 戦闘の音は近い。

 わしは思い切って脱衣所へと上がり込んだ。


『早くしたほうがいいわ』

 同じように上がってきたマシエラが、壁の向こうを警戒しながら言う。

 わしは急いで浴槽の中を覗いた。

「いない」

『いないの?』

「どこかへ避難しているのなら、いいの」

 きっと、そうだろう。

 こんな危険な所、長くいるべきではない。

 さっさと戻ろう。

 避難口を下りようと、足を浮かした時だった。

 壁を思いっきり蹴ったような音と、壁が崩れる音がして、キラキラと光るモヤに襲われる。

『ロカっ』

 わしは尻餅をついて、床に座り込む。

 避難口に落ちなくてよかった。


『ロカ、大丈夫?』

「うん。風に押されただけ」

 痛いところはどこもない。キラキラしたモヤは風の魔力だったようだ。

 壁を見ると、1メートルほどの高さに、20センチほどの穴があいていた。


「……分からない人だね。エドゥアールは皇帝の子供だと言っているじゃないか」

 は?

 聞き捨てならない話し声が聞こえてくる。

 わしは立ち上がると、足下に注意しながら、壁に空いた穴を覗く。穴はちょうど顔の位置にあった。


『ちょっと、ロカ。危ないってば』

 マシエラがわしの肩を掴んで止めるが、わしは止まれなかった。

 穴から見えたのは、魔力を帯びた剣を華麗に振り回す、今朝の謁見の儀で主役だった叔父アシュバレンである。

 対するは、黒のスラックスに白のシャツ、紺のジャケットという普通の服装に、バタフライ仮面を付けた男だ。

 侵入者か。

 仮面の男が、風の魔力を持つようだ。剣身に風をまとわせ、アシュバレンの剣を余裕綽々、受けていた。なかなか、強い。

 部屋には他にも護衛官が2人いたが、手を出せないようだ。


「カロリーヌは実家に帰ってくる度に、俺と愛し合った。エミリアーナも、ヘカテリーナも、俺の娘だ。俺はただ、俺の家族を返して欲しいだけだっ」

 仮面の侵入者は高々と声を張り上げる。

 とんでもない内容だった。


『ねぇねぇ、どういうこと?』

「あー」

 わしはその場にしゃがんで、マシエラに教える。

 仮面の侵入者が愛し合ったというカロリーヌ・ネイトは、皇帝の妃である。エミリアーナは皇帝のお気に入り、第2皇女で13才になる。ヘカテリーナはその1つ下、第3皇女である。エミリアーナ、ヘカテリーナ、そしてエドゥアールは、カロリーヌが産んだ子だった。


『きた、きた。スキャンダルきたーっ』

 マシエラは大喜びである。


「俺とカロリーヌが愛し合っている証拠写真もある。それを世間にばらまかれたくなければ、カロリーヌを自由にしろ。そして、子供達を返せっ」


『キャーッ、何それ、何それっ』

 仮面の侵入者は憤ってソファーを切り裂いているというのに、マシエラは壁の穴に頭を突っ込む勢いで、はしゃいでいる。


「カロリーヌ妃が浮気していたとしても、3人の子供は間違いなくメルーソなんだから、返せというのはどうかな」

 アシュバレンは疲れたように答えた。

 わしは、うんうんと頷く。

 仮面の侵入者の言い分は、無茶苦茶である。皇家は、相手との血の繋がりの有無をひと目で感じ取れた。どれだけ薄い繋がりでも、竜族の血が、皇家同士で子供を作ることへの嫌悪が、察知させるのだ。


「寝取られていたなんて、格好悪くて言えないか? だが、俺達を引き裂いたのは皇家所掌だ。カロリーヌは俺を愛しているんだ。権力とカネで、カロリーヌを浚っていったのはそっちだろうがっ」

「ふぅん、そうなんだ? だったら、自害でも心中でもして、断ればよかったのに」

「な、なんだとっ」

 さすがにそれはどうだろうか。

 デモ行進するとか、メディアを利用するとか、一番簡単なのは軽犯罪で捕まることだが、死ぬ以外でも方法はあるはずだ。


「大昔ならともかく。婚姻は成人してから、男女共、18才以上であることが法律で決まっているんだし。本人がイヤなら、断れる年齢じゃんよ? まあ、つまりさ、死ぬほどイヤじゃなかったってことでしょ? あんたも、相手を殺してでも阻止したいとは思わなかったってことじゃん? 今更、何言ってんの?」

「なにをーっ」

 風が吹き荒れ、電気スタンドが落ちて割れた。おもちゃの消防車が、アシュバレンの顔スレスレに飛ばされてくる。

「鬱陶しいね」

 アシュバレンは剣を片手に握ると、空いた手に魔力を集め始めた。


『ロカ、下がって。大きいのが来るわ』

 わしはすぐに壁から離れる。

 家具が犠牲になった音と、苦痛の叫び声を聞く。壁がミシミシと鳴り、浴室までその振動が伝わってくる。


「エドゥアールは、俺の息子だっ。俺の、俺の……おまえ達には絶対に渡さない」

 男が、すすり泣きながら洩らした言葉に、わしは息を呑む。

 渡さないとは、どういう意味だ。


「カロリーヌ妃は病死、エミリアーナとヘカテリーナは事実を知らされ、一生、母親とあんたを呪って生きていくだろうね。エドゥアールを返すなら、カロリーヌ妃とあんたの死だけで、許してあげてもいいよ? 2人の皇女は、ただ母親の病死を悲しむだけですむってわけ。エドゥアールもまだ小さいから、誘拐されたこともすぐ忘れるだろう」

 アシュバレンの声が冷ややかに響く。

 わしはまた壁の穴から、部屋の様子を覗いた。

 粉砕したテーブル、片腕をなくして床に転がる男。仮面はどこかにいき、素顔を晒した侵入者は、いったい何を考えているのか。


「……カロリーヌ、もうすぐ自由にしてやるからな。エナ、リナ、おまえ達もすぐに助け出すから、心配するな。エドル、子供遊園地、また連れて行ってやるから、な……」

「ちょっと。くだらないこと言わないでくれる?」

 アシュバレンは男を蹴飛ばし、魔力でキラキラした剣をその首に当てた。

「あんたの目の前で、カロリーヌ妃を切り刻んでもいいんだよ? ああ、逆のほうがいいかなぁ。見せしめにさぁ。他の妃にも釘を刺せるし。目の前で愛人が処刑されて、息子は行方不明で、カロリーヌ妃は正気でいられると思う? まあ、それぐらい図太くないと、皇帝の妃は務まらないのかな」

 クスクスと残忍に笑うアシュバレン。

 これが2年後にはメオルン領の領主になるのだ。

 頑張れ、領民。


「カロリーヌ、カロリーヌ……すまない、すまない……」

 男は呻くように呟いて、静かになった。

「あーあ。もう、連れて行っていいよ。死なないように、手当はしてあげてね」

 終演のようだ。

 わしは静かにその場を離れた。



「媛様、媛様」

 ナタシアが浴室に飛び込んでくる。

 そして悲鳴を上げた。

「なに?」

 わしは浴槽から顔を出す。

 ナタシアは避難口からぶら下がる梯子に驚いたらしい。

 元に戻すのが面倒になったわしは、上蓋だけを閉じて、ほったらかすことにしたのだ。

「ああ、媛様。御無事でございますね」

 ナタシアが駆け寄って、わしを浴槽から出してくれた。梯子を上る途中で脱いだ靴も、ちゃんと履いている。


「もう、大丈夫なの?」

「はい。侵入者は全員捕まりましたよ。お1人にして申し訳ございません。怖い思いをなさったのではありませんか?」

「わたくしより、エドゥアールお兄様は? 御無事ですか?」

 自分の浴室に戻ってきてから30分は経っている。エドゥアールは攫われたようだが、きっとすぐに見つかったに違いない。そうであって欲しかった。

「避難なさっておられると思いますが?」

「……」

 ナタシア達には知らされていないようだ。


「ともかく、お部屋に。暖かいミルクと、クッキーを御用意いたしますから」

 わしは頷いた。

 ナタシアに手を引かれて部屋に戻ると、レノアが膝をついてわしと視線を合わせた。

 音楽教師のイライアは青い顔でソファーに座っている。

「媛様。お1人でよく御辛抱下さいました。お泣きになりませんでしたか?」

「わたくしは平気」

 わしは笑う。

『泣くどころか、自分から高みの見物に行ったねぇ』

 マシエラが突っ込みを入れた。

 それはまあ、少しばかりの心境の変化というものである。


 兄弟姉妹だからと、無条件で愛せるわけがない。

 姉のアンシェリーは可愛がってくれた。兄のルノシャイズとは気が合う。弟のウィナセイルは無垢で愛おしい。

 姉クロディーヌがピンバッジをくれて、お揃いだと言われ、心がほんわかとした。頭を撫でられて嬉しかった。

 兄ザラヴェスクとはこれからよい関係を築けそうだし、同い年のマルグリットとも仲よくなれた。

 これまでは、興味がなかった。だが、これから、もしかすると情が湧くかもしれない。

 だから、挨拶すらしたことがない兄でも、気になったのだ。


「媛様はお強うございますね」

 レノアは顔をほころばせる。

「エドゥアールお兄様が心配だけれど」

 わしは天井に目を向けた。

 壊れた家具は片付けられ、血の跡は綺麗に洗われるのだろう。


「そうでございますね。すぐに発表があるのではありませんか? 侵入者は全員捕縛したと知らせがありましたから」

 レノアは首を傾げる。

「分かった。それから、イライア先生は大丈夫なの?」

 わしはイライアを見る。

「少し、ショックを受けているだけですわ」

 レノアは苦笑を浮かべた。


 真上でドタバタしていたら、そりゃあ怖かっただろう。逃げるに逃げられなかった先生には同情する。

 わしはレノアに言って、イライアの隣に座らせてもらう。

「先生。大変でしたね?」

 イライアは震える手を祈るように組んでいた。わしが声を掛けても、床を見つめて、反応がない。顔面蒼白で、今にも気絶しそうである。

「ナタシア。侍医を呼ぶとか、先生の家族の方に迎えに来てもらうとか……」

「……お気の毒ですが、口外しないという書類に署名をしていただくまでは、侍医をお呼びすることも、御家族の方と連絡を取ることも、お部屋をお出になることも禁じられました」

「そう」

 事態は深刻なようだ。


『いろいろ面倒くさいんだね。お妃の不義密通なんて、平民には面白話しなのに』

 皇家にとっては醜聞だ。

 わしは溜め息を吐く。

「先生。ただ、泥棒を撃退しただけと思えば、そんなに怖くありませんよ?」

 わしはイライアの腕をさすりながら、嘘くさい気休めを言って慰めた。

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