第11話 スキャンダル
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと7
今日は変な日である。
『毎日、こんな感じなの?』
「ううん。朝の訓練も初めてだったし、バスタブに隠れなければいけないような侵入者も初めて」
『ふぅん』
厳重な警備体制を敷いていても、押し入る者はいる。だが、大概は知らせが入ることもなく、翌朝になって侵入者が捕まったとか殺されたとか、ナタシアとレノアが話しているのを耳にするだけだ。
こうして、わざわざ連絡が入るということは、危険な状況なのだろうか。
「何が目的だと思う?」
『普通に考えると、暗殺か誘拐か盗みだよね』
「うん」
見つかれば人生が終わるのだから、よほどの理由と目的がなければ宮殿に侵入などしない。
『暗殺されるとしたら、誰?』
「誰?」
『ほら、暗殺されるのって、皇帝だけじゃないじゃん?』
確かに。
有り得ないことだが、母ローランゼ妃が、オリビア妃を毒殺したという噂もあるぐらいだ。
「継承権を持つ者とか、領家の跡継ぎも対象になるか」
領家の私邸も宮廷の一部だ。建物も敷地も分けられているが、庭続きである。
『そうね。領家といえばお家騒動だもん。去年はデシャネルだったけど、今年はウインストンだねって。活劇にもなっていたし。今もそう?』
マシエラは野次馬的な楽しみ方をしていたようだ。
「たぶん?」
7家しかない大貴族は、皇家と同じだけの歴史を持ち、未来永劫、家の存続が約束されている。厳粛主義で、体面を気にする為、お家騒動が起こったとしても決して外に漏れない。また、不敬罪に問われるので、庶民は気軽に悪口も言えなかった。
だが、領家は取り潰しあり、新興の家ありと、栄枯盛衰が激しく、スキャンダルに事欠かない。対する不敬罪もないので、噂好きな領民の恰好の餌食だった。
『領家の、なんか面白いお家騒動はないの?』
「私邸が9棟に増えたという話しと、ハーマンカンプ領家だということしか聞いたことがない」
『そっか』
マシエラは残念そうな顔をする。
ヘンドリック時代のゴシップならいくらでもあるが。
「シーラはそういう話し、好き?」
『支配者階級の愛憎劇なんて、平民には御馳走だよ?』
「御馳走……」
そんなにか。
『ロカも、大きくなったら愛人をいっぱいつくって、あたしを楽しませてね』
「……」
恋の為に戦えとか、運命の相手と出会えるとか、愛人をつくれとか、言いたい放題である。
わしは断言する。無理だ。絶対に無理だ。
『あ、上の階かな? 魔力が膨らむのを感じる』
浴槽の縁に腰掛けていたマシエラが、斜め上の天井を見据えた。
この真上は、わしより1才上の、第五皇子エドゥアール・ネイト・メルーソの部屋である。
わしは魔力は見えるようだが、離れた所のを感じるまでにはなっていないようだ。
「戦闘に?」
『かもね。小さい魔力が飛び交い始めたわ』
マシエラは落ち着いたものだ。
かすかにドンという音が響く。
エドゥアールは無事だろうか。
「……そういえば」
わしは立ち上がって浴槽を出る。
『何するの?』
「避難口があるのを思い出した」
魔力を持つ者は、空を飛べたりもするので、窓があれば外に逃げることが出来る。だが、魔力のない人間は、火災が起きても階段を使うしかないので、その階段まで行けない場合を想定して、部屋や廊下に避難器具用ハッチが埋め込まれているのだ。
「魔力を持たない皇子皇女は1階とか、避難口がある部屋とかになるの」
『へぇ』
「乳母とかメイドとか、護衛官が守ってくれるけれど、いざという時は、自分の身は自分で守らないと」
わしは脱衣所の天井を見上げて、タイルではなく、四角いステンレスがはまっている場所を確認する。
「ほら、あそこ」
『おお、あれが?』
しかし、当然ながら手が届くわけもなく、椅子はあるが、登っても無理だろう。
わしはマシエラをじっと見つめた。
『どうしたの?』
「シーラ、物に触れるよね? 金塊持ってた」
『うん』
「あそこの、あの赤いツマミ、回してみて?」
『いいけど』
マシエラは軽くジャンプして泳ぐように天井まで飛ぶと、底蓋になるのだろう、ステンレスの板を留めてある赤いツマミを回した。
『わっ』
ステンレスの板が勢いよく外れてぶら下がる。マシエラの頭を、通り抜けていった気がする。
「大丈夫?」
『びっくりしたけど、平気。ねえ、ロカは上に行く気なの?』
「エドゥアールお兄様がいらっしゃるかもしれないから。お兄様はわたくしより1つ年上なだけで、魔力も持っていないの。わたくしと同じように、バスタブに隠れているかも」
『そっか。分かった。次はどうする?』
「緑のレバーを下げてみて」
『これね』
「梯子が下りてくるから、気をつけて」
『うん。まあ、当たらないけどさ』
マシエラはケラケラ笑って、緑のレバーを下げた。ガコンという音がして、ステンレス製の梯子が落ちてくる。
「シーラ、ありがとう」
『どういたしまして。でも、ロカが、これを上れるの?』
「頑張る」
わしは梯子に手を掛けた。
グラグラと揺れる梯子を、しがみつくようにして1段1段上っていく。途中、この靴では危ないと気づき、足を振って靴を落とす。
『もう少し』
わしは思う。大人しく、淑やかに過ごすだけでは駄目だ。もう少しやんちゃに、体を動かすこともしなければ。
梯子を何とか上りきると、わしは赤いツマミを回して、上蓋になるステンレスの板をゆっくりと押し上げた。
エドゥアールの部屋が、わしの部屋と同じ間取りなら、脱衣所に出るはずだ。
「お兄様、おられますか?」
わしは緊張しながら、上蓋を完全に上げて、顔を出す。
色合いは違うが、間違いなく脱衣所である。
戦闘の音は近い。
わしは思い切って脱衣所へと上がり込んだ。
『早くしたほうがいいわ』
同じように上がってきたマシエラが、壁の向こうを警戒しながら言う。
わしは急いで浴槽の中を覗いた。
「いない」
『いないの?』
「どこかへ避難しているのなら、いいの」
きっと、そうだろう。
こんな危険な所、長くいるべきではない。
さっさと戻ろう。
避難口を下りようと、足を浮かした時だった。
壁を思いっきり蹴ったような音と、壁が崩れる音がして、キラキラと光るモヤに襲われる。
『ロカっ』
わしは尻餅をついて、床に座り込む。
避難口に落ちなくてよかった。
『ロカ、大丈夫?』
「うん。風に押されただけ」
痛いところはどこもない。キラキラしたモヤは風の魔力だったようだ。
壁を見ると、1メートルほどの高さに、20センチほどの穴があいていた。
「……分からない人だね。エドゥアールは皇帝の子供だと言っているじゃないか」
は?
聞き捨てならない話し声が聞こえてくる。
わしは立ち上がると、足下に注意しながら、壁に空いた穴を覗く。穴はちょうど顔の位置にあった。
『ちょっと、ロカ。危ないってば』
マシエラがわしの肩を掴んで止めるが、わしは止まれなかった。
穴から見えたのは、魔力を帯びた剣を華麗に振り回す、今朝の謁見の儀で主役だった叔父アシュバレンである。
対するは、黒のスラックスに白のシャツ、紺のジャケットという普通の服装に、バタフライ仮面を付けた男だ。
侵入者か。
仮面の男が、風の魔力を持つようだ。剣身に風をまとわせ、アシュバレンの剣を余裕綽々、受けていた。なかなか、強い。
部屋には他にも護衛官が2人いたが、手を出せないようだ。
「カロリーヌは実家に帰ってくる度に、俺と愛し合った。エミリアーナも、ヘカテリーナも、俺の娘だ。俺はただ、俺の家族を返して欲しいだけだっ」
仮面の侵入者は高々と声を張り上げる。
とんでもない内容だった。
『ねぇねぇ、どういうこと?』
「あー」
わしはその場にしゃがんで、マシエラに教える。
仮面の侵入者が愛し合ったというカロリーヌ・ネイトは、皇帝の妃である。エミリアーナは皇帝のお気に入り、第2皇女で13才になる。ヘカテリーナはその1つ下、第3皇女である。エミリアーナ、ヘカテリーナ、そしてエドゥアールは、カロリーヌが産んだ子だった。
『きた、きた。スキャンダルきたーっ』
マシエラは大喜びである。
「俺とカロリーヌが愛し合っている証拠写真もある。それを世間にばらまかれたくなければ、カロリーヌを自由にしろ。そして、子供達を返せっ」
『キャーッ、何それ、何それっ』
仮面の侵入者は憤ってソファーを切り裂いているというのに、マシエラは壁の穴に頭を突っ込む勢いで、はしゃいでいる。
「カロリーヌ妃が浮気していたとしても、3人の子供は間違いなくメルーソなんだから、返せというのはどうかな」
アシュバレンは疲れたように答えた。
わしは、うんうんと頷く。
仮面の侵入者の言い分は、無茶苦茶である。皇家は、相手との血の繋がりの有無をひと目で感じ取れた。どれだけ薄い繋がりでも、竜族の血が、皇家同士で子供を作ることへの嫌悪が、察知させるのだ。
「寝取られていたなんて、格好悪くて言えないか? だが、俺達を引き裂いたのは皇家所掌だ。カロリーヌは俺を愛しているんだ。権力とカネで、カロリーヌを浚っていったのはそっちだろうがっ」
「ふぅん、そうなんだ? だったら、自害でも心中でもして、断ればよかったのに」
「な、なんだとっ」
さすがにそれはどうだろうか。
デモ行進するとか、メディアを利用するとか、一番簡単なのは軽犯罪で捕まることだが、死ぬ以外でも方法はあるはずだ。
「大昔ならともかく。婚姻は成人してから、男女共、18才以上であることが法律で決まっているんだし。本人がイヤなら、断れる年齢じゃんよ? まあ、つまりさ、死ぬほどイヤじゃなかったってことでしょ? あんたも、相手を殺してでも阻止したいとは思わなかったってことじゃん? 今更、何言ってんの?」
「なにをーっ」
風が吹き荒れ、電気スタンドが落ちて割れた。おもちゃの消防車が、アシュバレンの顔スレスレに飛ばされてくる。
「鬱陶しいね」
アシュバレンは剣を片手に握ると、空いた手に魔力を集め始めた。
『ロカ、下がって。大きいのが来るわ』
わしはすぐに壁から離れる。
家具が犠牲になった音と、苦痛の叫び声を聞く。壁がミシミシと鳴り、浴室までその振動が伝わってくる。
「エドゥアールは、俺の息子だっ。俺の、俺の……おまえ達には絶対に渡さない」
男が、すすり泣きながら洩らした言葉に、わしは息を呑む。
渡さないとは、どういう意味だ。
「カロリーヌ妃は病死、エミリアーナとヘカテリーナは事実を知らされ、一生、母親とあんたを呪って生きていくだろうね。エドゥアールを返すなら、カロリーヌ妃とあんたの死だけで、許してあげてもいいよ? 2人の皇女は、ただ母親の病死を悲しむだけですむってわけ。エドゥアールもまだ小さいから、誘拐されたこともすぐ忘れるだろう」
アシュバレンの声が冷ややかに響く。
わしはまた壁の穴から、部屋の様子を覗いた。
粉砕したテーブル、片腕をなくして床に転がる男。仮面はどこかにいき、素顔を晒した侵入者は、いったい何を考えているのか。
「……カロリーヌ、もうすぐ自由にしてやるからな。エナ、リナ、おまえ達もすぐに助け出すから、心配するな。エドル、子供遊園地、また連れて行ってやるから、な……」
「ちょっと。くだらないこと言わないでくれる?」
アシュバレンは男を蹴飛ばし、魔力でキラキラした剣をその首に当てた。
「あんたの目の前で、カロリーヌ妃を切り刻んでもいいんだよ? ああ、逆のほうがいいかなぁ。見せしめにさぁ。他の妃にも釘を刺せるし。目の前で愛人が処刑されて、息子は行方不明で、カロリーヌ妃は正気でいられると思う? まあ、それぐらい図太くないと、皇帝の妃は務まらないのかな」
クスクスと残忍に笑うアシュバレン。
これが2年後にはメオルン領の領主になるのだ。
頑張れ、領民。
「カロリーヌ、カロリーヌ……すまない、すまない……」
男は呻くように呟いて、静かになった。
「あーあ。もう、連れて行っていいよ。死なないように、手当はしてあげてね」
終演のようだ。
わしは静かにその場を離れた。
「媛様、媛様」
ナタシアが浴室に飛び込んでくる。
そして悲鳴を上げた。
「なに?」
わしは浴槽から顔を出す。
ナタシアは避難口からぶら下がる梯子に驚いたらしい。
元に戻すのが面倒になったわしは、上蓋だけを閉じて、ほったらかすことにしたのだ。
「ああ、媛様。御無事でございますね」
ナタシアが駆け寄って、わしを浴槽から出してくれた。梯子を上る途中で脱いだ靴も、ちゃんと履いている。
「もう、大丈夫なの?」
「はい。侵入者は全員捕まりましたよ。お1人にして申し訳ございません。怖い思いをなさったのではありませんか?」
「わたくしより、エドゥアールお兄様は? 御無事ですか?」
自分の浴室に戻ってきてから30分は経っている。エドゥアールは攫われたようだが、きっとすぐに見つかったに違いない。そうであって欲しかった。
「避難なさっておられると思いますが?」
「……」
ナタシア達には知らされていないようだ。
「ともかく、お部屋に。暖かいミルクと、クッキーを御用意いたしますから」
わしは頷いた。
ナタシアに手を引かれて部屋に戻ると、レノアが膝をついてわしと視線を合わせた。
音楽教師のイライアは青い顔でソファーに座っている。
「媛様。お1人でよく御辛抱下さいました。お泣きになりませんでしたか?」
「わたくしは平気」
わしは笑う。
『泣くどころか、自分から高みの見物に行ったねぇ』
マシエラが突っ込みを入れた。
それはまあ、少しばかりの心境の変化というものである。
兄弟姉妹だからと、無条件で愛せるわけがない。
姉のアンシェリーは可愛がってくれた。兄のルノシャイズとは気が合う。弟のウィナセイルは無垢で愛おしい。
姉クロディーヌがピンバッジをくれて、お揃いだと言われ、心がほんわかとした。頭を撫でられて嬉しかった。
兄ザラヴェスクとはこれからよい関係を築けそうだし、同い年のマルグリットとも仲よくなれた。
これまでは、興味がなかった。だが、これから、もしかすると情が湧くかもしれない。
だから、挨拶すらしたことがない兄でも、気になったのだ。
「媛様はお強うございますね」
レノアは顔をほころばせる。
「エドゥアールお兄様が心配だけれど」
わしは天井に目を向けた。
壊れた家具は片付けられ、血の跡は綺麗に洗われるのだろう。
「そうでございますね。すぐに発表があるのではありませんか? 侵入者は全員捕縛したと知らせがありましたから」
レノアは首を傾げる。
「分かった。それから、イライア先生は大丈夫なの?」
わしはイライアを見る。
「少し、ショックを受けているだけですわ」
レノアは苦笑を浮かべた。
真上でドタバタしていたら、そりゃあ怖かっただろう。逃げるに逃げられなかった先生には同情する。
わしはレノアに言って、イライアの隣に座らせてもらう。
「先生。大変でしたね?」
イライアは震える手を祈るように組んでいた。わしが声を掛けても、床を見つめて、反応がない。顔面蒼白で、今にも気絶しそうである。
「ナタシア。侍医を呼ぶとか、先生の家族の方に迎えに来てもらうとか……」
「……お気の毒ですが、口外しないという書類に署名をしていただくまでは、侍医をお呼びすることも、御家族の方と連絡を取ることも、お部屋をお出になることも禁じられました」
「そう」
事態は深刻なようだ。
『いろいろ面倒くさいんだね。お妃の不義密通なんて、平民には面白話しなのに』
皇家にとっては醜聞だ。
わしは溜め息を吐く。
「先生。ただ、泥棒を撃退しただけと思えば、そんなに怖くありませんよ?」
わしはイライアの腕をさすりながら、嘘くさい気休めを言って慰めた。




