第10話 お歌の授業
子供編
4才のわし、動き出した2日目 ぱーと6
昼食を終えると、わしは勉強机に向かう。
いつもなら、軽く昼寝の時間だが、今日はすることがあった。
ナタシアが用意してくれたメッセージカードは、右下に赤いバケツを被ったアヒルのイラストが入っている。
「ありがとう? 御苦労様? よく頑張りました?」
わしの願いに応えてくれた4名の護衛官に一言伝えたいのだが、どう書けばよいだろう。
彼らはわしの指示に従うと言ってくれたが、おそらく段取りにはなかったはずだ。
わしではなく、治癒の魔法を持つ第3皇子グレゴリウスが動かす予定で用意された護衛官だった。
「予定外で、ごめん?」
あからさま過ぎるか。
わしにトイレかと聞いてきたリベルト・ナルビエス1尉へは、〝どうもありがとう〟と。
マルセル・ニードルマイヤー2尉へは、〝御苦労様でした〟で。
先にぬいぐるみと戦って負傷したデトレフ・ヒンデミット1尉へは、〝お怪我は大丈夫ですか?〟と。
戦闘時に変貌したチャールズ・ノイラート3佐へは、ただ〝感謝を〟でよいだろう。
わしは万年筆のキャップを外し、4枚のカードにそれぞれ書き込んでいく。
現代の簡素な文字に、昔ほどではない飾りを付け足しながら、ペン先を走らせる。短い言葉であるし、4才の女の子が一所懸命に書いた結果だと分かってもらえるはずだ。
「媛様。この文字は……」
「カッコよくしたの」
「格好よくでございますか……?」
メッセージカードを見てナタシアは困惑している。
「あと、ぷっくりシールも貼りたい」
わしの最近のお気に入りだった。
レノアがクスリと笑って、キャビネットから小物入れを持ってきてくれる。
「媛様は芸術の才能がおありですわ。ナタシア様、そう思われませんか? ちゃんと読めますし、素敵なアレンジだと思います」
「アレンジ……そう思えば、そう見えないことも」
レノアもナタシアも、失礼な。
わしは2人を無視して、小物入れからシールの束を取り出すと、どれにしようか選ぶことにする。
『可愛いじゃん』
マシエラが興味津々、覗き込む。
そうだろう?
花にしようか、ハートもよいかもしれない。
厚さ3ミリから5ミリのぷっくりシールは、中に水が入ってスパンコールの魚が泳いでいるものもある。これもよいかもしれない。
わしは花を2つとハートと魚を選んで、それぞれのメッセージカードに貼る。
「豪華になりましたね。文字がアレンジされているので、シールのボリュームに負けていませんし」
ナタシアが今度は感心したように褒めてくれた。
「ええ、本当に。これを頂ける護衛官の方々が羨ましいですわ」
レノアも本心から言っているようだった。
わしは封筒に宛名を書いて、間違わないようにメッセージカードを入れると、ニッコリと2人を見上げる。
「じゃあ、ナタシアとレノアにもあげる」
わしはアヒルのメッセージカードを2枚並べ、ナタシアへは、〝いつもありがとう〟と書き、レノアへは、〝これからもよろしく〟と綴った。もちろん趣向を凝らした文字で。
シールは色違いのチョウチョにした。
「まあ、媛様」
「とても嬉しいですわ」
それをきちんと宛名を書いた封筒に入れて、2人に渡す。
「ありがとうございます」
2人は破顔してもの凄く喜んでくれた。
気持ちを形で表すのは大事かもしれない。
わしは護衛官宛の封筒に、レノアが摘んでくれた小さな紫の花をテープで留める。
「これ、お願い」
「畏まりました」
ナタシアは機嫌よく応え、さっそく封筒を持って部屋を出て行く。
「次はアシュバレン叔父様へのお手紙」
わしはナタシアが用意した3種類のレターセットの中から、淡い桃色のを選び、万年筆を取った。
「下書きはなさいませんか?」
「いらない」
そう長い文章を書くわけではない。
メオルン領家に入ることを祝い、会えなくなることが寂しい、元気に頑張れと、子供らしく書くだけである。
アシュバレンは変わり者だ。派手好きで、ヒラヒラしたものをよく身にまとっている。外の学校に通うことはせず、ぶらぶら出歩いて、言動は過激派1歩手前だった。皇家所掌管理局の受けは悪いが、彼は天才だからと、ルノシャイズは言っていた。
わしは、夜にこっそり付けている日記の文字よりもさらに、凝りに凝って書いていく。
アシュバレンなら面白がりそうだ。それとも鼻で笑って、ゴミ箱に投げ入れるだろうか。
「それは、暗号か何かでしょうか?」
メッセージカードの時はフォローしてくれたレノアも、さすがにこれはと頬を引きつらせている。
「完璧」
だが、わしは断言する。
便箋の中央に美しく羅列する文体。
ぷっくりシールも必要ない。
わしは揃いの封筒に現代文字で宛名と、わしの名前を裏書きして、便箋を入れる。
最後にレノアに手伝ってもらって、メルーソ皇家の紋章で封蝋して完成だ。
「媛様。こちらがカタログです。分厚いので、テーブルで御覧になりますか?」
わしは頷く。
ソファーに座りながらより、楽だろう。
レノアにカタログと青色の付箋を運んでもらい、わしはテーブルへ移動する。
「30分後に、お歌の先生がいらっしゃいますからね」
「お歌……」
そうか、歌の授業が今日はあったのだ。
わしはニンマリする。
「媛様は歌うことがお好きですものね」
レノアはクスクスと笑って、わしが散らかした勉強机を片付けていく。
『ロカは歌が好きなの?』
そんなふうに見えないと、マシエラは首を傾げた。
「ストレス発散にいい」
わしは小さくそれだけ答えて、カタログを捲った。
どうせ後で分かるのだ。
「16才の男子が好むものって、何だと思う?」
『うーん。武器かな』
「武器」
『お守り代わりに? 実用的でもあるしね』
わしはカタログの目次に、護身用品があるのを確かめて、そのページを開く。
「スタンガンって、何?」
『何だろうね?』
知らない武器が見開きで並んでいた。
説明を読んでも分からないので、次のページに行く。
「拳銃……?」
これは地下室で見たことがある。誰かのコレクションにあった。
『2千年も経つと、武器も違うんだね』
マシエラはしげしげと写真を見て、しみじみと言う。
昔と今では、生活用品も、生活様式も違う。あったもの、なかったもの、順応するのは大変だ。
『ロカの武器を作ってあげるって言ったけど、今の武器を研究してからにしようかなぁ』
腕を組んで悩み始めるマシエラ。
武器が必要になるのは、わしがもっと成長してからだ。この小さな手に武器は扱えまい。
体も鍛えたほうがよいだろうか。
わしはページを捲っていく。
「シーラは武器を使うならどれ?」
アシュバレンはマシエラと同じ魔力を持っている。
『何でも使うよ。どんな武器も魔力を込めるだけで、あーら不思議だもん』
あーら不思議って、何だ。
そういえば、アシュバレンが操っていたのは巨大猫のぬいぐるみだった。
『これとかいいんじゃない』
マシエラが指差したのは、折り畳みのミニナイフである。閉じれば4センチになると説明書きにあった。
「小さ過ぎない?」
『飛ばしやすそう。小さいから見つかりにくくて、死角から襲うのにいい。10個ぐらいまとめて飛ばすと、周りの敵を一掃出来るよ』
「どんな状況なの……」
ナイフを個と数えた時点で、それはもう石ころと同じ扱いだ。
そこまで逼迫することは、そうそうないと思いたい。
『じゃあ、これは?』
ナイフの項目なのに、メタルな鳥の模型が載っている。
「変形型デザインナイフ。持ち歩く時は卵に、投げれば鳥に変形する。すべての線が刃になっている。鳥型に触る時は要注意」
『おおー、いいじゃん』
なら、これにしようか。
わしはその写真の上に、青色の付箋をペタッと貼り付けた。
「媛様。クロディーヌ皇女殿下に、ピンバッジのお礼をなさらなくてよろしいのですか?」
勉強机を片付け終えたレノアがそばに来て言う。
「そうだった」
わしはカタログの目次に戻る。
「クロディーヌお姉様はリボンを褒めて下さったけれど、リボンはお姉様もたくさん持っていらっしゃるでしょうし」
菓子、小物、アクセサリー、文房具、どれがいいだろうか。
……骨董?
ふと気になったわしは、そのページを開いた。
「……あ、タンタリィア村のガラスの置物」
絵皿や壺のページをパラパラと捲っていくと、極彩色が飛び込んでくる。色取り取りの光彩を放つガラス工芸品で、中でもわずか3センチほどの小さな動物や家は、とても可愛らしかった。
『わお、綺麗ね』
マシエラが感嘆の声を漏らす。
そうだろう。これはこの色合いがすべてなのだ。
わしが生きていた頃、アニョルト領のタンタリィア村の工房で作られたガラス工芸が、金持ちの間で評判になり、男は酒瓶を作らせてホームバーに飾り、婦女子は小動物の箱庭インテリアとして客に自慢したりしていた。
今もあるのか。
「それは本物ですから、お値段も少々張りますよ? こちらのレプリカではどうでしょうか」
レノアがおもちゃのページを開く。
そこにはレプリカでも何でもない、ただの普通のガラス細工がお手頃価格で並んでいた。
「……ミニチュア動物の12個入り、お楽しみ袋にする」
わしはそこにも青色の付箋を貼る。
10個のお値段で、まれにレア品が入っていることもあるらしい。
まあ、何でもよかった。
「では、手配をしておきますね」
「はい」
そろそろ、歌の先生が来る時間である。
レノアは部屋の隅に置かれたピアノの準備を始めた。
同母の姉セレスティアは音楽が好きで、7才にしてヴァイオリンの天才だとか。わしにも早くから音楽の先生が就いて、ピアノを始めとするいろいろな楽器を持たされたが、わしが楽しいと思えたのは、歌うことだけだった。
今日は〝坂道を歩こう〟を歌って、ピアノでも弾く予定である。
わしはピアノのそばに立って、楽譜を見ながら、待ちきれずに口ずさむ。
「まあ、準備万端でございますこと」
ナタシアが歌の先生であるイライア・ムリージョを伴って戻ってきた。
「皇女殿下。少しはピアノのレッスンもなさいましたか?」
イライアは40代前半の、ふくよかな女性教師である。温厚で、無理強いはせず、生徒の自主性に任せるところがあり、わしは気楽だった。
ナタシアもわしに文字を覚えさせるのが最優先なので、うるさくピアノの練習をしろとは言わないのだった。
わしはニッコリ笑って誤魔化す。
「しょうがありませんわねぇ。では、お歌から始めましょうか」
イライアがピアノの前に座って、鍵盤に指を置いた。
「はい。先生、よろしくお願いします」
軽やかな音が鳴り響く。
わしは大きく息を吸って、歌い出す。
最初から限界全力である。
『で、でっかい声ね』
マシエラは目を瞬いた。
音程は合っているはず。音色も正しいはず。
だが、わしの歌声には強弱の強しかなかった。最初から最後まで、ひたすら大声で歌うのだ。
これがとてもすっきりする。何をしても、ナタシアに厳しくチェックされて、寝相すら矯正される日々は、納得はしていても、ストレスが溜まる。
「とてもしっかりと歌えましたね」
歌いきると、イライアがいつもどおりに褒めてくれる。
『上手、上手』
マシエラは拍手をくれた。
「お母さんに叱られてトボトボ歩くというくだりは、情感を込めて歌ってみましょう」
「はい」
「では、もう1度頭から」
わしは歌う。
嬉しい時も悲しい時も、花びらの舞う坂道を頑張って歩こう。そんな子供向けの歌だ。
だが、イライアが言う歌詞の、母に叱られてトボトボ歩くの意味が、わしには分からない。他にも、父が迎えに来て、手をつないで一緒に帰るというのも、想像すら出来なかった。
分からないものは仕方がない。
わしは大声で歌い通した。
「うーん。まあ、いいでしょう。元気よく歌えましたね」
イライアは苦笑を浮かべながら、合格を出す。
「ありがとうございます」
「では、ピアノのレッスンを始めましょうか。これが弾けませんと、お歌も次の楽譜に行けませんからね」
「はい……」
わしは、半年ぐらいこの歌と曲を習っていた。
『ロカはピアノも弾けるの? すごい、すごいじゃん』
いや、弾けるとはとても言えない。
わしはイライアと交代してピアノの前に座る。
コン、コン。
「申し上げます。宮廷に多数の侵入者あり。窓を閉めて、部屋をお出になりませぬよう」
ノックと共に、部屋の扉が開けられたかと思うと、警備官が言うだけ言って、扉をバタンと閉めていった。
「なんてこと。レノアは媛様を」
「心得ております」
レノアはわしをピアノの椅子から降ろすと、わしの手を引いて浴室に向かう。
ナタシアとイライアは窓を閉めに掛かった。
「レノア?」
「大丈夫ですよ。窓も壁も防弾で、多少の魔力では傷もつきません」
「これは訓練ではないのね?」
「はい。媛様の御身は、わたくし達が必ず守りますから。媛様は、どんと構えておられればよろしいですよ」
レノアは緑の眼を煌めかせて、ニッコリと微笑んだ。
ナタシアもイライアも魔力を持っていない。レノアだけだ。
浴室に入ると、レノアはわしを浴槽に隠した。
円形の人造大理石で作られた浴槽は、綺麗に掃除され、水滴も拭われている。子供のわしが、ペタッと座り込めば頭も出ない。
「しばらく、御辛抱なさって下さいませ」
「はい」
わしが神妙に頷くと、レノアは浴室のドアを閉めて出て行った。




