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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
10/43

   第10話  お歌の授業

子供編

4才のわし、動き出した2日目   ぱーと6

 昼食を終えると、わしは勉強机に向かう。

 いつもなら、軽く昼寝の時間だが、今日はすることがあった。

 ナタシアが用意してくれたメッセージカードは、右下に赤いバケツを被ったアヒルのイラストが入っている。


「ありがとう? 御苦労様? よく頑張りました?」

 わしの願いに応えてくれた4名の護衛官に一言伝えたいのだが、どう書けばよいだろう。

 彼らはわしの指示に従うと言ってくれたが、おそらく段取りにはなかったはずだ。

 わしではなく、治癒の魔法を持つ第3皇子グレゴリウスが動かす予定で用意された護衛官だった。


「予定外で、ごめん?」

 あからさま過ぎるか。

 わしにトイレかと聞いてきたリベルト・ナルビエス1尉へは、〝どうもありがとう〟と。

 マルセル・ニードルマイヤー2尉へは、〝御苦労様でした〟で。

 先にぬいぐるみと戦って負傷したデトレフ・ヒンデミット1尉へは、〝お怪我は大丈夫ですか?〟と。

 戦闘時に変貌したチャールズ・ノイラート3佐へは、ただ〝感謝を〟でよいだろう。


 わしは万年筆のキャップを外し、4枚のカードにそれぞれ書き込んでいく。

 現代の簡素な文字に、昔ほどではない飾りを付け足しながら、ペン先を走らせる。短い言葉であるし、4才の女の子が一所懸命に書いた結果だと分かってもらえるはずだ。


「媛様。この文字は……」

「カッコよくしたの」

「格好よくでございますか……?」

 メッセージカードを見てナタシアは困惑している。


「あと、ぷっくりシールも貼りたい」

 わしの最近のお気に入りだった。

 レノアがクスリと笑って、キャビネットから小物入れを持ってきてくれる。

「媛様は芸術の才能がおありですわ。ナタシア様、そう思われませんか? ちゃんと読めますし、素敵なアレンジだと思います」

「アレンジ……そう思えば、そう見えないことも」

 レノアもナタシアも、失礼な。

 わしは2人を無視して、小物入れからシールの束を取り出すと、どれにしようか選ぶことにする。


『可愛いじゃん』

 マシエラが興味津々、覗き込む。

 そうだろう?

 花にしようか、ハートもよいかもしれない。

 厚さ3ミリから5ミリのぷっくりシールは、中に水が入ってスパンコールの魚が泳いでいるものもある。これもよいかもしれない。

 わしは花を2つとハートと魚を選んで、それぞれのメッセージカードに貼る。


「豪華になりましたね。文字がアレンジされているので、シールのボリュームに負けていませんし」

 ナタシアが今度は感心したように褒めてくれた。

「ええ、本当に。これを頂ける護衛官の方々が羨ましいですわ」

 レノアも本心から言っているようだった。

 わしは封筒に宛名を書いて、間違わないようにメッセージカードを入れると、ニッコリと2人を見上げる。

「じゃあ、ナタシアとレノアにもあげる」

 わしはアヒルのメッセージカードを2枚並べ、ナタシアへは、〝いつもありがとう〟と書き、レノアへは、〝これからもよろしく〟と綴った。もちろん趣向を凝らした文字で。

 シールは色違いのチョウチョにした。


「まあ、媛様」

「とても嬉しいですわ」

 それをきちんと宛名を書いた封筒に入れて、2人に渡す。

「ありがとうございます」

 2人は破顔してもの凄く喜んでくれた。

 気持ちを形で表すのは大事かもしれない。


 わしは護衛官宛の封筒に、レノアが摘んでくれた小さな紫の花をテープで留める。

「これ、お願い」

「畏まりました」

 ナタシアは機嫌よく応え、さっそく封筒を持って部屋を出て行く。


「次はアシュバレン叔父様へのお手紙」

 わしはナタシアが用意した3種類のレターセットの中から、淡い桃色のを選び、万年筆を取った。

「下書きはなさいませんか?」

「いらない」

 そう長い文章を書くわけではない。

 メオルン領家に入ることを祝い、会えなくなることが寂しい、元気に頑張れと、子供らしく書くだけである。


 アシュバレンは変わり者だ。派手好きで、ヒラヒラしたものをよく身にまとっている。外の学校に通うことはせず、ぶらぶら出歩いて、言動は過激派1歩手前だった。皇家所掌管理局の受けは悪いが、彼は天才だからと、ルノシャイズは言っていた。


 わしは、夜にこっそり付けている日記の文字よりもさらに、凝りに凝って書いていく。

 アシュバレンなら面白がりそうだ。それとも鼻で笑って、ゴミ箱に投げ入れるだろうか。

「それは、暗号か何かでしょうか?」

 メッセージカードの時はフォローしてくれたレノアも、さすがにこれはと頬を引きつらせている。


「完璧」

 だが、わしは断言する。

 便箋の中央に美しく羅列する文体。

 ぷっくりシールも必要ない。

 わしは揃いの封筒に現代文字で宛名と、わしの名前を裏書きして、便箋を入れる。

 最後にレノアに手伝ってもらって、メルーソ皇家の紋章で封蝋して完成だ。


「媛様。こちらがカタログです。分厚いので、テーブルで御覧になりますか?」

 わしは頷く。

 ソファーに座りながらより、楽だろう。

 レノアにカタログと青色の付箋を運んでもらい、わしはテーブルへ移動する。


「30分後に、お歌の先生がいらっしゃいますからね」

「お歌……」

 そうか、歌の授業が今日はあったのだ。

 わしはニンマリする。

「媛様は歌うことがお好きですものね」

 レノアはクスクスと笑って、わしが散らかした勉強机を片付けていく。


『ロカは歌が好きなの?』

 そんなふうに見えないと、マシエラは首を傾げた。

「ストレス発散にいい」

 わしは小さくそれだけ答えて、カタログを捲った。

 どうせ後で分かるのだ。


「16才の男子が好むものって、何だと思う?」

『うーん。武器かな』

「武器」

『お守り代わりに? 実用的でもあるしね』

 わしはカタログの目次に、護身用品があるのを確かめて、そのページを開く。

「スタンガンって、何?」

『何だろうね?』

 知らない武器が見開きで並んでいた。

 説明を読んでも分からないので、次のページに行く。


「拳銃……?」

 これは地下室で見たことがある。誰かのコレクションにあった。

『2千年も経つと、武器も違うんだね』

 マシエラはしげしげと写真を見て、しみじみと言う。

 昔と今では、生活用品も、生活様式も違う。あったもの、なかったもの、順応するのは大変だ。


『ロカの武器を作ってあげるって言ったけど、今の武器を研究してからにしようかなぁ』

 腕を組んで悩み始めるマシエラ。

 武器が必要になるのは、わしがもっと成長してからだ。この小さな手に武器は扱えまい。

 体も鍛えたほうがよいだろうか。

 わしはページを捲っていく。


「シーラは武器を使うならどれ?」

 アシュバレンはマシエラと同じ魔力を持っている。

『何でも使うよ。どんな武器も魔力を込めるだけで、あーら不思議だもん』

 あーら不思議って、何だ。

 そういえば、アシュバレンが操っていたのは巨大猫のぬいぐるみだった。


『これとかいいんじゃない』

 マシエラが指差したのは、折り畳みのミニナイフである。閉じれば4センチになると説明書きにあった。

「小さ過ぎない?」

『飛ばしやすそう。小さいから見つかりにくくて、死角から襲うのにいい。10個ぐらいまとめて飛ばすと、周りの敵を一掃出来るよ』

「どんな状況なの……」

 ナイフを個と数えた時点で、それはもう石ころと同じ扱いだ。

 そこまで逼迫することは、そうそうないと思いたい。


『じゃあ、これは?』

 ナイフの項目なのに、メタルな鳥の模型が載っている。

「変形型デザインナイフ。持ち歩く時は卵に、投げれば鳥に変形する。すべての線が刃になっている。鳥型に触る時は要注意」

『おおー、いいじゃん』

 なら、これにしようか。

 わしはその写真の上に、青色の付箋をペタッと貼り付けた。


「媛様。クロディーヌ皇女殿下に、ピンバッジのお礼をなさらなくてよろしいのですか?」

 勉強机を片付け終えたレノアがそばに来て言う。

「そうだった」

 わしはカタログの目次に戻る。

「クロディーヌお姉様はリボンを褒めて下さったけれど、リボンはお姉様もたくさん持っていらっしゃるでしょうし」

 菓子、小物、アクセサリー、文房具、どれがいいだろうか。

 ……骨董?

 ふと気になったわしは、そのページを開いた。


「……あ、タンタリィア村のガラスの置物」

 絵皿や壺のページをパラパラと捲っていくと、極彩色が飛び込んでくる。色取り取りの光彩を放つガラス工芸品で、中でもわずか3センチほどの小さな動物や家は、とても可愛らしかった。

『わお、綺麗ね』

 マシエラが感嘆の声を漏らす。

 そうだろう。これはこの色合いがすべてなのだ。

 わしが生きていた頃、アニョルト領のタンタリィア村の工房で作られたガラス工芸が、金持ちの間で評判になり、男は酒瓶を作らせてホームバーに飾り、婦女子は小動物の箱庭インテリアとして客に自慢したりしていた。

 今もあるのか。


「それは本物ですから、お値段も少々張りますよ? こちらのレプリカではどうでしょうか」

 レノアがおもちゃのページを開く。

 そこにはレプリカでも何でもない、ただの普通のガラス細工がお手頃価格で並んでいた。

「……ミニチュア動物の12個入り、お楽しみ袋にする」

 わしはそこにも青色の付箋を貼る。

 10個のお値段で、まれにレア品が入っていることもあるらしい。

 まあ、何でもよかった。

「では、手配をしておきますね」

「はい」


 そろそろ、歌の先生が来る時間である。

 レノアは部屋の隅に置かれたピアノの準備を始めた。

 同母の姉セレスティアは音楽が好きで、7才にしてヴァイオリンの天才だとか。わしにも早くから音楽の先生が就いて、ピアノを始めとするいろいろな楽器を持たされたが、わしが楽しいと思えたのは、歌うことだけだった。


 今日は〝坂道を歩こう〟を歌って、ピアノでも弾く予定である。

 わしはピアノのそばに立って、楽譜を見ながら、待ちきれずに口ずさむ。

「まあ、準備万端でございますこと」

 ナタシアが歌の先生であるイライア・ムリージョを伴って戻ってきた。


「皇女殿下。少しはピアノのレッスンもなさいましたか?」

 イライアは40代前半の、ふくよかな女性教師である。温厚で、無理強いはせず、生徒の自主性に任せるところがあり、わしは気楽だった。

 ナタシアもわしに文字を覚えさせるのが最優先なので、うるさくピアノの練習をしろとは言わないのだった。

 わしはニッコリ笑って誤魔化す。


「しょうがありませんわねぇ。では、お歌から始めましょうか」

 イライアがピアノの前に座って、鍵盤に指を置いた。

「はい。先生、よろしくお願いします」

 軽やかな音が鳴り響く。


 わしは大きく息を吸って、歌い出す。

 最初から限界全力である。

『で、でっかい声ね』

 マシエラは目を瞬いた。

 音程は合っているはず。音色も正しいはず。

 だが、わしの歌声には強弱の強しかなかった。最初から最後まで、ひたすら大声で歌うのだ。

 これがとてもすっきりする。何をしても、ナタシアに厳しくチェックされて、寝相すら矯正される日々は、納得はしていても、ストレスが溜まる。


「とてもしっかりと歌えましたね」

 歌いきると、イライアがいつもどおりに褒めてくれる。

『上手、上手』

 マシエラは拍手をくれた。

「お母さんに叱られてトボトボ歩くというくだりは、情感を込めて歌ってみましょう」

「はい」

「では、もう1度頭から」

 わしは歌う。

 嬉しい時も悲しい時も、花びらの舞う坂道を頑張って歩こう。そんな子供向けの歌だ。

 だが、イライアが言う歌詞の、母に叱られてトボトボ歩くの意味が、わしには分からない。他にも、父が迎えに来て、手をつないで一緒に帰るというのも、想像すら出来なかった。

 分からないものは仕方がない。

 わしは大声で歌い通した。


「うーん。まあ、いいでしょう。元気よく歌えましたね」

 イライアは苦笑を浮かべながら、合格を出す。

「ありがとうございます」

「では、ピアノのレッスンを始めましょうか。これが弾けませんと、お歌も次の楽譜に行けませんからね」

「はい……」

 わしは、半年ぐらいこの歌と曲を習っていた。


『ロカはピアノも弾けるの? すごい、すごいじゃん』

 いや、弾けるとはとても言えない。

 わしはイライアと交代してピアノの前に座る。

 コン、コン。

「申し上げます。宮廷に多数の侵入者あり。窓を閉めて、部屋をお出になりませぬよう」

 ノックと共に、部屋の扉が開けられたかと思うと、警備官が言うだけ言って、扉をバタンと閉めていった。


「なんてこと。レノアは媛様を」

「心得ております」

 レノアはわしをピアノの椅子から降ろすと、わしの手を引いて浴室に向かう。

 ナタシアとイライアは窓を閉めに掛かった。


「レノア?」

「大丈夫ですよ。窓も壁も防弾で、多少の魔力では傷もつきません」

「これは訓練ではないのね?」

「はい。媛様の御身は、わたくし達が必ず守りますから。媛様は、どんと構えておられればよろしいですよ」

 レノアは緑の眼を煌めかせて、ニッコリと微笑んだ。

 ナタシアもイライアも魔力を持っていない。レノアだけだ。


 浴室に入ると、レノアはわしを浴槽に隠した。

 円形の人造大理石で作られた浴槽は、綺麗に掃除され、水滴も拭われている。子供のわしが、ペタッと座り込めば頭も出ない。

「しばらく、御辛抱なさって下さいませ」

「はい」

 わしが神妙に頷くと、レノアは浴室のドアを閉めて出て行った。

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