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漆黒の夜明け  作者: 佐藤 育
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   第1話  〝夜明け〟の謎

子供編

4才のわし、始まりの1日   ぱーと1


「ふんぎゃ、ふんぎゃ」

 どこかで赤子の泣き声がする。


 小さくか細い声だ。まるで、産まれたことを嘆いているようだ。


 ──ああ、わしが産まれたのか。


 ん? わしが産まれた?

 なぜ、わしが産まれるんだ。

 わしは死んだはずだ。そう、確か──。


 ああ、思い出せない。

 とにかく、死んだことは死んだのだ。

「ふんぎゃ、ふんぎゃ」

 なのに、わしはまた産まれたのか。

 そしてまた、生きるのか。


 なんて面倒くさいのだろう。




 わしは今、4才である。

 魔族の恩恵であり、人の一生を左右する魔力を持たずに生まれた。魔法仕掛けの道具を作れないのが少し残念だ。


 わしの名前は、ヘンドリック・マクドネル・メルーソ。メルーソ大帝国第 142代皇帝である。フォルカ聖暦1000年の頃、およそ800年前に生きていた。


 それが今は、第167代皇帝ハヴァエスト・クレオ・メルーソの7番目の皇女、ロナチェスカ・ヴァレンテ・メルーソになっているのである。

 2度目の人生、遠い子孫の、なぜ女子なのか。


「媛様。お茶の支度が調いましたわ。その御本は、そんなに難しゅうございますか?」

 ソファーに行儀よく座って、文字を覚える為の絵本を膝の上に広げていたわしは、ゆっくりと顔を上げた。

 乳母のナタシアに、まだ読み終わっていないのかと、婉曲に告げられたのだ。


「シルヴァーナ様は2才の時に、この御本をお読みになりましたのよ。どの御本をお勧めしても、あっという間に積み上げてしまわれて、新しい御本を図書室から運ぶのが大変でございました」

 ナタシアは50代半ば、乳母を務めるのは2度目、わしが2人目だという。1人目は父皇帝の異母妹で、わしの叔母にあたり、金鉱山のある裕福な領地に嫁いでいた。とても優秀な皇女だったらしく、二言目にはシルヴァーナ様はこうだった、シルヴァーナ様ならこうした……なので、言い返せない。


 本当は当然ながら、文字ぐらい読めるし、1ページ1行の、お花が咲いたね、何の色かな、赤と黄色と、青と紫と、葉っぱの色は緑で、どうたらこうたらという、絵が九割を占める絵本など持ってくるなと言いたい。

 わしはお襁褓がとれるのも、立って歩くのも早かった。行儀作法も教えられるまま難なくこなし、いろいろな大人達に立派だと褒められた。わしが褒められる=ナタシアの手柄なので、ナタシアは鼻高々だったのだ。

 だが、今の文字を習い始めた時に、線が足りなかったり飾りが少なかったり、文字そのものの貧相さにがっかりして、まったくやる気を出さなかったところ、ナタシアにもの凄く落胆され、一変してわしは勉強が苦手な愚鈍な皇女であると噂されるようになった。

 よいではないか。


 父皇帝は穏健で、乱も変も起きていない。皇子皇女はわし以外に13人もいるし、まだ生まれるかもしれない。

 同母の兄は次代皇帝候補と囁かれ、同母の姉はヴァイオリンの天才で、わしを産んだ母は面目が保たれている。


 ナタシアが育てたシルヴァーナは、ナタシアを信頼していて、手紙のやり取りも頻繁らしいから、ナタシアの老後は国庫とシルヴァーナが世話してくれるだろう。


 わし1人ぐらい、皇女としての責務さえ果たせば、愚鈍と言われても構わないと思うのだ。


「今日はお時間に少し余裕がございますから、お茶がお済みになってから、続きをお読みになるとよろしいでしょう。新しい御本も、早く媛様に読まれたがっていますよ」

 つまり、何が何でも読み終われよということか。

 わしはナタシアにソファーから降ろしてもらう。

 やれやれ。

 ソファーに座っているのは何気につらい。

 4才児では床に足がつかず、踵の高いエナメルの靴がプラプラと脱げそうで、爪先がつりそうだった。


 テーブルに着くと、メイドのレノアが椅子を引いてくれる。

 こちらのテーブルでは食事もするので、椅子だけは子供用だ。レノアに抱き上げられて腰を下ろせば、足を置く台も隠されているので、ソファーよりも楽だった。

「カップケーキとオレンジジュースです。媛様のお好きな、春葡萄もございますよ」

 レノアは少し甘やかしてくれる。

 葡萄が好きなわしの為に、葡萄がある時はいつも多めに盛ってきてくれるのだ。

 わしはニッコリと笑う。

 花柄の絵皿に、クリームでデコレーションされたカップケーキと、グラスコンポートに春葡萄が山盛りである。

 さっそくカップケーキにフォークを入れて、パクリと食べた。


 まあまあ、である。

 ケーキ部分はふわふわで、甘さもちょうどよい味だ。表面の焼き色が少しきついような気がするが、クリームでうまく誤魔化してあった。

 クリームのデコレーションは見事である。かためのバタークリームで作られたピンク色の薔薇の花に、銀色の小さなアザランがあしらってあって、とても可愛らしい。

 だが、崩すのが勿体ないほどの出来栄えのクリームは、甘過ぎた。わしは甘いものは甘くとあれと思うが、ジャリジャリするほど砂糖は入れなくてもよい。

 おかげでオレンジジュースは苦くて酸っぱく感じるし、早く紅茶や珈琲が飲める年齢になりたいものだ。


 春葡萄はとても美味だった。種がなく、皮ごと食べられるのが昨今の流行りらしい。プツッときて、バリバリとくる食感が素敵だ。

 わしはヘンドリックの頃から葡萄が好きであった。夏の果実であった葡萄が、今では年中生るというので、素晴らしいの一言に尽きる。


 よって、今日のおやつは百点満点中、85点であった。


 わしは始め、出される料理や菓子にばらつきがあるのは、わしが7番目の皇女で、年齢も小さいからだと思っていた。

 盛りつけの失敗作や、試作に近い創作料理、昨日の残りをアレンジした物など、味の過ぎたり足りなかったりも、料理人や菓子職人が、手抜きか何か実験でもしているのかと思っていたのだ。

 故に、心の中で採点することを日課にして、密かに楽しんでいたのである。だが、それは違うと、最近になって知ったのだ。

 どんなに不味い料理や菓子が出されても、毒でないかぎり、わしは残さないと決めている。残さないのを見て、ナタシアとレノアが変な顔を、料理や菓子が不味いと知っているからこその顔をしたので、聞くことにしたのである。


 返ってきた答えは、味覚を鍛える為とか、慣れない味付けに出会っても戸惑うことがないようにとか、教育の一環であるというものだった。

 皇帝や妃達は、その必要もないので、とびきり美味しい料理や菓子を食べ、料理人や菓子職人はそちらで腕を振るって矜持を満たしているらしい。

 納得である。


「そうそう。お部屋を出てすぐの東側の廊下に、ベイジルの〝夜明け〟を飾っていただいたのですよ。御覧になりませんか?」

 わしがいつもどおり、カップケーキのひとかけも残さなかったのを見て、ナタシアは呆れた顔をするが、めげずに話題を振ってきたのは、大事なことだからだろう。

 レノアはクスクス笑って、食器をワゴンに片付けていく。


「……ベイジル?」

 わしは首を傾げた。

 聞いたことがあっただろうか。〝夜明け〟は珍しくないタイトルだが。

「覚えていらっしゃらないのでございますね」

「……はい」

「絵画の授業で取り上げたばかりではございませんか」

 ナタシアは美術学士の資格を持つ。

 わしの愚鈍ぶりに失望はしていても、ナタシアが教育熱心であることに変わりはない。

 だが、わしは美術よりも工芸に心惹かれるので、ナタシアの熱弁はやはり右から左であった。

 ナタシアはがっかりした様子で、盛大な溜め息を吐いた。

 すまぬ。


「ではもう1度、簡単にお話しさせていただきますね。よくお聞きになって下さいませ」

「はい」

 わしはピンと背筋を伸ばし、ナタシアの朱色の眼を見つめた。

 ナタシアはコホンと小さく咳払いをして、柔らかい先生口調で話し始める。

「アロイス・ベイジルは画家ではなく、絵の具職人でございます。気温によって色が変わる絵の具や、ストーブのように熱を発する絵の具、逆に氷のように冷気を発する絵の具などを発明して、有名になった方でございますよ」

「絵なのに、暖かく? 冷気?」

「はい、不思議でございましょう?」

 わしは頷く。

 絵に興味はないが、そういう魔法が掛かったものは別だ。


「しかも、〝夜明け〟は、絵の具職人であるベイジル自身が描き残した、たった1枚の絵で、同じ絵の具を使った絵も存在していません。伝承では、3つの魔法が掛けられているとか」

「3つの魔法? じゃあ不思議なことも3つ?」

 何だか、わくわくしてくるではないか。

 こんな授業内容なら、もう少し真面目に聞いておけば良かった。ナタシアが教えてくれなければ、一生気づかないまま、廊下を素通りしていただろう。

「いいえ。分かっている不思議は1つだけでございます」

「1つだけ」

「あとの2つは隠されているのかもしれませんね。とても古い絵なので、知っている者がいないのです」

「どれくらい古いの?」

「それは、文字を覚えて、御自分でお調べになるとよろしいでしょう。それがお勉強の楽しみでございます」

 ナタシアがよいことを言う。

 わしには魔力がないから、もう作れなくてつまらなく思っていたが、調べるだけも楽しそうだ。


「では、今から少し廊下に出て、どう不思議なのか確かめてみましょうか」

 ナタシアはわしを椅子から降ろすと、手を引いた。

 わしの部屋は1階にあるので、廊下は10人並んで歩けるぐらい広く、ピカピカに磨かれた大理石で出来ている。

 だが、宮廷の端っこにある為か、西側の廊下は毎日歩いているが、東側にはほとんど行かない。

 東側の廊下は短く、ナタシアの部屋とレノアの部屋を通り過ぎると、すぐに大きな扉の東玄関に行き当たるのだ。


「こちらでございます」

 ベイジルの〝夜明け〟は玄関近くの壁に掛けられていた。丘から見下ろした町並みという、ありきたりな風景画である。

 変わっているところは、空にあたる部分が真っ黒なことか。萌黄色の丘、薄茶色の建物、薄オレンジ色の屋根、薄い色が多く使われているのに、空だけは塗り潰したかのように真っ黒なのだ。


「わたくしにはエンジ色の夜明けに見えます。媛様の目にはどのように映りますか?」

 ナタシアが空の部分を指差す。

 人によって色が違って見えるパターンらしい。これは似た色を言っておくべきか。

「……赤茶色?」

 こういうのは、精神状態を表すとか、性格とか、占い的なものと決まっている。

 四才の可愛らしい女子が、真っ黒とか、どれだけ病んでいるんだ。赤茶色も、可愛い色とは言えないかもしれないが。


「まあ。それは嬉しゅうございます」

 ナタシアは表情を緩めた。

「色が同じか、近い色だと相性がよいのですわ。そう聞いております。レノアは、白い空に黄色の水玉模様が見えると申しておりました」

「相性? 水玉?」

「ほほほ。水玉なんて、面白うございますね」

 ナタシアは上機嫌である。

 ベイジルの〝夜明け〟の色は〝赤茶色〟だと、わしは心に刻んだ。


 せっかくなので、他に不思議はないのかと、隅から隅までじっくりと眺める。

「媛様? まあ、熱心でございますこと」

「んー……ん?」

 ナタシアは言うが、楽しみがあまりないのだ。面白そうなことは逃したくない。

 わしは、薄オレンジ色の屋根に、あったかもしれないが、なかったかもしれない、ごくごく小さな黒い点を見つけた。

 じっと見ていると、目の錯覚か、黒い点が少しずつ大きくなっていく。

 点はシミになり、シミは猫の形になり、屋根の上をトコトコと歩き回ったかと思うと、鳥に姿を変えて空に消えていった。

 ナタシアはこれを見ていない、今も見えていないようだ。


 複数の魔法が掛かっている場合、それらは1度に現れるのではなく、連動していることが多い。

 ベイジルの〝夜明け〟は、空の色が鍵なのではないか。予め設定されている色と同じ色を見た者だけが、先に進むことが出来る。ハズレが幾つかと、正解があって、仕掛けが枝分かれしていくのだ。

 鍵となる色は、おそらく黒だけではないだろう。猫から鳥へと変わるのも。ハズレなのか、正解なのか。


 さらに目を凝らすと、黒い空に、灰色の雲が1つ浮き出て、そこから雪がハラハラと降り始める。白い絵の具が浮き出たり、消えたりするのだが、これも水玉といえば水玉だなと、少し思った。

 建物の窓から淡い光が漏れ、それは美しく幻想的であった。雪はしばらく降った後、積もることなくあっさりと消えた。

 やがて、窓の光も一瞬強く揺らめいて、にじむように消えていく。

「……終わり?」

「媛様?」

「何でもない」

 わしは誤魔化すように、ニッコリと笑う。わしは満足だった。ハズレかもしれないが、ベイジルの〝夜明け〟の魔法仕掛けを、3つとも見られたのだから。


「では、そろそろお部屋にお戻り下さいませ」

「はい」

 そうして、気分上々、踵を返した時だった。

 誰かにぶつかりそうになって、慌てて爪先立ちになる。

「えぇと……」

 目の前に、年の頃12、3の、髪を二つくくりにした女の子がいた。

 わしはナタシアとその少女を交互に見る。

 見覚えのない少女がいれば、説明とか紹介とかするのではないのか。

 少女の着ている衣服は古めかしく粗末である。


 宮殿はときどき一般人にも公開される。皇家一族が住む宮廷と、領家の令息令嬢が住む領家私邸は許可されないはずだが、朝廷のほうで催しでもしているのかもしれない。古い時代の衣装を再現とかそういう類のものを。

 わしが首を傾げて見上げると、少女は紫の眼をキラキラさせて笑いかけてくる。

『あたしは、マシエラ。あんたは? こんな小さい子は初めてだけど、ま、いっか』

 わしは驚く。

 小さい子は初めてとか、まいっかの意味が分からない。それに、曲がり形にもわしは皇女である。そんな口の利き方をされたことはないし、ヘンドリックであった頃も周囲にはいなかった。

 これが一般人というものなのか。


「わたくしはロナチェスカ。7番目の皇女です」

『へぇ、皇女様か。じゃあ、ここは宮殿ってこと? すごい、すごい』

 とりあえず自己紹介をすると、マシエラと名乗った少女は、手を叩いてその場でピョンピョン飛び跳ねた。

 まったくもってわけが分からない。


「お客様? 迷子?」

 頼みのナタシアはこっちを訝しげに見るだけで、何も言わない。

 わしが解決するしかないのか。

『あたしのこと? あたしは、この絵に取り込まれた幽霊なんだ。だから、お客様になるのかな? 迷子じゃないと思う』

「幽霊……?」

『そう、幽霊。長くなるから端折るけど、この絵に隠された相性テストに合格した人だけが、あたしと友達になれるんだ。あんたは、合格。良かったね』

 マシエラはニコニコと言い切った。

 これはどう考えればよいのだろう。ベイジルの〝夜明け〟が相性を見るものというのは間違っていなかった。空の色がテストの第1問で、雪と窓の灯りが最終問題の答えだったのだろうか。幽霊の女の子と、友達になる為の。

 わしは呆然とマシエラを見る。


 友達?

 友達だと──?


読んで下さって、ありがとうございます。

次は、幽霊な彼女の正体は? でしょうか。

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