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タランテュラ

作者: 古宇田節木

初めまして、古宇田と言います。

この作品は少し前の出来事からヒントを得て書かせて頂きました。

キーワードにもある通り、虫が大量に出てくるお話なので、ご注意くださいませ。


 参った…。

 夜と雨ですっかり視界の悪くなった道を見て,少女は溜息を吐いた。

 こんなことになるなら,少々濡れることを厭わず,雨宿りなんかせず,さっさと帰るべきだったのだ。もしくは,濡れるのが嫌だったのなら,誰かに傘に入れてもらえるよう頼むべきだったのだ…この際,声を掛ける相手が赤の他人であっても,躊躇うべきではなかったのだ…

「よぉ,おねーちゃん,どったの?」

 そう声を掛けられたのは,少女が後悔と憂鬱に沈みつつある時だった。


 声を掛けてきたのは,汚い身なりをした少年だった。

 汚い,といっても,少女がそれに嫌悪感を覚えることはなかった。というのも,彼女は,ボランティア活動とやらを通して路地裏の少年たちと触れ合う機会が儘あったからだ。無論,彼女の仲間には,「ボランティア活動を行った」という肩書が欲しくて活動に加わっている者も少なくなかった。彼女たちは大抵,少年たちと接する際にひきつったような笑みを浮かべるのであったが,少なくとも彼女はそういうタイプの人間ではなかった。彼女は汚いとかそういうことを気にすることも,彼らに施しを行っているのだという驕ったような感情もなかった。ただ純粋に,彼らと無心で遊ぶのが楽しかった。ただ,そんな彼女は仲間たちから侮蔑の目を向けられていたのであった。そうして,皆,口々に言うのであった。「あんなのが良家のお嬢様だなんて」。

 しかし今,少女は目の前の少年に嫌悪感を抱いていた。嫌悪感…いや,むしろ恐怖に近いものだろうか。彼女の中の本能のようなものが,何となく少年を拒絶していた。そして彼女には,その理由が理解できなかった。

 少年は,身なりが汚いことを除けば,美しかった。煤けたような色の髪は,しかし綺麗に洗ってやれば美しい金色になるだろうことが分かったし,その目は誰もが羨ましがるような,美しい青い色をしていて,しかも生き生きと輝いていた。生き生きしているのは目だけではなく,顔全体が,何処か挑戦的なイメージを与えるような,しかし同時に無邪気さも兼ね備えたような,生き生きとした表情を浮かべていた。おそらく年齢は少女より年下であろうが,それでも身長はすらりと高く,特に足もすらりとしていて長かった。しかし,格好はまごうことなく浮浪児だった。そのような浮浪児がいないという訳ではないだろうが,少なくとも少女がこのように美しい浮浪児を見たのは初めてだった。

「ねーちゃん,もしかして傘ないの?ってか,これから帰り?独りで?やめといた方がいいぜ?今日雨だ し。」

 そういえば,最近物騒なニュースを聞いた気がする。なんでもレイニーマーダー,雨の日の殺人鬼とか呼ばれている殺人鬼が,出没しているらしい。雨の日に,女性を狙って殺人を行っているという。すっかり忘れてしまっていたが。

「でも,学校に泊まるわけにもいかないしね。」

 警戒しながらも,少女は少年に答えた。答えながら,どうして自分は答えているのだろう,と考えていた。

「ねぇ,ねーちゃん家どこ?なんなら俺が送ってやってもいいぜ?」

 なるほど,そういう事か…恐らくこの少年は,チップ目当てで彼女に近づいたらしい。しかし,それにしても,一浮浪児の少年である彼が,どうやってこの建物の前までやってきたのだろうか。普通に考えて,門番が彼のような少年の通行を許すことはないだろう。だとすれば,忍び込んだと考えるのが自然か。

「ねーちゃん?」

少し黙り込んでしまった少女の目を,少年の綺麗な瞳が覗き込んだ。また一瞬,少女の中に何とも言えないあの感情が,恐怖に似たあの感情が湧いた。

「あ…ごめんね,じゃあ,そうしてくれるかな?」

 笑顔で答えたつもりだったが,上手く笑顔になっていたかどうか,少女には分からなかった。それでも,少年は満面の笑みで,嬉しそうに応えた。


「ねーちゃんさ,俺と,どっかで会ったことない?」

 他愛ない話をしながら少年と一つの傘の下歩いていると,少し会話が途切れた後,突然少年は言った。

少女は立ち止って,少年の顔をまじまじと見つめた。整った顔立ちだ,髪も目も綺麗だし,浮浪児にしては勿体ないくらいだ…そうは思ったが,それ以上のことは何も浮かばなかった。彼に懐かしさを覚えることも,忘れていた記憶がふと蘇るようなこともなかった。もしかしたらボランティア活動を通して会っているのかもしれないと思ったが,すぐにその考えも消えた。こんなに美しい浮浪児の少年に会っていたら,絶対に記憶に残っている筈だ。忘れる筈がない。

「ごめん,よく分からない。」

 本当に申し訳なさそうな声で,少女は言った。

「…まあ,だよな。皆にもそう言われた。」

「皆って?」

「皆って…皆さ。友達とか?」

「ふうん。」

 再び,会話が途切れ,また唐突に少年の話が始まった。

「ねーちゃんってさ,さっき一人で帰ろうとしてたじゃん?」

「…うん。」

「怖くないわけ,殺人鬼とか?」

「…うーん,怖いっていえば怖いけど,でも私が狙われるなんて思わないしなぁ…。」

 少し考える素振を見せてから,少女は答えた。

「まあ確かにねーちゃん,そそられねーもんな。」

「…え?」

 そそられる,とは,そういう意味なのだろうか。

 確かに,例の殺人鬼が,異常な趣味の持ち主で,女性を殺して快感を得るような人物でないとも限らない,が。

「…もう,酷いなー。」

 幾ら何でも,年下の少年に「そそられない」,つまり魅力がないなどと言われると,女としては複雑であった。

「なんで?安全じゃん。」

 また悪戯っぽく少年は笑った。


 人通りの少ない通りに差し掛かった時だった。突然,少年が声を低くして言った。

「…ねーちゃん,いるよ。」

「…いるって,何が…」

「例の殺人鬼。」

「…え?」

 困惑と恐怖の表情を浮かべた彼女に向かって,少年は優しく微笑んだ。

「大丈夫。ねーちゃんは死なない。殺されない。そのために俺がいんだから,な?」

 そう言う少年の声を聞いて,少女は,何故この少年に恐怖を感じたりしたのだろう,と思った。

「ねーちゃん,蜘蛛大丈夫だよね?」

え,と少女が訊き返した時には,もう少年はヒューと口笛を吹いてしまっていた。

 途端に,何百といただろうか,沢山の毒蜘蛛が,二人の後ろをついてきていた何者に襲い掛かるのを見た。そして,少女は,そのまま気を失った。


 顔に冷たい雨を感じて,少女は目を覚ました。そして,自分が少年の腕の中にいるのを知ると突然得も知れぬ強い恐怖を感じ,彼を突き飛ばした。すぐに後悔した。

「ごめん。」

「…いいって,仕方ないよ。」

そう言って笑う少年の笑顔は,今度は少し悲しそうだった。

傘は,地面に落ちてしまっていた。雨が冷たくて,濡れた地面に尻餅をついたせいで,スカートも冷たかった。

「ねーちゃん,蜘蛛嫌いだったんだね?」

「…嫌いっていうか,小さい頃から蜘蛛恐怖症みたいな感じ?怖かったんだ。」

「…そっか。」

そう言って,少年は静かにそっと後ずさった。彼女から距離を取ろうというように。彼女はそれを,止めることが出来なかった。今では確かに,彼が離れて行ったことに,安堵していたのだ。

「…なのに,助けてくれたんだね。」

何のことを言っているのか分からず,少女が黙り込んでしまっていると,少年はまた笑顔で話し始めた。

「半年くらい前だっけ?姉ちゃんの学校にさ,毒蜘蛛が出たでしょ?」

そう言えば,そんな事件があった。この地域には生息しない筈の毒蜘蛛で,恐らくは誰かがペットにしていたものを捨てたのだろう,と言われていたが,結局何故その毒蜘蛛が学校にいたのかは分からずじまいだった。

「周りの連中はさ,その蜘蛛のこと危ないとかなんとかいって,燃やそうとしてただろ?マッチ投げつけ て。」

 そう,そう言われれば,確かにそうだった。そして,その時,彼女はそれを見かけて…。

「誰か,女の人の声が聞こえてさ,可哀相だって,やめてくれって言って。…それ聞いて,俺てっきり, 蜘蛛好きな人なんだと思ってたけど,」

 少年の顔は見えなかった。雨はだいぶ弱くなっていたが,依然として雲が月を隠しており,夜の闇は深いままだった。

「…そうじゃなかったんだね。」

 少女の恐怖は,まだはっきりとしていた。しかし,それでも,恐怖を抑え,少女は少年の方へと歩み寄った。

「…あの後,あの蜘蛛がどうなったか,貴方知っているの?」

 教師が捕まえた,というところまでは,彼女も知っていた。だが,その後の話は知らなかった。

「知ってる。でも,内緒。」

 そう言って,何も聞こえなくなった。

「…私を,家まで送ってくれるよね?」

「大丈夫。ねーちゃんのボディガードは任せて?」

 そう暗闇から,声が聞こえた。

 少女は一人,傘を拾って家まで歩いて行った。


「俺が送れるのは此処まで。あとは大丈夫だろ?」

 少女の家のすぐ目の前,というところで,声が聞こえた。

「その…良かったら今晩は家に泊まって行って?事情はお母様にもお話しするから…」

「無理だよ。すごくありがたいけど,俺,ねーちゃんとか,家族のこと怖がらせたくねーから。」

 そんなことはない,とは言えなかった。

「…今日はありがとう。本当に助かったよ。」

「俺こそ,ありがと。ねーちゃんと話が出来て楽しかった。…じゃあな!」

 少年が無邪気な笑顔で手を振って行くのを見た気がした。


 翌朝の新聞で,少女は,例の殺人鬼が死んだことを知った。彼の死体の傍らに,この地域にはいないような毒蜘蛛の死骸があったことから,それに噛まれて死んだのでは,と書かれてあった。


稚拙な文章をお読み下さり、ありがとうございます。

一応この物語の舞台には、モデルとなった場所があるのですが、試し読みしてもらった際には違う風に捉えられていたようです。

皆さまには、この物語の舞台が何処にあったように感じられたか、それをコメントに残して頂けると幸いです。

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