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ぐりとぐら

 まず、彼らはいったい、何という生き物なのか?

 それが、私がこの作品を読んだときの最初の感想であった。

 いきなり『のねずみ』、と紹介されてはいるものの、これが一般的な意味での『のねずみ』であろうはずはない。

 理由は大きさだ。 

 周囲の木々や落ち葉、描き込まれたドングリなどと対比して見ても、どんなに小さく見積もっても体長数十センチ以上はある。

 樹木のサイズと比較した場合には、一メートルを越えていても不思議ではないようにも見える。

 たしかにドブネズミの仲間のヨウシュドブネズミには、比較的大型の個体もいる。もしかすると、中には数十センチクラスに成長するものもいるかも知れないが、彼らの生息場所は主に人間の生活圏であり、描かれているような里山で見られる可能性は極めて低い。また、体色も薄い黒灰色であり、この二体の薄茶色の『のねずみ』とはかなり異なる。

 ちなみに、『のねずみ』という名称の動物はいない。

 野外に住む、齧歯類(ネズミ目)リス顎亜目に分類される哺乳類の総称なのだ。ドブネズミ、クマネズミなどに代表される、人間の家屋内に主に住むイエネズミと識別するための、単なる通称でしかない。

 日本の中部地方あたりだと、アカネズミ、ヒメネズミ、ハタネズミ、カヤネズミなどが挙げられようか。もちろん、世界には数十センチ、というサイズの『のねずみ』もいないではない。

 中国産のタケネズミがそれである。

 しかし、数十センチになるとはいっても、黒っぽい体毛、突き出た黄色い歯、ずんぐりむっくりの体型であり、まったくこのぐりとぐらには似ていない。

 また後述するが、物語の舞台であるこの森は、動物相から見て中国ではなさそうなのである。


 よって、この二体の生物は『のねずみ』と仮称される正体不明の哺乳類と推測される。

 ぐり、ぐらが哺乳類であるらしい、という理由の一つはヒゲだ。

 幼児向け絵本、ということもあって描き込み線は少ない。よって体毛はほとんど描かれていないわけだが、口元にヒゲだけは描かれている。つまり、よほど特徴的なヒゲだったのであろう。このようなタイプのヒゲは、まず哺乳類でしか観察できない。中でも小動物。林床など狭いところを徘徊する食肉目しょくにくもく齧歯目げっしもくなどに特徴的なヒゲであるといえる。だが、彼等が食肉目か齧歯目か、となると判断が付かない。

 何故なら、歯の描写がないからだ。

 齧歯目であれば、門歯が発達していて特徴的だ。食肉目ならば一部の例外を除いて犬歯が発達する。だが、それらが見当たらない、となるとどちらであるのか判断できないのである。

 とはいえ、なにも哺乳動物は齧歯目と食肉目だけではない。ここでもう少し視野を広げ、他の分類群である可能性を探ってみよう。

 するとここで、ネズミによく似ていて、かつ特徴的な歯を持たないグループが浮上してくる。それはモグラもくである。

 モグラ目とは、古い呼び方でいうと食虫目。いわゆるモグラやトガリネズミ、ジャコウネズミの仲間のことである。

 彼等の分類がモグラ目であるならば、歯の描写がなくても当然だ。ハイチソレノドンやロシアデスマンなどの大型種は、二十センチ以上の体長を持つ。『のねずみ』と称される彼等が、『トガリネズミ』の仲間であれば、サイズの問題についても納得がいくわけだ。

 彼らが未確認の大型モグラ目動物であるとすれば、ほとんどの謎は解けるのである。

 しかし、ここで引っ掛かってくるのは彼等の食性である。

 会話の内容から、どんぐりやクリなどの木の実を主食としているらしい事が分かるのだが、モグラ目は旧名通り、ほとんどが昆虫やミミズ、土壌動物を主食とする肉食性であり、木の実を主に食べる種は確認されていない。

 しかも、それを道具を使って料理するとなると、まさに異生物としか言いようがないのだ。更に彼等は服を着、直立二足歩行し、器用に前足で物を持ち、あまつさえ道具を使用する。文化、といって良いほどの高い知能を持つ生物なのだ。

 やはり、彼らは正体不明の哺乳類である、というところまでしか我々は知る事が出来ないのである。


 さて、物語はこの正体不明の二体の生物が、森で木の実をあさりに出かける描写から始まる。彼らは料理と食事が好きである、と独白しているが、これほど高度な文化を持ちながら、趣味や遊びではなく、食に執着していることから、彼らの貪欲な性質が浮かび上がる。こうした恐ろしく旺盛な食欲を示す点に、その特性がよく表れているのではないか。

 つまり代謝機能が高く、常時食事をしていなければ体温が維持できないのだ。大型ではあるものの、やはり小型哺乳類の流れを汲む、齧歯目かモグラ目、もしくはそれに類縁の哺乳類であるのだろう。

 木の実のない時期には、もしかすると強い肉食性を示し、土壌動物やカエル、あるいはヘビやトカゲなども補食しているのではあるまいか。


 さて、最初の「どんぐりをかごいっぱいにひろったら お砂糖をたっぷり入れて にようね」という会話。

 この言葉から、二つの疑問が浮かび上がってくる。

 まず第一の疑問は、彼等はどんぐりが食べられるのか? ということだ。

 『どんぐり』とは、カシやナラ、クヌギなどの樹木の堅果であり、栄養成分は基本人間の食料となるナッツ類と変わらない。が、それらと違うのは、大きな問題として多量にタンニンを含んでおり、非常に渋いことだ。

 単に渋いだけなら良いのだが、タンニンは立派な毒成分である。

 大量に食べれば死亡する場合もあるのだ。砂糖を入れて煮たくらいではどうにもならない。

 野生のネズミやリスはもちろん、クマやイノシシ、シカ、サルなどもドングリを食べる事は出来る。だが彼等は、唾液中にタンニン結合性唾液タンパクを持ち、タンニンを無害化している事が知られている。

 正体不明の生物の事であるから、その性質は不明である。もしかすると、体内にタンニンを分解する酵素くらいは持っていると考えるのが普通かも知れない。が、仮にそうではなく、さらに彼等が齧歯類であると仮定すると、ここに面白い背景が見えてくる。

 野生のネズミ類は、ドングリの落下し始めたシーズン初期から、少しずつドングリを食べ始めるらしい。徐々に食べる量を増やしていくことで、このタンニン結合性唾液タンパクの分泌量を増やし、体を慣らす事によってドングリを食べているらしいのだ。

 つまり、この二体の生物も砂糖煮にして保存状態を保つ事によって、シーズン初期から大量に食べる事を避け、少しずつ体を慣らそうとしているのではないか、と推測できるのだ。

 このことは、クリに関しては「やわらかくにてクリームにしようね」と言っていることも傍証となる。

 食材に砂糖を大量に入れれば腐敗しにくくなり、保存性は上昇するが、クリームは保存性が逆に低下する。つまり、シーズン初期は毒性のないクリのクリームを主食にして、タンニンに体が慣れてきたシーズン中盤以降になると、ドングリの砂糖煮を本格的に食べるのではないか。

 齧歯目でありながら門歯が発達していないのは、『料理』という文化と技術を身につける事により、堅い木の実を歯で噛み砕く必要がなくなったためとも考えられ、通常の齧歯目よりも、一段進化した存在である可能性を示唆している。


 さて、もうひとつの疑問は『砂糖』である。

 このような正体不明の生物である彼等が、どのようにして「砂糖」を入手しているのであろうか?

 砂糖は、サトウキビやビートといった糖分を豊富に含んだ植物の絞り汁を精錬して初めて取り出せる工業製品だ。

 彼等は、一定の文化水準を維持しているように見えるが、その行動から見て、狩猟採集に生活を依拠していることも間違いない。つまり、人間の経済社会とはつながりは無さそうなのだ。そんな彼等に現金収入があるわけもなく、砂糖のような工業製品を購入しているとは考えにくい。

 この物語はシリーズもので七巻が既刊だが、その中に買い物の描写は登場しない。

 考えられるのは、砂糖を精製できるもう一つの植物、『サトウカエデ』を利用して彼等が砂糖を自作している可能性だ。

 サトウカエデは、北米大陸東部の温帯~寒帯域にかけて広く分布する落葉広葉樹であり、日本国内にも輸入され、公園などに植えられている。これならば、樹液を採取するだけで良く、砂糖を手に入れるために、わざわざサトウキビやビートを栽培する必要がない。

 彼等の住んでいるのが熱帯のジャングルなどではない事は、ドングリやクリなど温帯~亜寒帯産の植物が登場する事で推測できる。また、続刊の「ぐりとぐらのおきゃくさま」において、降雪の描写が登場する事でも分かる。


 つまり彼らは、大形化し、進化した新種の齧歯目であり、高度な文化を持っている。そして砂糖をサトウカエデの樹液から得ているということになる。


 さて、しかしここで物語は、新たな謎を読者に投げかける。この不可思議な二体の生物は、森の中で巨大な卵を発見してしまうのだ。

 しかも驚くなかれ、その大きさたるや、じつに短径が、ぐりとぐら自身の身長の一.五倍もあるのだ。

 ぐりは、最終ページで雄ライオンと並んでカステラを食べている。

 分類不能の謎の生物であるぐりとぐらの体長は測定不能だが、この場面からぐりの身長を推測してみよう。まず、たてがみのある雄である事から、このライオンが成獣であると分かる。

 ぐりは、さすがにライオンよりはかなり小さい。その雄ライオンの体長の1/3~1/2程度と思われる。

 雄ライオンの平均体長は三mであるから、ぐりの体長は一~一.五mと推定できる。前に推定した以上にでかい。どうやら、数十センチどころではないようだ。


 つまり、彼等が森で拾った巨大な卵は、短径で一.五~二m。長径はその一.五倍かそれ以上ある、と考えて良い。

 現在、地球上でもっとも大きな卵を産む生物はダチョウである。だが、そのダチョウの卵にしても、大きいものでも長径が二十センチほどしかない。

 絶滅種である、地上最大の巨鳥エピオルニスの卵でさえも長径三十センチ。

 その程度のサイズの卵を産んでいたエピオルニスでさえ、頭部までの高さが三m~四m、体重は実に五百キロと推定されているのだ。


 長径二m近くの巨大卵。


 その親ともなれば、もし鳥類であると仮定するならば、体長十数m、体重数トンの巨大鳥であっても不思議はない。

 人間でないにせよ、それに準じた知能のある生物であれば、警戒してしかるべき状況である。ニワトリが先か、卵が先か、という言葉があるように、卵が存在すれば、間違いなくその親も存在するはずだからだ。


 この卵の親が爬虫類などでなく鳥類であろう、とする根拠は二点ある。

 まず、卵の形状だ。完全な楕円球ではなく、片方が尖ったいわゆる鶏卵型をしていること。これは、転がっても巣からこぼれ落ちないよう、鳥類が獲得した進化形態だ。

 また、砂に埋めたりしておらず、地面の上に産みっぱなしであった事。

 これはダチョウなどの走鳥類の習性の一つで、特に枯れ葉や枝で巣を作ったりもせず、地面上に産んで、体温で温めるのだ。

 内温性恒温動物である鳥類の特徴とも言え、爬虫類が同じ方法をとれば孵化は望めない。


 ぐりとぐら、この二匹の生物は恐れげもなくこの卵を盗もうと企むわけだが、その運搬が不可能と悟るや、さらに無謀な事にその場所で料理することを考えつく。

 料理道具を用意し、嬉しげに卵の元へ向かう二匹。行く手に待ちかまえるのは、もしかすると怒りに狂う巨大鳥かも知れないのにである。

この作品中で、もっともスリルを感じる迫力あるシーンである。


 だが、物語は唐突に終わりを迎える。

 巨大鳥の親鳥は現れず、二匹は卵をたたき割ってカステラにしてしまう。

 だが砂糖はまだしも、小麦粉、重曹など他の材料の描写はまたしてもない。必要量の小麦粉を背負っているようには見えないから、カステラなどと言っても、ほとんど卵焼きに近い物であった可能性もある。

 臭いに引き寄せられ、群がる動物たち。

 食い尽くされる卵。

 ここに至っても現れないところを見ると、おそらく親鳥は、不慮の死を遂げたか何かしたのであろう。それほどの巨大鳥であれば、人間に敵と見なされて殺されたのかも知れない。そして、次世代に残した最後の希望であろう卵も、貪欲な動物どもに食われてしまったのだ。


 さて、この場面には、じつに多くの動物どもが現れており、そこには数々のヒントが隠されている。まずこの場面の動物種から、物語の舞台を推測してみよう。

 最終ページにはオオカミ、イノシシ、クマ、シカ、リス、ヤマアラシなどと同時にワニ、ライオン、ゾウまで登場している。

 これらから、舞台はサトウカエデの故郷である北米大陸ではない、と考える事が出来る。

 北米大陸には、ワニは生息しているが、ライオンもゾウもいないからだ。

 これらすべての生物が生息している場所、と考えると、インドが舞台である可能性が浮上してくる。インドライオンの生息地はグジャラート州のギル保護区に限られているため、そこが舞台と考えるのも、あながち的外れな推測ではないだろう。

 ただ、インドにはサトウカエデは分布していないし、これが万が一輸入されていたとしても、クリやカシ類も分布していない。

 インドに、クリやカシなどの樹木が帰化しているかどうかは、私は寡聞にして存じ上げないが、気候や歴史鑑みても、そのような場所はない、と私は考える。

 だが、この推測が当たっていれば、インド説はここで根拠を失ってしまう。

 また、カステラの製法をこの二体が知っていることも問題だ。江戸時代、ポルトガルより長崎に伝わり日本独自の発展を遂げた菓子である、カステラの製法。しかも今は作られなくなった、炭火による古来の鉄板焼き法を、何故彼らが知っているのだろうか。

 植生と登場する動物があまりにも食い違っているため、状況から推測するしかないが、カステラ文化が存在する事からも、舞台は素直に日本、それも九州北部あたりの里山、と考えるのが適当だと思われる。

 おそらくは、ワニ、ライオン、ゾウ、ヤマアラシ、オオカミなどは、この二体の生物が動物園などから盗んできた個体ではないだろうか。

 何故なら、登場動物が一種あたりほぼ一体であり、これが非常に不自然なのだ。

 ヤマアラシ、ワニはまだしも、ライオン、ゾウ、イノシシ、オオカミは、本来群れを形成するのが普通の種である。たしかに、群れからはじき出されて単独行動をとる『はぐれ個体』も存在するが、これらすべての種が、一頭ずつしか現れていないのは、いかにもおかしい。

 また動物は移植がすぐに可能だが、クリやカシの森を作り、さらにサトウカエデを栽培しようとすると、とてつもない時間と広さが必要となる。また植物は、大きく気候の違う地域に植えられた場合、枯れないまでも実を付けない場合も多いのだ。

 つまり、移入されたのは植物ではなく動物、と考えるのが自然なのだ。


 最後のシーンは巨鳥の親にとって非常に残酷である。

 なんと、卵の殻に車輪を取り付け、乗り回す二体の生物。

 得意げにハンドルを握ってはいるが、見たところ動力らしいものは見受けられないから、坂道を転がして遊ぶ程度の道具となったのだろう。とても有効な利用法とは思えない。

 親鳥の無念は察するに余りある。


 とはいえ、このぐりとぐら、二体の奇妙な生物を取り巻く様々な謎と、その生息環境における生態系的背景に思いを馳せる事の出来る、ファンタジーSFとしても、また生態系の変化に取り残された、巨鳥の悲しい運命を描く悲劇としても、大変、優れた作品であると思う。

 特に、生態学を志す学生には、是非一読を勧めたい。


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