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前編

「王女様とお呼びっ☆」



 ぬけるような青い空、薄く流れる白い雲、そして暖かく軽やかな春のそよ風−−


 ポカポカ陽気の木漏れ日が目にまぶしい。その春の日差しを全身で感じながら、俺は柔らかな若草のベッドに疲れた身体を横たえていた。


「……いい天気だねぇ……」

 すぐ側で優しい小川のせせらぎ、そして馬の軽くいななく声が聞こえる。


「ふぁ……」

 俺は思わず眠気を覚えて、軽くあくびをした。疲労のたまった身体をうーん、と伸ばす。


 こうしてくつろいでいると、疲れというものもあながち悪い感じはしない。奇妙な脱力感が安らかな休息の絶妙のスパイスになるってもんだ。


「う、うん……」

 俺はこの心地よい安らぎの中にどっぷり身を沈める事に決めると、ゴロリと身体を横にして、腕を枕にスッと目をつむった。


 どこからともなく小鳥のさえずる音も聞こえる。

 それこそウソのように平穏な、春爛漫の昼下がり。


(ああ……なんて平和なんだ……)


 出来る事なら、ずっとこうしていたい……

 こうしてうとうととまどろみの中に落ちかけていた、不幸にもその矢先−−俺の平和な午後の一時は、その一声でもろくも崩れ去った。


「−−ガイ! ガイ! ガイ!」


(……げっ!)

 甘くはあるがカン高いその声に、俺は一瞬にして現実に引き戻された。


 情けない話だが、もうすっかりこの声に反射的に身体がビクつくようになってしまった。しかもその声の中に、いつもより強めの苛立ちが込められているのまで聞き取れてしまう。


 ……だが、恐怖よりも、今はこの安らぎの方が重い。


(ええい、ままよ!)

 俺はしばらくの逡巡の末、無視を決め込む事にした。


 ……が、俺はそれが甘かった事をすぐに悟る事になった。いや……悟らされた!


「な−にいつまでも寝てんのよ! ホラ、さっさと起きなさい!」

 ガキッ! 目をしっかり閉じたまま、必死で寝たフリをする俺の頭を、赤いハイヒールのつま先がボールか何かみたいに勢い良く蹴り飛ばす!


「いだっ!?」

 あまりの激痛に俺は悲鳴を上げた。しかしハイヒールの主は俺が頑丈なのを知っているせいか、そんな悲鳴には一向構わず、容赦無い追撃を加えようとする。


「や、やめて下さいよ!」

 たまらず俺は跳ね起きた。冗談じゃない、あいにく俺にはハイヒールに踏まれて喜ぶ趣味など無いんだ!


「……ひっどいなぁ、なんて事するんですか、姫様!?」

 いくら頑丈でも痛い物は痛い。まるでイカれた坊主が聖堂の鐘を乱打しているみたいに、頭の奥がガンガンする。


 恨みがましく視線を上げる俺の前に、俺を蹴り飛ばしたハイヒールの主があった。挑むように腰に手を当てて俺を見下す、実に気の強そうな女の子−−しかし何を隠そうこのお方こそ、今の俺のご主人様、アリシア・ド・フィルデナンド王女殿下その人なのだ。


 芳紀まさに十五歳。軽くカールのかかったピンクのような薄い赤毛。多少つり上がっているものの、夢見るように大きいサファイア・ブルーの瞳、ツンと上を向いた形の良い小さな鼻、そしてきめ細かい色白の素肌が、元気良くバラ色に染まっている。


 だが、その愛らしい桜色の唇から紡ぎ出されたお言葉は、思いっきり辛辣だった!


「私に3回も呼ばせたのに返事をしないからよ。それよりいつまでこんなとこでグズグズしている気!? 私もう退屈で、退屈で……出発するわよ! さっさと用意なさい!」


「でぇ〜〜〜っ!?」

 さすがの俺も悲鳴を上げた。冗談じゃない。まだ全然疲れがとれてないどころか、下手に休んだから逆に増えたぐらいだ。それに大体、『もう疲れたから休むー!』とダダをこねたのは姫様の方じゃないか!


「何よ、何か言いたげね?」

 そんな俺の内心の抗議を鋭く察して、姫様はジロリと冷たい視線を向けてきた。


 ゾクッ、威圧的に見下されて、背筋に冷たい風が吹き抜けていった。


 森の木立をバックに立つその姿は、森の妖精と見まごうばかりに美しい、筋金入りの美少女である。だが自分より頭一つ分は小さいその美少女を前にした時、まず第一に緊張を、そして第二に恐怖を覚えるようになってすでに久しい。


「大体、あなたがトロトロしてるからまだ目的地まで半分も来てないでしょ! 夜までにお城に帰れなかったらど−するつもりよ!? その程度の事もわからないでおいて、あげくには怠けたいなんて、ほんっとっ、役立たずの無能なんだからっ!」


 グサグサグサッ! 見えない無数の刃が俺の胸をえぐった。このお姫様はどこから覚えてくるのか、とにかく口が悪い。しかも俺みたいな従順で素直な家来にそれを浴びせる事を楽しんでいるふしすらある。やられる方としてはたまったもんではない……


「わかりましたよ……」

 明らかにしぶしぶといった俺の返事に、姫様の形の良い眉がキュッと吊り上がった。


「……何よ、その態度。何か文句あるってゆーの?」


 しまった! 顔からサーッと血の気が失せるのが、自分でも良く分かった。


「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか!」

 慌てて訂正するも、もう遅い。たちまち襲ってくる、罵詈雑言の雨あられ!


「あなたねー、一体誰のおかげでこうしてこの国にいられると思ってんの!? 野垂れ死に寸前だったあなたを拾って上げて、こうして養ってあげてるのはどこの誰よ!? 犬だってもう少し恩ってもんを感じるわよ! それに私があの事を秘密にしてあげてるから、平和に暮らせているんじゃない! ガイ、あなた自分の立場ってのが少しはわかってんの!?」


 あああ、勘弁してくれぇぇぇ! なんて育ちが悪いんだぁぁぁ! しかしこれが王様の前ではウソのようにおしとやかなのだ。……頭が痛い。


「わかりましたよ、やりますよ、やりゃあいいんでしょ……」

 俺はほとんど泣きそうな気持ちで立ち上がった。しかし何より情けないのは、姫様の言う事が一々事実であって、全く反論できない事だ……


 −−数分後、俺は憮然としたまま馬車を駆っていた。


「どう、どう」

 馴れない手綱を引き絞って、どうにかこうにか馬を走らせる。


「できるわよね? まさかできないなんて言わないわよね?」

 御者の経験なんてなかった俺が、一昨日いきなり姫様から笑顔でそう宣告されて以来、猛特訓で何とか形にはしたものの、正直まだまだ冷や冷やものだ。しかもそんな俺の気持ちには全くもってお構いなしの姫様は、スピードを出すのがお好きときている!


「あはは、気っ持ちいいー☆ ガイ! もっと飛ばしなさいよ!」

 ……疲れるなんてもんじゃない。馬が暴れる度に、下手すれば御台から振り落とされそうになるし、少しでも荒い運転をしたら後ろから姫様の罵声が飛んでくるし……息が休まるヒマも無いとはこのことだ!


(うう……何が哀しくてこの俺がこんな目に……)

 かと言って、断ったらもっとひどいお仕置きという名の拷問が俺を待っていたに違いない。どこから手に入れてくるのか知らないが、俺はこれ以上姫様の豊富な秘蔵コレクションの実験台になるのは真っ平だ!


 要するにどっちをとっても悲惨なのなら、まだせめて言う事を聞いた方が……


 とほほ……下っ端の悲哀を思いっきり噛みしめながら、それでも俺は何とか必死で、目的のヒースの丘へと馬車を走らせていった。


 −−そもそも全ては、いつものように姫のわがままから始まった。


 『ヒースの丘のアフレシアの花が見たいっ!』、それが第一声だった。アフレシアは春にしか咲かない花で、土を選ぶのかどこにでもは生えていないのだが、ヒースの丘は唯一例外的にその花の生い茂る地なのである。そしてその話をふとしたことで耳に入れた姫様が、一目みたいとさっそくダダをこねたのだが……


 しかしこれは王様の猛反対をくらった。ヒースの丘はこのフィルデナンド王国の西、ランソール公国との国境に位置している。だが現在、そのランソール公国との仲が険悪で、そんなところにのこのこ姫様が出かけていったら、どんなトラブルを招くかわからない。なのでいつもは姫様に甘々の王様でも、さすがに首を縦に振ることはなかった。


 ……が、そんな事でめげるような姫様ではない。とにかく一度言い出したら聞かない性格なのだ。そしてとうとう姫様は隙を見て、王様に無断で城を抜け出してしまったのであった−−この俺を道連れにして!


 ホント何故だか知らないが、俺はこの姫様に気に入られている。三年前、仲間とはぐれたあげくに、病気にかかって行き倒れていた俺を、姫様曰く『拾って』以来、それこそ犬か何かのように「ガイ! ガイ!」とかまってくれる。王様も−−もともとこの王様はお后様を亡くしてから、一人娘である姫様を溺愛していたので、俺みたいなどこの馬の骨とも知らない者が姫の身近にいるのを、姫の気まぐれとして公認していた。


 だが、そのかわり俺がこれまでどれぐらい苦労してきた事か! 何せ姫様は俺の事を犬のようにかまってもくれるが、同時に犬同然にこき使うのだ! そして容赦なく降り注ぐ言葉の暴力とおしおきの毎日……


 なのにそんな姫様の正体を知らない宮廷雀共は、姫様の覚えめでたき俺に対して、「流れ者の分際で!」と滅法態度が悪い。


(冗談じゃねぇや! 変わって欲しいんならいつでも変わってやるってーのに……)


 同情されこそすれ、うらやましがられるような身分か!? これが!?


 理不尽な怒りが込み上げてきて、思わず鞭に力を込めてしまい、馬が荒々しく跳ねた。

 反動で馬車が大きく弾み、慌てて何とか静めたものの、中身入りのバスケットが俺の後頭部を直撃する。


「なんて運転するのよ、下手くそっ!」


 うう……情けない。何で俺はこんな目に……。バスケットからしたたり落ちたトマト・ケチャップをぬぐいながら、俺は思わず天を仰いだ。同時にだんだん腹も立ってくる。


 大体、命の恩人とはいえ、この三年、充分恩を返しておつりがくるぐらい、姫様にはこき使われてきたはずだ。


 なのにどーして、未だにこんな扱いをされなきゃならんのだ!? 第一、もともと俺はこの国の民ではないし、王家に仕えた覚えもない。俺はあくまで姫様の私的な客人に過ぎないはずだ! 俺は自由のはずなんだ〜〜〜ぁ!!


 ……でも結局、いつものようにぐっとこらえてしまう。哀しいかな、この三年ですっかり使用人根性が板についてしまった。何だかんだ思いながらも、姫様のエキセントリックかつ高飛車な言動に反射的に従ってしまう……


 ああ……俺のプライドって奴は一体どこに行ってしまったんだろう……? かつては一族の若き逸材と期待されたこの俺が、今は四つも年下の小娘ガキに頭が上がらない。あの世の親が見たら多分泣くだろう。俺だって泣きたい。


(家出の手伝いはやらされ、御者扱いされて、そのあげくにはこの有り様……)


 しかもどうせ帰ったら、俺だけ王様に怒られるに決まってるのだ!


 やりきれない思いで俺は重くため息をついた。ワサワサと髪をかきむしる。この国では実に珍しい、瞳と対の自慢の黒髪も、この三年で白髪がチラホラ目立つようになってしまった。


 −−だが。


 俺はそこで少し表情を引き締めた。


 今、何より気がかりなのはそんなことではない。実は姫様は気にも留めていないが、この外出は本来とんでもなく危険なのだ。今この時期に姫様がランソール国境をうろつくなど!


 何せそもそもランソールとの関係が悪化したのは、この姫様が求婚してきたランソールの公子をこっぴどくフッたのが原因なのである。そんな所にのこのこと事の元凶が出かけていくなんて、バレたら火に油を注ぐどころの騒ぎではない。


(何事も起こらなきゃいいが……)

 俺は心の底からそう思った。これ以上不幸になんてなりたかない!


 −−しかし、そう思った、まさにその矢先の事だった。


 突然木々の間からわらわらと武装し一団が飛び出した。そしてこちらの行く先をさえぎると、俺の願いも空しくぐるりと周りを取り囲む!


 ……どうやらやっぱり俺は、幸運の女神様の好みのタイプではないらしい。


 俺はその鎧の紋章に見覚えがあった。双頭の鷲−−それは間違いなく、ランソール公国のものであった!

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