絶界と巨人
絶界のとある村では、時報替わりの地響きが毎朝六時を知らせてくれる。
その日も、木の根を揺るがす地響きがテンポ良く朝六時を告げていた。
「いやぁ、今日も天気の良い朝だこと! スキップが弾む弾む。スキップ、スキップ、ランランランララン!」
村人の中で唯一の巨人であるガンコは、定時刻になるとスキップで村の外周を一回りするというのが日課だ。
巨人といえば、それはもう強靭な肉体を持ち、肌は色濃く照りつけられた男の巨人を連想できるのだが、ガンコはというと、また一風違っていた。
色白い肌を露出させた真っ赤なショトヘアーに、若草色のどんぐり目が愛らしく、元気良さを表すショートパンツがとても似合う、まだ巨人としては小さめの年若い娘であった。
しかし、地響きの原因はガンコのスキップにある。ただでさえ大きな体躯を誇る巨人が、その足を一歩踏み出しただけで地面を這う小さな生き物達は超自然的に少し浮き上がってしまうというのに……。
それでもガンコは、そんなことなんてお構い無しに容赦なく、地面とダンスをするのだった。
大きな木の穴を根城にして暮らしている年老いた小人は、眠い目をこすり「今日のガンコちゃんはまた機嫌がいいなぁいいスキップだぁ」と言いながら、地響きで揺れるベッドの上を転がっていた。
長年に渡る地響きによって、ベッドのスプリングは伸びきってしまい、ベッドというよりトランポリンに近い状態に仕上がっていた。
ガンコがスキップを始めた時は、このような毎日に困惑し、憤慨していた小人だが、今となってはこの地響きがないと起きられない程だった。
辛さを乗り越えると空気のように感じなくなるのか。それともそこに愉悦を感じるようになるのだろうか。
小人がベッドの上を跳ねる瞬間に見せる、雲の上にでもいるような表情を見れば一目瞭然だった。
寝ぐせの悪いこの小人が、どうしても起きられないときにする一つの行動がある。この日も、あまりに心地よく眠っていたせいか、ベッドの上を跳ねるぐらいではまだ夢の中だった。
小人は、かろうじて動き出している脳を最大限に稼働させ、ベッドの小脇に据えられた白旗を手に、その白旗を小窓から外へ覗かせた。そこで力尽きた小人は、またベッドの上に倒れこんだ。
依然とスキップを続けるガンコの視線の先にあるのは、大きな木の幹から伸びた小さな白旗。
「ティンプリンのおじさんったらまた白旗挙げて。ふふふふふ。もう今日は小さいからって容赦しないよ!」
声音は色濃く、表情は豊かに優しく、それでいて敏腕刑事のように鋭い。
ガンコはスキップを止めて、自分の身長と同じ大きさの木の前に立ち、自分が握る拳程度の小窓に顔を近づけた。小窓からきれいな若葉色の瞳が覗いている。
ベッドの上ですやすや眠りこけている目標を捉え、ガンコは目を閉じ、大きく息を吸った。
肺に溜めこんだ酸素を二酸化炭素に変換し、酸素に圧力をかけていく。ガンコの瞳が意気揚々と開き、それと共にガンコの口から大きな台風が目標へ向かって吐き出された。
目標の小人、ティンプリンおじさんは勢いよく吹き飛ばされた。部屋の壁には木の葉が幾重にも敷き詰められており、どこにぶつかっても衝撃を吸収してくれるように改装されているのは、この朝の行事のためなのかもしれない。
木の葉の壁紙にぶつかった小人が地面と仲良くしていると、続いてガンコの口から小さな微風がそよぎ、小人は二回転して壁を背に座っていた。
ようやく目が覚めた小人は、座り込んだまま窓の外のガンコに目を合わせ、力の出ない右手を挙げて「おはようガンコちゃん、今日もありがと」と言って優しく微笑んだ。
微笑んだ時にはもうガンコの姿は無かった。
小人の部屋の窓から外を覗くと、まだ淡く色づきはじめた空を背景に、ガンコの真っ赤なショートヘアーがたゆたっている。
とても陽気で快活なガンコに、村の住人たちも巨人に対する畏怖などは忘れて、すっかり村人として溶け込んでいた。
村人のほとんどが小人や妖精で、少数的に『取り替え子』と呼ばれる人間が生活をしている。
そういった環境の中に、ガンコは一人の巨人として自分なりの方法で、自分なりの溶け込み方で村人たちと共生している。
人間界ですら巨人は絶滅危惧されているというのに、この絶界での巨人は異例の中の異種である。そもそも、村に限らず絶界内での巨人はガンコただ一人だけ。
そんなガンコのスキップで揺れる村に、一人の帰還者がガンコの前を横切ろうとしていた。
アースカラーに染まった空を見上げながら、幸せそうにスキップを繰り出すガンコには、猫背の人間なんて目に入らない。故に、テンポよく蹴飛ばされてしまった哀れな猫背。
動体視力の良いガンコは、空飛ぶ猫背をその瞳に捉えていた。
「っは! あの猫背はもしかして……!」
蹴散らしたガンコが、少し大きめのスキップで蹴散らされた人間を追う。走れない訳ではないが、体がスキップを止めることができない。ガンコの体内時計ではまだスキップをしている時間なのだ。顔は焦っているが体はリズミカル、という器用さは毎朝の修練からくるものだろうか。
太い楡の木の下で、パンパンになったバッグパックをクッションにして倒れているのはガンコに蹴飛ばされた男だった。
「い、いだたたたた。長旅の後のガンコの激励は腰にこたえるなぁ……。マルベリーさんは大丈夫だったかい?」
そう言った猫背の男は、胸に提げた古びた虫眼鏡に向かって話しかけていた。だが、反応は無かった。
「ああ、そうだった。マルベリーさんはガンコが苦手だったか」
仕方ないなぁ、とでも言うように、笑みを浮かべながら伸びきった髪に絡まった木の葉を解いていた。今の事故でできた傷以外にも服はボロボロ。髪は手入れもされず、顔を隠してしまっている。
遠くの方から、リズミカルな地響きと共にガンコの声が、少しずつ近づいてくるのが男には分かった。地響きと声の音波による震動で、バックパックにもたれた体のバランスが崩れ、地べたにへたり込んだ格好になった。
「っちょおおおおおおろぉおおおおおおぉおお! いたぁ! そ、こ、かあああああ!」
勢いよくスキップで猛進してくるガンコ。そんなガンコに物怖じせず「相変わらずだな~ガンコちゃんは」と虫眼鏡をつつきながらつぶやいた。すると、虫眼鏡のグラス部分から小さな細い腕が伸びてきた。そして、その細い腕が掲げる小さなスケッチブックに『私は寝てる!』とだけ記されていた。それを見て「しっかり起きてるじゃないか」と男は微笑んだ。
大きな震源が男の前で止まった。
しばしの間を置いてから、ガンコが開口の先陣をきった。
「長老! ……おかえりなさい?」
長老と呼ばれた男が続ける。
「ただいま」
長く乱れた髪で顔がよく見えなかったが、優しい長老の表情を読み取ったガンコ。
感動の再会の儀が行われるのかと思いきや、ガンコの破壊行動が始まった。
「ただいま。にこっじゃないよ。いきなりふらっと出て行って行ってきますの一言も無かった長老にただいまの権限は無いんだ。だいたいなんだ、そのきったない格好は。腐ってる。腐ってるよ男が! いっそ蹴飛ばして湖にでもホールインワンしてやればでっかい湖の主がまるっと食べてくれてまたきれいに産み直してくれるかもしれなかったね!」
まるで息継ぎ無しにまくしたてるガンコ。
長老と呼ばれた男は少々狼狽していたが、慣れているのだろうか、虫眼鏡に向かって「寝てて正解だったね」と言える余裕はあった。
アイルランドに伝わるケルトについて、私の勝手な解釈と自由な発想により執筆している物語です。ですので、純粋なケルト文化とはまた違うものとの思って読んでくだされば幸いです。