73話 好きだ
少しの間だ、わずかな時間だ。それでも別離に変わりなく、むしろもう二度と会えないのかもしれないとさえ思った。だから、『さよなら』なんだ。
好きだ ―ううん、愛してる―
「レオン、相談していいか?」
「珍しいね。構わないよ?」
呼べばすぐに返事をした友人は、少しだけ首を傾げてこちらを見つめる。その優しげな瞳に、女性が騙されているのはこれか、と思った。確かに、自分の力になってくれそうな人材だ。
「俺がリゼットをどこかへ隠すって言ったら、お前はどうする?」
「事と次第によっては殴り倒すかな」
さらりと返されたその反応に目を丸くして振り向けば、彼は手を握ったり開いたりしていた。殴る気満々だ。
それに驚きすぎて声を出さずにいると、『リゼにもご令嬢にも不誠実だよ』と忠告された。
あぁ、誤解を招いてしまったかもしれないと思いながら、再度言葉を選びなおしながらレオンに問いかけなおす。
「令嬢と結婚しないために動きたいが、リゼとを盾にされると何もできないから、どこかに隠したいって言ったら、お前は協力してくれるか、と聞きたかったんだ」
確かにあれでは、令嬢と結婚し、リゼットを囲うと言っているようにとられても仕方がないのかもしれない。
それにしたって、問答無用で殴られなくてよかったと胸をなでおろした。未だに殴られたことはないが……痛いはずだ。
「あぁ、そういうことね。ちなみに隠すってどの程度で?」
こちらの言葉を聞くと同時にこぶしを下し、レオンはにっこりと笑った。
同じ顔だと言われているが、悪寒が走る。こういう時の顔を自分は絶対にできないだろうと思った。あまりにも邪悪すぎる。
似ているとはいえ、この表情は多分一生出さない部類のものだ。今はそれが少しだけ心強いが、それと同時に絶対に敵に回してはいけない人物であろうことは身にしみて分かった。――本当に味方でよかった。
「国が、両親が使う人間でも見つけられない程度で」
「簡単に言ってくれるねぇ。難しいことをさらりと」
「無理か?」
「いや?」
レオンが苦笑いをした後ににやりと笑って見せる。
言うと思った、と返せばその不敵なまでの笑顔は変わらないまま、『伊達にハノーバーの家を背負ってないさ』と言う。
しかし普通の貴族子弟にそんな人脈も能力も必要ないし、手に入れようなんて考えもしないだろう。というか、手に入れようとして手に入れられるものでもないだろう。
つくづくこの男が異端であるということを知る。こちらに向かって『簡単に言う』と文句をつけたわりに、レオンもレオンで実に簡単に返答してきた。
「国が使うっていうよりどうせあいつらだろ? 大臣とか通さない直属の。あいつら苦手なんだよねぇ。話さないから何も聞き出せないし」
「……お前あいつらも駒にするつもりか。そのうち殺されるぞ、それ」
まさか、そこまで命知らずじゃないよ、と笑いながらレオンが手を振る。
どうだかな、と疑うようにレオンを見つめれば、僕を何だと思ってるの、アルは、と呆れたようにため息をつかれた。お前の日頃の行動が原因だろうとあえて突っ込まなかった。
「で、僕ができるって言って、協力したげたら実行するの?」
「そうだな、速やかに。こんなのに時間かけても無駄だろ」
吹っ切れたね、と言われて、『吹っ切れたわけじゃないぞ』と釘を刺す。
迷っていないわけじゃない。リゼットにはまだ何も話してないし、守り切れるかどうかだって、絶対じゃない。
奴らを出し抜くのがどれほど難しいか、想像するだけでも嫌になる。それでも何もやらずにみすみすリゼットの手を離すなんてもっと嫌だった。
だから自分は、自分の持つ力で、人脈で、できることをする。そのために無駄なことを考えている余裕なんてないんだ。迷わないわけでも戸惑わないわけでもないんだ。
そんなことをレオンに言っても仕方ないので、ただ『迷うこともなるがな』と付け加えた。
「ま、学校に行っていたアルは王族中の誰よりも人望はあるよ。君の為なら動くってやつ、結構いると思うけど」
「ありがたいことだな」
計画は正確に、素早く、しかし慎重に。王族さえ、父と母さえ敵に回して、自分たち以外には誰にも知られず。
何一つ抜かりなく失敗なく、見落とし一つが命取りになることは昨日のことで嫌というほど分かっていた。
だからレオンに助けを求めたのだ。計画を人に知られることは避けたいが、一人ではどうにもならないと早々に悟ったから。
「リゼには話したの?」
「いや、まだだ。どう説明したもんかな」
髪をかきあげて迷っていることを口にすれば、レオンは面白そうに目を細め、それとは裏腹に唇をきゅっと引き結んだ。
まるで笑いそうなのを堪えているようで、ほんの少しこちらは眉を寄せることになる。臆病者の自分を笑っているみたいだ。
それが伝わったらしく、レオンはついに笑いを止められず、ぶふっと色男が出すものとしてはいただけない大きな笑い声を立てた。
「いや、本当に大切なんだなぁって。傷一つつけたくないみたいだ」
「あぁ、もう傷一つつけたくない」
もう十分傷ついているだろうから、これ以上は傷ついてほしくない。傷つけたという自覚があるから、もう傷を負わせたくない。何ものからも、守りたいと思う。
「好きなんだね」
「あぁ」
頷いて、しかし『好きなんだ』と返事をすることはしなかった。好き、ではもう正しくないんだな、と苦く笑う。
ついぞこんなことをまじまじとレオンに語ることになろうとは。学生時代の自分が見たら、一体何事かと思うだろう。きっと言葉もなく天を仰ぐに違いない。からかう格好のネタを自ら差し出しているのだから、確かにそうだ。
自分が色恋沙汰を起こすなんて。
「愛しているよ、リゼットを」
「言ってくれるねぇ。羨ましい限りだよ」
素直なアルに心を打たれたから、力を貸すよ。リゼに話すのは止めた方がいい。君だと逆上させそうだ。あぁ、あとマリア殿にも協力を仰ごうね。その他リゼットを隠す準備はこちらでやっておくよ。
だからね、とレオンは緩く笑って明るい色の瞳を瞬かせた。ついに反旗を翻すのか、とレオンの唇を見て思う。
その唇が『存分に足掻け』と言葉を形作った。
レオンは攻撃ではなく、護ること、に能力がある人だと思います。守護する、という能力においては他の誰よりも抜きんでているのではないかと。