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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
83/109

64話 合わない視線は

 顔を合わせて、声を聴いた。それでも最後まで視線は合わなかった。今までにないくらい、その事実に気が付いた。

 原因が自分にあるのなら、なおさらだった。


 合わない視線は ―こんなにも辛い―


 父に呼ばれ、ボロボロの体を引きずって王の私室に入った。呼び出しはいつも執務室であったから、今日は珍しいとは思ったものの大して気にもかけなかった。

 それより重要だと分類されるべきことが山積みで、特に『振られた』という事実は予想以上に衝撃だったらしく、今朝もうなされていた。……恋煩いで夜も眠れないのは事実らしい、とそんなことを考えた。

「お呼びだと聞き、参上いたしました。私に何かご用でしょ……」

 言葉が不自然に途切れ、目を見開いて父の傍にたたずむ人間を見た。ここへいるはずもない、いるなんて考えもしていなかった人物だった。

 どうしてリゼットがここへいるのか、どうして父は呼び出したのか、どうして自分まで呼び出されたのか。顔を伏せたままのリゼットを見ていると、嫌な予感が頭を過ぎり、喉を締め付けられるような痛みを覚えた。

 妙に口が渇いて、舌が口の中で張り付いた。

「よく来たな、アルバート。丁度リゼットと話していたところだ。いい時分に来た」

「父上」

 稀に見る穏やかな表情で、優しい口調。いつも見ている父とは違いすぎて、とりあえずリゼットに何かを言ったわけではないと安心する。母経由で何か言われたのか、と勘繰ってしまった。

 成人した兄や俺でさえ、父が怒ったときには動きを止めて多少の反省はする。リゼットにしてみれば、もっと恐ろしいだろうと思っていたが、いらぬ心配だったらしい。少し安心した。父の機嫌は近年稀に見るよさだった。

「知り合いだと聞いた。古くから顔見知りだったとか? 何故か不思議な縁のようなものを感じる。そうは思わないか? リゼット」

「畏れ多くもそのようなお言葉をいただき、嬉しく思います。先の王様と祖父の縁ゆえです」

 頭を深々と下げ、淡々とした口調で言葉を紡ぐが、その声にはわずかな喜色がにじむ。自分ばかりを気にしている彼女をよく知っているせいか、その様子はなんだか珍しく見えた。

 体の向きは父へ、しかしそれ以外はすべて彼女へ向け二人のやり取りを見守った。色んなことを問い詰めたかったが、この穏やかな雰囲気を壊したくなくて、仕方なく口を閉じた。

「リゼットは優秀な庭師で、森の中の薬草園を任せているんだ。知っていたか?」

「はい、兄上から聞いています」

 父が小さく、満足げに頷いた。父にとってやはりあの薬草園は大切な場所なのだろう。

 無駄が嫌いで現実主義なこの人が、大切にしている。草花など見もしないだろうと簡単に想像がつく、この父が?

 何とも言えない、複雑な気分になってわずかに俯いた。それが何に対する感情か分からなかったが、今まで知らなかった父の一面に動揺さえした。

「元に戻りつつあると聞いてな。ぜひ見ようと思っていたんだが、どうも難しいらしい。非常に残念なことだが」

「陛下がお忙しいのは当然です。ご無理なさらないでください」

 ペラペラと机の上に置かれた書類を持ち上げて、父は本当に残念そうに言った。慎重で真面目で、一日のほとんどを執務室で過ごす父がそんなことを言う。何より仕事が好きなのだと思っていた。

 それに対し、リゼットは淡く笑い、優しげな口調で緩く首を振った。その声には心からの敬愛と親愛が込められており、リゼットが思ったより父と親しいことを知った。

 父も父で、兄や自分に見せたこともないような穏やかな表情をしている。その視線がこちらに向いた瞬間いつも通りの父に戻った。威厳のある、王として相応しい父。『父』と呼ぶことさえ不自然な、いっそ他人より遠い人。

「それで私に何を?」

「私の代わりに見に行ってほしいと思ってな」

 横目で見ていたリゼットが、それまでの静かな表情を凍らせる。ほんのわずかに、父が気付かない程度に肩を揺らし、口元を引き締めた。きっちりと閉じられたそこへ瞳を滑らせ、視線を上げる。

 彼女に見られている気がして、その目を見ようとした。しかし彼女と合わせようとして挙げた視線は、彼女のものと絡み合うことはなかった。するりと意図的に逃げられたことがすぐに分かってしまったが、それに対して何か言うことはできなかった。気まずさを感じるのはこちらも同様であるし、問題を起こしたのは紛れもなくこちらなのだから。

「リゼット、アルバートを薬草園へ連れて行ってもらえるだろうか、私の代わりに」

「もちろんでございます。陛下の御心のままに」

 ちらりともこちらを見ないリゼットだったが、その手はわずかに震えていた。努めて冷静に声を出しているのだと分かり、この仕事は断ろうかと考える。

 しかし今日は仕事をもう終えたと報告してしまったことを思い出す。今更その発言を翻したところで何かできるとも思えない。彼女の負担が目に見えているのに、何だか居たたまれなかった。『何だか』というより『ひどく』の間違いか。

 自分の至らなさや身勝手さが一気に責められている気がする。仕方のないことだ、責められて当然だ。そう思う一方で、目さえ合わない現状がたまらなく嫌になる。

「それではアルバート。後は任せた。よく見てくるように。あそこはお前の祖父が生涯大切にしてきたものだ。お前にも何か収穫があるかもしれない」

「そうでしょうか」

「そういうものだ」

 彼女との関係も彼女の信頼も、彼女に関する全てを失ったかもしれない自分にその言葉は少々酷だった。

 何か得られるはずもない。今更何かを得たところで、目さえ合わさなくなってしまった彼女の心はどうにもならない。

 以前行ったときには何も考えていなかったことを思い出して、苦笑いしか出てこなくなった。

 あの頃はただ、変わらぬ関係を欲していた。兄と妹であり、大切な友人だった。ずっとそばにいるのだと、何の疑いもなく、考えもせず思っていた。

 変化があったときのことなど、予想したことさえなかった。――今の自分を見たら、あの頃の自分はどうするだろう。


 私は案外、衝動に駆られたアルの方が好きなのかもしれないな、と最近よく思ってます。

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