06話 宴サボリの常習犯な王子
柔らかな音楽も、人々のざわめきも、心躍るようなものではなくって、ため息を吐く。こんなことなら、始めから来なければよかった。
宴サボリの常習犯な王子 ―興味ない。飾られたオヒメサマなんて―
隣に座っている兄をちらりと見やる。
病弱な彼が珍しく夜会に出ると言うので、周りも張り切っているのだろう。そんなことを思いつつ、そっと席を立った。
いつまでここにいたって、楽しいことは起こりそうにない。これなら抜け出しても支障はきたさないだろう。
むしろきっと誰も気付かない。
そう思って、するすると出口の方に向かっていく、が。
「アルバート様。この前の演武、とても素敵でしたわ。剣を扱うのがお得意なのですね?」
「この前、書物庫でお見かけしましたわ」
「あら、わたくしはこの前……」
呼び止められても決して嫌な顔をしてはいけない。
にこやかに応対しつつ、逃げる機会をそっと見つけ出すのだ。笑顔を作って一通りの会話を終えると、そっと扉から出た。
後で抜け出したと騒がれようが、もう関係ない。
後はいつもの東屋へ向かうだけだ。夜会のある日しか夜には会えないので、貴重な機会なのだ。
走って、動きにくい正装のタイを緩める。道ではないところを突っ切って、自分が知る中で一番の近道を選ぶ。途中で木の枝に服が引っかかるが、そんなこと関係なかった。
「リゼット」
ふわり、とこちらを向く彼女。
その身に纏うのは、今日ばかりは女物だ。東屋の管理人も、この日は仕事が倍増する。囁き、笑い合う男女が幾組みも東屋へ来ては腰を下ろすから。
もっとも、ここはその会場から離れている上に、例の『側室が自殺した』という噂もあるので、彼女にはあまり関係のないことではあった。
しかし、例外は許されないのだ。どこの東屋も同様に用意しなければいけない。
「アルバート様。どうしてここへいらしているのですか?」
美しく整えられた花や、テーブルに飾られた花瓶。
そしていつもは着ない、スカートの簡素な制服。
夜会があるときのみ着ることを指示される、東屋の管理人の制服は、深い紺色で袖も膨らんでおらず、レースもついていない。
闇に紛れそうなそれが、わずかに浮かぶのは、暖かな月の光のおかげだった。
「夜会が終わったから、と言えば許してくれるか?」
「嘘をおっしゃらないでください。まだ音楽も人のざわめきも続いています」
慣れないらしい長い裾を持ち上げ、こちらへ近づいてくる。
緩くまとめられている髪が肩で上下し、紺色の制服に色彩を与えた。
先ほど見たどのドレスよりも簡素で目立たないはずなのに、彼女が着ればよく似合っていると素直に思える。
派手すぎず、露出もないそれは、彼女を表しているような気がして、他のドレスよりも好ましく見えた。
どんなに高価なドレスでも、どんなに美しい装飾品でも、似合っていなければどうにもならないのだ。
「これを機に、普段からドレスを着たらどうだ? それくらいだったら動きやすいだろう?」
「アルバート様にも同じようにお返しいたします。いつも正装していては?」
ちくり、と返され眉を寄せた。
こんな堅苦しいもの、いつも来ていたらいつか酸欠になる。動きにくい上に馬に乗るのも苦労する。
ついでに言えば、剣も儀礼用で実用的でない。何から何まで不満だ。
「無茶を言うな」
「でしたらアルバート様も言わないでください」
不機嫌そうに返す彼女の説得を諦めるように首をすくめた。毎度似たようなやり取りをしているが、全く進展しないとは一体どういうことだろう。
何とかならないものか、といつもは動きやすい男物の服を纏っている彼女を見つめた。
反対に彼女は視線をそらしたまま、言葉を紡ぐ。
「せっかくの夜会をどうして途中退席なさるんですか?」
「つまらないからだな。単純に言うと。非常につまらん。情報交換の場としての価値を認めざるを得ないが」
それ以外の役に立とうはずもない。
情報のやり取りだけなら、もっと単純な方法があってもいいだろうに。わざわざ夜に、しかも派手な格好をする意味も分からない。
無駄の塊だ。
「お嬢様方とのお話なども、楽しみ方の一つだとお聞きしましたが」
「興味ない」
遠慮がちに問いかけてくる彼女の言葉に被せるように言った。
そんなものに、まるで興味はない。飾り立てられたドレスも、美しく結い上げられた髪も、所詮それだけに過ぎず、意味をなさない。
無邪気を装いつつ、しっかり組み立てられているのだろう策略に嵌っているようなあの感覚も好きではなかった。
まるで、品定めされているようで。
「オヒメサマに興味ない。そんなものに現を抜かす暇があるなら、ここへ来てお前が淹れてくれる茶を飲みに来る」
自分がどういう位置にいるのか、自覚はしているはずだ。
国王の次男であり、体の弱い兄に次いでの王位継承権を持つ。病弱な兄が亡くなれば、国王になるというのも知っている。
彼女らもそれをよくよく知っているから群れるのだ。
第一王子に嫁いでも、一生の安定は得られない、と。
「俺はリゼットと話している方が落ち着く。それに、可愛らしい女の子と話すのが夜会の楽しみ方と言うなら、今も同じようなことをやってるしな」
からかうように後半部分を付け加えると、夜目にもはっきりと分かるくらいに彼女の頬が赤みを帯びる。
夜会に出ているお嬢様方には絶対出来ない反応だ。顔を真っ赤にさせて、何も言うことができず硬直したままになるなんて。
「夜会に出るより、ずっと有意義だ。そう思わないか? リゼット」
言葉になってない抗議を受け流し、その両手を取って一回転してみせる。遠くの方で緩やかな音楽が流れていた。