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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
57/109

42話 寂しいのは

 彼女はもう、妹ではない。だけどそれを上手く認識できていなかった。妹離れできない本物の兄のように思えてしまう。情けない、頼りない……“兄役”だった。


 寂しいのは ―妹離れできていないだけ―


 見つめるのは相手の剣だけだ。他のことは考えなくていい。今考えるべきことは、いかに相手の剣を叩き落し、首元に剣を突きつけるかだ。

 それだけを考えていれば、自分の手はごく自然に動き、足の運びに迷いもなくなる。

 手で剣を回して逆手に持ち、体を回転させながら斜め後ろにいた相手の剣を受け止めた。相手の目が意外そうに見開かれ、次いで何かを悟ったようににやりと笑った。

 完全に押さえつけているはずなのに、その顔は不敵以外の何ものでもなく、苛立った。

「少しお相手しない間に強くなられましたね。さすが将軍の秘蔵っ子だ。将軍の愛弟子だというのも頷ける」

「相変わらずの多弁だ。次期将軍殿っ!!」

 力で押し負けるが、すぐさま身を沈めて後方に退く。将軍より厚みはないものの、その長身に見合った手足を持つ相手は十分厄介な相手だった。

 普段は文官として働いているこの男が、あの将軍の跡継ぎであるというのはどうにも不思議だが、一度剣を取ると現役の兵士でさえほとんどの人間は歯が立たない。

 つくづくどうして文官になったのか分からない。

「殿下、私は将軍の跡を継ぎません。最近やっと文官として使いものになってきたところなんです。易々この地位は手放せません」

「そうか?」

 もう剣を交えるつもりはないらしい。木剣を右肩におき、優雅な足取りでこちらへ近寄ってきた。

 幼い頃はよく剣を交えたものだったが、この男は兄と同い年だったはずだ。兄とは違って、しっかりとした体つきをしているが将軍のように粗野な印象はまるでない。

 本人がそうだと名乗らなければ、レオンのようなどこぞの貴族子弟に見える。

 長い手足に、もう日焼けが酷くなくなった肌。あの頃と違って、傷だらけではなくなった手。

 本人が意識して振舞っているらしい、穏やかな物腰はたぶん女性受けがよいのだろう。

「で、何を悩んでいらっしゃるのですか?」

「その前に、話し方を変えてくれ。兄弟子に敬語を使われるというのは、居心地が悪い」

 誤魔化したところで十中八九見破られるので、素直に認める。内容を全て話すつもりはなかったが、この男にはレオンよりも相談しやすかった。

 何せからかうことこそあれど、リゼットの存在を知らないのだから、その点においては安心すべきなのだと思う。

 レオンや将軍に言えばそれは絶対『恋』だと言われる。それは嫌だった。

「人が折角穏やかに聞いてやるって言ってるうちに、さっさと話せ。ガキ」

「その口の悪さも相変わらずで、安心した」

 喉の奥で笑えば、目の前の男は面白くなさそうに剣を弄ぶ。

 手の甲に剣を乗せ、くるくると慣れた様子で回している。まだ鍛錬は止めていないらしい。重い剣や長い槍でも、彼の手を介せばまるでおもちゃのように面白いくらいくるくる回るのだ。

 木剣くらいならできるが、さすがに大きい槍ともなると少し厳しい。彼ほど上手くはできないだろう。

「で? どした?」

「いや、将軍のところには娘がいると聞いてな。……その、妹だろ?」

「まぁ、妹だな」

 お前のとこにはいねぇだろ、と言いながら目の前の男は木剣をしまおうと背を向ける。その言葉は正しいのだが、それはつっこんで欲しくなかった。

「妹がどうしたよ」

「だからな、その……妹離れできる、か?」

「はぁ?!」

「だから、妹離れできるのかと、問うているんだ」

 真剣な顔で聞いたこちらに対し、この男は驚いたような声を上げる。

 しかし次の瞬間にはすでに爆笑し始めていて、腰を折り曲げていた。人の気も知らないで、しかも片付けようとしていた木剣さえ床に転がり落ちている。

 相当ツボにはまったらしく、しばらく盛大に笑いこけていた。いい加減腹が立ってきて、折っていた腰に木剣を叩きつけた。

「なっ、おまっ……。親父の言ってたことはマジか!」

「何がだ」

「いや、友人と言い張りつつ、妹みたいに接してきたその女の子に恋してるっぽいって!」

 人聞きの悪い。

 というか、将軍の口の軽さ(身内限定とは本人談だ)を恨んだ。どうして息子が知ってるんだ。

 しかも『恋している』とは一言も言ってない。今だって思ってない。ただ妹離れできないだけだ。友人というよりは妹で、対等であるというよりむしろ庇護の対象だった。

 だから今更、離れることを考えると辛くなるのだろう。それは、恋ではない。

「はぁー。あのアルがなぁ。そりゃ親父もそわそわするわな」

「何を!」

「世話係のおっさんと、その息子も色めき立ってんだろ?」

 それは、どうなんだ。

 これでも一応第二王子だから、そんな誤解が広がったらきっとリゼットに迷惑がかかる。厄介事にも巻き込まれる可能性が高い。

 奴らは一体何を考えているんだ。そして何故色めき立つ。

 将軍もノースもレオンも、揃って誤解しているにも拘らず、それを広げているのか。眩暈を覚えながら頭を押さえた。

「誤解だぞ。他の人間にも伝えといてくれ。無闇に広げるな、と。リゼットに何かあったらどうするつもりだ、あいつら」

「ご・か・い、ねぇ。あながち間違っていないと思うが。まぁ、心配すんな。うちの親父殿も、世話係の親子も、これをばら撒こうとはしてないだろうから」

 わずかに引っかかる言い方をするが、広めているわけではないというフォローは入れた。

 信じられるかどうかは疑わしいところではあったが、彼らに悪意がないことはよく分かっていた。しかし認めるわけにはいかないのだ。

 これは、恋ではないから。これはただ、妹離れができていないのだ。

 ただ、それだけ。

 自分は兄なんだ、兄兄兄兄……。自己暗示的な何かです。

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