表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜胆の東屋  作者: いつき
本編
51/109

37話 生まれ変わったら

 彼女の体から力が抜けて、抵抗しようとしていた腕が垂れ下がった。それがいいことだとも思えずに、抱きしめる力を緩めた。

 どうして、話を聞いてやることもできないのか。


 生まれ変わったら ―本物の兄妹でいい。……本当に?―


 涙を拭う彼女を見る。見るといっても、頭の天辺が見えるというだけで、拭う手がチラチラと視界に入るだけだ。

 なかなか泣き止まず、理由も言おうとしない彼女を後ろから抱いていると、先ほどあった苛立ちも薄れてきた。

 心配のあまり強い口調になってしまったが、無理に聞き出すことはできない。自分にできることは頭を撫でてやることくらいか。前髪を掬うようにして、彼女の頭へ触れる。

 涙を拭っていた右手を握り、左手で目の辺りを覆う。頬は濡れていて、熱を持っていて、こちらの手が当たるたびに細かく震えた。

「アル。優しくされると、泣きたくなるから」

「優しくするなと?」

 優しくされると、泣きたくなる、か。

 それは、自分たちの違いを感じてしまうからだろうか。こちらが気にしなくても、彼女は違うのか。無性に彼女の顔が見たくなり、細い体を反転させた。

 赤い目とまともにぶつかったが、こちらが動揺する前に彼女が俯いた。彼女の額が胸にぶつかる。静かに戻っていた動悸が、少しだけ早くなるのを感じる。

「理由は聞かない。泣くなとも、言わない。泣くことでお前が少しでも救われるなら、いくらでも泣け。

でもな、リゼット。お前を心配する人間がいることを、決して忘れるな」

 残っている涙を全て拭い、擦りすぎて熱を持っている瞼を撫でた。乱れている髪の毛に手をやりつつ、あぁそういえば、自分は今日渡したいものがあってここへ来たのだと思い出した。

 しかしそれを出す雰囲気でもなく、ただ彼女の頬をなぞるだけになってしまう。自分の言葉に素直に頷くリゼットを見つめて、諦めにも似た息を吐く。

「理由は、いつかお話します。アルバート様が、お優しいのも知っています」

「お前が、辛くないならいい」

 彼女の言葉の返答としては正しくない言葉だと思った。言いたいことも、伝えたいこともたくさんあった。

 元に戻った呼び方や、敬語のついた話し方で全てを飲み込むまでは。

 何か言わなくてはいけないのかもしれないと考えたが、彼女はすでにいつもの彼女だった。年下のくせに落ち着いているように見えて、まだまだ可愛い妹。

 立場を弁えているのだと判断される態度。いつの間に、これが『普通』になってしまったんだ。

 『アルバート様』という呼び名が、敬語がいつの間にか普通になっていた。そんなこと、考えもしない時代があったのに。

 知らないうちに、それを受け入れていたんだろう。ずっと、『あの頃』のままでいたいと考えていたのに。

 もしかしたら、自分が彼女から離れていたのだろうか。

「辛くは、ないです。ただ分からなくなってしまって、混乱して、一人ではどうにもできなくて。でも、助けてもらうこともできなくて」

 彼女は助けを必要としない。彼女は自分が王子の友人である自覚を持たない。

 幼い頃であったなら、それは『アル』自身を見てくれているのだと考えただろうが、今ほどの年齢になってしまえばまた違う考えが浮かぶ。

 頼ろうとしないのは、自分たちの間が遠く離れているからだ。自分に何も言わないのは、理解できないと知っているからだ。いつの間にか、自分たちは。

「遠くなっていたんだな」

 小さく、本当に小さく呟いた。口の中で転がしたその言葉はとても苦く、飲み込むには辛すぎた。それでも彼女に向かって吐き出す気にもなれず、ただ口の中で転がし続ける。

 これは多分、二人を傷つけることしかできない言葉なのだろう。気付いた自分も傷ついたが、もしかしたら彼女はもっと早くに知覚していたのかもしれない。

 彼女は、聡明な子だ。

 いや、自分もたった今気付いたわけではないだろう。ずっと、分かっていたはずだ。

 ただそれを認めたくなくて、見ないふりをしていた。認めてしまえば、彼女がもっと遠くなる気がしたからだ。

 どちらにしろ、距離など変わらなかったが。あれだけ変化を望まなかった。あれだけ、あの頃から動きたくなかった。ずっと、変わらない関係を求めていたのだ。

 自分も彼女もあの頃のままというわけではないと、十分知っていたにも拘わらず。

 成長したからには、変化は仕方ないにも拘らず。

 意固地に、臆病に、俯いて耳を塞いでいた。大人であろうとしているくせに、中身は酷く幼稚だった。

 矛盾を孕んで、ずっと彼女の元へ通っていたんだろう。変わりたくない兄と妹の距離、友人としての関係。

 変わることが当然である王子と庭師の距離、聡い彼女が少女から女性に変化する様子。今まで自分は、どれだけ目を逸らし、耳を塞ぎ、全てを無視していたのだろう。

 どれだけのことに、背を向けていたのだろう。

「もし」

 もしも、願いが叶うならば。

 自分勝手が許されるなら。

「もし、生まれ変わったら。今度は、本物の兄妹でいい」

「え……」

 意識せずに出た言葉に、彼女は目を見開いた。ほっとしたような、悲しむような、よく分からない表情をして、こちらを見つめた。

 その瞳に映る表情の意味を取りかねていると、彼女はやがて目を細めてゆるゆると穏やかに笑った。自分の中で何かを納得させて、それを一切表に出さないと心に決めたようだった。

「そう、ですね。もし、生まれ変わったら、兄妹がいいです」

 ふと胸に湧き上がったのは、どうしてだか悲しみで。

 その原因も分からずに首を傾げた。兄妹であれば、一生共にいれる。共にいることを、誰にもおかしいと言われない。文句も、言われない。

 ならばそれでいいじゃないか。どうして苦しいのだろう。兄妹でいいと、思った。心の底から、思ったはずだった。

 生まれ変わったら、本物の兄妹でいいと。

 ……それは、本心からの言葉だったのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ