05話 お茶を飲みに東屋へ
人はよく、第二王子は神出鬼没だとか、サボリ魔だとか勝手なことを言う。許されるなら、声を大にして反論させてもらいたい。
お茶を飲みに東屋へ ―サボってない。彼女のお茶が美味しいだけ―
王族と言うものは、他の人に比べて楽しみが少ない人種であるように思う。
日がな一日中座って書類と睨めっこしてたり、会議に出ていたり。そんな中での楽しみといえば、寝る前の読書だったり、剣や弓の練習だったりする。
街へ出ることも、その中の一つであると言えるだろう。
しかし、何より一番の楽しみは。
「お待たせいたしました。アルバート様」
こう言って差し出されるお茶と、彼女との会話だ。
このためだけに書類と日々向き合い、会議をまとめ上げ、楽しくも何ともない夜会に顔を出すのだ。
そう言い切ったとしても決して過言ではないだろう。
そう思いつつ、差し出されたお茶に手を添えて『ありがとう』と礼を言う。
他の王族や貴族のことは知らないが、少なくとも礼を言うべきところは心得ているつもりだ。使用人に礼を言う必要はない、という人間にはなりたくない。
「アルバート様は神出鬼没らしいですね」
彼女が自分の前にもカップを置き、小さく笑った。
初めの頃は『庭師としてここにいるのですから、以前のように接するなんて滅相もない』と言っていた彼女も、しつこいくらいに誘えば同じテーブルにつき、お茶を飲むようになった。
もっとも、『リゼットが席につくまで茶は飲まない』とかなり我がままを言ったが。(年が離れているのに、自分の方が子供に見えるときがある)
「そんなつもりは全くないが、何故かよく言われるな」
「この前、側近の方があちこち走り回って探しているのを見ました」
普通に歩いて移動しているし、特別おかしな通路を使っているわけでもないのだが、どうも最近よく言われる。
つい先日、この東屋からの帰り道、午後からずっと探していたらしい側近に真面目に泣かれた。
あと少し遅ければ、護衛する部隊全員で探す段取りだったらしい。
それを想像して身震いした。それでこの場所が見つかってしまえば、自分は安らぎの場を一つ失うことになるのだ。
「ここにはお仕事から逃げてきているとか」
ちらり、と非難がましく見てくる彼女に笑顔を返すと、呆れたようにため息を吐かれた。それからカップを手に取り、小さく小首を傾げる。
その仕草は幼子のようだ。
「お茶なら、側近の方が淹れて下さるでしょう? 侍女たちもそのためにいるのに」
まぁな、と返しつつ、次からそうしようと思うわけもない。
第一こちらは、お茶を含む彼女との会話を楽しみに来ているのだ。一人で飲むお茶というものは味気なくて好きではない。
「お前の淹れるものだから美味しいと感じるんだ。それにサボっているつもりもない。やらなくてはいけないことは、ここに来る前にきちんと済ませている」
虚をつかれたように、カップの水面を見つめていた彼女が顔を上げた。
次いで、こちらの言葉を理解したらしく、わずかに顔を赤くした。褒められるのが苦手だと知ってはいたが、未だ治っていないというのも驚きだ。
確かに、この東屋で仕事をしていたら、そんな機会とも無縁だろうが。
「アルバート様に、褒められるのは苦手です。……ご存知でしょう?」
そう言いつつ、カップをテーブルにおいて顔を手で覆った。
しかし、か細い声が手の間から漏れる。『ありがとう、ございます』と消え入りそうな声だったが、はっきり届いた。
しばらくその状態だったが、やがてその手からそろそろと顔を上げる。すっかり赤面は治っていたものの、白い頬は未だ薄い桃色を保っていた。
「お仕事をきちんとしていらっしゃるなら、一介の庭師が言うことは何もありません」
からかわれたと思っているのだろうか。
少し不機嫌そうに返してくる彼女の頭に手を乗せると、もう……と膨れたような声が返ってきた。
口調が崩れるのは嬉しい限りで、そのまま一度、二度と彼女の髪を梳くように撫でた。
「こうすれば、機嫌が直ると?」
「少なくとも、お前が東屋の管理人になる前は、な」
その頃は頭を撫でればくすぐったそうに身をよじりつつ、それでも笑顔を浮かべて名前を呼んでくれていた。
それがいつの間にか『アルバート様』という敬称つきの余所余所しい呼び方になり、敬語がつき、一定の距離をとられるようになった。
訳は十分すぎるほど分かっているので、あえて問い質すこともなかった。
「別に怒ってません。だから、そろそろ」
「あぁ、そうだな」
本音を言えば、寂しかったのだ。
妹だと思っていた少女がどこか遠くへ行ってしまうような感覚だった。
しかしそれを本人に伝えても、何も変わらないということを知っていた。だから今の関係で満足しようと思ったのだ。
妹役として、前のように親しくしてほしいとは言えない。
もう前のように、『アル』と呼んでほしいとは頼めない。『王子』として見ないでくれなんて、もう口に出してはいけないんだということくらい、分かっているのだ。
決して欲張らず、一緒にお茶を飲めることこそ、大切なのだ、と。そう言い聞かせる。
彼女も、自分もあの頃のように何も考えずに生きていけるほど幼くはないのだ。これは、仕方のないことなのだと。
彼女の髪から手を離す瞬間、一瞬だけ名残惜しくて指の先にその栗色の髪を絡ませた。
それがするりと離れていくことさえ惜しくて、掴んで引き寄せたくなった。離したくないと、一瞬でも思った自分を恥じる。
自分は、何をそんなに固執しているのだろう。
こんな、当たり前のことに対して。