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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
49/109

35.5話 花に気持ちを込める

 リゼ視点。

 こんな仕事をしていれば、噂話に敏感になるのは仕方がない。

 庭師という存在は、貴族のご令嬢達にしてみれば、空気も同然でいてもいなくても変わらない。そうすれば当然、庭師が近くにいても噂話が止まるわけがない。

 もっとも、私の担当している東屋は忌み嫌われており、そのご令嬢達さえ来ない。しかし今日は事情が違った。

「あら、ラヴィニア様。ごきげんよう」

「ごきげんよう、シーア様」

 急遽応援できていた東屋で、そんな声が聞こえた。耳に深いでは決してない、鈴のような声だった。可愛らしいと表現してよいものか迷ってしまうほど上品で、穏やかな口調。

 胸の奥が不快なくらいぐらぐらと揺れた。聞いたことのある名前を耳にしてしまったからだ。あの方のことを考えていたら自然と耳に入る名前だった。

 ラヴィニア・フィルスト侯爵令嬢。

 王子たちの妃候補でもっとも有力な貴族令嬢の一人。その美しい容貌と完璧な頭脳にはどの男性も舌を巻くほどだとか。

 意識せずともそんな情報はいくらでも入ってくる。当然、あの方とお茶をしたとか、あの方が笑いかけたとか、婚約も後少しで整うとか、そんな話も入ってくる。

「ラヴィニア様は昨日、殿下たちにお会いになった?」

「えぇ、会いましたわ」

 殿下たち、と言われたのにどきりとして、用意していたカップが小さく浮いた気がした。しかし音をさせまいともう片方の手でしっかりと押さえる。おかげで動揺を隠すことができた。

 殿下、と主に呼ばれるのはこの国の王子である二人の王子様だ。跡継ぎであるクライヴ第一王子、それから次男であるアルバート第二王子。

 もちろんお二人とも存じ上げているが、私が動揺するのはそのことだけでは当然ない。私の鼓動を高くするのは、あの方だけだ。

「アルバート様に何の花を差し上げたの?」

「……百合と、吾亦紅」

 鈴のなるような声が途端に甘く響く。

 お茶を出し終わったあとの私は、何もできず東屋の傍で立ちすくんだ。立ち去りたいのに、そこへ縛り付けられてしまって動けなくなる。

 早く声の届かないところへ行きたかった。行きたかったのに、自分の足は言うことを聞かず一歩も踏み出せない。

 東屋の本来の管理人が早く戻ってくればいいのに、と思いながら太陽に目を向けた。今日は王宮へいる人さえ少ない。国民のほとんどが休日なのだから当然といえば当然か。

 それでもきっと、あの方は仕事をしているんだろうな、と今一番考えることが苦痛だろう人のことを考える。

 どうしてもそこから思考が離れず、口の中で苦く笑った。誰よりも好きだ。だけどあの方は誰より私を苦しめる。

 無意識に、私の心を引き裂いていく。彼の感知しないところで、彼の関係のあることで、私は勝手に傷つくのだ。

「百合は分かるけど、われもこう?」

 シーア様、と呼ばれた女性は首を傾げた。そして口元にカップを持っていき、一口飲んでから少しだけ目を見開いてこちらを見た。視線が合ってしまい、こちらはとっさに頭を下げた。

 いつもはこちらなど気にも留めないのに、この令嬢は違うらしい。目を輝かせてこちらに近寄ってきた。とっさに礼をして、その令嬢を迎える。

 その後ろからラヴィニア嬢も近寄り、一瞬逃げるような体勢をとってしまった。できれば、顔を合わせたくない。

 今、とても酷い顔をしていそう。

「あなたがお茶を淹れてくださったの? えっと、ここの管理人さんは違う方だと思っていたのだけど」

「私は、ただの応援でございます、お嬢様。お茶はお口に合いませんでしたでしょうか」

 何とか冷静さを保ち、震える声で言うと目の前の令嬢はにっこりと笑いかける。

 それから『ありがとう』と言い置いて、さっさと元の席へ帰っていった。その後ろに控えていたラヴィニア嬢もこちらを見てから、『ごめんなさいね。あの方、自由な方なのよ』とすまなさそうに謝ってくださった。

 こんなにいい方なのに、私は彼女がアルの婚約者候補だというだけで苦手だ。嫌いと言ってもいい。こんな醜い感情を孕んでいると知ったのは、自覚してすぐだった。

 苦しい。元の自分ではないみたいだ。アルに恋をして、私は純粋でいられなくなった。

 醜いという表現が合う感情。知らなくてもいい自分だった。アルには知られたくない一面を知った。知られるのが怖いと思った。

 こんな感情、いらない。

「で、どうして百合と吾亦紅、だったかしら。その花を差し上げたの?」

 向こうの方から本物の管理人が帰ってくる。それを見て、思わず走り出した。こちらに向かって手を上げる管理人に頭を下げ、そのまま呼びかけに答えず自分の東屋へ帰る。

 その途中で頬に冷たい感触がした。泣いているのか、自分の心が彼に届かないと分かっているくせに。

 好きでいられるだけでいいと思ったくせに、自分は泣くのか。彼女が、あの侯爵令嬢が送ったその花の意味を知って。

 流れる涙を拭う気にもなれず、ただひたすら道を急いだ。今まで使ったことのない道なき道を通り、自分の東屋へ滑り込む。

 情けない自分の考えを振り切るように首を振った。違う、こんなのいらない。彼女を恨むのはお門違いだ。自分の気持ちが許されないものだときちんと分かっている。

 なのにどうして、こんなに涙が溢れてしまうのか。拭っても拭ってもきりがないのか。

「花の意味なんて、私が一番分かってる」

 白百合の花言葉は純潔。

 その言葉から、古い王族は頭にその意匠のベールを被り花嫁として嫁いだ。そのことが影響して、この国では花嫁の象徴とも言える花だった。季節は少し過ぎているが、貴族の家では開花時期を変えるというから問題はなかったのだろう。

 そして吾亦紅は、愛慕を示す。また変化という花言葉も持っていた。

 それが何を示すか、分からないほど鈍感なつもりはない。彼女は変化を望んでいる。ただの友人関係ではなく、恋慕をしていると伝えるものなのだろう。そして花嫁に相応しい純潔を持っている、と。

 それを考えて、自分が用意したモノが急速に色を失っていく。贈り物がつきものであるこの感謝祭に、私が渡せるものと言ったらこんなものしかなかった。


 花に気持ちを込める ―それが届くかどうかなんて知らない―


 私が渡したいものにも同じように心を込めた。彼女と同じ方法で。彼女の言葉は届いて欲しくない。私の心も、届いてほしくないと思った。

 涙が溢れて、ただじっと感情の波が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 百合は白百合をモチーフに。キリスト教とかでは処女の象徴らしいです。受胎告知とかでよく描かれてますよね?(自信ない)

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