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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
42/109

【閑話】仮面に隠すは 2

 馬車が着くと、そこはもう立派な夜会会場だった。

 アルはそれを眺め、物憂げにため息を一つ落として仮面をつけた。目元がしっかりと隠れるそれは正体を端から明かすつもりがないことを示していた。

 それに比べてレオンのつけているものは手で支える形のもので、すぐに外せるものだ。それを目の端で確認して、アルは髪の毛を乱す。

 なるべく似せないようにしてから、やっと馬車から降りた。そして優雅な服装とは対照的に、荒々しい足音を響かせて会場に入る。

 突如現れた、いかにも家柄のよさそうな二人の少年の登場に会場がざわりと一瞬騒がしくなる。

 扇で口元を隠した婦人達がこそこそと互いに二人の正体を予想し始めた。注目されることに慣れきった二人は、大したことではないとその視線を無視する。

 それから思い思いに足を向け、一人は人の輪に、もう一人はそれとは真逆に進んだ。するり、と人並みが別れる。

 しばらく会場の視線を一挙に集めていた二人だったが、やがてその視線も霧散して、また元のようにさざめきが響くだけになった。

 あちらこちらで上がる黄色い声ににこやかに答えるのはレオンの仕事だ。対するアルは奥のほうへ奥のほうへと入り込んで行き、人気のないほうへと進んだ。

 自然、明かりの少ない方へと紛れ込んだ。

「あら、可愛らしい方がいらした」

「……お一人のところをお邪魔したようだ。申し訳ない」

 照明が絞られたテラスにいたのは、一人の女性。どこから持ってきたのか、空になったグラスがいくつも床に転がっている。

 テラスの手すりにはいくつかのグラスが置かれており、その女性がここから動く気がないことを示している。

 こんなところにいていらぬ噂を立てられるのを避けようと、アルはすかさず方向転換をする。しかし後ろから女性が声をかけてきた。

「坊やはどうして来たの? ここはお遊びの場よ。それとも遊んでくれるの?」

「遊ぶつもりはない。失礼する」

 馬鹿にされたことがはっきりと分かり、アルは小さく眉を寄せる。こういう場に来たことがないせいか、こんな言い方をされたのは生まれて初めてだったのだ。

 不快は不快であったが、それも夜会でのものだと割り切ってしまう。それから邪魔しないように体を反転させれば、後ろから『怒らせた?』と声が聞こえる。

 アルは不機嫌な声を出さないように努力して首を振る。

「いえ、ご婦人のご機嫌を損ねないうちに立ち去ろうと思いまして」

「ご婦人? あぁ、顔が見えないせいかしら。わたくし、これでも結構若くてよ?」

 自分を子供扱いしたからには、かなり年齢がいった人間だと勝手に決め付けていたアルは仮面の中で小さく目を見開く。

 相手は仮面越しのその気配を感じ取ったらしく、小さく笑った。

 若い、と自分で言うわりにひどく達観した大人っぽい笑い方だった。見れば服装もその態度に相応しく、他の夜会に着ていったらまず嫌な顔をされるであろう胸元が広く開いたドレスを着ていた。

 それに加えて、そのドレスは丈が膝下までしかない。しかしそれを着こなす女性は品性を兼ね備えていた。

「ご婦人と呼ばれるのはお嫌いですか?」

「そうね、嫌いだわ。何だか眼中にないって言われてるみたい」

 くすくすと止まらない笑い声がそこに響いて、アルはばれない程度に眉を寄せた。眼中にないも、そもそも遊ぶつもりがないのだから当たり前だ。

 女性は笑いを止めてアルの方へ歩み寄り、それから耳元でか細く囁いた。艶かしい、とアル以外だったならば表現できる、艶のある美しい声。

 それを聞いてもアルは表情を変えず、ただふわりと息を吐いて距離を広げる。

「失礼しました、ご令嬢?」

「随分若くなるわね、それじゃあ。わたくし、ご令嬢と呼ばれる身分でもないの。そう言えば」

 するっと女性の腕が動き、アルの肩に回る。それをちらりと見たアルは、そのことに何も反応せず『そうですか』とだけ答えた。

 その答えを聞き、女性はつまらなさそうに嘆息して近づいたのと同じくらい素早く腕の拘束を解いた。

 相手にその気がないと知って、途端に興醒めしたらしい。ふふっと耳元で一度笑い、それから元の位置へと戻っていく。

「あなたは難しい顔をして、いつも何かしら考えている学者さんかしら」

「いいえ。まだ学生の身です」

「まぁ、ならばどうしてこんなところへ来たの? 失礼ながら、あなたのような方が来るところではなくってよ」

「社会勉強らしいですよ」

 あら、まぁ。

 女性が驚いたように声をあげ、それからグラスを煽って笑った。アルの言い方が笑いのツボに入ったらしく、しばらくくすくすと耳に心地よい笑い声が響いた。

 馬鹿にされている空気ではないと知ったアルも、ここでようやく雰囲気を和らげるように顕わになった口元を綻ばせた。

 それまで厳しい雰囲気だったのが一変し、すぐに少年らしい空気に変わる。

「社会勉強だなんて。息抜きの間違いではなくって?」

「そうかもしれませんね。私にそのつもりはありませんが」

「あなたはまだ興味がないのかしら。それとも恋した人ではないと駄目?」

 意味ありげな視線から逃れるようにアルは動く。剣を扱うときのような素早い動きは、優雅とさえ思えて女性でさえ見惚れる。

 アル自身が思うよりずっと、彼の行動一つ一つは洗練されていた。仕草一つに、貴族以上の何かが宿る。

「恋は、したことがないのです」

「一夜限りの恋も?」

「恋は、一夜で終われるのですか」

 アルが小さく呟いた。確かめるというよりは、嘲笑さえ混じる声だ。

 女性はそれを聞いて本格的に笑い出し、やがて『ごめんなさいね』と前置きしてからゆっくりと口唇を引き上げた。

 毒々しいまでの紅色が、白い肌に映える。

「あなたに大切な方はいらっしゃるの? 恋ではなく、もっと別のところで」

「そう、ですね。います」

 ほぼ即答と言ってよいその様子に、女性は目元を隠した仮面の中で淡い色の瞳を細めた。

 彼女にしてみれば、目の前の少年がどれだけの身分を持っているかなど簡単に予想がつく。そこら辺のしがない貴族などありえはしない。

 よくて大貴族、悪くて王族の一人。それもかなり大切に育てられてきた、この国の将来を担う一人。

 そんな少年が『恋』だなんて。

「その方を、あなたは恋人にしたいと思う?」

「いいえ。思いません。彼女は、妹と言ってもいい」

 これまた即答。

 その即答が、いずれ変わるときが来るのかしら、と女性は思った。思ったが口に出すことは止める。

 こういうことは本人達以外が手を加えていいものではない。下手に手を加えようとすれば、それはたちまち壊れてしまう。

「では、その妹のような方以外に、大切な女性はいて?」

「……彼女、以外ですか」

「ええ、家族じゃなくて」

 アルは見知った顔を次々と浮かべたが、一番初めに浮かんだ顔以外はとても大切だと言いがたい。

 むしろ顔さえぼんやりとしか浮かんでこず、これならば目の前にいる彼女の方がまだ鮮明に思い描けるとさえ思った。

「いないのならば、恋云々を言っても無駄ね」

「そうでしょうか」

「だってあなた、わたくしに欠片の興味も持たないんだもの」

 女性がテラスの手すりから体を浮かせ、深いスリットから白い肌を覗かせる。

 真紅のドレスは白い肌をより一層際立たせ、胸元が大きく開かれたことにより柔らかな肢体を魅力的に輝かせていた。

 それを見ても、アルはただ単純に『美人なのだろう、男が放っておかないのだろう』と漠然と考えていた。

 その体をどうするとか、どうしたいとかその手の考えは全くといっていいほど浮かんでこない。

 自分は異常なのかと首を傾げて、しかしやはり目の前の女性をそれ以上評価できなかった。

「私は、異常なのでしょうか」

「さぁ、どうかしら。ただ大抵の男性はわたくしを美しいと褒めてくれるわ? わたくしには何の価値もないけれど、わたくしの体には価値があるみたいな言い方ね」

 好きではないの、あんな言葉。

 女性が吐き捨てるように言ってから、口元を歪めた。自分に向けられる賞賛ごと切り捨てても、彼女はなんとも思わないらしい。

 そして他人の言う『美しい』という褒め言葉に関心がないということも分かった。

「でも、多分、あなたは美しいのでしょうね」

 アルは何のけなしに呟いた。他人事のように、何でもないように、ただ目の前にある事実として呟いた。

 凛と伸びた背筋は手すりに凭れかかっても曲がりはせず、だらしないように振舞ってはいても隠しきれない品性がある。

 しゃべり方はどこまでも穏やかで優雅であり、そして自分を美しく見せようと努力しているのも分かる。

 鮮やかな紅唇が、滑らかな肌がそれを語る。

「そう思って?」

「ええ。とはいえ、私は朴念仁ゆえ女性のドレスなどには無頓着ですが」

 どのように着飾ろうが、どのように化粧を施そうが、それはあくまで飾りでしかない。

 そう思ってしまうアルは夜会には向かない性質であり、貴族のご令嬢から小さく眉を寄せられる一面でもあった。

 どこから見ても完璧な第二王子は、女性の心には鈍感らしいと裏で囁かれていることなど、レオン経由で聞き知っているアルにしてみれば、余計なお世話ではあったが。

「『美しい』と、大切な妹のような方にも言えるかしら」

「どうでしょう、もう随分と会ってない」

 あぁ、でも美しいかもしれないな、と唐突にアルは考えた。

 可愛らしいとしか表現したことのない友人を思い浮かべ、あの顔がどのように成長しているのかを知りたいと思った。

 紫の鮮やかな瞳は丸いままだろうか。緩く癖のついてしまう栗色の髪は、長くなってしまっただろうか。

 リボンをもう一人で結べるようになったのだろうか。

 一人で、薬草を育てているのか。

「彼女もいずれ、大人になるわ。あなたの知らないところで」

「私の、知らないところで」

 繰り返すと、きゅっと胸が痛んだ。

 自分が知らないところで大人になり、自分が知らないところで恋をし、自分が知らないところで知らない男の手を握るのか。

 一生、会えないのだろうか。彼女とはもう二度と、会えないのか。

「会いたいと、思う?」

「ええ、思います」

「でも会ったなら、あなたは抱かなくてもいい感情を抱くかもしれないわ」

 その身分には不必要な、とても大切な想いを。

 今のままでいれば感じることのなかった想いを。その少女を傷つけてしまいかねない激情を、何も知らないその心に抱えることになるかもしれない。

 女性は歌うようにそう言った。

「彼女に抱かなくていい想いなど、私の中に存在しません」

「そうね、今はそうだわ。今のあなたならばそうでしょう。だけど」

 それがこの先ずっと、彼女に再会するまでずっと、続くのかしら?

「彼女は可愛い?」

「とても」

「愛しい?」

「ええ、すごく」

「愛したい?」

「愛しています、誰よりも。誰よりも、大切にしたい」

「だけど彼女は妹なのね」

「はい、ずっと。絶対に」

 矛盾しているとは、アル自身考えない。その問いに破綻が見られるなど、女性は言わない。

 しかしその小さな歪みは確かに存在していて、それはいつ大きくなるのか分からないものであると女性は思った。

 思っても、ただ無邪気とも言える純粋さで答える少年を目の前にして、何も言えなくなる。その想いが、いずれ『恋』と名のつくものになるのではないか、などと。

「そろそろ一部が終るわ。学生さんは、一体いつまでいるつもりかしら」

「そろそろ、行かなくてはいけないですね」

 ふわりとアルが口元に笑みを浮かべ、優雅に一礼した。

 少しの狂いもなく向けられる礼に、女性も優雅に返した。その一つの動作だけで、彼女がただの貴族ではないことをアルもまた知る。

 しかし何も問わない。名前、身分などを聞かないのが、この夜会の醍醐味であり、唯一無二の規則だった。

 それを破るつもりには互いになれない。

「やはりあなたはご婦人ですよ、立派な」

「そうかしら、令嬢ではないことは確かだけど」

「あなたは美しいです、とても」

「ありがとう、あなたの『美しい』はどこか空虚ね。褒め言葉に聞こえないわ、残念ながら」

 それは多分。

 女性が艶やかな唇から言葉を零す。アルが思い浮かべている少女とは違う金髪がきらきらと光を反射した。

「本当の『美しさ』を知らないからだわ。愛する女性に、一度使ってみなさいな。その瞬間、あなたが使う『美しい』という言葉に、賞賛の色が生まれるわ。

ただ客観的な判断じゃなくって、もっと根本的に」

 女性が笑ってグラスをテラスに並べる。ガラスが小さな灯火に照らされて、オレンジ色の光を広げる。

 それを見ながら、アルは呆然とその場を去った。言われた言葉を上手く整理できず、ただ頭の中で繰り返す。

 『美しい』とは賞賛の意味を含んでいなければ意味がないのか、と。

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