【閑話】仮面に隠すは 1
リゼは出てきません。学生時代のお話。
名門貴族の子弟を集めた学園の中、一際は雰囲気の違う少年がいた。
整っている顔立ちは黙っていると話しかけにくさを持つが、話してみると人好きのする明るい少年だ。
少年と呼ぶには少々大人になりすぎているものの、友人達と話している様子はまだ子供で純粋そのものだ。そんな彼も今はその顔立ちに似合う格好でイスに静かに座っていた。
「アル、君も一緒にどうだい?」
「何がだ」
人を寄せ付けない空気を醸しながら読書をしていたその少年、アルにもう一人の少年、レオンが話しかける。
よく似た顔立ちだったが、甘さではレオンが、精悍さではアルが勝っていた。アルの持っている本を取り上げ、ぱらぱらとページを捲り、レオンは大きなため息をつく。ついでに芝居がかったように肩をすくめて見せる。
「確かに勉学に励むのはいいことだろうけど。そのうち脳みそにカビが生えないか心配になるよ」
「余計なお世話というものだ。お前達のように遊び惚けるつもりはない。まぁ、勉強で脳みそをカビだらけにする気もおきないが」
仲がいいとはとても思えない会話を繰り返し、二人は辛辣な言葉の応酬を楽しんでいた。その証拠に、似通った顔立ちは不敵な笑顔を浮かべていたし、アルは口ほど不機嫌ではなかった。
辛辣な言葉の中にも隠しきれない親密さがにじみ出ており、二人が互いをよい友人と認めていることが分かる。
二人を遠くから心配そうに見つめていた少年達はそっと息を吐いた。この冗談とも本気とも取れる言葉の応酬が周りをヒヤヒヤさせているなど、本人達は知る由もない。
「人間関係を良好にするのも、立派な勉強だと思わないかい? 王族には必須の技術だと思うけど」
「お前はただ遊びたいだけだろう? 違うのか?」
「否定はしないけど、それ以外のこともある。別に制服を脱いで抜け出そうとしてるんじゃないよ。正式な手続きで外へ出ようと言ってるんだ。それに」
「抜け出すのを楽しんでるのはアルもでしょ、だろ? お前が言いたいことくらい分かる」
「分かってるんなら、賛成しない?」
なかなか食い下がらないレオンを見つめ、それからアルは小さくため息をついた。
諦めたようにレオンから本を奪い取り、胸ポケットから出した栞を本の間に挟む。その様子をじっと見つめていたレオンの目に喜色が輝き、遠くの友人達へ大きく手を振る。
それと同時に向こうの方で小さな歓声が巻き起こり、アルは自分の行動が大きな意味を持っていると知った。
最近、何かにつけてこんな反応を取られていると思って、アルは綺麗に整えられていた髪をくしゃりとかき上げた。
剣術の授業で鍛えられ、最近伸び始めた身長と相まってひどく絵になる格好だったが、残念ながらそれに黄色い声を上げる可愛らしい女性はこの学園にはいない。
周りにいるのは暑苦しいと表現できる男どもだけだ。
「今度は何をした」
「別にー。ただアルが来るかどうかで賭けをしてただけ」
「王子を賭けの対象にするとは、いい度胸だ」
長く座っていたことで寄ってしまった皺を手で直しながら、アルは呆れたように呟く。
どこの国に、自国の王子の行動を賭ける臣下達がいようか。実際目の前にいるので大した文句も言えず、アルはむっと口を閉じた。
それから隣のイスにかけてある外出時の上着を手に取り、校則にそって正しく着込んだ。ついでに帽子も忘れずに被ると、由緒正しき生徒になる。
整った容姿にきちんとした制服。
どこからどう見ても由緒ある学校の優等生だ。その実、レオンと二人で授業をサボった挙句夜中寮から抜け出そうと画策している生徒には見えない。
それはレオンも同じことで、二人して教師の悩みの種だった。
「様になるね、相変わらず」
「同じ顔をしてるんだ。自分も褒めてることになるぞ、それ」
「僕は自覚してるもの」
「嫌味だ」
校則が厳しいことで有名なこの学園、紳士としての礼儀作法もさることながら、集団生活やスポーツにも力を入れている。
いわばどこから見ても完璧な『紳士』を育てることが目標であるここは、年頃の少年達からすれば息苦しいことこの上ない。
「で、どこへ行くんだ?」
「由緒正しき夜会だよ。仮面舞踏会、マスカレード」
ぴくり、とアルは片眉を上げて疑問を投げる。
そんな彼に全く怯える様子のないレオンは、そのにこやかな顔を崩さないまま、先ほどアルが眉を顰めた言葉をそのまま繰り返した。
「だから、夜会。大丈夫。これはきちんとした招待状をもらっている方々しか入れないし、なかなかに格式高い。さすがに夜会へ出るときには制服でいられないけれど、先生方の許可は取ったよ。僕たち、特例だし」
さらりと口に出したレオンの言葉に、アルはより一層不快感を顕わにしながら帽子を脱いだ。
『レオン』と静かに呼びかければ、呆れたようなため息を吐かれる。『やれやれ』という小言も加えられて、アルは苦々しく口を歪めた。
「先生方がよく許したな」
「君のとこのお母様が直々に頼んできたらしいよ。まさか王妃様の願いを無碍にするわけにもいかないでしょう?」
アルが無言で歩き出す。その横に慌てて並んだレオンが微苦笑しながら、自らも制服を整えて帽子を被った。
きちんとした格好をすればますます似てしまう二人は、お互いの顔を見合わせて小さく笑う。
同じ格好、同じ顔、同じ声。
「出れば満足するのか」
「まぁ、されるんじゃないかな」
はい、これ衣装ね。そう言って渡された紙袋の中は、略式の夜会服だ。
格式高いとはいえ、仮面舞踏会自体がそこまで正式な夜会ではない。どちらかといえば、出会いを求める男女の夜会だ。
……寮生活の男子学生が行くものではない、とアルは勝手に決め付けて眉をきりりと寄せた。元々この手のものに関心がない上、どちらかと言えば苦手だった。
紙袋に入っているものが正式な礼服ではないのは、少し青っぽい生地が示している。
洒落者なら許されるだろうが、格式高いものならば眉を顰められるだろう。入っている装飾品もどちらかと言えば格式よりも全体のバランスが優先されているようだ。
つまり、格式高いとはいえそれは仮面舞踏会の中では、という前置きが必須だということだ。
「このシャツは……お前ならいいかもしれないな、レオン」
「嫌だな、君のだよ。こういうのも着てみれば意外にいいものだよ」
薄い青色のフリルシャツは、甘い顔立ちのレオンには似合っても、自分には似合わないだろうとアルは思う。
実際はそんなに変わらない顔立ちなわけだから、本人が気にするような違いは見れないのだが、本人はそう思い込んでいた。
「ま、これも仕事だと思って割り切ってよ。実は面白いと思うよ」
「そうだろうか、俺には分からないよ」
ぽつりとアルが呟いて、そろそろ暗くなり始めた空を見上げた。茜色だった空は紺のベールをかけたように少しずつ色を変えていく。
その中で一つ二つと明るい輝きが現れ始め、辺りが闇で覆われた。ある意味昼よりも長い夜の訪れを知ると、アルは眉を曇らせた。
仮面舞踏会とはいえ、正体がばれないわけではない。よく知る人物に会えば自然と噂を広がるだろう。
「難しいことは何も考えなくていいよ。ただ楽しく話せばいい。美味しいものを食べて、話の上手な後腐れのない人たちと話をして、日頃の鬱憤なんか晴らしちゃえばいい。僕たちの顔が見えるわけでもないし」
案外楽天的に語った後、レオンは再び生真面目な顔を作ってアルを見返す。
それから遅れがちになっているアルの手を掴み、ゆっくり引っ張りながら歩いた。『この年で手を繋ぐのはないな』と笑いながら。
「男と手を繋ぐなんて、はぁ、明日には変な噂が広がるんだ」
「変?」
「僕はまだしも、君は有名だからね」
女性に靡かない、興味ない、何も感じない。
その三拍子が揃って噂されないわけないだろう、とレオンは少しだけ嫌な顔をしながら答える。
一方のアルはその噂の渦中であるにも拘らず、自分がどんな噂のネタにされているのか予想もできなかった。
一体誰に、どんな目的でどのような噂を立てられるというのか、と首を傾げながらレオンの手に従った。
「君ね、そんなに女性が好きじゃないの?」
「いや、嫌いじゃない」
ただ、とアルは前置いてから小さくため息をついて、レオンの疑問に答えようと口を開く。
「面倒なんだ、色々と考えたら。だから別にいらないんじゃないかって思う。特に必要だと感じたことがないから」
年若い少年の言葉とは思いがたいそれに、レオンは心底嫌そうな顔をして、それから呆れたようにため息をついた。
よく知っているはずの友人を、まるで理解できない怪物を見るような目で見て、そっとアルの頭を叩く。
慰めているというよりは、むしろ叱責しているようなそれに、アルは髪を整えなおすことで抗議する。
「必要性なんてありはしない。愛にも、まして恋なんかにもね。だけどそれでも人間はそんなものに縋るんだよ」
「意味が、分からない」
「情緒教育の一環だと思えばいいんじゃない?」
知ったかぶってそういうレオンは小さく笑いながら、学校側が用意した馬車に乗り込んだ。
そしてアルにあらぬ噂が降りかかるわけです。10.5話のあとがきでの会話は、こういう下地があってこその発言なわけでした。