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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
37/109

31話 恋人ではないけれど

 恋ではないと分かっている。いや、恋であってはならないんだ。それを言ってしまえば、この親愛の情は『恋』だと分けられてしまうのだから。


 恋人ではないけれど ―だけど、一番大切―


「今日は疲れてらっしゃいますね」

「仕事じゃないことでな」

 東屋の机に肘をつき、大きくため息を吐いた。

 出てきたお茶を口に入れれば、先程とは違いしっかりとした味が舌に沁みて、肩の力を抜く。

 同じように机の向かい側にリゼットが座り、お茶に手を伸ばした。ごく普通に彼女が自分と同じ席に座り、お茶を飲む。

 これだけのことが日常になるまで、随分と苦労したことを思い出す。

 王子と同じ席に着くなんて、お茶を飲むなんて……などなど。彼女が出した言葉を反芻した。それでも今の状況を見れば、その苦労も無駄ではなかったのだと思う。

「リゼ」

「はい?」

 この狭い東屋の中で手を伸ばせば、彼女の頬に手が届いた。

 さらりと栗色の細い髪をかきあげて、耳から顎にかけての輪郭をなぞる。珍しく呼んだ愛称に彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。

 自分がどう言えばいいのか分からず、緩く笑って人差し指の背で頬を撫でた。

「リゼはいつか恋をして、それからここを出るんだな。ちょっと、父親の気分だ」

「なっ、にを……おっしゃっているのか」

 かしゃんと音を立てて彼女はカップをおいた。冷静さを欠いたその動作に、どう解釈すればいいか迷う。

 可愛くて、愛しくて、大切で。

 人はそれを『恋』と呼ぶ。いくら否定しても、彼らは断言するのだ。それが嫌で耳を塞ごうにも、彼らはそれを許してはくれない。

 この心に宿る彼女への想いは、恋情なんかではないのに。

「なぁ、リゼ。俺はお前が好きだし、大切だ。一番、大切なんだ」

「そんなのっ」

 リゼットが呻いた。俯いて、額に握り締めた右手を当てて、絞り出すようにして声を出した。

 肩が細かく震えていて、その頼りなさに胸が締め付けられた。どうして大切にしたいのに、自分はこんなに無力なのか。

 この胸に宿る想いは、親愛の情ではないのか。

「私も、同じだよ、アル。アルが、大切で大切で……。でも私、アルが王子だってもう知っ」

 その細い体を引き寄せて、その言葉ごと抱き込んだ。

 苦しくて、切なくて、彼女を取り込むように腕の中へ閉じ込めた。

 彼女さえ手に入れることができれば、彼女さえ抱きしめていれば、色んなことを忘れられると思った。抱きしめた体は細くて脆い。

 それなのに柔らかくて、温かくて、肩口に顔を埋めた。お互いに無理な体勢だったが、そんなこと気にならなかった。

「大切にする仕方が分からないんだ、リゼット。誰よりも、大切にしたいのに」

 出会ったばかりの頃、再会したばかりの頃。

 今まで自分はどうやって彼女を大切にしていたんだろうか。いや、どうやって自分が満足の行く形で、彼女を大切にしていたと『思って』いたんだろう。

 離れている間も、一日たりとも忘れたことはなかった。厳しい剣の訓練も、様々な授業も、いつか再会するかもしれない彼女を思い出せば乗り切れた。

 あの小さい子を、守りたいと思ったのだ。

「大切に、されてるよ」

「そうは思えない」

「勿体ないくらい、大切にされてるのに」

 彼女がゆっくりと動いて、腕から逃げ出した。

 腕の中のぬくもりが離れる感覚に眉を寄せれば、彼女は小さく微笑んでこちらに回りこんだ。それからそっと近づいて、背に手を回される。

 安堵して、それからまた少し切なくなった。恋情が本当にこんなものならば、世の中の人間はさぞや日々苦しんで生きているのだろう。

 そんな皮肉が思い浮かんだ。

「アル、大好き。アルのことが――大、好き」

 声も出ず、反応も返せずにただ頷くだけになってしまう。

 何か言うべきなのに、何も言えず腕に力を込めた。『妹』からのその言葉は、嬉しいはずなのに。どうしてか胸が詰まった。

 『兄』として喜ぶべきことじゃないのか。どうして喜べないのか。

 それは『兄』に向けられた言葉だからか。

「時間なんて、経ってほしくなかったよ」

 時間さえ経たなければ、こんなにも悩むことなかった。

 時間さえ経たなければ、彼女を『妹』として愛することができた。

 何の疑問も差し挟まず、何の苦悩もなく、抱きしめることも、頬に触れることも躊躇わず、自然にできたはずだ。

 それなのに、自分はいつの間にかそこに疑問を感じた。周りの人間が、そうせざるを得ないことしか言わなくなったからなのか。

 それともいずれ気付かなければいけないことだったからなのか。そんなことは、分からなかったけれど。

「あのとき、時が止まってしまえばよかった。アルが王子様だって知らない、あのときで。全部、止まってしまえばよかった。そうしたら、もっと」

 リゼットが悲しげに喉を鳴らし、それから小さく息を吐いて言った。

 まるで、その言葉を押さえ込むように。押さえ込もうとして、それでも押さえ込めなかった言葉が漏れ出すように。

「もっと、近くにいることができたのに」

 その言葉に、胸を衝かれた。

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