29話 与えられた資格
仕事が終わってすぐに向かうのは、もちろん東屋だった。夏の気配がわずかに緩み、少しずつ秋の気配が増してくるのを感じた。
与えられた資格 ―任せられたのは、二人の形見―
「クライヴ様が、話されたのですか?」
「あのときの驚き具合を教えやりたい」
リゼットに向かってそう言えば、それはそうですねと静かに納得された。そして東屋の近くで座り込み、こちらに背を向けて土いじりをしていた彼女は立ち上がる。
彼女はそのまま膝や手についている土を払い落とし、こちらに視線を合わせて首を傾げながら笑った。
おいてあった水で手を洗い、丁寧に拭いてからこちらに近づいてくる。
「クライヴ様は、私のことをそのように」
「からかわれたぞ」
むすりと返せば、リゼットは再び笑い『行ってみます?』と続けた。
それに頷けば、彼女はこちらに手を向ける。小さい手がこちらの手を掴み、ゆっくりと引っ張ってきた。いつもは触れることさえ『恐れ多い』なんて言うのに。
「よく他の人にバレないな」
「他の人にとって私は、祖父の後を追いかけていた幼子のままですからね」
二年目ですから、本当ならこんな大きな仕事任せられるわけないんですけど。
リゼットが苦く笑って、歩き出す。東屋から程近い森へ入るには少し歩くので、馬に乗ってくれればよかったと思った。
それでも緩く繋がった手を見れば、これでもいいかと思ってしまう。
「どうしても、忍びなかったんです。初めは、立ち入り禁止が暗黙の了解だということを知らなくて、ただ壊れた鉢などを直してたんです」
彼女にしてみれば、その薬草園は小さい頃から出入りしていたところだ。立ち入り禁止で、まして他の人間は場所さえも知らないなどと、思いもしなかったんだろう。
ただ『祖父にとって、かけがえない場所』。そんな印象しか持っていなかったのだろう。
「だけど、王様に呼ばれて、この薬草園を守る仕事をいただきました。すごく、誇らしかったです」
「そう、か。そうだろうな」
「はい」
繋いだ手に力を込められて、思わず彼女を覗き込む。彼女は笑って、より一層繋いだ手に力を込めた。それでも全く痛くなくて、笑ってしまった。
「私が継いだのは、祖父の仕事だけではないんだと」
「仕事、だけではない?」
父が何を思ってリゼットに薬草園を任せたのかは知らない。
何を思い、王の立ち入りさえ禁ずる権限を与えたのか。それは分からない。
それだけその薬草園を大切にしているんだろうか。実務一辺倒のあの人にしては珍しい。
「私にとって、この薬草園は祖父の数少ない形見の一つで、それは王様にとっても変わらないんだなと。だから、二人分の形見を任せられているんだと」
小さな門に手をかけて、彼女は胸を張った。いつもは身分がどうとか、自分には不釣合いだとか、そんなことばかり言うのに。
この薬草園は、彼女をここまで変える力があるのかと感心した。以前来たときもその物珍しさにあちこちを見回したが、今回もやはりぐるりと辺りを見渡した。
「最初はね、ちょっと迷った。いいのかなって」
口調が幼くなって、思わず驚く。再会したときにはすでに敬語だったので、なおさらだ。
その口調は男物の衣にも、特例と称される庭師の肩書きにも似合わない。だけど懐かしいその話し方は、紛れもなく『リゼ』のもので、心の奥に何かを灯した。
繋いでいない方の手を伸ばし、その頬に触れる。びくりと顔を上げるリゼットに、初めて会ったときの面影を探した。
いくつも見つけられたのに、どれもあの頃のままではなかった。
「アル、バート……様」
「呼び方までは戻らないか」
丸くて柔らかいだけだった頬は、いつの間にか年頃の少女らしい色があった。無闇に触れていいものではないのだと自らに言い聞かせる。
彼女と目が合えば、彼女はふっと視線を下げてこちらから目を外した。伏せられていた目を縁取る睫が、細かく震えている。
「二人分の形見か。責任重大だからな。迷って当然だろう。でも、決めたのはお前だ。やるんだろう?」
「はい、精一杯努めるつもりです」
するっと繋がれた手が離れた。
さっきまで強く握っていたはずの彼女が、手から力を抜いたのだと分かる。離された手は何の抵抗もなく体の横で揺れた。
その手に目をやり、眉を寄せる。
自分の心の変化に、気付いてしまったのだ。気付くべきではない、その変化を。少し前なら何でもなかったはずなのに。
手を繋ぐのも、離すのも、大した心情変化はなかったはずだ。自然だと、信じていたから。妹役の彼女と手を繋ごうが、離そうが、それは大きなことではないと思っていた。
それなのにどうして今更、離したくないと思ってしまったのか。
その離れてしまった手を、どうしてまた掴まえたいなどと思ってしまったのか。