27話 お手をどうぞ
危なっかしいのは昔からだ。今更咎めることもない。ただ毎度毎度、心臓に悪いのは事実だった。彼女を見ていると命がいくらあっても足りない。
お手をどうぞ ―危ないから手を繋ぐだけ―
森へ入ると心が静まった。
すぅっと頭の中がすっきりとして、最近悩んでいた様々なことが消えていった。隣を見れば、リゼットがオロオロとついてくる。男物の服を着ているのに、フラフラと危なっかしい。
大体、こういうとき素早く動くための、その服装じゃないのか。森の管理人であった祖父殿の後をついて歩いていたのだから、慣れてもいいと思うのだが。
まぁ、もし慣れていたなら森で足を挫くようなことはない、か。
「ア、アルッ、バート様。待って下さい」
躓きつつ、こちらへ進んでくる。こちらは歩いてもいなければ、動いてもいない。
むしろ後ろを振り向いて、いきなりいなくなった彼女を見つけに戻ってきたのだ。手を差し出せば、一瞬躊躇った後に手を預けてきた。
細い指先を掴んでゆっくりと引き寄せる。軽い体はそれだけでこちらに来た。こんなに軽くて大丈夫なんだろうか。
「あの、ありがとうございます」
「危なっかしいな」
獣道を先導しつつ、自然にその手が離れた。するっとごく自然に切れてしまった繋がりを、惜しいとは思わなかった。
しかし先程まであった僅かな温かさを含む手がないことに、小さな違和感を感じてしまった。きゅっと空になった手を握り締めて、その感覚を押し殺す。
感じてはいけないモノにしか思えない。
「随分と入り組んでるところだ」
「先王が、この奥に薬草園を作ることをお許しくださいましたから」
自分の祖父に当たるその人を、直接には知らない。
しかし彼女の祖父殿とは大分親しかったようだ。草木を愛する友のため、また役に立ちたいと薬草を育て始めてくれた親友のため、先代の王は森の一角を薬草園とした。
そしてそこの管理を友に任せたのだ。そこそこ年のいった王族以下大臣級の人間なら皆知っていることだ。
「守っているのか。お前が」
「祖父と先王の絆、ですから」
祖父殿がなくなって数年後、荒れ果てていたそこを彼女は少しずつ建て直し始めたらしい。
誰も手を入れるべからず、という暗黙の了解を破れたのも、彼女が最も愛された孫娘だったからだろう。
おじいちゃん子だったと言う彼女にしてみれば、手を入れられず荒れ放題になっている薬草園の方が忍びなかったのだ。
「こんな道ですから、アルバート様は東屋でお待ちくださいと」
「祖父の人となりを、知りたかったんだ」
薬草園の存在自体は随分と前から知ってはいた。
しかし行こうにも、正確な道を知っている者はいなかったのだ。また彼女と再会してからも、彼女がここを建て直していることは知らなかった。
最近やっと知って、ずっと来たいと思っていたのだ。素晴らしいと言われている祖父の姿を、捉えたかった。見たことのない人の姿を。
「くれぐれもお気をつ……きゃ」
そう言ったそばからリゼットはつんのめた。前のめりに倒れこんだ彼女の腰を、寸でのところで掴まえる。思わずため息が漏れた。
腕の中の彼女も安堵したように力を抜く。
「リゼット、気をつけなければならないのは、多分お前の方だ。前も下も気をつけながら歩け」
そろそろ起き上がった彼女に、怪我がないことを確かめてから手を差し出した。
体勢を直すための助けではなく、初めから倒れないようにする手立てだ。腰を解放された彼女は不思議そうにこちらと手を交互に見つめた。
その様子がじれったくて、半ば無理やりに彼女の手を掴む。
「あっ、あの。アルバート様」
「リゼは危なっかしいから」
言い訳のように聞こえたかもしれない。
わざとらしく幼い頃呼んだように、愛称を口に乗せる。そうしなければ、今手を繋いでいるのは妹ではなく、一人の女性だと思ってしまいそうだった。
改めて掴んだその手は僅かに冷たく、しかし確かに生きている人間特有の温かみを持っていた。あの頃に比べて、よりしなやかに細くなっている。
「こけないように、こうしている方が早いだろう? 毎回心臓を止めるのも嫌だしな」
「でも」
遠慮する彼女を見て、少しだけ手を離す。手の中にある温かくて、それでも少し冷たい手が一瞬戸惑った。
「お手をどうぞ、お姫様。薬草園までご一緒しましょう。その間、護衛する任をお与えください」
「ふざけないでくださっ」
今度は足元の蔦に引っかかる。頭から落ちる彼女を引っ張り上げ、しっかりと手を掴んだ。冷たかった手が途端に熱を持つ。
「意見なら聞くが?」
「いえ、あの……。よろしくお願いします」
さすがに諦めたらしく、大人しく手を預けてきた。
僅かにぎこちないその手を握り、引っ張らないように注意しながら歩き始めた。何度かこけかけ、その度に握る手の力を強くした。
その繰り返しは幼い頃と変わらずに、安心感を与えてくれる。自分の手の中にある手は、紛れもなく妹役の、少女の手なのだと。女性ではないのだと。