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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
30/109

25.5話 作り笑いに騙されて

 部屋に帰って、それからようやく大変な忘れ物をしたことに気がついた。いつも身近なところにおいてあるはずのあの本が、どこを探してもない。

 管理室においてきたのかもしれないと思い、慌てて立ち上がる。もう夜着に着替えており、再び男物の服に手を通す気にはなれなかった。

 仕方がないので夜着の上に手近な上着を着て、部屋から出ようとする。

 そのときに、暗い部屋で鏡の中の自分と目が合った。

 薄い、体。

 まるで十をいくつか過ぎただけの子供のよう。

 だからあの方も、薄着になった私を見て何も思わなかったのだろうか。それとなく薄着になることを拒絶してみたりもしたが、あの方は何も考えることなく『脱げ』と言った。

 私が異性であることも、年頃の少女であることさえ考えていないようだった。

 そこに絶望こそすれ、安心することなどないというのに。どうしてあんなふうに、あの方は私を見れるのだろう。

 私だったらきっと動揺すると思う。想っている方の体の線が顕わになるだなんて、考えただけでも動悸が激しくなる。いや、きっと想っているかた以外でも、動揺はするだろうと思った。

 それなのに、あの方はどこまでも冷静で何でもないように私に服を脱ぐように促した。

「確かに、動揺するまでもない体ではあるけれど」

 振り切るように鏡から視線を外し、部屋から忍び出る。原則夜間の外出は禁じられているが、そんな決まりあってないようなものだと知っていた。

 だから音を立てないように廊下を進み、素早く外に通じる扉から出た。分かってはいるけれど、やはり緊張はするらしく、いけないことをしているのだという不思議な高揚感と恐れがあった。

 手元のランプで地面を照らし、真っ暗闇の道を進む。

 東屋に近づけば近づくだけ、宮殿の明かりは遠のき、暗闇がより一層近くなる。小さなランプ一つでは、照らされる地面などたかが知れていて、たちまち足元以外を暗闇に飲み込まれてしまった。

 ざわざわと少し冷たくなり始めた風が木々の葉を揺らしているのは、ほんの少し気味が悪い。

 それでも本を翌日までおいておく気にはなれず、仕方なく足を速めた。

 心細さが不安をより一層大きくして、何かに追われているのではないかという錯覚をもたらす。自分の足音だけのはずなのに、どうしてか周りに人がいるような気配を感じてしまった。

 逃げ込むように管理室へ入り、部屋の明かりをつける。

 そこでようやく息をつけた。

「よかった。あった」

 祖父の数少ない形見の本は、もう何十回と読み返しているのでボロボロだ。

 その本は古いもので、決して正しいだけの知識ではないし、薬学というよりは呪いじみたものも多い。ついでに新しく見つかった効能などは書いていないもので、決して教科書になるようなものではない。

 それでも祖父が大切にしていたように、大切にしたかった。

 身分が違うと自覚しつつ、それでも先代王に友人として仕えた祖父が羨ましかったのだ。

 祖父は王を『良き友人』と呼び、王は祖父を『かけがえのない人間』と呼んだ。

 それは今の私からしてみれば、羨ましいという他ない。ずっと傍にいれたのだから。ずっと変わらず、その関係を保てたのだから。

 羨ましくてたまらない。

 私は、我がままだ。

 友人でいることさえ難しいこの関係で、さらにそれ以上のことを望もうとしているのだから。欲深くて、醜いのだ。もうずっと、こんな想いを抱えている。

 醜いと思うのに、アルを想う気持ちを止められない。

「帰ろう……」

 悩んでももう遅い。

 ならばひたすら隠して、押し殺して、そうやってあの方の傍にいるしかない。捨てられないなら、ずっと持つ以外ないのだ。

 消せないなら、せめてあの方に分かってしまわないようにしなくてはいけない。それがけじめだし、祖父と先代王に対する礼儀だ。

 今私に職を与えてくださった、王への礼儀でもある。

 ランプを持ち直し、ずれ落ちかけていた上着を引き寄せて管理室から出た。それから真っ暗な闇に覆われている、小さな東屋を見る。

 そろそろと、足がそこへと向かった。そこは私が唯一あの方に近づける特別な場所。

 誰からも干渉されず、あの笑顔を独り占めできる場所。大切な、大切な――何にも替えがたい場所なのだ。

 彼がいるはずもない。

 いてはいけない。

 頭では痛いほど分かっていて、心でもそれを理解はできているのに、どうしても言うことを聞かない足はそこへと向かっていた。

 分かっているのに胸は早い心拍を刻み、耳元で心臓が鳴っているようだった。この音が、どうして外に漏れないのかと疑問に思ったのは一度ではない。

 暗闇に沈む恐怖ももう感じなくなっていて、ひたすらに暗いその場所へと足を踏み入れた。

 外からの視界を遮るように植えた、背の高い植物を抜けたとき、ぼんやりと光が目に入った。ランプの光があったのだ。

 それと同時に、ありえない映像が目の前に映し出されて、自分の目を疑った。いるわけもない、はずなのに。どうして。

「アルバート、さま……?」

 どうして、いるの。

 夢なの? 現実ではないの? 私は夢までアルに支配されてるの?

 もう、幻を見るくらい自分は追い詰められてしまっているのだろうか。自分が望む像を、まるで目の前にいるように結んでしまうほど、私はアルが好きなのか。

 そうまで王や祖父を裏切りたいのか。

 そう思った矢先に、アルは小さく私に微笑みかけた。

 違う、これは幻なんかじゃない。幻なら、アルはこんな辛い笑い方をしない。

 こんな――いつも王族として誰かに笑いかけるみたいな笑い方を、私が望んでいるはずもない。ならこれは、本当のアルなのか。

「どこか、お怪我でも? あの、誰か呼びますっ」

 どこかに怪我をしているから、それを隠そうとしているから、そんなに余所余所しい笑顔で私を見つめるの?

 そこまで私を遠ざけたい理由は何なの。そんな笑顔、見たくなんてないのに。

 そう思う自分とは裏腹に、アルが伸ばしてきた手にどきりとした。普通のことのはずなのに、どうしてかその手に自分の肌が触れるのだと思うとどうしようもなくなってしまった。

 そして止まってしまったその手に、落胆と安堵を感じるのだ。


 作り笑いに騙されて ―いっそ、他の人間みたいに誤魔化してほしい―


 誤魔化されないことを誇りつつ、何もできずにただ見ているだけの自分が嫌になるんだ。

 いっそ騙されたらどんなに楽かと、本当になれば絶対に嫌だと思う救いを考えるんだ。そしてまた、好きになるんだ。

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