03話 そういうのも必要
剣を扱う人間が、生傷を作るのは仕方のないことだ。
そう言ったにも拘らず、彼女はその傷を痛々しい顔で治療する。まるで、自分の傷であるかのように。
そういうのも必要 ―多分、傷薬になるからなおさら―
「アルバート様っ。東屋へお戻りください。こんなところにいてはいけません」
「でもリゼットはもうしばらくここにいるんだろう?」
ここは東屋の管理人に与えられた管理室に程近い、小さな薬草畑だった。
東屋からちょうど見えない位置にあるここには、日常で使われるであろう薬草がいくつも植えられている。
薬草にはいくつか、とても手をかけないと育たないものや、気候の変化に弱いもの、害虫に食べられやすいものなどが存在する。
つまり、薬草畑を持つ者は、常日頃から気を張っていなければいけないのだ。彼女もその中の一人。
東屋の管理人の仕事は主に二つある。
一つ目は東屋自体の維持だ。しかし東屋の建物の修理などは専門の技術者がいるので、彼女の役目はその周りに植えられている植物の世話。
二つ目は東屋に来る王族達の相手。もっとも、この東屋は悪い噂が絶えないため、今のところ彼女が相手をしているのは自分のみだ。
そういう理由から、彼女は常に暇を持て余しているらしい。
こちらとしては、そんな彼女に毎日会いに来れればいいのだが、仕事があるため三日に一度会えればいい方だ。
その代わり、というか、彼女はよくこの薬草畑にいる。
今日は水遣りだけらしいのだが、それぞれ薬草によって水の遣り具合も違うため時間がかかっているのだろう。
仕事が一息ついてここへ来たとき誰もいなかったので、こちらを覗いたら水遣りをしている彼女を見つけたのだ。
「では、私も参りますから東屋へ。水遣りなら後でもできます」
「あと少しのようだし、待つくらいなんてことないが」
彼女を困らせるのは本意ではないものの、一介の王族のせいで薬草が枯れるというのはさらに本意ではない。
彼女が大切に育てているのならばなおさらだ。
「リゼットが困らないなら、手伝うんだが」
彼女の顔色が変わり、すぐさま作業を再開する。
説得するよりも、水遣りを早く終えた方がよいという判断を下したのだろう。しばらくすると、手に持っていた道具を片付け始め、やがて苦く笑ってから腰を折った。
年若い庭師がするとは思えない、完璧な所作は昔自分が教えたものだ。
「お待たせいたしました。申し訳ありません、アルバート様」
少々わざとらしいその声には、小さな非難の声も見え隠れしていて、こちらも苦笑いを返してしまう。
それから言い訳をするように口を開いた。
「リゼットの作る傷薬は殊更効くからな。愛用している者として、それが手に入らなくなるのは困る」
「傷薬を愛用しないようにする努力は、しないのですね。私の作るものを使ってはなりませんと、あれほどお願いしているのに、アルバート様は」
王子なのだから、当然専用の医者が付く。
しかし剣を扱うので、生傷は絶えない。その度にあの仰々しい行列が来るのは堪らないので、大抵のときには黙っているのだ。
彼女の作る傷薬を常備していれば、無闇にあの大袈裟な医者達の姿を見せずに済む。それはとてもよいことだと思うのに、彼女はその傷を使うことに賛成しない。
「何故お前の薬を使ってはいけない? よく効くものは、有効に活用すべきだと思うが」
包帯を巻かれれば、その分動きにくくなるし、何よりそれを換えに来る人間に小言を言われるのは何より避けたい事態である。
「下々の者が使うようなもの、王子たるあなたに渡せようはずもありません。それに私がもし刺客であったらどうするおつもりですか?
薬に毒が入っていたら?」
考えてもみなかったことを言われたが、そんなことで引き下がるなどと思っているのだろうか。
必死になって言い募ろうとすればするほど、彼女の元来の素直さと生真面目さが前面に押し出されるようで、苦い笑みが口の端に宿った。
彼女が刺客などでないことは、自分が誰よりも知っていることだ。一体何年見てきていると思ってるんだ。
「お前を信用してるから、お前の薬を使う。それだけだ。これは俺の判断だから、お前が気に病む必要もない。
分かったか? お前の責任は、どこにもないんだ。リゼ」
昔のように呼べば、彼女は小さく眉を寄せる。それから薬と布を出して、そしてそっと淡く笑みを浮かべつつこちらに近寄ってきた。
「手を、出してください。数日前、強く打たれたと聞きました」
「……手加減しない将軍が相手だったからな」
袖をめくれば、青くあざになった左腕が現れる。
あの将軍相手にこれだけで済んだ我が身の成長を称えてやりたいが、彼女の顔を見るとそんなことも言えなくなった。
「今日だけですよ。今日だけですからね。本当に。次からはきちんと主治医の方のところへ行って、ちゃんとした治療を受けるんですよ。約束、ですよ。アル……さま」
「あー、分かった。努力目標に留まるかもしれないが、努力はしよう。懐かしい名前も、呼んでもらったしな。できれば、元通り呼び捨てで呼んでほしいが」
「ご冗談を」
塗り薬を塗る手はどこまでも優しく、本当に小さく、だがこんな日もいいのかもしれないと思ってしまった。