23話 小さな戸惑いに襲われる
自分とどことなく似ている容姿。髪さえ染めて、手を加えれば身代わりにさえなる男だ。その男がすぐ目の前で笑っていた。彼女の、すぐ前で。
小さな戸惑いに襲われる ―胸騒ぎの正体は何だろう―
似ているのは当然といえば当然で、彼は血の繋がったはとこだ。
実はそうなんだが、彼女は知らないだろう。有名な貴族以下、少しでも貴族というものに名を連ねていれば、誰でも知っていることだろう。
呼びかけようと口を開くが、不意に小さなしこりができた。
呼びかけようと開いた口から声が出ない。何を戸惑う必要があるのか、何を迷う必要があるのか。自分にそう言い聞かせるのに声が出なかった。
「リゼットさん」
レオンの声が柔らかく、彼女の名を呼んだ。
周りの人間から、一番よく似ているところとして上げられる『声』だったが、自分の声はあんな声だっただろうか。
あんなに穏やかに彼女の名を、呼べていただろうか。
他人の口から出る、自分のものとよく似た声は、それだけで違和感を誘い、落ち着かなくなる。
どうして彼がここへ?
「……で、……?」
「いえ」
遠くて言葉を聞き逃す。
よく聞こえずに苛立つのに、どうしてか足が動かずに立ち尽くした。体が鉛のように重くて、何もできなくなっている。
唯一動いているのは、ゆらゆら揺れて動揺を顕わにする自らの心だけだ。何故揺れているのか、どうしてこんなに動揺してしまうのか、よく分からなくなってしまった。
「……リゼ」
しかし、戸惑いも迷いも動揺さえ、レオンが発した一言で吹き飛んだ。
それでその正体に気づいた。取られるとでも思ったのだろうか。大切な友人を、レオンの毒牙にかけるのは嫌すぎる。
彼女は誰より幸せになってほしいのだ。何よりも大切なのだから、この心ももっともだろう。――無理やりに見える言い訳を見ないようにした。
「レオン、いい度胸だな」
「何が? 君は今日来れないっていうことを伝えに来ただけだけど?」
レオンはなんとも楽しそうに笑う。
その笑顔が腹立たしく、足早に彼の元へ行き、リゼットの肩に手をかけた。握る一瞬前に、その線の細さで力を込めるのを戸惑わされる。
しかしそれを押し殺してこちらへ引き倒す。予想以上に彼女の体はこちらへ傾いた。罪悪感とともに彼女の腰を支える。
「あ、アルバート様」
「すまないな、リゼット。この馬鹿の相手なんてさせて」
こちらの胸に頭を持たせかけたリゼットは、焦ったように体を起き上がらせた。
赤くなった頬が彼女の動揺を顕著に表している。それに目を細めていたかったが、いかんせん目の前にはまだ例の馬鹿がいる。
ちらっと視線を上げれば、にこっといい笑顔が返ってきた。リゼットを思いの外気に入ったか?
「レオン、お前」
「気になったんだから、仕方ないでしょ?」
少し離れたリゼットに、その『いい笑顔』を向けてレオンは腕を組む。
彼女は少しだけ気まずそうに視線を逸らし、レオンからの笑顔を流した。万人が虜になるとまで言われる、あの『笑顔』をだ。
その行為に何故だか安心感を覚えた。
どれだけ妹役の彼女を取られたくないのだろうか。
「ノースが呼んでたぞ。さっさと帰れ。で、二度と来るな」
「またお説教かぁ。どうしてさぼったのがばれたのやら」
『二度と来るな』という言葉への反論はなかった。どちらかといえば、聞こえないふりをしているという方が正しいか。
念押ししようと口を開けば、レオンはくるりと踵を返した。
「父が卒倒しないうちに帰るよ。じゃぁね。リゼ」
『リゼ』と彼がリゼットのことを呼んだ。家族以外の人に呼ばれたことがないと、幼い日少しだけ恥ずかしそうにしていたことを思い出す。
それなのに、レオンはリゼットのことをその愛称で呼び、リゼットはそれを拒絶しなかった。ただ顔を赤くして、レオンの方を見る。
どうしてそんな目で、奴を見る?
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「僕の勝手でしょ、どう呼ぼうが。リゼは嫌がってないし」
大貴族の息子に呼び方が嫌だと言えるわけないだろう。
彼女は自分たちよりよほど色んなことを弁えているし、気を遣える。そんな彼女が名門、ハノーバー家の長男に逆らえるはずもない。
レオンの性格を知らないならなおさらだ。それはレオンにも言えるか。レオンも彼女の性格を知らない。
「アル、それならアルがその最たるをいくんじゃない?」
「は……?」
気付かない、わけではなかった。
だけど無意識に目を背けていた。考えないようにしていた。実は自分の言葉こそ、彼女を縛り付ける何よりのものなのだと。
自分の言葉にこそ、彼女は逆らうことができないのだと。考えたくないその事実を、友人によって突きつけられた。
そして自分は、それを跳ね返すだけの根拠もなく、その言葉を受け取るしかなかった。
王子の言葉に、逆らえる少女ではないのだ。リゼットは。