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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
26/109

22話 傍にいれば身分なんて

 頭の中で何かが警鐘を鳴らす。何への警告なのか分からず、それでも焦燥感は増した。一心不乱に東屋へ向かい、彼女を探した。


 傍にいれば身分なんて ―考えなくていいのに―


「アルバート様、いかがされました?」

 軽く息を吐き出して、彼女と目を合わせた。

 息の荒いこちらを見れば、彼女は慌てて走りよってくる。イライラと走るようにして来てしまったので、肩で息をしていた。情けなくなって、彼女に笑いかける。

 上手い笑顔ではないだろうが、笑わないよりはいいだろうと勝手に思った。そして手に持っていた鉢を差し出す。

「いや、早く届けたくってな」

 見る間に綻ぶ彼女の顔に、自分の選択が間違っていないことを知る。

 僅かな優越感とともに、ちりちりとした苛立ちも感じた。どうしてだ、喜んでいいはずなのに。

「ラベンダーですね。私、大好きですっ」

「俺も好きだ」

 一瞬胸に宿った思いも、彼女の笑顔によって忘れ去られる。彼女に鉢を渡して、こちらもつられるように笑った。

 今度は上手く笑えているような気がする。思わず撫でようと彼女の頭に手をおくと、髪をまとめていることに気が付いた。

 彼女の栗色の髪をまとめている髪留めに、目が自然と吸い寄せられる。自分が贈ったものが、使われ続けていることに安心する。もしかしたら、使われていないかもしれないなんて考えていた。

「これを贈ったときより嬉しそうだな、リゼット」

 からかい半分にそう聞きつつ、髪留めに触れる。

 あのときは遠慮ばかりで、とても嬉しそうという印象は受けなかった。今の方がよほど嬉しそうだ。彼女は何を言っているのかすぐさま理解したらしく、頭に手を当てて気まずげに顔を背けた。

 それからちらりと視線だけこちらへ寄越す。

 淡く色づいたその頬へ手を伸ばしかけた。

「こっちの方が、私にはよく似合います。あまり高価なものは、身に余ってしまいますから」

 彼女の言葉で、伸ばしかけていた手が止まる。

 今まさに恐れていたことを、考えないようにしていたことを、彼女は口にした。彼女にさえ会えば、解消できると思っていたのに。傍にいて、話さえしていれば、考えなくて済むと思っていたのに。

 安心のよりどころであるはずだった彼女自身が、事実を突きつけてきた。

「身に、余る、か」

「こんな素敵なものを貰うには、何もかもが足りません」

 その紫の髪留めも、ラベンダーの鉢植えも、どちらも変わらずよく似合っているのに。

 どちらも関係なく、彼女を想って贈ったのに。どんなに『身分』は関係ないと言っても、そうやって受け取られるのかと思うと嫌になった。

 何をしても、自分の身分にすぐ繋げられてしまう。それはどうしようもなく空しくて、仕方のないことのようにも映った。

「傍にいれば」

「え?」

 傍にいれば、身分なんて考えなくても済む。

 そんなこと、酷い思い上がりだった。近くにいても、触れるくらい近づいても、それはあくまで物理的な距離であって、心の距離ではないのだ。

 どんなに一方的に近づいても、それは自分自身のことでしかないのだ。急に空虚になって、乾いた笑が出た。

 世界が色を失っていく。

 彼女の栗色の髪も、紫の瞳も、淡い色の頬も……周りの空気も全てが色を失っていく。

 白も黒もなくなる。この世界はこんなにも色あせていたのか。光を失い、色を失い、全てが鮮やかだった世界がくすんでいった。

 身分を意識し、遵守し、そうして生きている人間は、こんなに暗い世界で生きているのか。

「いや、とんだ思い上がりだと、そう思っただけだ。悪かったな、リゼット」

 この国が王権制なのを忘れたわけではない。まして差がないなどと考えたことはない。

 だけど、自分と彼女の間にある壁はもっと低くて、きっと跨いで越えられるものだと信じていた。誰が許すわけでもなく、何か確信があるわけでもないのに。

 どうしてか、そんな感じがしていた。

 彼女は身分を気にする性質なのは知っている。だけどいざとなれば、易々と越えるものだと思っていた。

 否、初めて出会って、彼女の祖父殿が亡くなり、会わなくなるまでは少なくともそうだった。

 自分が特別扱いに嫌気が指しているときに限って、身分なんて関係ないというように振舞ってくれた。

 彼女はこちらを貴族か何かだと思っていたようだったけど、それがどれだけ自分を救ったか知らないだろう。

「あ、あのっ。アルバート様? どうしてそんなに悲しいお顔をされるんですか? あの、私が何か……」

「いや、お前は悪くない」

 世界の色を映さなくなった瞳は、いつの間にか表情を表に出していたらしい。

 くしゃりと笑って見せて、彼女の栗色だった髪をかき乱す。これは幼い頃からの友に、やっていたはずだった。

 ずっと、そうだった。『友』に向けていたはずだったのだ。

 自分だけだったけれど。

「お前は、悪くない」

 悪いのは自分だ。

 自分一人の考えを信じきって、リゼットの考えを読み取ろうともしなかった。『友達だ』なんて、身分が高い人間が勝手に思ってるだけだ。

 実際の身分制度はもっと厳しくて、容赦がない。

 そんなことにさえ気付かない自分が恥ずかしくて、下を向いた。合わせる顔がなかった。

 彼女より随分年上なのに、無駄に年だけを取っていたらしい。それでも、彼女を友と呼ぶ以外、仕方なかった。

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